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エホバの証人

日本語

「目ざめよ!」 2006年6月

血塗られた歴史

血塗られた歴史

テロ言えば,何までアイルランド,スペイン北部バスク地方,中東一部など,限ら地域いう印象ありました。今は―とりわけ2001911おけるニューヨークツインタワー崩壊以降―テロ世界現象なっます。楽園ようバリ島,スペインマドリード,英国ロンドン,スリランカ,タイ,さらにネパール生じます。しかし,テロ目新しいことありません。「テロ」とでしょか。

テロつまりテロリズムは,「政治目的達成するために,暗殺暴行粛清破壊活動など直接暴力その脅威訴える主義」と定義ます。(「大辞泉」,松村 明 監修,小学館)といえ,著述ジェシカスターンこう述べます。「テロ研究たち非常多く定義する。……しかし,テロ形態暴力区別する特徴重要意味持つ二つだけある」。それどんなでしょか。「第に,テロ戦闘標的ものある。……第に,テロリスト劇的効果ねらっ暴力用いる。つまり多く場合,どんな物理損害もたらすいうことよりも,相手恐れ抱かせることほう重要ある。意図恐怖あおることが,テロただ殺害襲撃違いある」。

テロ―今始まっことない

1世紀ユダヤ地方は,熱心呼ばれる過激が,ローマからユダヤ独立推し進めました。その特に先鋭は,シカリ派(短剣持ったち)と知られるようなっ人々でした。この名称は,彼ら忍ば短剣由来ます。シカリは,エルサレム祭り群衆紛れ込んは,敵のどかき切ったり,背後から刺したりました。 *

西暦66年,熱心一団死海 近いマサダ要塞攻略ました。その一団ローマ守備壊滅せ,丘要塞作戦基地ました。幾わたって,そこから繰り返し出撃ローマ悩ませました。西暦73年,フラビウスシルバ総督率いるローマ10軍団マサダ奪還ましが,熱心たち直接征服わけありません。当時歴史よれば,要塞立てこもっ総勢960は,ローマ投降 自害ました。生き延びは,2女性5子どもだけでした。

熱心よる反乱を,今言うテロリズム始まり見るたちます。その見方適切どうさておき,テロこれまで歴史色濃く影響及ぼしました。

キリスト世界テロ

1095からほぼ2世紀わたって,十字軍ヨーロッパ中近東行き来ました。それ相対しは,アジアアフリカイスラム教徒勢力です。エルサレム統治めぐって,双方優位立とました。“聖戦”に携わる兵士たちは,多く戦闘凄惨殺し合いました。さらに,ただ居合わせだけ人々振るいました。12世紀僧職テュロスグリエルムスは,1099十字軍エルサレム攻め入っ様子よう描写ます。

「彼らに,一団なっ通り進んだ。男子どもも,見つけ次第,容赦なく打ち殺した。……道端殺さあまり多く,あちこち死体できて,それ踏み越えなけれ進めないほどだった。……おびただしい流血ため辺りなり,町通りどこ死骸埋め尽くさた」。 *

後代に,テロリスト爆弾火器用いはじめ,身よだつよう悲惨多く遂げるようなりました。

幾千万上る死者

歴史たち1914628ヨーロッパおける転換みなします。その日,一青年オーストリア皇太子フランツフェルディナント大公射殺ました。青年一部たちから英雄ました。この事件きっかけ世界世界大戦突入ました。大戦2,000万死者出して,ようやく終わり告げました。

1914628日,世界戦争突入

世界大戦続い世界大戦起きました。その特色なっは,強制収容所,空襲よる一般市民殺害,罪ない人々対する報復攻撃です。戦後人々殺害続きました。1970年代カンボジア大量虐殺行なわれ,100万以上犠牲なりました。またルワンダは,1990年代80万以上虐殺れ,国民その痛手から立ち直っません。

1914から至るまで,多く人々テロ苦しめられました。それかかわらず,今日世界は,歴史教訓何ら介さないよう行動取るたちます。頻発するテロよっ多く落とし,さらに多く障害負っます。そして,平安思い安全暮らす権利奪われるなる知れません。市場爆弾炸裂し,村々焼き討ち遭い,女性レイプされ,子ども連れ去られ,人々死んゆきます。テロ対策法律制定れ,テロ非難する声明世界各国から出さも,この狂気じみ行動とどまるところ知りません。果たして,テロなくなるいう希望持てるでしょか。

^ 5節 使徒 2138記さいるとおり,ローマ司令使徒パウロに,『短剣持っ男』4,000指導ない不当嫌疑かけました。

^ 10節 イエス弟子たちに,敵憎んだり殺したりするなく,『敵愛する』よう教えました。―マタイ 5:43‐45