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救いとは何ですか
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イ聖 記事105

救いとは何ですか

救いとは何ですか

聖せい書しょの答こたえ

 聖せい書しょ筆ひっ者しゃたちは,人ひとを危き険けんや滅ほろびから助たすけ出だすという考かんがえを伝つたえるために,「救すくう」また「救すくい」という語ごを用もちいました。(出しゅつエジプト記き 14:13,14。使し徒と 27:20)しかし,罪つみからの救きゅう出しゅつを指さして用もちいている場ば合あいも少すくなくありません。(マタイ 1:21)死しの原げん因いんは罪つみなので,罪つみから救すくわれた人ひとには,永えい遠えんに生いきられるという見み込こみがあります。―ヨハネ 3:16,17。 a

どのようにして救すくわれるのか

 救すくわれるためには,イエスに信しん仰こうを持もって,その命めい令れいに従したがうことにより信しん仰こうを実じっ証しょうする必ひつ要ようがあります。―使し徒と 4:10,12。ローマ 10:9,10。ヘブライ 5:9。

 聖せい書しょによれば,自じ分ぶんの信しん仰こうが生いきたものであることを実じっ証しょうするには,従じゅう順じゅんに行こう動どうしなければなりません。(ヤコブ 2:24,26)とはいえ,救すくいは自じ分ぶんの力ちからで得えられる,という意い味みではありません。救すくいは,神かみの「過か分ぶんのご親しん切せつ」による「賜たま物もの」もしくは「恵めぐみ」なのです。―エフェソス 2:8,9,「新しん共きょう同どう訳やく」,日に本ほん聖せい書しょ協きょう会かい。

救すくいを得え損そこなうこともあるか

 あります。おぼれているところを救すくわれてもまた水みずの中なかに落おちるか飛とび込こむかする人ひとと同おなじように,罪つみから救すくわれても信しん仰こうを保たもたない人ひとは,救すくいを得え損そこなうことがあります。それゆえに,聖せい書しょは,救すくわれる見み込こみを得えたクリスチャンに,「信しん仰こうのために厳きびしい戦たたかいをする」よう勧すすめています。(ユダ 3)また,救すくわれつつある人ひとたちに,「恐おそれとおののきをもって自じ分ぶんの救すくいを達たっ成せいしてゆきなさい」とも述のべています。―フィリピ 2:12。

救すくい主ぬしは神かみ? それともイエス?

 聖せい書しょでは,神かみが救すくいの主しゅ要ような源みなもとであり,しばしば「救すくい主ぬし」と呼よばれています。(サムエル第だい一いち 10:19。イザヤ 43:11。テトス 2:10。ユダ 25)加くわえて,神かみは古こ代だいのイスラエル国こく民みんを救きゅう出しゅつするために様さま々ざまな人ひとをお用もちいになり,聖せい書しょではそれらの人ひとも「救すくい主ぬし」または「救すくい手て」と呼よばれています。(ネヘミヤ 9:27。裁さばき人びと 3:9,15。列れつ王おう第だい二に 13:5) b 同どう様ように,神かみがイエス・キリストを贖あがない(あがない)の犠ぎ牲せいとすることによって人ひとが罪つみから救すくわれるようにされたので,聖せい書しょではイエスも「救すくい主ぬし」と呼よばれています。―使し徒と 5:31。テトス 1:4。 c

すべての人ひとが救すくわれるか

 いいえ,すべての人ひとが救すくわれるわけではありません。(テサロニケ第だい二に 1:9)イエスは,「救すくわれつつある者ものは少すくないのですか」と尋たずねられた時とき,「狭せまい戸と口ぐちを通とおって入はいるため,精せい力りょく的てきに励はげみなさい。あなた方がたに言いいますが,入はいろうと努つとめながら入はいれない者ものが多おおいからです」と答こたえました。―ルカ 13:23,24。

すべての人ひとが救すくわれるという誤ご解かい

 誤ご解かい: コリント第だい一いち 15章しょう22節せつは,「キリストにあってすべての人ひとが生いかされる」と述のべており,すべての人ひとが救すくわれると教おしえている。

 真しん実じつ: この節せつは,復ふっ活かつについて論ろんじている文ぶん脈みゃくの一いち部ぶです。(コリント第だい一いち 15:12,13,20,21,35)ですから,「キリストにあってすべての人ひとが生いかされる」とは,復ふっ活かつする人ひと々びとすべてがイエス・キリストを通とおしてこの祝しゅく福ふくを受うける,というだけのことです。―ヨハネ 11:25。

 誤ご解かい: テトス 2章しょう11節せつは,神かみが「すべての人ひと々びとに救すくいをもたらす」と言いうことにより,すべての人ひとが救すくわれると教おしえている。―「新しん共きょう同どう訳やく」,日に本ほん聖せい書しょ協きょう会かい。

 真しん実じつ: この節せつで「すべて」と訳やくされているギリシャ語ごには,「すべての種しゅ類るい」という意い味みもあります。 d ですから,テトス 2章しょう11節せつを,神かみは「すべての国こく民みんと部ぶ族ぞくと民たみと国こく語ごの中なかから来きた」人ひと々びとなど,あらゆる種しゅ類るいの人ひと々びとが救すくわれるようにしておられる,と正ただしく理り解かいすることができます。―啓けい示じ 7:9,10。

 誤ご解かい: ペテロ第だい二に 3章しょう9節せつは,神かみが「ひとりも滅ほろぼされ[ない]ことを望のぞ」んでおられると述のべ,すべての人ひとが救すくわれると教おしえている。

 真しん実じつ: 神かみは人ひと々びとが救すくわれることを望のぞんでおられますが,人ひと々びとに救すくいのための備そなえを受うけ入いれるよう強きょう制せいしたりはされません。神かみの「裁さばき……の日ひ」には,「不ふ敬けい虔けんな人ひと々びとの……滅ほろび」も含ふくまれます。―ペテロ第だい二に 3:7。

a 聖せい書しょは,人ひとが罪つみと死しから実じっ際さいにはまだ救すくわれていなくても,すでに「救すくわれている」かのように述のべています。―エフェソス 2:5。ローマ 13:11。

b 引いん照しょう聖せい句くの中なかの「救すくい主ぬし」という語ごは,「代だい表ひょう闘とう士し」,「救きゅう助じょ者しゃ」,「英えい雄ゆう」,「指し導どう者しゃ」と訳やくされる場ば合あいもあれば,「だれか」と訳やくされる場ば合あいさえあります。しかし,聖せい書しょのヘブライ語ご原げん文ぶんでは,他たの箇か所しょでエホバ神かみを救すくい主ぬしと呼よぶ際さいに用もちいられているのと同おなじ語ごが,それら人にん間げんの救すくい主ぬしにも用もちいられています。―詩し編へん 7:10。

c イエスという名なはヘブライ語ご名めいエホーシューアに由ゆ来らいし,これには「エホバは救すくい」という意い味みがあります。

d 「バインの旧きゅう新しん約やく聖せい書しょ用よう語ご総そう合ごう解かい説せつ辞じ典てん」(英えい語ご)をご覧らんください。同おなじギリシャ語ごがマタイ 5章しょう11節せつにも出でています。その節せつには,イエスに従したがう者ものは人ひと々びとから「あらゆる種しゅ類るいの」悪わる口くちを言いわれる,というイエスの言こと葉ばが記しるされています。―国こく際さい標ひょう準じゅん訳やく(英えい語ご)。