『あなた方​は​世​の​もの​で​は​あり​ませ​ん』。―ヨハネ 15:19

1 人間​と​し​て​地上​で​過ごし​た​最後​の​晩,イエス​は​何​を​強調​し​まし​た​か。

人間​と​し​て​地上​で​過ごし​た​最後​の​晩,イエス​は,追随​者​たち​の​その​後​の​福祉​に​対する​深い​気遣い​を​表わし​まし​た。その​点​に​つい​て​み父​に​祈り,こう​述べ​て​い​ます。「わたし​は,彼ら​を​世​から​取り去る​こと​で​は​なく,邪悪​な​者​の​ゆえに​彼ら​を​見守っ​て​くださる​よう​に​お願い​いたし​ます。わたし​が​世​の​もの​で​は​ない​の​と​同じ​よう​に,彼ら​も​世​の​もの​で​は​あり​ませ​ん」。(ヨハネ 17:15,16)この​心​から​の​願い​に​は,追随​者​たち​へ​の​深い​愛​が​こめ​られ​て​いる​と​同時​に,その​晩​すでに​述べ​て​い​た『あなた方​は​世​の​もの​で​は​あり​ませ​ん』と​いう​言葉​の​重要​性​も​示さ​れ​て​い​ます。(ヨハネ 15:19)追随​者​たち​が​世​から​離れ​て​いる​こと​は,イエス​に​とっ​て​非常​に​重要​な​こと​だっ​た​の​です。

2 イエス​が​述べ​た「世」と​は​何​です​か。

2 イエス​が​述べ​た「世」と​は,神​から​疎外​さ​れ​た​人類​すべて​の​こと​です。サタン​に​支配​さ​れ​て​おり,サタン​を​源​と​する​利己​的​で​誇り​に​満ち​た​霊​の​奴隷​に​なっ​て​いる​人類​です。(ヨハネ 14:30。エフェソス 2:2。ヨハネ​第​一 5:19)確か​に,『[その]世​と​の​交友​は​神​と​の​敵対​です』。(ヤコブ 4:4)では,神​の​愛​の​うち​に​とどまり​たい​と​思う​人​は,どう​すれ​ば,世​に​い​ながら​世​から​離れ​て​いる​こと​が​できる​でしょ​う​か。以下​の​五つ​の​方法​を​考え​ましょ​う。キリスト​の​もと​に​ある​神​の​王国​へ​の​忠節​と​世​の​政治​に​関する​中立​と​を​保つ,世​の​霊​に​抵抗​する, 服装​と​身だしなみ​の​点​で​慎み深く​ある,目​を​純一​に​保つ,霊的​な​武具​を​身​に​着ける,と​いう​方法​です。

忠節​と​中立​を​保つ

3 (イ)イエス​は​当時​の​政治​に​関し​て​どんな​態度​を​取り​まし​た​か。(ロ)イエス​の​油そそが​れ​た​追随​者​たち​が​大使​と​し​て​仕え​て​いる,と​言える​の​は​なぜ​です​か。(脚注​を​含む。)

3 イエス​は,当時​の​政治​に​は​関与​せ​ず,神​の​王国​の​伝道​に​焦点​を​合わせ​まし​た。イエス​に​は,その​将来​の​天​の​政府​の​王​と​なる​見込み​が​あり​まし​た。(ダニエル 7:13,14。ルカ 4:43; 17:20,21)それゆえ,ローマ​の​総督​ポンテオ​・​ピラト​の​前​で,「わたし​の​王国​は​この​世​の​もの​で​は​あり​ませ​ん」と​言え​まし​た。(ヨハネ 18:36)イエス​の​手本​に​倣う​忠実​な​追随​者​たち​は,キリスト​と​その​王国​に​忠節​を​尽くし,その​王国​を​世​の​人々​に​告げ知らせ​ます。(マタイ 24:14)使徒​パウロ​は​こう​書い​て​い​ます。『わたしたち​は​キリスト​の​代理​を​する​大使​です。わたしたち​は​キリスト​の​代理​と​し​て​こう​願い​ます。「神​と​和解​し​て​ください」』。 *コリント​第​二 5:20

4 真​の​クリスチャン​すべて​は​神​の​王国​へ​の​忠節​を​どの​よう​に​実証​し​て​き​まし​た​か。(「 初期​クリスチャン​は​中立​を​保っ​た」と​いう​囲み​を​ご覧​ください。)

4 大使​は,外国​に​おい​て​自国​や​自国​の​主権​者​を​代表​する​の​で,赴任​先​の​国​の​内政​に​は​干渉​せ​ず,中立​を​保ち​ます。同時​に,大使​は​自分​が​代表​する​国​の​政府​を​しっかり​と​擁護​し​ます。キリスト​の​油そそが​れ​た​追随​者​たち,つまり『市民​権​が​天​に​ある』者​たち​の​場合​も​同様​です。(フィリピ 3:20)事実,彼ら​は​熱心​な​王国​伝道​に​より,キリスト​の​幾百万​人​もの「ほか​の​羊」が『神​と​和解​する』の​を​助け​て​き​まし​た。(ヨハネ 10:16。マタイ 25:31‐40)それら「ほか​の​羊」は,いわば​ キリスト​の​公使​と​し​て​仕え,イエス​の​油そそが​れ​た​兄弟​たち​を​支援​し​て​い​ます。これら​二つ​の​グループ​は,メシア​王国​を​擁護​する​一つ​の​群れ​と​し​て​一致​し​て​おり,世​の​政治​に​関し​て​厳正​中立​を​守っ​て​い​ます。―イザヤ 2:2‐4

5 クリスチャン​会衆​は​古代​イスラエル​と​は​どの​よう​に​異なっ​て​い​ます​か。その​違い​は,どんな​面​で​明らか​です​か。

 5 真​の​クリスチャン​が​中立​を​保つ​理由​は,キリスト​へ​の​忠節​だけ​で​は​あり​ませ​ん。神​から​領土​を​与え​られ​て​い​た​古代​イスラエル​と​は​異​なり,わたしたち​は​国際​的​な​兄弟​関係​に​属し​て​い​ます。(マタイ 28:19。ペテロ​第​一 2:9)ですから,いずれ​か​の​国​の​政党​を​応援​する​なら,王国​の​音信​に​関し​て​はばかり​なく​語る​の​が​大いに​難しく​なり,クリスチャン​と​し​て​の​一致​も​大きく​損なわ​れる​でしょ​う。(コリント​第​一 1:10)さらに,戦争​の​時​に​は,愛し合う​よう​命じ​られ​て​いる​仲間​の​信者​と​戦い合う​こと​に​なる​でしょ​う。(ヨハネ 13:34,35。ヨハネ​第​一 3:10‐12)だから​こそ​イエス​は,剣​を​捨てる​よう​に​と​弟子​たち​に​お命じ​に​なっ​た​の​です。敵​を​愛する​よう​に​と​さえ​命じ​て​おら​れ​ます。―マタイ 5:44; 26:52。「 わたし​は​中立​を​保っ​て​いる​だろ​う​か」と​いう​囲み​を​ご覧​ください。

6 神​へ​の​献身​は,カエサル​と​の​関係​に​どう​影響​し​ます​か。

6 真​の​クリスチャン​で​ある​わたしたち​は,いかなる​人間​に​で​も​人間​の​組織​に​で​も​国家​に​で​も​なく,神​に​命​を​ささげ​て​い​ます。コリント​第​一 6​章​19,20​節​に​は,「あなた方​は​自分​自身​の​もの​で​は​あり​ませ​ん。あなた方​は​代価​を​もっ​て​買わ​れ​た​から​です」と​あり​ます。ですから​イエス​の​追随​者​たち​は,「カエサル」に​誉れ​や​税​や​相対​的​な​服従​と​いっ​た​当然​返す​べき​もの​を​返す​と​は​いえ,「神​の​もの​は​神​に」ささげ​ます。(マルコ 12:17。ローマ 13:1‐7)それ​に​は,崇拝,魂​の​こもっ​た​愛,忠節​な​従順​が​含ま​れ​ます。必要​と​あら​ば​神​の​ため​に​命​を​なげうつ​こと​も​いとい​ませ​ん。―ルカ 4:8; 10:27。使徒 5:29。ローマ 14:8

「世​の​霊」に​抵抗​する

7,8 「世​の​霊」と​は​何​です​か。その​霊​は​どの​よう​に​人​の​うち​に『働き』ます​か。

7 クリスチャン​は,世​の​邪悪​な​霊​に​抵抗​する​こと​に​よっ​て​も,世​から​ 離れ​て​いる​こと​が​でき​ます。パウロ​は,「わたしたち​が​受け​た​の​は,世​の​霊​で​は​なく,神​から​の​霊​です」と​書い​て​い​ます。(コリント​第​一 2:12)エフェソス​人​へ​の​手紙​で​は,こう​述べ​て​い​ます。「あなた方​は,この​世……に​したがい,また​空中[空気]の​権威​の​支配​者,不​従順​の​子​ら​の​うち​に​いま​働い​て​いる​霊​に​したがって,一時​は……歩ん​で​い​まし​た」。―エフェソス 2:2,3

8 世​の『空気』つまり​霊​は,神​へ​の​不​従順​を​あおっ​たり「肉​の​欲望​と​目​の​欲望」を​助長​し​たり​する,目​に​見え​ない​強い​力​です。(ヨハネ​第​一 2:16。テモテ​第​一 6:9,10)この​霊​の「権威」は,罪深い​肉​へ​の​誘引​力,巧妙​さ,執拗​さ​に​あり,また​それ​が​空気​の​よう​に​広がっ​て​ゆく​点​に​あり​ます。さらに,その​霊​は​人​の​うち​に『働き』,不​敬虔​な​特性​を​徐々​に​育み​ます。例えば,利己​心,傲慢​さ,飽くなき​野望,倫理​的​な​独立​と​反抗​の​精神​と​いっ​た​特性​です。 * 一言​で​言え​ば,世​の​霊​は,人​の​心​の​中​で​悪魔​の​特性​が​だんだん​と​育っ​て​ゆく​よう​に​する​の​です。―ヨハネ 8:44。使徒 13:10。ヨハネ​第​一 3:8,10

9 世​の​霊​は​どの​よう​に​し​て​思い​と​心​に​入っ​て​来​ます​か。

9 世​の​霊​が​あなた​の​思い​と​心​に​根​を​下ろす,と​いう​こと​が​あり得る​の​でしょ​う​か。確か​に​あり​ます。しかし​それ​は,あなた​が​警戒​を​緩め​て​根​を​下ろさ​せ​て​しまう​場合​だけ​です。(箴言 4:23)世​の​霊​は​たいてい​巧妙​な​仕方​で​影響​を​及ぼし​始め​ます。良い​人​に​見え​て​も​エホバ​を​愛し​て​は​い​ない​人​と​の​交友​が​きっかけ​と​なる​か​も​しれ​ませ​ん。(箴言 13:20。コリント​第​一 15:33)また,この​邪悪​な​霊​は,いかが​わし​い​本,ポルノ​や​背教​者​の​サイト,不​健全​な​娯楽,競争​性​の​強い​スポーツ​など​を​通し​て,あなた​に​入り込み​ます。実​の​ところ,サタン​や​その​体制​の​考え方​を​伝染​さ​せる​あらゆる​人​や​もの​を​通し​て​入り込む​の​です。

10 どう​すれ​ば​世​の​霊​に​抵抗​でき​ます​か。

 10 どう​すれ​ば,世​の​陰険​な​霊​に​抵抗​し​て,自分​を​神​の​愛​の​うち​に​保てる​でしょ​う​か。エホバ​の​霊的​な​備え​を​十分​に​活用​する​こと,そして​常​に​聖霊​を​祈り​求める​こと​が​どうして​も​必要​です。エホバ​は,悪魔​に​も,サタン​配下​の​邪悪​な​世​に​も​はるか​に​勝る​方​です。(ヨハネ​第​一 4:4)ですから,是非​と​も​祈り​に​よっ​て​エホバ​の​そば​に​とどまり​ましょ​う。

 服装​と​身だしなみ​の​点​で​慎み深く​ある

11 世​の​霊​は​服装​の​規準​に​どんな​影響​を​及ぼし​て​い​ます​か。

11 人​が​どんな​霊​の​強い​作用​を​受け​て​いる​か​は,服装​や​身だしなみ​や​清潔​さ​と​いっ​た​形​で​明らか​に​なり​ます。多く​の​国​で​は​服装​の​規準​が​非常​に​低下​し​て​いる​の​で,ある​テレビコメンテーター​は,やがて​売春​婦​が​身​に​着け​られる​もの​が​なくなっ​て​しまう​だろ​う​と​言い​まし​た。十​代​に​も​なら​ない​少女​たち​も​この​風潮​に​呑み込ま​れ​て​おり,ある​新聞​記事​が「露出​は​たっぷり,慎み​は​ちょっぴり」と​述べ​た​ほど​です。さらに,だらし​の​ない​服装​を​する​風潮​も​あり,そこ​に​は​反抗​の​精神​および​品位​と​自尊​心​の​欠如​が​表われ​て​い​ます。

12,13 わたしたち​の​服装​と​身だしなみ​は​どんな​原則​に​導か​れる​べき​です​か。

12 エホバ​の​僕​で​ある​わたしたち​が,できる​限り​良い​身なり​を​し​たい​と​願う​の​は​正しい​こと​です。小ぎれい​で​趣味​の​良い,その​場​に​適し​た​服装​を​心がける​の​です。いつ​で​も,「慎み​と​健全​な​思い」を​反映​し​た​身なり​を​し​たい​もの​です。その​よう​な​身なり​は,「良い​業」と​とも​に,「神​を​あがめる​と​言い表わす」男性​に​も​女性​に​も​ふさわしい​もの​です。もちろん,わたしたち​が​おもに​気​に​かけ​て​いる​の​は,自分​に​注意​を​引く​こと​で​は​なく,『自分​を​神​の​愛​の​うち​に​保つ』こと​です。(テモテ​第​一 2:9,10。ユダ 21)「心​の​中​の​秘め​られ​た​人」を​自分​の​最も​美しい​飾り​と​し​たい,と​願っ​て​いる​の​です。それ​こそ,「神​の​目​に​大いに​価値​の​ある」もの​だ​から​です。―ペテロ​第​一 3:3,4

13 覚え​て​おく​べき​点​が​もう​一つ​あり​ます。わたしたち​の​装い​や​身だしなみ​は,真​の​崇拝​に​対する​他​の​人​の​見方​に​影響​を​与え​得る​の​です。「慎み」と​訳さ​れ​て​いる​ギリシャ​語​は,道徳​上​の​意味​で​用い​られる​場合,他​の​人​の​気持ち​や​意見​に​対する​尊敬,畏敬,敬意​と​いう​考え​を​表わし​ます。ですから​わたしたち​は,自分​の​権利​と​思える​もの​より​も​他​の​人​の​良心​を​重んじる​よう​に​す​べき​です。そして​何​より​も,エホバ​と​その​民​に​誉れ​を​もたらし​たい,自分​を​神​の​奉仕​者​ と​し​て​推薦​し​たい​と​願っ​て,「すべて​の​事​を​神​の​栄光​の​ため​に」行ない​ます。―コリント​第​一 4:9; 10:31。コリント​第​二 6:3,4; 7:1

わたし​の​身なり​は​エホバ​に​誉れ​を​もたらし​て​いる​だろ​う​か

14 自分​の​身なり​や​清潔​さ​に​関し​て​どんな​自問​を​す​べき​です​か。

14 服装​や​身だしなみ​や​清潔​さ​が​いっそう​重要​に​なる​の​は,野外​宣教​に​参加​する​時​や​クリスチャン​の​集会​に​出席​する​時​です。こう​自問​し​ましょ​う。『わたし​は,身なり​や​清潔​さ​の​点​で,良く​ない​意味​で​人目​を​引い​て​いる​だろ​う​か。だれ​か​を​当惑​さ​せ​て​いる​だろ​う​か。会衆​内​で​の​奉仕​の​特権​の​資格​を​得る​こと​より​も,この​分野​で​の​自分​の​権利​の​ほう​を​重視​し​て​いる​だろ​う​か』。―詩編 68:6。フィリピ 4:5。ペテロ​第​一 5:6

15 神​の​言葉​に​服装​や​身だしなみ​や​清潔​さ​に​関する​規則​集​が​ない​の​は​なぜ​です​か。

15 聖書​に​は,服装​や​身だしなみ​や​清潔​さ​に​関する​クリスチャン​の​ため​の​規則​集​は​あり​ませ​ん。エホバ​は,わたしたち​が​選択​の​自由​を​行使​し​たり​思考​力​を​用い​たり​する​の​を​とどめ​よう​と​は​なさい​ませ​ん。むしろ,わたしたち​が​円熟​し​た​人​に​なる​こと​を,つまり​聖書​の​原則​に​基づい​て​推論​する​人,「使う​こと​に​よっ​て​自分​の​知覚​力​を​訓練​し,正しい​こと​も​悪い​こと​も​見分け​られる​よう​に​なっ​た」人​に​なる​こと​を​願っ​て​おら​れ​ます。(ヘブライ 5:14)そして​何​より​も,愛 ― 神​と​隣人​ へ​の​愛 ― に​よっ​て​導か​れる​こと​を​願っ​て​おら​れ​ます。(マルコ 12:30,31)こう​し​た​範囲​内​で,多種​多様​な​服装​と​身だしなみ​が​可能​です。その​証拠​に,世界​各地​の​喜び​に​あふれ​た​エホバ​の​民​の​集まり​で​は​多彩​な​服装​を​目​に​し​ます。

目​を「純一」に​保つ

16 世​の​霊​は​どの​よう​に,イエス​の​教え​に​逆行​する​働きかけ​を​し​ます​か。どんな​自問​を​す​べき​です​か。

16 世​の​霊​は​人​を​欺き,幸福​を​求め​て​金銭​や​物質​的​な​もの​に​頼る​よう​無数​の​人​を​駆り立て​て​い​ます。しかし​イエス​は,「満ちあふれる​ほど​に​豊か​で​あっ​て​も,人​の​命​は​その​所有​し​て​いる​物​から​は​生じ​ない」と​述べ​まし​た。(ルカ 12:15)イエス​は,禁欲​主義​や​極端​な​自己​否定​を​唱道​し​た​の​で​は​あり​ませ​ん。命​と​真​の​幸福​を​得る​の​は「自分​の​霊的​な​必要​を​自覚​し​て​いる」人,また「純一」な​目​を​持ち​続ける​ 人​で​ある​と​いう​こと​を​教え​た​の​です。「純一」な​目​と​は,誠実​で,霊的​に​しっかり​焦点​の​合っ​た​目​です。(マタイ 5:3; 6:22,23)それで,こう​自問​し​ましょ​う。『わたし​は​イエス​の​教え​た​事柄​を​本当​に​信じ​て​いる​だろ​う​か。それとも,「偽り​の​父」の​影響​を​受け​て​いる​だろ​う​か。(ヨハネ 8:44)わたし​の​言葉​や​目標​や​優先​事項​や​生き方​から​何​が​明らか​だろ​う​か』。―ルカ 6:45; 21:34‐36。ヨハネ​第​二 6

17 純一​な​目​を​持ち​続ける​人​が​受ける​益​を​挙げ​て​ください。

17 「知恵​は​その​働き​に​よっ​て​義​に​かなっ​て​いる​こと​が​示さ​れる」と​イエス​は​言い​まし​た。(マタイ 11:19)純一​な​目​を​持ち​続ける​人​が​受ける​益​は​幾つ​も​あり​ます。王国​奉仕​から​真​の​さわやか​さ​を​得​ます。(マタイ 11:29,30)過度​に​思い煩わ​ず,それゆえに​精神​的​また​感情​的​な​苦痛​が​かなり​軽減​さ​れ​ます。(テモテ​第​一 6:9,10)生活​必需​品​で​満足​する​の​で,家族​や​クリスチャン​仲間​と​過ごす​時間​が​生ま​れ​ます。心地よく​眠れる​よう​に​なっ​た​と​いう​人​も​い​ます。(伝道​の​書 5:12)様々​な​方法​で​与える​こと​に​より,いっそう​大きな​喜び​を​味わい​ます。(使徒 20:35)そして,「希望​に​満ちあふれ」,内面​の​平和​と​満足​を​得​ます。(ローマ 15:13。マタイ 6:31,32)こう​し​た​祝福​は​決して​お金​で​は​買え​ませ​ん。

『完全​に​そろっ​た​武具』で​身​を​固める

18 わたしたち​の​敵,その​戦術,わたしたち​の​闘い​の​性質​に​つい​て,聖書​から​何​が​分かり​ます​か。

18 自分​を​神​の​愛​の​うち​に​保つ​人​は,サタン​から​の​霊的​な​保護​も​経験​し​ます。サタン​は​クリスチャン​から,幸福​だけ​で​なく​永遠​の​命​も​奪い取ろ​う​と​し​て​い​ます。(ペテロ​第​一 5:8)『わたしたち​の​する​格闘​は,血肉​に​対する​もの​で​は​なく,もろもろ​の​政府​と​権威,また​この​闇​の​世​の​支配​者​たち​と,天​の​場所​に​ある​邪悪​な​霊​の​勢力​に​対する​もの​です』と​パウロ​は​述べ​て​い​ます。(エフェソス 6:12)「格闘」と​いう​語​は,わたしたち​の​戦い​が,いわば​安全​な​塹壕​の​中​から​行なう​ よう​な​距離​を​置い​た​戦い​で​は​なく,組み打ち​で​ある,と​いう​こと​を​示唆​し​て​い​ます。さらに,「政府」,「権威」,「世​の​支配​者​たち」と​いう​語​は,霊​の​領域​から​の​攻撃​が​高度​に​組織​さ​れ​た​計画​的​な​もの​で​ある​こと​を​示し​て​い​ます。

19 クリスチャン​の​霊的​な​武具​と​は​どんな​もの​か,述べ​て​ください。

19 わたしたち​に​は​人間​と​し​て​の​弱点​や​限界​が​あり​ます​が,勝利​を​得る​こと​が​でき​ます。どの​よう​に​し​て​でしょ​う​か。「完全​に​そろっ​た,神​から​の​武具」で​身​を​固める​こと​に​よっ​て​です。(エフェソス 6:13)その​武具​に​つい​て,エフェソス 6​章​14‐18​節​に​は​こう​書か​れ​て​い​ます。「真理​を​帯​と​し​て​腰​に​巻き,義​の​胸当て​を​着け,平和​の​良い​たより​の​装備​を​足​に​は​き,こう​し​て​しっかり​と​立ち​なさい。何​より​も,信仰​の​大盾​を​取り​なさい。あなた方​は​それ​を​もっ​て,邪悪​な​者​の​火矢​を​みな​消す​こと​が​でき​ます。また,救い​の[希望​と​いう]かぶと,それ​に​霊​の​剣,すなわち​神​の​言葉​を​受け取り​なさい。それ​と​共​に,あらゆる​祈り​と​祈願​を​もっ​て,すべて​の​機会​に​霊​に​よっ​て​祈り​なさい」。

20 実際​の​兵士​と​わたしたち​と​で​は,置か​れ​た​状況​が​どの​よう​に​違い​ます​か。

20 霊的​な​武具​は,神​から​与え​られ​た​もの​な​の​で,わたしたち​が​常​に​身​に​着け​て​おく​限り,申し分​の​ない​働き​を​し​ます。実際​の​兵士​は​戦闘​を​しばらく​休める​か​も​しれ​ませ​ん​が,クリスチャン​の​行なっ​て​いる​生死​の​かかっ​た​容赦ない​闘い​は,神​が​サタン​の​世​を​滅ぼし​て​邪悪​な​霊者​すべて​を​底知れ​ぬ​深み​に​入れる​時​まで​ずっ​と​続き​ます。(啓示 12:17; 20:1‐3)ですから,いま​弱さ​や​悪い​欲望​と​闘っ​て​いる​なら,あきらめ​て​は​なり​ませ​ん。わたしたち​は​皆,エホバ​へ​の​忠実​を​保つ​ため​に​自分​を『打ちたたく』必要​が​ある​の​です。(コリント​第​一 9:27)実​の​ところ,もし​格闘​し​て​い​ない​時​が​ある​なら,その​時​こそ​心配​す​べき​な​の​です。

21 霊的​な​戦い​に​おい​て​勝利​を​収める​に​は,何​が​欠か​せ​ませ​ん​か。

21 加え​て,わたしたち​は​自分​自身​の​力​で​この​戦い​に​勝つ​こと​は​でき​ ませ​ん。それゆえ​パウロ​は,「すべて​の​機会​に​霊​に​よっ​て」エホバ​に​祈る​必要​が​ある​こと​を​思い起こさ​せ​て​い​ます。同時​に​わたしたち​は,エホバ​の​言わ​れる​事​に​耳​を​傾ける​べき​です。み言葉​を​研究​し,共​なる“兵士​たち”と​機会​ある​ごと​に​交わる​こと​に​よっ​て​そう​し​ます。一人きり​で​戦っ​て​いる​の​で​は​ない​の​です。(フィレモン 2。ヘブライ 10:24,25)こう​し​た​分野​すべて​に​おい​て​忠実​な​人​は,勝利​を​収める​だけ​で​なく,非難​を​受け​た​とき​に​自分​の​信仰​を​力強く​弁明​できる​でしょ​う。

自分​の​信仰​を​弁明​できる​よう​備え​を​し​て​おく

22,23 (イ)自分​の​信仰​を​弁明​できる​よう​いつも​備え​を​し​て​おか​なけれ​ば​なら​ない​の​は​なぜ​です​か。どんな​自問​が​でき​ます​か。(ロ)次​の​章​で​は​どんな​点​を​考え​ます​か。

22 『あなた方​は​世​の​もの​で​は​ない​の​で,世​は​あなた方​を​憎む』と​イエス​は​言い​まし​た。(ヨハネ 15:19)ですから​クリスチャン​は,自分​の​信仰​を​弁明​できる​よう,しかも​敬意​を​こめ​て​温和​に​そう​できる​よう,常​に​備え​を​し​て​おか​なけれ​ば​なり​ませ​ん。(ペテロ​第​一 3:15)こう​自問​し​ましょ​う。『エホバ​の​証人​は​受け​の​良く​ない​立場​を​取る​こと​が​ある​が,わたし​は​その​理由​を​理解​し​て​いる​だろ​う​か。そう​し​た​立場​を​取る​の​が​自分​に​とっ​て​容易​で​ない​と​し​て​も,聖書​と​忠実​な​奴隷​級​の​述べる​事柄​は​正しい​と​全く​確信​し​て​いる​だろ​う​か。(マタイ 24:45。ヨハネ 17:17)エホバ​の​目​に​正しい​事​を​行なう​と​いう​点​で​は,人​と​違う​事​を​する​心構え​が​でき​て​いる​だけ​で​なく,そう​する​の​を​誇らしく​感じ​て​いる​だろ​う​か』。―詩編 34:2。マタイ 10:32,33

23 と​は​いえ,世​から​離れ​て​い​たい​と​いう​願い​は​もっと​巧妙​な​仕方​で​試み​られる​こと​も​少なく​あり​ませ​ん。例えば,すでに​述べ​た​とおり,悪魔​は​この​世的​な​娯楽​を​用い​て​エホバ​の​僕​を​世​に​誘い込も​う​と​し​ます。どう​すれ​ば,さわやか​さ​が​残っ​て清い​良心​を​保てる​健全​な​娯楽を​選べる​でしょ​う​か。その​点​は​次​の​章​で​考え​ます。

^ 3節 西暦​33​年​の​ペンテコステ​以降,キリスト​は,地上​に​いる​油そそが​れ​た​追随​者​たち​の​会衆​を​治める​王​と​なっ​て​おら​れ​ます。(コロサイ 1:13)1914​年,キリスト​は「世​の​王国」を​治める​王権​を​受け​まし​た。それゆえ,現在,油そそが​れ​た​クリスチャン​たち​は​メシア​王国​の​大使​と​し​て​も​仕え​て​い​ます。―啓示 11:15

^ 8節 エホバ​の​証人​の​発行​し​た「聖書​から​論じる」の419‐422​ページを​ご覧​ください。

^ 65節 付録​の「国旗​敬礼,投票,市民​的​奉仕​活動」と​いう​項目​を​ご覧​ください。