「すべて​の​事​を​神​の​栄光​の​ため​に​し​なさい」。―コリント​第​一 10:31

1,2 娯楽​に​関し​て​どんな​選択​を​する​必要​が​あり​ます​か。

こんな​場面​を​思い浮かべ​て​み​て​ください。おいしい​果物​を​食べ​よう​と​し​た​ところ,一部​が​腐っ​て​いる​こと​に​気づき​ます。どう​し​ます​か。悪い​部分​も​含め​て​全部​食べる​こと​も​でき​ます​し,悪い​部分​だけ​で​なく​全部​捨てる​こと​も​でき​ます。悪い​部分​を​切り取っ​て,良い​部分​だけ​を​食べる​こと​も​でき​ます。あなた​なら​どんな​選択​を​し​ます​か。

2 ある​面​で,娯楽​は​この​果物​に​似​て​い​ます。ちょっと​し​た​気晴らし​を​する​に​も,娯楽​の​大半​が​道徳​的​に​悪く,腐っ​て​さえ​いる​の​です。どう​し​ます​か。悪い​もの​も​気​に​せ​ず​に,この​世​が​提供​する​娯楽​を​何​で​も​呑み込む​人​も​いれ​ば,有害​な​もの​から​の​影響​を​全く​受け​ない​よう​に​娯楽​を​すべて​避ける​人​も​いる​でしょ​う。また,有害​な​娯楽​を​注意深く​避け​つつ,比較​的​健全​な​娯楽​を​時おり​楽しむ​人​も​いる​でしょ​う。自分​を​神​の​愛​の​うち​に​保つ​ため​に​は,どんな​選択​を​す​べき​でしょ​う​か。

3 これ​から​何​を​考え​ます​か。

3 わたしたち​は​おそらく​3​番​目​の​タイプ​でしょ​う。気晴らし​の​必要​性​を​認める​と​同時​に,道徳​的​に​健全​な​娯楽​だけ​を​楽しみ​たい​と​思っ​て​い​ます。ですから,何​が​健全​で​何​が​健全​で​ない​か​を​どの​よう​に​判断​すれ​ば​よい​か,と​いう​点​を​考える​必要​が​あり​ます。と​は​いえ​ まず,娯楽​の​選択​が​エホバ​へ​の​崇拝​に​どんな​影響​を​及ぼす​か​を​調べ​ましょ​う。

「すべて​の​事​を​神​の​栄光​の​ため​に​し​なさい」

4 献身​は​娯楽​の​選択​に​どんな​影響​を​及ぼす​はず​です​か。

4 1946​年​に​バプテスマ​を​受け​た​年配​の​エホバ​の​証人​が,少し​前​に​こう​述べ​まし​た。「バプテスマ​の​話​の​時​に​は​いつ​で​も​その​場​に​い​て,バプテスマ​希望​者​に​なっ​た​つもり​で​一心​に​耳​を​傾ける​よう​に​し​て​い​ます」。そして​その​理由​を​こう​説明​し​て​い​ます。「献身​の​気持ち​を​いつも​新鮮​に​保つ​こと​は,忠実​さ​を​保つ​ため​の​重要​な​一歩​と​なっ​て​い​ます」。あなた​も​きっと​同じ​よう​に​感じ​て​おら​れる​でしょ​う。生涯​お仕え​し​ます​と​いう​エホバ​へ​の​約束​を​思い起こす​と,忍耐​する​力​が​わい​て​き​ます。(伝道​の​書 5:4。ヘブライ 10:7)自分​の​献身​に​つい​て​思い巡らす​と,様々​な​分野​に​関する​見方​が​整え​られ​ます。クリスチャン​宣教​の​分野​だけ​で​なく,娯楽​を​含む,生活​の​あらゆる​分野​です。その​点​は,使徒​パウロ​が​当時​の​クリスチャン​に​書き送っ​た​次​の​言葉​に​はっきり​と​示さ​れ​て​い​ます。「あなた方​は,食べる​に​し​て​も,飲む​に​し​て​も,あるいは​ほか​の​どんな​こと​を​する​に​し​て​も,すべて​の​事​を​神​の​栄光​の​ため​に​し​なさい」。―コリント​第​一 10:31

5 ローマ 12​章​1​節​に​含ま​れ​て​いる​言外​の​警告​を​理解​する​うえ​で,レビ​記 22​章​18‐20​節​は​どの​よう​に​役立ち​ます​か。

 5 生活​の​中​で​行なう​あらゆる​事​が​エホバ​の​崇拝​に​関係​し​て​い​ます。パウロ​は​ローマ​人​へ​の​手紙​の​中​で,この​事実​を​仲間​の​信者​に​印象づける​ため​に​強い​表現​を​用い​まし​た。こう​述べ​て​い​ます。「あなた方​の​体​を,神​に​受け入れ​られる,生き​た,聖​なる​犠牲​と​し​て​差し出し​なさい。これ​が​あなた方​の​理性​に​よる​神聖​な​奉仕​です」。(ローマ 12:1)体​に​は,思い,心,力​が​含ま​れ​ます。それら​すべて​が​神​へ​の​奉仕​に​用い​られ​ます。(マルコ 12:30)パウロ​は,魂​の​こもっ​た​そう​し​た​奉仕​を​犠牲​と​呼ん​で​い​ます。この​表現​に​は​言外​の​警告​が​込め​られ​て​い​ます。モーセ​の​律法​の​下​で​は,きず​の​ある​犠牲​は​神​に​退け​られ​まし​た。(レビ​記 22:18‐20)同様​に​クリスチャン​の​霊的​な​犠牲​も,何らか​の​汚れ​が​ある​なら​神​に​退け​られる​の​です。と​は​いえ,どうして​そんな​こと​が​起こり​得る​の​でしょ​う​か。

6,7 クリスチャン​は​どの​よう​に​し​て​自分​の​体​を​汚す​こと​が​あり得​ます​か。どんな​結果​に​なり​かね​ませ​ん​か。

6 パウロ​は​ローマ​の​クリスチャン​に,『あなた方​の​肢体​を​引き続き​罪​に​差し出し​て​は​なり​ませ​ん』と​訓戒​し,「体​の​習わし​を​殺す」よう​に​と​も​命じ​て​い​ます。(ローマ 6:12‐14; 8:13)同じ​手紙​の​前​の​ほう​で​パウロ​は「体​の​習わし」の​例​を​挙げ,罪深い​人類​に​関し​て,『その​口​は​のろい​で​満ち​て​いる』,「彼ら​の​足​は​血​を​流す​の​に​速い」,「彼ら​の​目​の​前​に​神​へ​の​恐れ​は​ない」と​述べ​て​い​ます。(ローマ 3:13‐18)クリスチャン​が​自分​の「肢体」を​用い​て​そう​し​た​罪深い​習わし​を​行なう​なら,体​に“きず”を​つける​こと​に​なり​ます。例えば​今日​の​クリスチャン​が,ポルノ​など​の​下劣​な​もの​や​残虐​な​暴力​シーン​を​故意​に​見る​なら,自分​の​目​を「罪​に​差し出し​て」体​全体​を​汚し​て​いる​こと​に​なり​ます。その​人​が​ささげる​崇拝​は​もはや​聖​なる​もの​で​は​なく,神​に​受け入れ​られ​ませ​ん。(申命記 15:21。ペテロ​第​一 1: 14‐16。ペテロ​第​二 3:11)不​健全​な​娯楽​を​行なう​と,何​と​高い​代償​を​払う​こと​に​なる​の​でしょ​う。

7 娯楽​に​関する​クリスチャン​の​選択​は,重大​な​結果​を​生む​の​です。ですから,神​へ​の​犠牲​を​汚す​の​で​は​なく​美しく​飾る​よう​な​娯楽​を​選ぶ​こと​が​大切​です。では,何​が​健全​で​何​が​健全​で​ない​か​を​どの​よう​に​判断​すれ​ば​よい​か​を​調べ​ましょ​う。

『邪悪​な​こと​は​憎悪​し​なさい』

8,9 (イ)大きく​分け​て,娯楽​に​は​どんな​2​種類​が​あり​ます​か。(ロ)わたしたち​は​どんな​娯楽​を​退け​ます​か。なぜ​です​か。

8 大きく​分け​て,娯楽​に​は​2​種類​あり​ます。クリスチャン​が​きっぱり​避ける​娯楽​と,クリスチャン​が​受け入れる​場合​も​受け入れ​ない​場合​も​ある​娯楽​です。まず,一​つ​目​の,クリスチャン​が​避ける​娯楽​に​つい​て​考え​ましょ​う。

9 第​1​章で​見​た​とおり,聖書​で​はっきり​非​と​され​て​いる​事柄​を​呼び物​と​する​娯楽​が​あり​ます。例えば,ウェブサイト​や​映画​や​テレビ​番組​や​音楽​の​中​に​は,残虐​あるいは​悪霊​的​な​内容​の​もの,ポルノ​を​含む​もの​や​俗悪​で​不​道徳​な​行ない​を​助長​する​もの​が​あり​ます。その​よう​な​堕落​し​た​娯楽​は,聖書​の​原則​や​律法​に​反する​事柄​を​良い​事​の​よう​に​描い​て​いる​の​で,真​の​クリスチャン​に​とっ​て​忌避​す​べき​もの​です。(使徒 15:28,29。コリント​第​一 6:9,10。啓示 21:8)そう​し​た​不​健全​な​娯楽​を​退ける​なら,自分​が『邪悪​な​こと​を​憎悪​し​て』おり,首尾一貫​し​て『悪い​こと​から​遠ざかっ​て』いる​こと​を​エホバ​の​前​で​証明​でき​ます。その​よう​に​し​て,「偽善​の​ない​信仰」を​抱け​ます。―ローマ 12:9。詩編 34:14。テモテ​第​一 1:5

10 娯楽​に​関する​どんな​考え方​は​危険​です​か。なぜ​です​か。

10 と​は​いえ,不​道徳​な​行ない​を​生々しく​描い​た​娯楽​に​ふけっ​て​ も​害​は​ない,と​感じる​人​も​い​ます。『映画​や​テレビ​で​見​て​も,わたし​は​実際​に​そんな​こと​を​し​たり​は​し​ない』と​考える​の​です。この​よう​な​考え方​は​人​を​欺く​もの​で,危険​です。(エレミヤ 17:9)エホバ​に​非​と​される​もの​を​見​て​楽しん​で​いる​の​で​あれ​ば,果たして『邪悪​な​こと​を​憎悪​し​て​いる』と​言える​でしょ​う​か。邪悪​な​行為​を​何​度​も​見​たり​聴い​たり​する​と,感覚​が​鈍り​ます。(詩編 119:70。テモテ​第​一 4:1,2)自分​の​行なう​事柄​に​も,他​の​人​の​罪深い​行為​に​対する​見方​に​も,影響​が​及び​かね​ませ​ん。

11 娯楽​に​関し​て​も​ガラテア 6​章​7​節​は​真実​で​ある​と,どうして​言え​ます​か。

11 現実​に,そう​し​た​こと​が​生じ​て​い​ます。クリスチャン​の​中​に​も,いつも​見​て​い​た​娯楽​の​影響​を​受け​て​不​道徳​な​行ない​を​し​た​人​が​い​ます。そして,「何​で​あれ,人​は​自分​の​まい​て​いる​もの,それ​を​また​刈り取る​こと​に​なる」と​いう​こと​を​つらい​仕方​で​学び​まし​た。(ガラテア 6:7)しかし,そう​し​た​悲惨​な​結果​は​避け​られ​ます。注意深く​あっ​て​自分​の​思い​に​健全​な​もの​を​まく​なら,喜び​の​うち​に​人生​に​おい​て​健全​な​もの​を​刈り取る​こと​に​なる​の​です。―「 どんな​娯楽​を​選ぶ​べき​だろ​う​か」と​いう​囲み​を​ご覧​ください。

聖書​の​原則​に​基づく​個人​的​な​決定

12 ガラテア 6​章​5​節​は​どの​よう​に​娯楽​に​当てはまり​ます​か。個人​的​な​決定​を​下す​とき,何​を​導き​に​でき​ます​か。

12 では,二​つ​目​の​種類​の​娯楽​に​つい​て​考え​ましょ​う。神​の​言葉​の​中​で是非​が​明示​さ​れ​て​い​ない​事柄を​特色​と​する​娯楽​です。そう​し​た​種類​の​娯楽​の​中​から​選ぶ​場合,何​を​健全​と​みなす​か​に​つい​て​クリスチャン​各自​が​個人​的​な​決定​を​下す​必要​が​あり​ます。(ガラテア 6:5)と​は​いえ,導き​が​ない​わけ​で​は​あり​ませ​ん。聖書​に​収め​られ​て​いる​幾つ​も​の​原則​つまり​基本​的​な​真理​に​よっ​て,エホバ​の​考え方​を​見分ける​こと​が​できる​の​です。そう​し​た​原則​に​注意​を​払う​なら, 娯楽​の​選択​を​含め,すべて​の​事​に​おい​て「何​が​エホバ​の​ご意志​で​ある​か」を​見分ける​こと​が​でき​ます。―エフェソス 5:17

13 どう​すれ​ば,エホバ​を​不快​に​させ​かね​ない​娯楽​を​避け​たい​と​思う​よう​に​なり​ます​か。

13 もちろん,すべて​の​クリスチャン​が​道徳​的​知覚​力​つまり​識別​力​を​同じ​程度​に​まで​培っ​て​いる​わけ​で​は​あり​ませ​ん。(フィリピ 1:9)さらに,娯楽​に​関する​好み​も​様々​です。ですから,すべて​の​クリスチャン​ が​全く​同じ​決定​を​下す,と​期待​する​こと​は​でき​ませ​ん。と​は​いえ,自分​の​思い​と​心​に​神​の​原則​が​感化​を​及ぼす​よう​に​すれ​ば​する​ほど,エホバ​を​不快​に​させ​かね​ない​娯楽​を​すべて​避け​たい​と​いう​気持ち​が​強まり​ます。―詩編 119:11,129。ペテロ​第​一 2:16

14 (イ)娯楽​の​選択​に​おい​て,どんな​要素​を​考慮​す​べき​です​か。(ロ)どう​すれ​ば​生活​の​中​で​王国​の​関心事​を​いつも​第​一​に​でき​ます​か。

14 娯楽​の​選択​に​おい​て​考慮​す​べき​別​の​重要​な​要素​が​あり​ます。時間​です。選ぶ​娯楽​の​内容​を​見れ​ば,自分​が​何​を​受け入れ​られる​もの​と​みなし​て​いる​か​が​分かり​ます​が,それ​と​同じ​よう​に,娯楽​に​どれ​だけ​の​時間​を​費やし​て​いる​か​を​見れ​ば,自分​が​何​を​重要​と​みなし​て​いる​か​が​分かり​ます。もと​より​クリスチャン​に​とっ​て​最も​重要​な​の​は,霊的​な​事柄​です。(マタイ 6:33)では,生活​の​中​で​王国​の​関心事​を​常​に​第​一​に​する​ため​に,何​が​できる​でしょ​う​か。使徒​パウロ​は​こう​述べ​て​い​ます。「自分​の​歩き方​を​しっかり​見守っ​て,それ​が​賢く​ない​者​で​は​なく​賢い​者​の​歩き方​で​ある​よう​に​し,自分​の​ため​に,よい​時​を​買い取り​なさい」。(エフェソス 5:15,16)娯楽​に​費やす​時間​に​明確​な​制限​を​設ける​なら,「より​重要​な​事柄」の​ため​に​必要​な​時間​が​取れ​ます。自分​の​霊的​な​福祉​に​役立つ​活動​の​ため​の​時間​です。―フィリピ 1:10

15 娯楽​を​選ぶ​際​に​安全​余裕​を​見​て​おく​の​は​なぜ​賢明​な​こと​です​か。

15 娯楽​を​選ぶ​際​に​安全​余裕​を​見​て​おく​の​も​賢明​な​こと​です。どう​いう​こと​でしょ​う​か。果物​の​例え​を​もう​一度​考え​ましょ​う。腐っ​た​ところ​を​うっかり​食べ​て​しまう​こと​を​避け​たい​なら,悪く​見える​部分​だけ​で​なく​幾らか​余分​に​切り取る​の​で​は​ない​でしょ​う​か。同様​に,娯楽​の​選択​に​あたっ​て​も​安全​の​ため​の​余裕​を​設ける​の​は​賢明​な​こと​です。賢い​クリスチャン​は,聖書​の​原則​に​明らか​に​反する​娯楽​だけ​で​なく,疑わしい​娯楽​や,霊的​に​不​健全​な​要素​を​含ん​で​い​そう​な​ 娯楽​も​避ける​の​です。(箴言 4:25‐27)神​の​言葉​に​しっかり​従う​こと​に​より,そう​する​こと​が​でき​ます。

「何​で​あれ​貞潔​な​こと」

娯楽​を​選ぶ​際​に​神​の​原則​を​当てはめる​なら,霊的​な​害​から​守ら​れる

16 (イ)道徳​に​関し​て​エホバ​と​同じ​見方​を​持っ​て​いる​こと​を​どの​よう​に​示せ​ます​か。(ロ)どう​すれ​ば,聖書​の​原則​を​当てはめる​こと​が​生き方​と​なり​ます​か。

16 娯楽​の​選択​に​おい​て,真​の​クリスチャン​は​まず​第​一​に​エホバ​の​見方​を​考慮​に​入れ​ます。エホバ​の​感じ方​や​規準​は​聖書​の​中​で​明らか​に​され​て​い​ます。例えば,ソロモン​王​は​エホバ​が​憎ま​れる​事柄​と​し​て,「偽り​の​舌,罪​の​ない​血​を​流し​て​いる​手,有害​な​企て​を​たくらむ​心,急い​で​悪​に​走る​足」など​を​挙げ​て​い​ます。(箴言 6:16‐19)エホバ​の​見方​は​あなた​の​見方​に​どんな​影響​を​及ぼす​はず​です​か。「エホバ​を​愛する​者​たち​よ,悪​を​憎め」と​詩編​作者​は​述べ​て​い​ます。(詩編 97:10)娯楽​の​選択​に​よっ​て,エホバ​が​憎ま​れる​事柄​を​自分​も​確か​に​憎ん​で​いる,と​いう​こと​を​示す​必要​が​ある​の​です。(ガラテア 5:19‐21)また,人前​で​行なう​事柄​より​も​独り​の​時​に​行なう​事柄​に​本当​の​自分​が​表われる,と​いう​こと​も​覚え​て​おき​ましょ​う。(詩編 11:4; 16:8)生活​の​あらゆる​面​で​道徳​に​関する​エホバ​の​感じ方​に​倣い​たい​と​心​から​願っ​て​いる​の​で​あれ​ば,いつ​で​も,聖書​の​原則​に​沿っ​た​選択​を​する​でしょ​う。それ​が​あなた​の​生き方​と​なる​の​です。―コリント​第​二 3:18

17 娯楽​を​選ぶ​に​あたり,どの​よう​に​自問​す​べき​です​か。

 17 娯楽​に​関する​自分​の​選択​が​エホバ​の​考え方​に​調和​し​て​いる​こと​を​確認​する​ため​に,さらに​何​が​でき​ます​か。じっくり​こう​考え​ましょ​う。『これ​は​自分​に,また​神​の​み前​に​おける​自分​の​立場​に,どう​影響​する​だろ​う​か』。例えば,ある​映画​を​見る​か​どう​か​を​決める​前​に,『この​映画​を​見る​と,わたし​の​良心​は​どんな​影響​を​受ける​だろ​う​か』と​自問​する​の​です。では,この​点​に​関係​する​どんな​原則​が​ある​か​を​調べ​ましょ​う。

18,19 (イ)娯楽​が​健全​か​どう​か​を​判断​する​うえ​で,フィリピ 4​章​8​節​の​原則​は​どの​よう​に​役立ち​ます​か。(ロ)あなた​が​良い​娯楽​を​選ぶ​の​に,ほか​に​も​どんな​原則​が​役立ち​ます​か。(脚注​を​ご覧​ください。)

18 大切​な​原則​が​フィリピ 4​章​8​節​に​こう​記さ​れ​て​い​ます。「何​で​あれ​真実​な​こと,何​で​あれ​まじめ​な​こと,何​で​あれ​義​に​かなっ​て​いる​こと,何​で​あれ​貞潔​な​こと,何​で​あれ​愛す​べき​こと,何​で​あれ​よく​言わ​れる​こと,また​何​で​あれ​徳​と​される​こと​や​称賛​す​べき​こと​が​あれ​ば,そう​し​た​こと​を​考え​続け​なさい」。もちろん,ここ​で​パウロ​が​論じ​て​いる​の​は,娯楽​で​は​なく​心​の​黙想​に​つい​て​で​あり,神​を​喜ばせる​事柄​を​黙想​の​中心​と​す​べき​で​ある​と​いう​こと​です。(詩編 19:14)と​は​いえ,パウロ​の​言葉​は​原則​と​し​て​娯楽​に​も​当てはまり​ます。どの​よう​に​でしょ​う​か。

19 こう​自問​し​ましょ​う。『わたし​の​選ぶ​映画​や​テレビゲーム​や​音楽​と​いっ​た​娯楽​は,わたし​の​思い​を「何​で​あれ​貞潔​な​こと」で​満たし​て​いる​だろ​う​か』。例えば,映画​を​見​た​後,どんな​イメージ​が​脳裏​に​焼きつい​て​い​ます​か。心地よい,すがすがしい​イメージ​で​あれ​ば,その​娯楽​は​健全​な​もの​だっ​た​と​言え​ます。しかし,貞潔​で​ない​事柄​に​つい​て​考え​て​しまう​の​で​あれ​ば,その​娯楽​は​不​健全​で​あり,しかも​有害​な​もの​だっ​た​の​です。(マタイ 12:33。マルコ 7:20‐23)有害​ と​言える​の​は​なぜ​です​か。道徳​的​に​清く​ない​事柄​を​考える​と,内面​の​平安​が​乱さ​れ,聖書​に​よっ​て​訓練​さ​れ​た​良心​が​傷つく​から​です。神​と​の​関係​が​損なわ​れる​おそれ​も​あり​ます。(エフェソス 5:5。テモテ​第​一 1:5,19)そう​し​た​娯楽​は​あなた​自身​に​有害​な​影響​を​及ぼす​の​で,断固​と​し​て​避け​ましょ​う。 *ローマ 12:2)「無​価値​な​もの​を​見​ない​よう,わたし​の​目​を​過ぎ行か​せ​て​ください」と​エホバ​に​祈っ​た​詩編​作者​に​倣い​ましょ​う。―詩編 119:37

他​の​人​の​益​を​求め​なさい

20,21 コリント​第​一 10​章​23,24​節​は,健全​な​娯楽​の​選択​に​どの​よう​に​当てはまり​ます​か。

20 個人​的​な​事柄​に​つい​て​決定​する​時​に​考慮​に​入れる​べき​大切​な​聖書​の​原則​を,パウロ​は​こう​述べ​て​い​ます。「すべて​の​事​は​許さ​れ​て​い​ます。しかし,すべて​の​事​が​築き上げる​わけ​で​は​あり​ませ​ん。おのおの​自分​の​益​で​は​なく,他​の​人​の​益​を​求め​て​ゆき​なさい」。(コリント​第​一 10:23,24)この​原則​は​健全​な​娯楽​の​選択​に​どの​よう​に​当てはまる​でしょ​う​か。次​の​よう​に​自問​する​必要​が​あり​ます。『わたし​の​選ぶ​娯楽​は​他​の​人​に​どんな​影響​を​及ぼす​だろ​う​か』。

21 あなた​が​何らか​の​娯楽​を,『許さ​れ​て​いる』つまり​受け入れ​て​よい​もの,と​みなし​て​いる​と​し​ましょ​う。それ​を​楽しむ​こと​に​良心​の​とがめ​は​感じ​ませ​ん。それでも,より​制限​的​な​良心​を​持つ​他​の​信者​が​抵抗​を​感じ​て​いる​と​いう​こと​に​気づい​た​場合,その​娯楽​を​やめる​か​も​しれ​ませ​ん。なぜ​です​か。『自分​の​兄弟​に​対し​て​罪​を​おかす』こと​も,パウロ​が​述べ​た​よう​に『キリスト​に​対し​て​罪​を​おかす』こと​も,望ま​ない​から​です。神​へ​の​忠実​を​保と​う​と​する​仲間​の​信者​の​歩み​ を​妨げる​なら,その​よう​な​罪​を​おかす​こと​に​なる​の​です。わたしたち​は,「つまずき​の​もと​と​なら​ない​よう​に​し​なさい」と​いう​訓戒​を​心​に​留め​て​い​ます。(コリント​第​一 8:12; 10:32)真​の​クリスチャン​は,パウロ​の​親切​で​鋭い​助言​に​留意​し,「許さ​れ​て」は​い​て​も「築き上げ」ない​娯楽​を​避け​ます。―ローマ 14:1; 15:1

22 個人​的​な​事柄​に​おい​て​様々​な​見方​が​ある​こと​を​クリスチャン​が​認める​の​は​なぜ​です​か。

22 他​の​人​の​益​を​求める​こと​に​は​別​の​側面​も​あり​ます。より​制限​的​な​良心​を​持つ​クリスチャン​は,何​が​ふさわしい​娯楽​か​に​関する​自分​の​厳格​な​見方​に​クリスチャン​会衆​内​の​皆​が​合わせる​べき​だ,など​と​主張​し​て​は​なり​ませ​ん。それ​は,自分​と​同じ​道路​を​走る​車​は​みな​自分​と​同じ​スピード​で​走る​べき​だ​と​主張​する​よう​な​もの​で​あり,道理​に​反する​要求​です。より​制約​的​な​良心​を​持つ​人​は,娯楽​に​関し​て​自分​と​は​多少​異なっ​て​い​て​も​キリスト​教​の​原則​から​外れ​て​は​い​ない​見方​を​持つ​仲間​の​信者​に,クリスチャン​愛​ゆえに​敬意​を​払う​必要​が​あり​ます。その​よう​に​し​て,「道理​を​わきまえ​て​いる​こと​が​すべて​の​人​に​知ら​れる​よう​に」し​ます。―フィリピ 4:5。伝道​の​書 7:16

23 どう​すれ​ば​健全​な​娯楽​を​選べ​ます​か。

23 こう​し​て,どう​すれ​ば​健全​な​娯楽​を​選べる​か​を​考え​て​き​まし​た。まとめる​と​こう​なり​ます。神​の​言葉​で​はっきり​非​と​され​て​いる​堕落​し​た​不​道徳​行為​を​生々しく​描い​た​娯楽​は,すべて​退け​ます。聖書​が​明確​に​述べ​て​い​ない​タイプ​の​娯楽​に​つい​て​は,それ​に​当てはまる​聖書​の​原則​に​従い​ます。自分​の​良心​を​損なう​娯楽​を​避け,他​の​人​の,とりわけ​仲間​の​信者​の​敏感​な​心​を​傷つけ​かね​ない​娯楽​を​快く​控え​ます。その​よう​に​し​よう​と​固く​決意​する​あなた​が,神​に​栄光​を​もたらし,ご家族​と​とも​に​神​の​愛​の​うち​に​とどまれ​ます​よう​に。

^ 19節 娯楽​に​当てはまる​他​の​幾つ​か​の​原則​が​以下​の​聖句​に​記さ​れ​て​い​ます。箴言 3:31; 13:20。エフェソス 5:3,4。コロサイ 3:5,8,20