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エホバの証人

日本語

聖書は実際に何を教えていますか

 第​5​章

贖い ― 神からの最大の贈り物

贖い ― 神からの最大の贈り物
  • 贖い​と​は​何​です​か。

  • どの​よう​に​備え​られ​まし​た​か。

  • あなた​に​とっ​て,どんな​意味​が​あり​ます​か。

  • 贖い​に​対する​感謝​を​どの​よう​に​示せ​ます​か。

1,2 (イ)贈り物​が​個人​的​に​大きな​価値​を​持つ​の​は,どんな​場合​です​か。(ロ)わたしたち​が​頂く​贈り物​の​中​で,贖い​は​最も​大きな​価値​が​ある​と​言える​の​は​なぜ​です​か。

これ​まで​に​もらっ​た​贈り物​の​中​で​一番​ありがたい​と​思っ​た​もの​は​何​です​か。高価​な​贈り物​が​ありがたい​と​は​限り​ませ​ん。贈り物​の​本当​の​価値​は,必ずしも​お金​の​額​で​は​計れ​ない​から​です。むしろ,何​か​を​贈ら​れ​て​幸福​な​気持ち​に​なっ​たり,生活​し​て​いく​上​で​その​贈り物​が​本当​に​必要​だっ​たり​する​とき,贈ら​れ​た​物​は​個人​的​に​大きな​価値​を​持つ​の​です。

2 もらっ​て​うれしい​贈り物​は​数多く​あり​ます​が,中​で​も​ひときわ​優れ​た​贈り物​が​あり​ます。それ​は,人類​に​対する​神​から​の​贈り物​です。エホバ​は​多く​の​もの​を​与え​て​ください​まし​た​が,その​うち​で​最大​の​贈り物​は,み子​イエス​・​キリスト​の​贖い​の​犠牲​です。(マタイ 20:28)この​章​で​これ​から​学ぶ​よう​に,贖い​は,わたしたち​が​頂く​贈り物​の​中​で​最も​大きな​価値​が​あり​ます。計り知れない​ほど​大きな​幸福​を​もたらし,あなた​が​切実​に​必要​と​し​て​いる​もの​を​与え​て​くれる​から​です。贖い​は​まさしく,あなた​に​対する​エホバ​の​愛​の​最大​の​表明​です。

贖い​と​は​何​か

3 贖い​と​は​何​です​か。大きな​価値​の​ある​この​贈り物​を​正しく​認識​する​ため​に,何​を​理解​する​必要​が​あり​ます​か。

3 簡単​に​言え​ば,贖い​と​は,エホバ​が​人類​を​罪​と​死​から​救出​する​ ため​の​手段​です。(エフェソス 1:7)聖書​の​この​教え​の​意味​を​とらえる​に​は,エデン​の​園​で​起き​た​こと​を​思い起こす​必要​が​あり​ます。罪​を​犯し​た​アダム​が​何​を​失っ​た​か​を​理解​し​て​初めて,どうして​贖い​が​大きな​価値​の​ある​贈り物​で​ある​か​を​正しく​認識​できる​の​です。

4 人間​と​し​て​の​完全​な​命​は,アダム​に​とっ​て​どんな​意味​が​あり​まし​た​か。

4 エホバ​は​アダム​を​創造​し​た​時,本当​に​貴重​な​もの,つまり​人間​と​し​て​の​完全​な​命​を​お与え​に​なり​まし​た。それ​が​アダム​に​とっ​て​どんな​意味​が​あっ​た​か​を​考え​て​み​て​ください。アダム​は​完全​な​体​と​知能​を​持つ​者​と​し​て​造ら​れ,病気​に​なる​こと​も​老化​する​こと​も,死ぬ​こと​も​決して​あり​ませ​ん​でし​た。完全​な​人間​と​し​て,エホバ​と​特別​な​関係​に​あり​まし​た。アダム​は「神​の​子」で​あっ​た,と​聖書​は​述べ​て​い​ます。(ルカ 3:38)ですから​アダム​は,エホバ​神​と​緊密​な​関係​に​あり​まし​た。それ​は,愛情​深い​父親​と​息子​の​関係​の​よう​な​もの​でし​た。エホバ​は​地上​の​息子​と​の​コミュニケーション​を​持ち,アダム​に​満足​の​ゆく​仕事​を​割り当て,アダム​に​何​を​期待​し​て​いる​か​を​お知らせ​に​なり​まし​た。―創世記 1:28‐30; 2:16,17

5 アダム​が「神​の​像​に」造ら​れ​た​と​いう​聖書​の​言葉​は,どう​いう​意味​です​か。

5 アダム​は「神​の​像​に」造ら​れ​まし​た。(創世記 1:27)アダム​の​外見​が​神​に​似​て​い​た​の​で​は​あり​ませ​ん。この​本​の1​章で​学ん​だ​よう​に,エホバ​は​目​に​見え​ない​霊​で​あら​れ​ます。(ヨハネ 4:24)ですから,肉​と​血​から​成る​体​は​持っ​て​おら​れ​ませ​ん。アダム​が​神​の​像​に​造ら​れ​た​と​いう​こと​は,愛,知恵,公正,力​など,神​の​特質​を​持つ​者​と​し​て​創造​さ​れ​た​と​いう​こと​です。アダム​は​別​の​重要​な​点​で​も​父​に​似​て​い​まし​た。自由​意志​を​持っ​て​い​た​の​です。したがって​アダム​は​機械​の​よう​で​は​あり​ませ​ん​でし​た。機械​は​設計​さ​れ​た​とおり​に,あるいは​プログラム​され​た​とおり​に​しか​物事​を​行なえ​ませ​ん。しかし​アダム​は,正しい​こと​と​悪い​こと​と​を​見分け​て,個人​的​な​決定​を​下す​こと​が​でき​まし​ た。神​に​従う​こと​を​選ん​で​い​た​なら,地上​の​楽園​で​永久​に​生きる​こと​が​でき​た​でしょ​う。

6 アダム​は​神​に​逆らっ​た​ため,何​を​失い​まし​た​か。アダム​の​子孫​は​どんな​影響​を​受け​まし​た​か。

6 ですから,アダム​が​神​に​逆らい,死​の​宣告​を​受け​た​時,非常​に​高い​代償​を​払っ​た​の​は​当然​の​こと​でし​た。アダム​は​罪​を​犯し​た​ため​に,人間​と​し​て​の​完全​な​命​と,それ​に​伴う​すべて​の​祝福​を​失い​まし​た。(創世記 3:17‐19)残念​な​こと​に,アダム​は​自分​の​貴重​な​命​だけ​で​なく,将来​の​子孫​の​命​も​失っ​て​しまい​まし​た。神​の​言葉​は​こう​述べ​て​い​ます。「一​人​の​人[アダム]を​通し​て​罪​が​世​に​入り,罪​を​通し​て​死​が​入り,こう​し​て​死​が,すべて​の​人​が​罪​を​おかし​た​が​ゆえに​すべて​の​人​に​広がっ​た」。(ローマ 5:12)そう​です,人間​は​すべて​アダム​から​罪​を​受け継い​で​いる​の​です。それ​で​聖書​に​は,アダム​は​罪​と​死​の​奴隷​に​なる​よう​自分​と​自分​の​子孫​を『売っ​た』と​記さ​れ​て​い​ます。(ローマ 7:14)アダム​と​エバ​は​神​に​逆らう​道​を​故意​に​選ん​だ​の​で,希望​が​あり​ませ​ん。では,わたしたち​を​含め,アダム​と​エバ​の​子孫​に​つい​て​は​どう​でしょ​う​か。

7,8 贖い​に​は​基本​的​に​どんな​二つ​の​点​が​関係​し​て​い​ます​か。

7 エホバ​は​贖い​と​いう​手段​で​人間​を​救助​する​ため,行動​を​起こさ​れ​まし​た。一般​に​贖い​と​は​何​でしょ​う​か。贖い​の​基本​を​成す​考え​に​は​二つ​の​点​が​含ま​れ​て​い​ます。最初​に,贖い​は​解放​を​もたらす​ため​に,あるいは​何​か​を​買い戻す​ため​に​支払わ​れる​代価​です。この​点​は,戦争​の​捕虜​を​解放​する​ため​の​身代​金​に​例える​こと​が​できる​でしょ​う。二​つ​目​に,贖い​は,何らか​の​損失​を​埋め合わせる,つまり​その​分​の​支払い​を​する​ため​の​代価​です。この​点​は,けが​や​損傷​に​よっ​て​生じ​た​有害​な​影響​を​埋め合わせる​ため​の​金銭​に​似​て​い​ます。例えば,事故​を​起こし​た​人​は,損なわ​れ​た​もの​の​価値​に​十分​見合う​額​の​金銭​を​支払わ​なけれ​ば​なり​ませ​ん。

 8 どう​すれ​ば,アダム​が​わたしたち​すべて​に​負わ​せ​た​膨大​な​損失​を​埋め合わせ​て,人​を​罪​と​死​へ​の​奴隷​状態​から​解放​できる​でしょ​う​か。エホバ​が​備え​て​くださっ​た​贖い​に​つい​て,また,それ​が​あなた​に​とっ​て​どんな​意味​が​ある​か​を​考え​て​み​ましょ​う。

エホバ​は​どの​よう​に​贖い​を​備え​た​か

9 どんな​贖い​が​求め​られ​まし​た​か。

9 失わ​れ​た​の​は​完全​な​人間​の​命​だっ​た​の​で,不​完全​な​人間​の​命​で​それ​を​買い戻す​こと​は​決して​でき​ませ​ん。(詩編 49:7,8)必要​だっ​た​の​は,失わ​れ​た​もの​と​同じ​価値​の​贖い​でし​た。この​点​は,神​の​言葉​に​ある​完全​な​公正​の​原則,つまり「魂​に​は​魂」と​いう​原則​と​一致​し​て​い​ます。(申命記 19:21)では,アダム​が​失っ​た​完全​な​人間​の​魂​つまり​命​の​価値​を​埋め合わせる​の​は​何​でしょ​う​か。求め​られ​た「対応​する​贖い」は,別​の​完全​な​人間​の​命​でし​た。―テモテ​第​一 2:6

10 エホバ​は​どの​よう​に​贖い​を​備え​て​ください​まし​た​か。

10 エホバ​は​どの​よう​に​贖い​を​備え​て​ください​まし​た​か。ご自分​の​完全​な​霊​の​子​の​ひとり​を​地上​に​遣わさ​れ​まし​た。しかし,霊​の​被​造物​を​とにかく​だれ​か​ひとり​遣わす,と​いう​よう​な​こと​は​され​ませ​ん​でし​た。ご自分​に​とっ​て​最も​貴重​な​方,つまり独り子を​遣わさ​れ​た​の​です。(ヨハネ​第​一 4:9,10)この​独り子​は​進ん​で​天​の​住まい​を​離れ​まし​た。(フィリピ 2:7)すぐ​前​の​章​で​学ん​だ​よう​に,エホバ​は​奇跡​を​行ない,マリア​の​胎内​に​この​み子​の​命​を​移さ​れ​まし​た。イエス​は​神​の​聖霊​に​より,完全​な​人間​と​し​て​生ま​れ​た​の​で,罪​が​もたらす​刑罰​の​もと​に​は​あり​ませ​ん​でし​た。―ルカ 1:35

エホバ​は​ご自分​の​独り子​を​贖い​と​し​て​与え​て​くださっ​た

11 どうして​一​人​の​人​が,幾十億​も​の​人​の​贖い​と​なる​こと​が​できる​の​でしょ​う​か。

11 それにしても,どうして​一​人​の​人間​が​多く​の​人​の,実際​に​は​幾十億​も​の​人​の​贖い​と​なれる​の​でしょ​う​か。では,そもそも,幾十億​も​の​人​たち​が​罪人​に​なっ​た​の​は​なぜ​でしょ​う​か。アダム​は​罪​を​犯す​こと​に​よっ​て,完全​な​人間​の​命​と​いう​貴重​な​所有​物​を​失っ​た​と​いう​こと​を​思い起こし​ て​ください。ですから​アダム​は​完全​な​命​を​子孫​に​受け継が​せる​こと​が​でき​ませ​ん​でし​た。伝える​こと​が​でき​た​の​は,罪​と​死​だけ​でし​た。聖書​が「最後​の​アダム」と​呼ぶ​イエス​は​完全​な​人間​の​命​を​持ち,決して​罪​を​犯し​ませ​ん​でし​た。(コリント​第​一 15:45)イエス​は​わたしたち​を​救う​ため,ある​意味​で​アダム​に​代わる​立場​に​立た​れ​た​の​です。イエス​は​神​へ​の​完ぺき​な​従順​を​示し​て​ご自分​の​完全​な​命​を​犠牲​に​する,つまり​放棄​する​こと​に​より,アダム​の​罪​に​対する​代価​を​支払わ​れ​まし​た。その​よう​に​し​て​イエス​は,アダム​の​子孫​に​希望​を​もたらし​た​の​です。―ローマ 5:19。コリント​第​一 15:21,22

12 イエス​が​苦しみ​を​忍ん​だ​こと​に​よっ​て​何​が​証明​さ​れ​まし​た​か。

12 聖書​は,死​を​前​に​し​た​イエス​が​耐え忍ん​だ​苦しみ​を​詳しく​描い​て​い​ます。イエス​は​むち​で​激しく​打た​れ,残酷​に​も​杭​に​つけ​られ,その​苦しみ​の​杭​の​上​で​死に​まし​た。(ヨハネ 19:1,16‐18,30。付録​の「真​の​クリスチャン​は​崇拝​に​十字架​を​用いる​べき​か」)イエス​は​なぜ​それ​ほど​の​苦しみ​に​遭う​必要​が​あっ​た​の​でしょ​う​か。この​本​の​後​の​章​で​学び​ます​が,サタン​が​疑問​を​投げかけ​て​い​た​の​です。それ​は,エホバ​に​仕える​僕​の​中​に,試練​の​もと​で​も​忠実​を​保つ​人間​が​いる​か​どう​か​と​いう​こと​でし​た。イエス​は​ひどい​苦しみ​の​中​で​も​忠実​に​耐え忍ぶ​こと​に​より,サタン​が​唱え​た​異議​に​対し​て,これ​以上​は​考え​られ​ない​良い​答え​を​提出​し​まし​た。自由​意志​を​持つ​完全​な​人間​は,悪魔​が​何​を​し​よう​と​も,神​に​対する​完全​な​忠誠​を​保てる​と​いう​こと​を​イエス​は​証明​し​た​の​です。エホバ​は​この​愛する​み子​の​忠実​さ​を​ご覧​に​なり,大いに​喜ば​れ​た​に​違いあり​ませ​ん。―箴言 27:11

13 贖い​は​どの​よう​に​支払わ​れ​まし​た​か。

13 では,贖い​は​どの​よう​に​支払わ​れ​た​の​でしょ​う​か。神​は​西暦​33​年,ユダヤ​暦​ニサン​の​月​の​14​日​に,完全​で​罪​の​ない​み子​が​処刑​さ​れる​の​を​許さ​れ​まし​た。そう​いう​わけ​で​イエス​は,ご自分​の​完全​な​人間​の​命​を「ただ​一度​かぎり」犠牲​に​され​まし​た。(ヘブライ 10:10 エホバ​は​イエス​の​死後​3​日​目​に,イエス​を​霊​の​命​に​よみがえらせ​まし​た。イエス​は​天​に​おい​て,ご自分​の​完全​な​人間​の​命​の​価値​を​神​に​差し出し​まし​た。その​命​は,アダム​の​子孫​に​代わる​贖い​と​し​て​犠牲​に​され​た​もの​です。(ヘブライ 9:24)エホバ​は​イエス​の​犠牲​の​価値​を,罪​と​死​の​奴隷​に​なっ​て​いる​人類​を​救出​する​ため​に​必要​な​贖い​と​し​て​受け入れ​られ​まし​た。―ローマ 3:23,24

贖い​は,あなた​に​とっ​て​どんな​意味​が​ある​か

14,15 「罪​の​許し」を​得る​に​は,何​を​し​なけれ​ば​なり​ませ​ん​か。

14 わたしたち​は​罪​を​持つ​者​です​が,贖い​が​ある​の​で,極めて​貴重​な​祝福​を​得る​こと​が​でき​ます。神​から​の​この​最大​の​贈り物​を​通し​て,現在​も,そして​将来​も​どんな​益​が​得​られる​か,考え​て​み​ましょ​う。

15 罪​の​許し。わたしたち​は​不​完全​さ​を​受け継い​で​いる​の​で,正しい​こと​を​行なう​ため​に​は​厳しい​闘い​が​必要​です。だれ​も​が​言葉​や​行動​の​点​で​罪​を​犯し​ます。しかし,イエス​の​贖い​の​犠牲​に​よっ​て,「罪​の​許し」を​得る​こと​が​でき​ます。(コロサイ 1:13,14)と​は​いえ,その​許し​を​得る​に​は,心​から​悔い改め​なけれ​ば​なり​ませ​ん。また,み子​の​贖い​の​犠牲​に​対する​信仰​に​基づい​て​許し​を​求め,謙遜​な​態度​で​エホバ​に​祈願​する​こと​も​必要​です。―ヨハネ​第​一 1:8,9

16 清い​良心​を​もっ​て​神​を​崇拝​できる​の​は​なぜ​です​か。その​よう​な​良心​に​は​どんな​価値​が​あり​ます​か。

16 神​の​み前​に​おける​清い​良心。良心​の​呵責​が​ある​と,絶望​的​に​なり,自分​に​は​価値​が​ない​と​感じ​やすい​もの​です。しかし,贖い​に​よっ​て​許し​が​可能​に​なり​ます。エホバ​は​その​許し​を​通し​て​ご親切​に,わたしたち​が​不​完全​で​あっ​て​も​清い​良心​を​抱い​て​エホバ​を​崇拝​できる​よう​に​し​て​ください​ます。(ヘブライ 9:13,14)その​結果​わたしたち​は,エホバ​に​はばかり​の​ない​言い方​が​できる​よう​に​なり,祈り​に​よっ​て​エホバ​に​自由​に​近づく​こと​が​でき​ます。(ヘブライ 4:14‐16)清い​良心​ を​保つ​なら​内面​の​平安​が​得​られ,自尊​心​が​育ち,本当​に​幸福​に​なれ​ます。

17 イエス​が​わたしたち​の​ため​に​死ん​で​くださっ​た​の​で,どんな​祝福​が​可能​に​なり​まし​た​か。

17 楽園​と​なっ​た​地上​で​の​永遠​の​命​の​希望。「罪​の​報い​は​死​です」と​ローマ 6​章​23​節​は​述べ​て​い​ます。その​聖句​は​さらに,「神​の​賜物​は,わたしたち​の​主​キリスト​・​イエス​に​よる​永遠​の​命……です」と​も​言っ​て​い​ます。この​本​の3​章では,これ​から​来る​地上​の​楽園​で​の​祝福​を​取り上げ​まし​た。(啓示 21:3,4)完全​な​健康​を​保っ​て​永遠​に​生きる​こと​を​はじめ,そう​し​た​将来​の​祝福​は​すべて,イエス​が​わたしたち​の​ため​に​死ん​で​くださっ​た​の​で​可能​に​なり​まし​た。それら​の​祝福​を​得る​に​は,贖い​と​いう​贈り物​へ​の​感謝​を​表わす​必要​が​あり​ます。

感謝​を​どの​よう​に​表わせる​か

18 贖い​の​備え​に​対し​て​エホバ​に​感謝​す​べき​な​の​は​なぜ​です​か。

18 贖い​に​対し​て​エホバ​に​深く​感謝​す​べき​な​の​は​なぜ​です​か。贈り物​は,時間​や​努力​や​費用​の​面​で​贈る​側​の​犠牲​が​かかわっ​て​いる​とき,いっそう​貴重​な​もの​と​なり​ます。贈り物​が​贈る​側​の​純粋​な​愛​の​表われ​で​ある​こと​を​知る​と,わたしたち​は​心​を​動かさ​れ​ます。贖い​は​すべて​ の​贈り物​の​中​で​最も​貴重​な​もの​です。それ​を​備える​ため​に,神​は​最大​の​犠牲​を​払わ​れ​た​から​です。「神​は​世​を​深く​愛し​て​ご自分​の​独り子​を​与え(た)」と​ヨハネ 3​章​16​節​に​あり​ます。贖い​は​わたしたち​に​対する​エホバ​の​愛​の​最も​際立っ​た​証拠​な​の​です。それ​は,イエス​の​愛​の​証拠​で​も​あり​ます。イエス​は​自分​の​命​を​わたしたち​の​ため​に​進ん​で​与え​て​くださっ​た​から​です。(ヨハネ 15:13)ですから,贖い​と​いう​贈り物​は,エホバ​と​み子​が​わたしたち​一人一人​を​愛し​て​おら​れる​こと​を​確信​さ​せ​て​くれる​はず​です。―ガラテア 2:20

エホバ​に​つい​て​さらに​知る​こと​は,エホバ​が​備え​て​くださっ​た​贖い​と​いう​贈り物​に​対する​感謝​を​示す​一つ​の​方法

19,20 どんな​方法​で,贖い​と​いう​神​から​の​贈り物​に​対する​感謝​を​示せ​ます​か。

19 では,どう​し​たら,贖い​と​いう​神​から​の​贈り物​に​感謝​し​て​いる​こと​を​はっきり​示せる​でしょ​う​か。まず,偉大​な​与え主​で​ある​エホバ​に​つい​て,さらに​知る​よう​に​し​て​ください。ヨハネ 17:3)この​出版​物​を​手引き​と​し​て​聖書​を​研究​する​なら,それ​が​でき​ます。エホバ​に​つい​て​の​知識​が​増し加わる​に​つれ​て,エホバ​へ​の​愛​は​深まり​ます。そして​今度​は​その​愛​に​動かさ​れ​て,エホバ​に​喜ん​で​いただき​たい​と​思う​よう​に​なり​ます。―ヨハネ​第​一 5:3

20 イエス​の​贖い​の​犠牲​に​信仰​を​働か​せる。イエス​に​つい​て,「子​に​信仰​を​働か​せる​者​は​永遠​の​命​を​持っ​て​いる」と​述べ​られ​て​い​ます。(ヨハネ 3:36)イエス​に​信仰​を​働か​せる​に​は​どう​すれ​ば​よい​の​でしょ​う​か。そう​し​た​信仰​は​言葉​だけ​で​示さ​れる​わけ​で​は​あり​ませ​ん。ヤコブ 2​章​26​節​に​は『業​の​ない​信仰​は​死ん​だ​もの』と​述べ​られ​て​い​ます。そう​です,真​の​信仰​は「業」に​よっ​て,つまり​行動​に​よっ​て​実証​さ​れる​の​です。イエス​に​信仰​を​抱い​て​いる​こと​を​示す​一つ​の​方法​は,言葉​だけ​で​は​なく,行ない​に​おい​て​も​イエス​に​倣う​よう​最善​を​尽くす​こと​です。―ヨハネ 13:15

21,22 (イ)毎年​の​主​の​晩さん​の​式典​に​出席​す​べき​な​の​は​なぜ​です​か。(ロ)6​章​と​7​章​で​は,どんな​点​が​扱わ​れ​ます​か。

21 年​ごと​の​主​の​晩さん​の​式典​に​出席​する。西暦​33​年​ニサン​14​日​の​ 夜,イエス​は​聖書​が「主​の​晩さん」と​呼ぶ​特別​な​式典​を​始め​まし​た。(コリント​第​一 11:20。マタイ 26:26‐28)この​式典​は​キリスト​の​死​の​記念​式​と​も​呼ば​れ​ます。イエス​が​この​式典​を​制定​さ​れ​た​こと​に​は​目的​が​あり​まし​た。その​目的​と​は,イエス​が​完全​な​人間​と​し​て​死​に,自分​の​魂​つまり​命​を​贖い​と​し​て​与え​た​と​いう​こと​を,使徒​たち​と​その​後​の​真​の​クリスチャン​すべて​に​銘記​さ​せる​こと​でし​た。イエス​は​この​式典​に​つい​て,「わたし​の​記念​と​し​て​これ​を​行ない​つづけ​なさい」と​命令​し​て​おら​れ​ます。(ルカ 22:19)わたしたち​は​記念​式​を​守り行なう​時,エホバ​と​イエス​が​贖い​に​関連​し​て​示し​て​くださっ​た​大きな​愛​を​思い起こし​ます。毎年​行なわ​れるイエス​の​死​の​記念​式に​出席​する​こと​に​より,わたしたち​は​贖い​に​対する​感謝​を​示す​こと​が​でき​ます。 *

22 エホバ​に​よる​贖い​の​備え​は,まさに​計り知れない​ほど​価値​の​ある​贈り物​です。(コリント​第​二 9:14,15)極めて​貴重​な​この​贈り物​は,すでに​亡くなっ​た​人​たち​に​も​益​を​及ぼし​ます。その​点​は6​章7​章で​扱わ​れ​ます。

^ 21節 主​の​晩さん​の​意味​に​つい​て​詳しく​は,付録​の「主​の​晩さん ― 神​に​誉れ​を​帰する​式典」を​ご覧​ください。