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エホバの証人

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「ものみの塔」 2012年9月

 寄せられ手紙―ギリシャから

ヨーロッパ最南端伝道する

わたしたち乗っが,地中海大海原ぽつん浮かぶ台地よう進むつれ,クレタ堂々たるレフカ山地次第小さくなっゆきました。船上わたしたち一行13は,ヨーロッパ最南端位置する,地図小さなようガヴドス伝道旅行楽しみました。

このよう暑いなら順調できるだろう,と思えましが,間なく突風吹い荒れ,船コルクよう揺れました。船酔いわたしは,聖書使徒パウロ関する記述思い起こしました。その昔,ガヴドスカウダ呼ばころに,パウロこの海域激しい遭っです。(使徒 27:13‐17)わたしただただ,『ガヴドス無事着けますように』と祈りました。

トレピティ岬。ヨーロッパ最南端

そして,ついに目的ある,岩だらけその断崖絶壁見えました。海抜300ぐらいしかなく,目立っない,比較平らです。広さ26平方㌔で,その大部分低木厚く覆わおり,沿岸ねず浜辺まで広がっいるあります。

かつて8,000ほど島民ましが,今日,通年この暮らすわずか40です。現代文明このガヴドス迂回行っようです。貨物タンカー沖合よく航行ますが,このクレタから連絡たま来るだけで,それ天候ため遅れたり欠航たりすること少なくありません。

わたしたちガヴドスやっは,励みなる喜ばしい音信―つまり,より良い将来待ち望めるいう確か希望完全健康状態いつまで生きられるいう見込み―を島民差し伸べるためでした。ですから,船いよいよ波止場つくは,そう良いたより伝えるため早く上陸たいいう気持ち駆らました。

いえわたしたちは,約4時間もまため,顔青ざめおり,ガヴドスまで決してものなかっこと傍目明らかでした。しかし,少し昼寝あとコーヒー飲ん元気取り戻し,使徒パウロ旅行つい聖書 記述手短振り返り,真剣祈ることより,活動開始する用意整いました。

地元人々は,愛想良く,好意で,わたしたち招き入れて,飲み物など出しくれました。わたしたちは,聖書から良い知らせ伝えるだけなく,必要応じ実際助け差し伸べました。メンバー電気技術男性は,ある女性に,その仕事電気器具壊れいること気づき,修理あげました。その感激し,聖書文書受け取って,わたしたちこの宣教奉仕こと褒めくれました。また女性感謝述べ,「皆さん活動は,人間からものなく,神からものです。こんなへんぴまで伝道いるですからね」と言いました。

わたしたち持っ行っ聖書文書も,人々から大いに感謝ようです。ある男性は,「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌受け取り,「冬読むため出版もっと欲しい」と言いました。別男性は,自分出版だけなく,自分来る読めるようさらに求めました。そして,わたしたち毎月両方雑誌郵送できるよう,自分住所教えくれました。ある家族は,自分たち住んいる小島こと聖書いる知って,とても感銘受け,喜んわたしたち雑誌受け取りました。

サラキニコ湾。流刑たち収容建物そのこと記念する

そのよう反応非常励みあるものでしが,メンバーうちは,ガヴドス訪れて,身内関係悲しい出来事思い出しました。サラキニコ近くに,かつて流刑され政治収容建物あります。1930年代後期に,エホバ証人人,エマヌエルリオヌダキスが,伝道活動かどここ流刑処さです。 * 当時ガヴドスは,「死もたらすサソリしか生息ない不毛島,多くが……飢餓窮乏病気死んだ,死呼ばれるべき場所」であった,と言わます。リオヌダキス兄弟は,釣り食物ながら,そのただエホバ証人抑留たち対する伝道励みました。その婿孫娘は,父親70場所て,感無量様子でした。わたしたちも,リオヌダキス兄弟模範思うと,忠節保ち,宣教奉仕活発行なおう,という気持ちなりました。

ガヴドスは,流刑されたちとっは,旅行天国ようありませでしが,わたしたちとっは,心地よいでした。週末このくまなく伝道て,心温かい島民たち雑誌46冊,冊子9配布できました。新たなったち再び会う本当楽しみです。

あっというに,ここ去るました。しかし,そのまた,天候良くなかっで,午後5出発延期なり,夜中に,もう一度厳しいなる覚悟乗り込みました。結局,午前3出発し,嵐5時間もまて,クレタ着きました。ふらふらながら陸地降り立っ疲れ果てましが,ガヴドス人々エホバお名前知らせることできて,うれしく思いました。(イザヤ 42:12)全員が,努力払うだけ価値あった,と思いました。経験辛苦すぐ忘れしまうも,この思い出深く刻み込まれ,いつまで残ることでしょう。

^ 節 11 エマヌエルリオヌダキスライフストーリーついは,「ものみの塔」19999125‐29ページご覧ください。