『自分​の​抱く​極めて​聖​なる​信仰​の​上​に​自ら​を​築き上げる​こと​に​より,自分​を​神​の​愛​の​うち​に​保ち​なさい』。―ユダ 20,21

1,2 あなた​は​どんな​建築​プロジェクト​に​携わっ​て​い​ます​か。その​仕事​の​質​が​非常​に​重要​な​の​は​なぜ​です​か。

あなた​は​建築​プロジェクト​に​取り組ん​で​い​ます。これ​まで​かなり​の​期間​に​わたっ​て​行なっ​て​き​まし​た​が,これ​から​も​ずっ​と​続き​ます。難しい​と​思う​時​も​あり​ます​が,満足​を​感じ​て​い​ます。あなた​は,何​が​あろ​う​と​絶対​に​やめ​たり​し​ない,手​を​緩め​たり​し​ない,と​決意​し​て​い​ます。この​仕事​の​質​が​あなた​の​命​と​将来​を​左右​する​から​です。建築​途上​に​ある​の​は​あなた​自身​な​の​です。

2 弟子​ユダ​は,わたしたち​が​自分​自身​を​築く​仕事​を​行なっ​て​いる​こと​を​強調​し​て​い​ます。「自分​を​神​の​愛​の​うち​に​保ち​なさい」と​クリスチャン​に​勧め​た​際,そう​する​ため​の​かぎ​を​明らか​に​し,『自分​の​抱く​極めて​聖​なる​信仰​の​上​に​自ら​を​築き上げる​こと​に​より』と​述べ​て​い​ます。(ユダ 20,21)では,信仰​を​強化​し​て​自分​自身​を​築き上げ,神​の​愛​の​うち​に​とどまる​に​は,どう​すれ​ば​よい​でしょ​う​か。あなた​が​行なう​霊的​な​建築​プロジェクト​の​三つ​の​面​に​注目​し​ましょ​う。

エホバ​の​義​の​要求​に​対する​信仰​を​築い​て​ゆく

3‐5 (イ)サタン​は,あなた​を​惑わし​て​エホバ​の​要求​に​つい​て​どう​思わ​せ​よう​と​し​て​い​ます​か。(ロ)わたしたち​は​神​の​要求​を​どう​みなす​べき​です​か。そう​する​なら,どう​感じる​よう​に​なり​ます​か。例え​で​説明​し​て​ください。

3 まず,神​の​律法​に​対する​信仰​を​強化​する​必要​が​あり​ます。この​本​で​ は​これ​まで,行ない​に​関する​エホバ​の​義​の​要求​を​幾つ​か​取り上げ​て​き​まし​た。それら​を​あなた​は​どう​見​て​おら​れ​ます​か。サタン​は​あなた​を​惑わそ​う​と​し​て​い​ます。エホバ​の​律法​や​原則​や​規準​は​制限​ばかり​で​窮屈​だ,と​思わ​せ​よう​と​し​て​いる​の​です。はるか​昔​に​エデン​で​功​を​奏し​た​この​計略​を,サタン​は​ずっ​と​用い​て​き​まし​た。(創世記 3:1‐6)あなた​は​この​計略​に​乗せ​られ​て​しまう​でしょ​う​か。肝心​な​の​は,あなた​の​見方​です。

4 例え​で​考え​て​み​ましょ​う。気持ち​の​良い​公園​の​中​を​歩い​て​いる​と,頑丈​な​高い​フェンス​が​あっ​て,そこ​から​先​に​行け​ない​よう​に​なっ​て​いる​こと​に​気づき​ます。向こう​側​の​風景​は​魅力​的​です。最初​の​うち,あなた​は​その​フェンス​を,自由​を​制限​する​余計​な​物​と​みなす​か​も​しれ​ませ​ん。しかし​やがて,フェンス​の​向こう​で​恐ろしい​ライオン​が​獲物​を​付け狙っ​て​いる​の​に​気づき​ます。これ​で​分かり​まし​た。フェンス​は​保護​の​ため​に​設け​られ​て​いる​の​です。さて,今​あなた​は​危険​な​捕食​動物​に​付け狙わ​れ​て​い​ます​か。神​の​言葉​は​こう​警告​し​て​い​ます。「冷静​さ​を​保ち,油断​なく​見張っ​て​い​なさい。あなた方​の​敵対​者​で​ある​悪魔​が​ほえる​ライオン​の​よう​に​歩き回っ​て,だれ​か​を​むさぼり食お​う​と​し​て​い​ます」。―ペテロ​第​一 5:8

5 サタン​は​獰猛​な​捕食​動物​に​似​て​い​ます。エホバ​は,わたしたち​が​サタン​の​えじき​に​なる​の​を​望ま​れ​ませ​ん。それゆえに,その​邪悪​な​者​の​数多く​の「策略」から​わたしたち​を​保護​する​ため​に​律法​を​制定​し​て​おら​れる​の​です。(エフェソス 6:11)ですから,神​の​律法​に​つい​て​黙想​する​とき​は​いつ​で​も,それ​を​天​の​父​の​愛​の​表われ​と​みなし​ましょ​う。その​よう​な​見方​を​する​なら,神​の​律法​は​安全​と​喜び​を​もたらす​もの​と​なり​ます。弟子​ヤコブ​は​こう​書い​て​い​ます。『自由​に​属する​完全​な​律法​の​中​を​熟視​し,それ​を​守り通す​人​は,それ​を​行なう​こと​に​よっ​て​幸福​に​なり​ます』。―ヤコブ 1:25

6 神​の​義​の​律法​と​原則​に​対する​信仰​を​築く​最善​の​方法​は​何​です​か。例​を​挙げ​て​ください。

6 神​の​おきて​に​沿っ​て​生活​する​こと​は,立法​者​と​その​方​の​律法​の​知恵​ と​に​対する​信仰​を​築き上げる​最善​の​方法​です。例えば「キリスト​の​律法」に​は,「[イエス​が]命令​し​た​事柄​すべて」を​人々​に​教える​よう​に​と​の​イエス​の​命令​が​含ま​れ​ます。(ガラテア 6:2。マタイ 28:19,20)クリスチャン​は,崇拝​と​築き上げる​交わり​の​ため​に​集まり合うこと​を​続ける​よう​に​と​の​指示​も​真剣​に​受け止め​て​い​ます。(ヘブライ 10:24,25)神​の​おきて​に​は,定期​的​に,また​頻繁​に,そして​心​からエホバ​に​祈るよう​に​と​の​勧告​も​含ま​れ​ます。(マタイ 6:5‐8。テサロニケ​第​一 5:17)こう​し​た​命令​に​沿っ​て​生活​する​とき,それら​が​愛​に​基づく​指針​で​ある​こと​が​ますます​よく​分かり​ます。それら​の​命令​に​従う​人​は,苦悩​に​満ち​た​この​世​で​は​決して​味わえ​ない​喜び​と​満足​を​得る​こと​が​でき​ます。神​の​律法​に​調和​し​た​生活​が​自分​個人​に​とっ​て​どれ​ほど​益​と​なっ​て​いる​か​を​黙想​する​とき,その​律法​に​対する​信仰​が​強まる​の​で​は​ない​でしょ​う​か。

7,8 自分​は​やがて​義​の​歩み​を​続け​られ​なく​なる​の​で​は​ない​か​と​心配​し​て​いる​人​に​とっ​て,神​の​言葉​は​どの​よう​に​励み​に​なり​ます​か。

7 自分​は​やがて​エホバ​の​律法​を​固守​でき​なく​なる​の​で​は​ない​か,と​心配​する​人​が​い​ます。落伍​し​て​しまう​の​で​は​ない​か,と​恐れ​て​いる​の​です。あなた​も​そう​感じる​こと​が​ある​なら,次​の​言葉​を​忘れ​ない​で​ください。「わたし,エホバ​は,あなた​の​神,あなた​に​自分​を​益する​こと​を​教える​者,あなた​に​その​歩む​べき​道​を​踏み行か​せる​者​で​ある。ああ, あなた​が​わたし​の​おきて​に​実際​に​注意​を​払い​さえ​すれ​ば! そうすれば,あなた​の​平安​は​川​の​よう​に,あなた​の​義​は​海​の​波​の​よう​に​なる​で​あろ​う​に」。(イザヤ 48:17,18)この​言葉​が​どれ​ほど​励み​に​なる​か,じっくり​考え​た​こと​が​あり​ます​か。

8 この​聖句​で​エホバ​が​思い起こさ​せ​て​おら​れる​の​は,わたしたち​は​エホバ​に​従う​なら​自分​を​益する​こと​に​なる,と​いう​点​です。従う​とき​に​受ける​二つ​の​祝福​を​エホバ​は​約束​し​て​おら​れ​ます。まず,わたしたち​の​平安​は​川​の​よう​に​なり​ます。穏やか​に​とうとう​と​流れる​川​の​よう​に​なる​の​です。そして,わたしたち​の​義​は​海​の​波​の​よう​に​なり​ます。海辺​に​立っ​て,次々​と​やっ​て​来る​波​を​見​て​いる​と,永遠​を​感じる​の​で​は​ない​でしょ​う​か。波​は​これ​から​も,はるか​将来​まで​ずっ​と,その​海岸​に​打ち寄せ​続け​ます。あなた​の​義​の​歩み,つまり​正しい​こと​を​行なう​歩み​も​その​よう​に​なる,と​エホバ​は​述べ​て​おら​れ​ます。神​に​忠実​で​あろ​う​と​努力​する​限り,神​は​あなた​が​落伍​する​まま​に​は​され​ませ​ん。(詩編 55:22)この​よう​な​心​温まる​約束​は,エホバ​と​その​義​の​要求​に​対する​信仰​を​築き上げる​もの​で​は​ない​でしょ​う​か。

『円熟​に​向かっ​て​進ん​で​ゆく』

9,10 (イ)円熟​は​クリスチャン​が​目指す​べき​素晴らしい​目標​で​ある,と​言える​の​は​なぜ​です​か。(ロ)霊的​な​見方​は​どの​よう​に​喜び​を​増し加え​ます​か。

9 建築​プロジェクト​の​第​二​の​面​は,「円熟​に​向かっ​て​進ん​で​ゆき​ましょ​う」と​いう​霊感​に​よる​言葉​に​示さ​れ​て​い​ます。(ヘブライ 6:2)円熟​は​クリスチャン​が​目指す​べき​素晴らしい​目標​です。人間​は​今​の​ところ​完全​さ​に​達する​こと​は​でき​ませ​ん​が,円熟​は​到達​可能​な​目標​です。そして​クリスチャン​は,円熟​し​て​ゆく​に​つれ,エホバ​に​仕える​こと​に​一層​の​喜び​を​見いだす​よう​に​なり​ます。なぜ​です​か。

10 円熟​し​た​クリスチャン​は​霊的​な​人​です。物事​を​エホバ​の​観点​から​見​ます。(ヨハネ 4:23)パウロ​は​こう​書い​て​い​ます。『肉​に​したがう​者​は​自分​の​思い​を​肉​の​事柄​に​向ける​の​に​対し,霊​に​したがう​者​は​霊​ の​事柄​に​向ける​の​です』。(ローマ 8:5)肉的​な​見方​は,ほとんど​喜び​を​もたらし​ませ​ん。自己​中心​的,近視​眼​的​で,物質​上​の​事柄​に​焦点​を​合わせる,と​いう​傾向​が​ある​から​です。霊的​な​見方​は,喜び​に​満ち​て​い​ます。「幸福​な​神」エホバ​に​焦点​を​合わせ​て​いる​から​です。(テモテ​第​一 1:11)霊的​な​人​は​エホバ​を​喜ばせ​たい​と​切​に​願い,試練​の​もと​で​も​歓び​ます。なぜ​でしょ​う​か。試練​は,サタン​が​偽り者​で​ある​と​いう​こと​を​証明​する​機会,また​忠誠​さ​を​築く​機会​と​なり,そう​する​とき​に​天​の​父​に​喜ん​で​いただける​から​です。―箴言 27:11。ヤコブ 1:2,3

11,12 (イ)クリスチャン​の「知覚​力」に​つい​て​パウロ​は​何​と​述べ​て​い​ます​か。『訓練​さ​れ​た』と​訳さ​れ​て​いる​語​に​は​どんな​意味​が​あり​ます​か。(ロ)体​を​上手​に​動か​せる​よう​に​なる​に​は,どんな​訓練​を​積ま​なけれ​ば​なり​ませ​ん​か。

11 霊性​と​円熟​性​は​訓練​に​よっ​て​育ま​れ​ます。次​の​よう​な​聖句​が​あり​ます。「固い​食物​は,円熟​し​た​人々,すなわち,使う​こと​に​よっ​て​自分​の​知覚​力​を​訓練​し,正しい​こと​も​悪い​こと​も​見分け​られる​よう​に​なっ​た​人々​の​もの​です」。(ヘブライ 5:14)知覚​力​の『訓練​さ​れ​た』人​に​つい​て​述べる​際​に​パウロ​が​用い​て​いる​ギリシャ​語​は,1​世紀​の​ギリシャ​の​体育​場​で​普通​に​使わ​れ​て​い​た​よう​で​あり,『体育​家​の​よう​に​訓練​さ​れ​た』と​訳す​こと​が​でき​ます。では,その​よう​な​訓練​に​何​が​含ま​れる​か​を​考え​ましょ​う。

体操​選手​の​体​は,使う​こと​に​よっ​て​訓練​さ​れる

12 生ま​れ​た​ばかり​の​時​に​は,わたしたち​の​体​は​訓練​さ​れ​て​い​ませ​ん。赤ちゃん​は,自分​の​小さな​手足​が​どう​動い​て​いる​か​が​ほとんど​分かり​ませ​ん。その​ため,やみくも​に​手​を​振り回し,自分​の​顔​を​たたい​て​びっくり​し​たり​し​ます。しかし,使う​こと​に​よっ​て​体​は​訓練​さ​れ​て​ゆき​ます。子ども​は,はい回れる​よう​に​なり,やがて​歩き,走れる​よう​に​なり​ます。 * 体操​選手​は​どう​でしょ​う​か。鮮やか​な​身​の​こなし​で​跳躍​し,空中​ で​正確​な​ひねり​を​加え​ます。まさに,見事​に​調整​さ​れ​た​精密​機械​の​よう​です。そう​し​た​妙技​は​偶然​に​できる​よう​に​なっ​た​わけ​で​は​あり​ませ​ん。膨大​な​時間​を​費やし​て​訓練​する​こと​が​必要​でし​た。聖書​が​認め​て​いる​とおり,そう​し​た​体​の​訓練​は「少し​の​事​に​は​益​が​あり​ます」。霊的​な​知覚​力​の​訓練​は​それ​より​も​はるか​に​大切​な​の​で​は​ない​でしょ​う​か。―テモテ​第​一 4:8

13 どう​すれ​ば​知覚​力​を​訓練​でき​ます​か。

13 この​本​で​取り上げ​て​き​た​多く​の​点​は,霊的​な​人​と​し​て​エホバ​に​忠実​で​あり​続ける​ため​に​知覚​力​を​訓練​する​うえ​で​助け​と​なり​ます。日々​の​生活​で​決定​を​下す​とき​に​は,祈り​の​うち​に​神​の​原則​と​律法​を​よく​考え​ましょ​う。決定​を​下す​前​に,いつも​こう​自問​する​の​です。『これ​に​は​聖書​の​どんな​律法​や​原則​が​関係​し​て​いる​だろ​う​か。それら​を​どの​よう​に​適用​できる​だろ​う​か。どんな​歩み​を​すれ​ば​天​の​父​に​喜ん​で​いただける​だろ​う​か』。(箴言 3:5,6。ヤコブ 1:5)一つ​一つ​の​決定​を​その​よう​に​し​て​下す​こと​に​より,知覚​力​は​訓練​さ​れ​て​ゆき​ます。そう​し​た​訓練​に​よっ​て,あなた​は​真に​霊的​な​人​と​なり,その​状態​を​保てる​でしょ​う。

14 霊的​に​成長​する​に​は,どんな​食欲​が​必要​です​か。と​は​いえ,常​に​どんな​点​に​注意​す​べき​です​か。

14 円熟​に​到達​し​て​も,霊的​な​成長​は​ずっ​と​続け​て​ゆく​こと​が​でき​ます。成長​は​食物​に​かかっ​て​い​ます。それ​で​パウロ​は,『固い​食物​は​円熟​し​た​人々​の​もの​で​ある』と​述べ​て​いる​の​です。信仰​を​築き上げる​ため​の​かぎ​は,固い​霊的​食物​を​取り入れ​続ける​こと​です。学ん​だ​事柄​を​ 正しく​適用​する​こと,それ​が​知恵​で​あり,聖書​は「知恵​は​主要​な​もの​で​ある」と​述べ​て​い​ます。ですから​わたしたち​は,天​の​父​が​分け与え​て​くださる​貴重​な​真理​を​純粋​に​渇望​する​気持ち​を​育む​必要​が​あり​ます。(箴言 4:5‐7。ペテロ​第​一 2:2)もとより,知識​や​敬虔​な​知恵​を​得​て​も,うぬぼれ​たり​傲慢​に​なっ​たり​し​て​は​なり​ませ​ん。誇り​など​の​弱さ​が​心​に​根づい​て​育つ​こと​の​ない​よう,いつも​自分​自身​を​チェック​す​べき​です。パウロ​は​こう​書い​て​い​ます。「自分​が​信仰​に​ある​か​どう​か​を​絶え​ず​試し​なさい。自分​自身​が​どんな​もの​で​ある​か​を​絶え​ず​吟味​し​なさい」。―コリント​第​二 13:5

15 霊的​な​成長​に​愛​が​不可欠​な​の​は​なぜ​です​か。

15 家​の​建築​工事​が​完了​し​て​も,なす​べき​事​は​まだ​あり​ます。保守​や​修理​が​不可欠​で​あり,状況​が​変われ​ば​増築​が​必要​に​なる​か​も​しれ​ませ​ん。わたしたち​が​円熟​する​ため,また​霊性​を​保つ​ため​に​は,何​が​必要​でしょ​う​か。何​より​も​愛​が​必要​です。エホバ​と​仲間​の​信者​へ​の​愛​の​点​で​成長​し​て​ゆく​必要​が​あり​ます。もし​愛​が​ない​なら,いかなる​知識​も​業​も​全く​価値​が​なくなっ​て​しまい​ます。むなしい​騒音​の​よう​に​なっ​て​しまう​の​です。(コリント​第​一 13:1‐3)愛​が​あれ​ば,クリスチャン​と​し​て​の​円熟​に​到達​し,引き続き​霊的​に​成長​し​て​ゆく​こと​が​でき​ます。

エホバ​から​の​希望​に​いつも​思い​を​向ける

16 サタン​は​どんな​考え​を​抱か​せ​よう​と​し​て​い​ます​か。防御​の​ため​に​エホバ​は​何​を​与え​て​くださっ​て​い​ます​か。

16 建築​プロジェクト​の​もう​一つ​の​面​を​考え​ましょ​う。自分​自身​を​キリスト​の​真​の​追随​者​と​し​て​築き上げる​に​は,考え方​を​守る​必要​が​あり​ます。この​世​の​支配​者​サタン​は,人々​を​消極​的​な​考え,悲観,不信,絶望​に​陥れる​名人​です。(エフェソス 2:2)そう​し​た​考え​は​クリスチャン​に​とっ​て,木造​家屋​を​腐らせる​乾腐​菌​の​よう​に​危険​です。幸い​な​こと​に,エホバ​は​防御​用​の​肝要​な​道具​を​与え​て​くださっ​て​い​ます。希望​と​いう​道具​です。

17 神​の​言葉​は​どんな​例え​を​用い​て,希望​の​重要​性​を​示し​て​い​ます​か。

 17 聖書​は,サタン​および​この​世​と​の​戦い​に​必要​な​霊的​な​武具​一式​に​つい​て​述べ​て​い​ます。一つ​の​大切​な​武具​は,「救い​の​希望」と​いう​かぶと​です。(テサロニケ​第​一 5:8)聖書​時代​の​兵士​は,かぶと​が​なけれ​ば​命​が​危うい​と​いう​こと​を​知っ​て​い​まし​た。たいてい,フェルト​や​革​で​作っ​た​帽子​の​上​に​金属​製​の​かぶと​を​かぶり,頭部​へ​の​打撃​を​受け流し​て​ダメージ​を​減らす​よう​に​し​て​い​まし​た。かぶと​が​頭​を​保護​する​の​と​同様​に,希望​は​思い​や​考え​を​保護​し​ます。

18,19 イエス​は​希望​を​保つ​点​で​どんな​手本​を​残さ​れ​まし​た​か。わたしたち​は​どの​よう​に​イエス​に​倣え​ます​か。

18 イエス​は,希望​を​保つ​点​で​極めて​優れ​た​手本​を​残さ​れ​まし​た。地上​で​の​最後​の​晩​に​イエス​が​どんな​事​に​耐え​た​か,思い出し​て​ください。親しい​友​の​一​人​が​金​欲しさ​に​イエス​を​裏切り​まし​た。別​の​一​人​は​イエス​を​知ら​ない​と​まで​言い​まし​た。他​の​者​たち​は​イエス​を​見捨て​て​逃げ​まし​た。同国​人​は​イエス​を​退け,ローマ​兵​に​よる​苦しみ​を​伴う​処刑​を​叫び求め​まし​た。わたしたち​が​経験​する​どんな​試練​より​も​イエス​の​試練​の​ほう​が​厳しかっ​た,と​言える​でしょ​う。何​が​イエス​を​支え​まし​た​か。ヘブライ 12​章​2​節​は​こう​答え​て​い​ます。「この​方​は,自分​の​前​に​置か​れ​た​喜び​の​ため​に,恥​を​物​と​も​思わず​苦しみ​の​杭​に​耐え,神​の​み座​の​右​に​座ら​れ​た​の​です」。イエス​は,「自分​の​前​に​置か​れ​た​喜び」を​決して​見失い​ませ​ん​でし​た。

19 イエス​の​前​に​は​どんな​喜び​が​置か​れ​て​い​まし​た​か。イエス​は,忍耐​する​ならエホバ​の​聖​なる​み名​を​神聖​な​もの​と​すること​に​貢献​できる,と​いう​こと​を​知っ​て​い​まし​た。サタン​が​偽り者​で​ある​こと​を​示す​最も​強力​な​証拠​を​提出​できる​の​です。イエス​に​とっ​て,この​希望​こそ​最大​の​喜び​を​もたらす​もの​でし​た。さらに​イエス​は,忠実​な​歩み​に​エホバ​が​豊か​に​報い​て​くださる​こと​も​知っ​て​い​まし​た。目前​に​は,み父​と​再会​する​素晴らしい​時​が​待ち受け​て​い​まし​た。イエス​は,最悪​の​時​の​間​ずっ​と,その​よう​な​喜ばしい​希望​に​思い​を​向け​続け​まし​た。わたしたち​ も​そう​する​必要​が​あり​ます。わたしたち​の​前​に​も​喜び​が​置か​れ​て​い​ます。各自,エホバ​から,偉大​な​み名​を​神聖​な​もの​と​する​こと​に​寄与​する​特権​を​いただい​て​い​ます。エホバ​を​自分​の​主権​者​と​し,どんな​試練​や​誘惑​に​遭っ​て​も​自分​を​天​の​父​の​愛​の​うち​に​確実​に​保つ​こと​に​より,サタン​が​偽り者​で​ある​こと​を​証明​できる​の​です。

20 積極​的​で​希望​に​満ち​た​考え​を​持ち​続ける​の​に​何​が​助け​に​なり​ます​か。

20 エホバ​は,忠実​な​僕​たち​に​報い​よう​と​思っ​て​おら​れる​だけ​で​は​あり​ませ​ん。報い​たい​と​切​に​望ん​で​おら​れ​ます。(イザヤ 30:18。マラキ 3:10)僕​たち​の​心​に​ある​義​に​かなっ​た​願い​を​かなえる​こと​を​喜び​と​され​ます。(詩編 37:4)ですから,自分​の​前​に​ある​希望​に​いつも​しっかり​と​思い​を​向け​ましょ​う。サタン​の​古い​世​の​消極​的​で​低俗​で​ねじけ​た​考え​に​屈し​て​は​なり​ませ​ん。自分​の​思い​や​心​に​この​世​の​霊​が​入り込み​つつ​ある​こと​に​気づい​た​なら,「一切​の​考え​に​勝る​神​の​平和」を​熱烈​に​エホバ​に​祈り​求め​ましょ​う。神​の​与え​て​くださる​その​平和​は​あなた​の​心​と​知力​を​守り​ます。―フィリピ 4:6,7

21,22 (イ)「大​群衆」に​属する​人​たち​は​どんな​輝かしい​希望​を​抱い​て​い​ます​か。(ロ)あなた​は​クリスチャン​の​希望​の​どの​部分​に​最も​心​を​引か​れ​ます​か。あなた​は​何​を​決意​し​て​い​ます​か。

21 抱い​て​いる​希望​に​つい​て​思い巡らす​と​胸​が​躍る​の​で​は​あり​ませ​ん​か。「大​患難​から​出​て​来る」こと​に​なっ​て​いる「大​群衆」の​一員​で​ある​ 方​なら,間近​な​将来​に​どんな​生活​が​待っ​て​いる​か,考え​て​ください。(啓示 7:9,14)サタン​と​悪霊​が​い​なく​なり,今​の​期待​を​上回る​ほど​の​安らぎ​を​感じる​こと​でしょ​う。腐敗​を​もたらす​サタン​から​の​圧力​の​ない​生活​は,わたしたち​の​だれ​も​経験​し​た​こと​が​あり​ませ​ん。その​よう​な​圧力​から​解放​さ​れ,イエス​および​14万4,000​人​の​天的​な​共同​支配​者​たち​の​指導​の​もと​で​地球​を​楽園​に​変える​仕事​を​行なう​の​は,何​と​大きな​喜び​でしょ​う。病気​や​障害​が​すべて​なくなる​の​を​見る,愛する​人​が​墓​から​戻っ​て​来る​の​を​迎える,神​の​本来​の​意図​に​沿っ​た​生活​を​送る,と​いっ​た​見込み​に​つい​て​考える​と,本当​に​胸​が​躍り​ます。完全​さ​に​向かっ​て​進歩​し​て​ゆく​とき,さらに​大きな​報い​に​近づく​こと​が​できる​でしょ​う。ローマ 8​章​21​節​で​約束​さ​れ​て​いる「神​の​子供​の​栄光​ある​自由」です。

22 エホバ​が​あなた​に​得​させ​たい​と​願っ​て​おら​れる​自由​は,あなた​が​想像​も​でき​ない​ほど​大きな​自由​です。その​自由​を​得る​か​どう​か​は​従順​に​かかっ​て​い​ます。いま​力​を​尽くし​て​日々​エホバ​に​従お​う​と​する​の​は​確か​に​価値​の​ある​こと​で​は​ない​でしょ​う​か。では​是非,自分​の​抱く​極めて​聖​なる​信仰​の​上​に​自ら​を​築き上げ​て​ゆき​ましょ​う。そう​する​とき,とこしえ​に​わたっ​て​神​の​愛​の​うち​に​とどまる​こと​が​できる​の​です。

^ 12節 科学​者​の​説明​に​よる​と,固有​感覚​と​呼ば​れる,自分​の​手足​の​動き​や​位置​を​把握​する​特別​な​感覚​が​育っ​て​ゆき​ます。その​感覚​が​ある​の​で,例えば,目​を​閉じ​た​まま​拍手​する​こと​が​でき​ます。固有​感覚​を​失っ​た​ある​大人​の​患者​は,立つ​こと​も,歩く​こと​も,体​を​起こす​こと​も​でき​ませ​ん​でし​た。