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エホバの証人

日本語

「目ざめよ!」  |  2012年9月

 聖書見方

組織​宗教​は​必要​です​か

組織​宗教​は​必要​です​か

組織​宗教​に​幻滅​し​て​おら​れ​ます​か。そう​し​た​宗教​は​自分​と​は​無​関係​だ,と​思っ​て​おら​れる​でしょ​う​か。その​よう​に​感じ​て​いる​人​は​少なく​あり​ませ​ん。実​の​ところ,宗教​組織​に​は​入ら​ない​と​いう​人​が​急増​し​て​い​ます。

組織​宗教​に​は​偽善​と​不​寛容​が​見​られる​から​嫌​に​なっ​た,と​いう​人​も​いれ​ば,決め​られ​た​崇拝​の​方法​は​複雑​すぎ​て​従い​にくい,と​感じ​て​いる​人​も​い​ます。神​を​崇拝​する​の​に​組織​宗教​の​よう​な“仲立ち”は​不要​だ,と​考える​人​も​い​ます。組織​宗教​に​つい​て,聖書​は​何​と​述べ​て​いる​でしょ​う​か。

古代​の​神​の​友​たち

アブラハム,イサク,ヤコブ​など​古代​イスラエル​の​族長​たち​が​行なっ​た​崇拝​の​形式​は,聖書​に​はっきり​と​記さ​れ​て​い​ます。例えば,神​は​次​の​よう​に​言わ​れ​た​こと​が​あり​ます。「わたし​が[アブラハム]を​親しく​知っ​た​の​も,彼​が​自分​の​後​の​子​ら​と​家​の​者​たち​と​に​命じ​て​エホバ​の​道​を​守ら​せ,こう​し​て​義​と​公正​を​行なわ​せる​ため……で​あっ​た」。(創世記 18:19)アブラハム​は​神​の​友​で​あり,個人​と​し​て,創造​者​と​の​親しい​関係​を​築い​て​い​まし​た。と​は​いえ,自分​の​家​の​者​たち​と​一緒​に​崇拝​を​行なう​こと​も​し​まし​た。神​の​友​で​あっ​た​他​の​族長​たち​も,家族​や​親族​や​僕​たち​など​と​共​に​神​を​崇拝​し​まし​た。

後​に​神​は,古代​の​イスラエル​人​や​1​世紀​の​クリスチャン​に,崇拝​の​ため​に​集まる​よう​命じ​まし​た。(レビ​記 23:2,4。ヘブライ 10:24,25)その​よう​な​組織​さ​れ​た​崇拝​の​機会​に​は,歌,聖書​の​朗読,公​の​祈り​など​が​行なわ​れ​まし​た。(ネヘミヤ 8:1‐8。コロサイ 3:16)さらに,聖書​に​よれ​ば,資格​ある​男子​の​一団​が​会衆​に​おい​て​崇拝​の​面​で​率先​し​ます。―テモテ​第​一 3:1‐10

会衆​と​し​て​崇拝​を​行なう​こと​の​益

聖書​中​の​こう​し​た​例​を​考える​と,今日​で​も​神​は​ご自分​の​友​で​ある​人々​が​組織​立っ​た​方法​で​崇拝​を​行なう​こと​を​望ん​で​おら​れる,と​言える​でしょ​う。会衆​に​加わっ​て​神​を​崇拝​する​こと​に​は​幾つ​も​の​益​が​あり​ます。

聖書​は​真​の​崇拝​者​を,狭い​道​を​歩く​人​や​競走​の​走者​に​例え​て​い​ます。(マタイ 7:14。コリント​第​一 9:24‐27)起伏​の​多い​長く​て​きつい​道​を​走る​人​は,すぐ​に​疲れ果て,レース​を​棄権​し​たく​なる​か​も​しれ​ませ​ん。しかし,もう​限界​だ​と​感じ​て​も,他​の​人​たち​から​の​励まし​が​あれ​ば,あきらめ​ず​に​頑張ろ​う​と​する​もの​です。同様​に,真​の​崇拝​者​は,他​の​崇拝​者​たち​から​の​励まし​が​あれ​ば,困難​の​下​で​も​神​と​の​親しい​関係​を​保つ​こと​が​でき​ます。

それゆえ,ヘブライ 10​章​24,25​節​は,「互い​の​こと​を​よく​考え​て​愛​と​りっぱ​な​業​と​を​鼓舞​し​合い,……集まり合う​こと​を​やめ」ない​よう​に,と​勧め​て​い​ます。聖書​に​よれ​ば,真​の​崇拝​者​たち​は​人体​の​よう​に​結び合わされ,兄弟​姉妹​と​し​て​崇拝​を​ささげ​ます。

組織​宗教​すべて​を​退ける​べき​だろ​う​か

 また,聖書​に​よる​と,人体​の​よう​な​会衆​は​愛​と​平和​と​いう​きずな​で​結ば​れ​て​い​ます。エフェソス 4​章​2,3​節​に​は,真​の​崇拝​者​たち​に​対する​次​の​よう​な​訓戒​が​記さ​れ​て​い​ます。「全く​へりくだっ​た​思い​と​温和​さ​と​を​もち,また​辛抱強さ​を​もっ​て​愛​の​うち​に​互い​に​忍び,結合​の​きずな​で​ある​平和​の​うち​に​霊​の​一致​を​守る​ため​真剣​に​励み​なさい」。もし​他​の​崇拝​者​たち​から​離れ​て​一​人​で​神​を​崇拝​する​と​し​たら,どうして​この​訓戒​に​従う​こと​が​できる​でしょ​う​か。

神​が​望ん​で​おら​れる​の​は,真​の​崇拝​者​たち​が​互い​に​疎遠​に​なる​こと​で​は​なく,信仰​の​うち​に​一つ​に​固く​結ば​れ​て​いる​こと​です。聖書​は​崇拝​者​たち​に​対し​て,語る​ところ​が​一致​し​て​いる​よう​に,そして​分裂​を​避け,「同じ​思い,また​同じ​考え方​で​しっかり​と​結ば​れ​て」いる​よう​に,と​勧め​て​い​ます。(コリント​第​一 1:10)もし​神​が​わたしたち​に​いつも​別々​に​一​人​で​崇拝​する​よう​求め​て​いる​と​し​たら,この​助言​に​は​ほとんど​意味​が​ない​でしょ​う。

聖書​の​記述​から​明らか​な​よう​に,組織​立っ​た​方法​で​行なわ​れる​崇拝​は​神​に​受け入れ​られ​ます。また,聖書​で​述べ​られ​て​いる​よう​な​組織​宗教,つまり​神​が​認め​て​おら​れる​宗教​を​通し​て,自分​の​霊的​な​必要​を​満たす​ため​の​助け​が​得​られ​ます。―マタイ 5:3

今日,偽善​や​数々​の​残虐​行為​に​かかわっ​て​いる​組織​宗教​が​たくさん​あり​ます。だから​と​いっ​て​組織​宗教​すべて​を​否定​す​べき​でしょ​う​か。あらゆる​人​に​愛​を​表わす​ため​に​組織​さ​れ​た​宗教,つまり​神​の​道徳​規準​を​教える​ため​に​組織​さ​れ​た​宗教​が​存在​する​に​違いあり​ませ​ん。その​よう​な​宗教​から,真​の​信仰​を​築く​ため​の​助け​が​得​られ​ます。聖書​を​調べれ​ば,神​に​受け入れ​られる​組織​宗教​を​見分ける​方法​が​分かり​ます。