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エホバの証人

日本語

「ものみの塔」(研究用)  |  2017年12月

 ライフ​・​ストーリー

一切のものを後にして主人イエスに従う

一切のものを後にして主人イエスに従う

「どうして​も​伝道​に​行く​って​いう​なら,二​度​と​帰っ​て​くる​な。帰っ​て​き​たら​足​を​へし折っ​て​やる」。父​に​そう​言わ​れ,わたし​は​家​を​出る​こと​に​決め​まし​た。一切​の​もの​を​後​に​し​て​主人​イエス​に​従う​こと​に​し​た​の​です。16​歳​の​時​でし​た。

わたし​は​1929​年​7​月​29​日​に​生まれ,フィリピン​の​ブラカン​州​に​ある​村​で​育ち​まし​た。経済​不況​の​ため,みんな​質素​な​生活​を​し​て​い​まし​た。わたし​が​子ども​の​時,戦争​が​始まり,日本​軍​が​フィリピン​に​侵攻​し​て​き​まし​た。しかし,わたしたち​の​村​は​辺ぴ​な​所​に​あっ​た​の​で,戦争​の​影響​を​あまり​受け​ず​に​すみ​まし​た。ラジオ​も​テレビ​も​新聞​も​なかっ​た​の​で,戦争​の​様子​は​人々​の​うわさ​で​聞く​だけ​でし​た。

わたし​は​8​人​兄弟​の​2​番​目​でし​た。8​歳​の​時,祖父母​の​もと​で​暮らす​よう​に​なり​まし​た。うち​は​カトリック​でし​た​が,祖父​は​様々​な​宗教​に​関心​が​あり,友人​から​もらっ​た​宗教​の​本​を​手元​に​置い​て​い​まし​た。祖父​が「保護」や「安全」や「暴露​さる」と​いっ​た​タガログ​語​の​小冊子​ *を​見せ​て​くれ​た​の​を​覚え​て​い​ます。聖書​も​見せ​て​くれ​まし​た。わたし​は​聖書​を​読む​の​が​好き​でし​た。特に​四​福音​書​が​気​に​入っ​て​い​まし​た。聖書​を​読ん​で,イエス​の​手本​に​従い​たい​と​思う​よう​に​なり​まし​た。(ヨハ 10:27

イエス​に​従う​よう​に​なる

1945​年​に​日本​軍​の​占領​が​終わり​まし​た。その​ころ,両親​から​家​に​帰っ​て​くる​よう​に​言わ​れ​まし​た。祖父​の​勧め​も​あっ​た​の​で,両親​の​もと​に​帰る​こと​に​し​まし​た。

その​年​の​12​月,アンガット​と​いう​町​から​エホバ​の​証人​の​グループ​が​村​に​伝道​に​やっ​て​来​まし​た。年配​の​男性​が​うち​に​来​て,「終わり​の​日」に​つい​て​聖書​から​説明​し​て​くれ​まし​た。(テモ​二 3:1‐5)そして,近く​の​村​で​行なわ​れ​て​い​た​聖書​研究​に​誘っ​て​くれ​まし​た。両親​は​行き​ませ​ん​でし​た​が,わたし​は​行く​こと​に​し​まし​た。そこ​に​は​20​人​ぐらい​が​集まっ​て​い​て,聖書​に​つい​て​質問​し​て​いる​人​も​い​まし​た。

わたし​は,話​の​内容​が​さっぱり​分から​なかっ​た​の​で​帰ろ​う​と​思い​まし​た。でも​その​時,みんな​が​王国​の​歌​を​歌い​始め​まし​た。その​歌​に​感動​し,とどまる​こと​に​し​まし​ た。歌​と​祈り​の​後,出席​者​たち​は​次​の​日曜​日​に​アンガット​で​開か​れる​集会​に​来る​よう​勧め​られ​まし​た。

集会​が​開か​れ​た​クルス​家​まで​8​㌔​ほど​歩い​た​人​も​い​まし​た。出席​者​は​50​人​ほど​でし​た。小さな​子ども​も​聖書​の​難しい​質問​に​答え​て​いる​こと​に​感心​し​まし​た。その​後​何​度​か​集会​に​出席​し​て​いる​と,高齢​の​開拓​者​の​ダミアン​・​サントス​兄弟​から​家​に​泊まり​に​来る​よう​誘わ​れ​まし​た。兄弟​は​夜遅く​まで​聖書​に​つい​て​教え​て​くれ​まし​た。

当時,多く​の​人​は​聖書​の​基本​的​な​教え​を​学ぶ​と​すぐ​に​バプテスマ​を​受け​まし​た。何​回​か​集会​に​出席​し​た​後,わたし​を​含む​何​人​か​は「バプテスマ​を​受け​たい​です​か」と​尋ね​られ​まし​た。わたし​は「はい,受け​たい​です」と​答え​まし​た。「主人​で​ある​キリスト​に​奴隷​と​し​て​仕え」たい​と​思っ​て​い​まし​た。(コロ 3:24)1946​年​2​月​15​日,近く​の​川​で​わたし​と​もう​一​人​の​男性​が​バプテスマ​を​受け​まし​た。

バプテスマ​を​受け​た​の​だから​イエス​の​よう​に​定期​的​に​伝道​し​なけれ​ば,と​思い​まし​た。わたし​が​伝道​する​こと​を​父​は​快く​思わず,「お前​は​伝道​する​に​は​若すぎる。川​に​つかっ​た​だけ​で​伝道​者​に​なれる​わけ​が​ない​だろ​う」と​言い​まし​た。わたし​は​父​に,神​の​王国​に​つい​て​伝道​する​こと​は​神​の​ご意志​だ​と​説明​し​まし​た。(マタ 24:14)「神​と​の​誓い​を​守り​たい​ん​です」と​も​言い​まし​た。父​から「足​を​へし折っ​て​やる」と​脅さ​れ​た​の​は​この​時​の​こと​です。父​は​わたし​を​絶対​伝道​に​行か​せ​ない​つもり​でし​た。でも​わたし​は,エホバ​に​仕える​ため​に​一切​の​もの​を​後​に​する​覚悟​でし​た。

アンガット​の​クルス​家​が​一緒​に​住む​よう​に​と​言っ​て​くれ​まし​た。クルス​家​の​人​たち​は,末​娘​の​ノラ​と​わたし​に​開拓​奉仕​を​する​よう​勧め​まし​た。2​人​と​も​1947​年​11​月​1​日​に​開拓​奉仕​を​始め​まし​た。わたし​は​アンガット​で​伝道​を​続け,ノラ​は​別​の​町​で​奉仕​し​まし​た。

再び​一切​の​もの​を​後​に​する

開拓​奉仕​を​始め​て​から​3​年​目​の​こと​です。支部​事務​所​の​アール​・​スチュワート​兄弟​が​アンガット​に​来​て,講演​を​し​て​ください​まし​た。公共​広場​に​500​人​以上​の​人​たち​が​集まり​まし​た。スチュワート​兄弟​は​英語​で​話し,わたし​が​タガログ​語​で​話​の​要点​を​通訳​し​まし​た。わたし​は​学校​教育​を​7​年​しか​受け​て​い​ませ​ん​でし​た​が,先生​たち​は​英語​を​使っ​て​教え​て​い​まし​た。また,タガログ​語​で​は​聖書​の​出版​物​が​ほとんど​なかっ​た​の​で,英語​の​出版​物​で​勉強​し​て​い​まし​た。それで,この​時​や​他​の​様々​な​機会​に​話​を​通訳​する​こと​が​でき​まし​た。

スチュワート​兄弟​は​アンガット​の​会衆​に,支部​事務​所​が​開拓​者​の​兄弟​を​1​人​か​2​人​ベテル​に​招待​し​たい​と​思っ​て​いる​こと​を​伝え​まし​た。1950​年​に​米国​の​ニューヨーク​で​開か​れる「拡大​する​神権​政治​大会」に​宣教​者​たち​が​出席​する​ため,ベテル​奉仕​を​手伝う​兄弟​が​必要​だっ​た​から​です。それで,わたし​も​ベテル​に​呼ば​れ​まし​た。ベテル​奉仕​を​する​ため​に​慣れ親しん​だ​環境​を​後​に​し​まし​た。

1950​年​6​月​19​日​に​ベテル​に​到着​し​まし​た。ベテル​と​し​て​使わ​れ​て​い​た​古く​て​大きな​家​は​高い​木々​に​囲ま​れ​て​い​まし​た。敷地​は​1​ヘクタール​ほど​でし​た。ベテル​で​は​十数​人​の​独身​の​兄弟​たち​が​奉仕​し​て​い​まし​た。わたし​は,早朝​に​キッチン​で​働き,9​時​ごろ​から​洗濯​室​で​アイロン​がけ​を​し​まし​た。午後​も​同じ​仕事​を​し​まし​た。宣教​者​たち​が​国際​大会​から​帰っ​て​き​た​後​も,わたし​は​ベテル​奉仕​を​続ける​こと​に​なり​まし​た。雑誌​の​予約​購読​の​依頼​を​扱っ​たり,郵送​する​雑誌​を​包装​し​たり,受付​で​奉仕​し​たり​し​まし​た。どんな​仕事​で​も​喜ん​で​行ない​まし​た。

ギレアデ​学校​に​出席​する​ため​に​フィリピン​を​後​に​する

1952​年,ギレアデ​学校​第​20​期​に​招待​さ​れ​まし​た。興奮​し​まし​た。フィリピン​から​ほか​に​も​6​人​の​兄弟​が​招待​さ​れ​まし​た。アメリカ​で​の​生活​は,フィリピン​の​田舎​で​の​生活​と​は​まるで​違い​まし​た。見る​もの​聞く​もの​すべて​が​新鮮​でし​た。

ギレアデ​の​クラスメート​と​共​に。

例えば,見​た​こと​も​ない​電化​製品​や​家庭​用品​の​使い方​を​覚え​なけれ​ば​なり​ませ​ん​でし​た。気候​も​全然​違い​ まし​た。ある​朝,家​の​外​に​出る​と,見渡す​限り​真っ白​な​世界​が​広がっ​て​い​まし​た。生ま​れ​て​初めて​見​た​雪​でし​た。とても​きれい​でし​た。でも​すぐ​に,ものすごく​寒い​と​いう​こと​に​気づき​まし​た。

ギレアデ​の​授業​は​とても​楽しかっ​た​の​で,新しい​生活​に​順応​する​の​は​苦​に​なり​ませ​ん​でし​た。教訓​者​たち​は​教え方​が​とても​上手​でし​た。自分​で​調査​し​たり​研究​し​たり​する​方法​も​学び​まし​た。ギレアデ​で​受け​た​訓練​は,エホバ​と​の​関係​を​強める​助け​に​なり​まし​た。

ギレアデ​を​卒業​後,一時​的​に​特別​開拓​者​と​し​て​ニューヨーク​市​の​ブロンクス​で​奉仕​する​こと​に​なり​まし​た。それで,1953​年​7​月​に​ブロンクス​で​開か​れ​た「新しい​世​の​社会​大会」に​出席​でき​まし​た。大会​後,フィリピン​に​割り当て​られ,帰国​し​まし​た。

都会​で​の​快適​な​暮らし​を​後​に​する

支部​事務​所​の​兄弟​たち​から,「これ​から​巡回​奉仕​を​し​て​ください」と​言わ​れ​まし​た。主人​で​ある​イエス​の​歩み​に​倣う​新た​な​機会​が​開か​れ​まし​た。イエス​は​エホバ​の​羊​を​世話​する​ため​に​遠く​の​都市​や​町​に​旅し​た​から​です。(ペテ​一 2:21)割り当て​られ​た​巡回​区​は,フィリピン​最大​の​島​ルソン​の​中心​部​でし​た。サンバレス​州,タルラク​州,ヌエバ​・​エシア​州,ブラカン​州​を​含む​広大​な​区域​でし​た。シエラ​・​マドレ​山脈​の​険しい​道​を​通ら​なけれ​ば​行け​ない​町​も​あり​まし​た。バス​や​鉄道​は​なかっ​た​の​で,丸太​を​運搬​する​大型​トラック​の​運転​手​に,丸太​の​上​に​乗せ​て​もらえ​ない​か​頼み​まし​た。ほとんど​の​運転​手​が​快く​乗せ​て​くれ​まし​た。でも​決して​快適​な​旅​と​は​言え​ませ​ん​でし​た。

ほとんど​の​会衆​は​小さく​て​新しい​会衆​でし​た。集会​の​プログラム​を​スムーズ​に​進め,野外​奉仕​を​組織​立っ​て​行なう​ため​の​提案​を​する​と,兄弟​たち​から​とても​感謝​さ​れ​まし​た。

その​後,ビコル​地方​全域​を​含む​巡回​区​に​割り当て​られ​まし​た。多く​の​孤立​し​た​群れ​が​あり,特別​開拓​者​が​奉仕​し​て​い​まし​た。まだ​一度​も​奉仕​さ​れ​た​こと​の​ない​区域​が​たくさん​あっ​た​の​です。ある​家​の​トイレ​は,地面​に​穴​を​掘っ​た​だけ​の​もの​で,穴​の​上​に​は​2​本​の​丸太​が​渡さ​れ​て​い​まし​た。わたし​が​丸太​の​上​に​乗る​と,丸太​が​外れ​て,わたし​も​穴​の​中​に​落ち​て​しまい​まし​た。体​を​洗っ​て​朝食​を​始める​まで​に,結構​な​時間​が​かかり​まし​た。

同じ​日​に​開拓​奉仕​を​始め​た​ノラ​の​こと​を​考える​よう​に​なっ​た​の​は​その​ころ​です。わたし​は,ドゥマゲテ​市​で​特別​開拓​奉仕​を​し​て​いる​ノラ​に​会い​に​行き​まし​た。それ​から​手紙​の​やり取り​を​する​よう​に​なり,1956​年​に​結婚​し​まし​た。結婚​し​た​翌週​に​は​ラプラプ​島​の​会衆​を​訪問​ し​まし​た。そこ​で​は​山​を​登っ​たり​長い​距離​を​歩い​たり​し​なけれ​ば​なり​ませ​ん​でし​た。でも,辺ぴ​な​場所​に​住む​兄弟​たち​の​ため​に​夫婦​で​奉仕​でき,とても​うれしく​思い​まし​た。

再び​ベテル​に​招待​さ​れる

妻​と​一緒​に​4​年​ほど​巡回​奉仕​を​し​た​後,ベテル​に​招待​さ​れ​まし​た。1960​年​1​月​の​こと​です。重い​責任​を​担う​兄弟​たち​と​共​に​奉仕​し,多く​の​こと​を​学び​まし​た。ノラ​も​ベテル​で​様々​な​仕事​を​し​まし​た。

大会​で​話​を​し​て​いる。セブアノ​語​の​通訳​者​と​共​に。

フィリピン​の​エホバ​の​民​が​大きく​増加​する​様子​を​見る​こと​が​でき​た​の​は​喜び​です。わたし​が​初めて​ベテル​に​来​た​時,フィリピン​の​伝道​者​は​1万​人​ほど​でし​た​が,今​で​は​20万​人​以上​に​なっ​て​い​ます。何百​人​も​の​ベテル​奉仕​者​が​伝道​活動​を​支え​て​い​ます。

支部​の​仕事​が​増加​し​た​ため,ベテル​の​施設​を​拡張​する​必要​が​生じ​まし​た。統治​体​から,もっと​大きな​施設​を​建てる​ため​の​土地​を​探す​よう​に​と​いう​指示​を​受け​まし​た。わたし​は​プリンタリー​の​監督​と​一緒​に​支部​の​近所​を​1​軒​ずつ​訪問​し,土地​を​売っ​て​くれ​ない​か​尋ね​まし​た。でも​売っ​て​くれる​人​は​だれ​も​い​ませ​ん​でし​た。「中国​人​は​売ら​ない。買う​だけ​だ」と​言う​地主​も​い​まし​た。

アルバート​・​シュローダー​兄弟​の​話​を​通訳​し​て​いる。

しかし​ある​日,1​人​の​地主​から,米国​に​引っ越す​の​で​土地​を​買わ​ない​か​と​言わ​れ​まし​た。予想​外​の​こと​でし​た。でも​さらに​信じ​られ​ない​よう​な​出来事​が​続き​ます。別​の​地主​も​土地​を​売っ​て​くれる​こと​に​なり,その​人​は​近所​の​人​たち​に​も​土地​を​売る​よう​勧め​まし​た。「中国​人​は​売ら​ない」と​言っ​て​い​た​人​の​土地​も​購入​でき​まし​た。あっと​いう​間​に​支部​の​土地​は​3​倍​以上​の​広さ​に​なり​まし​た。エホバ​が​導い​て​くださっ​た​の​だ​と​思い​ます。

1950​年​当時,わたし​は​ベテル​家族​の​中​で​最​年少​でし​た。今​で​は​わたし​と​妻​は​最​年長​です。主人​で​ある​イエス​に​どんな​時​も​従っ​て​き​た​こと​を​全く​後悔​し​て​い​ませ​ん。両親​から​家​を​追い出さ​れ​まし​た​が,エホバ​は​大きな​家族​を​与え​て​ください​まし​た。エホバ​を​愛する​素晴らしい​兄弟​姉妹​たち​です。どんな​割り当て​を​受ける​と​し​て​も,エホバ​は​必要​な​もの​すべて​を​必ず​与え​て​ください​ます。わたしたち​夫婦​は​エホバ​の​ご親切​に​深く​感謝​し​て​い​ます。そして,エホバ​を​試みる​よう​他​の​人​を​励まし​て​い​ます。(マラ 3:10

収税​人​の​マタイ​・​レビ​は,イエス​から「わたし​の​追随​者​に​なり​なさい」と​勧め​られ​た​時,「一切​の​もの​を​後​に​し​て​立ち上がり,イエス​に​従う​よう​に」なり​まし​た。(ルカ 5:27,28)わたし​も​一切​の​もの​を​後​に​し​て​イエス​に​従っ​て​き​まし​た。他​の​兄弟​姉妹​も​イエス​の​勧め​に​応じ​て​多く​の​祝福​を​経験​する​よう​心​から​願っ​て​い​ます。

フィリピン​の​エホバ​の​民​の​増加​を​見る​こと​が​できる​の​は​喜び。

^ 6節 発行: エホバ​の​証人。現在​は​絶版。