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エホバの証人

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神の王国は支配している!

 10​章

王は追随者たちを霊的に精錬する

王は追随者たちを霊的に精錬する

この​章​で​考える​こと

イエス​が​追随​者​たち​を​霊的​に​精錬​し​清め​て​き​た​理由​と,その​方法

1‐3. イエス​は​神殿​が​汚さ​れ​て​いる​の​を​見​た​時,どう​し​まし​た​か。

イエス​は​エルサレム​の​神殿​に​深い​敬意​を​抱い​て​い​まし​た。その​神殿​が​何​を​表わす​か​を​知っ​て​い​た​から​です。神殿​は​長い​間,地上​に​おける​真​の​崇拝​の​中心​と​なっ​て​い​まし​た。真​の​崇拝,すなわち​聖​なる​神​エホバ​の​崇拝​は,清く​なけれ​ば​なり​ませ​ん。では,イエス​は​西暦​33​年​ニサン​10​日​に​神殿​に​来​て,そこ​が​汚さ​れ​て​いる​の​を​見​た​時,どんな​気持ち​に​なっ​た​でしょ​う​か。神殿​で​は​何​が​行なわ​れ​て​い​まし​た​か。―マタイ 21:12,13を​読む。

2 異邦​人​の​中庭​で​は,貪欲​な​商人​や​両替​屋​が,エホバ​に​捧げ物​を​する​ため​に​来​て​い​た​崇拝​者​たち​から​不当​な​利益​を​得​て​い​まし​た。 * イエス​は「神殿​で​売り買い​し​て​い​た​者​たち​を​みな​追い出し,両替​屋​の​台……を​倒さ​れ」まし​た。(ネヘミヤ 13:7‐9​と​比較。)また,父​の​家​を「強盗​の​洞くつ」に​し​て​いる​と​述べ​て,それら​利己​的​な​者​たち​を​糾弾​し​まし​た。こう​し​て​イエス​は,神殿​と​それ​が​表わす​もの​に​敬意​を​示し​まし​た。み父​へ​の​崇拝​は​清く​保た​れ​なけれ​ば​なら​なかっ​た​の​です。

3 それ​から​幾​世紀​も​後,イエス​は​メシア​なる​王​と​し​て​即位​し​て​から,再び​神殿​を​清め​まし​た。この​神殿​は,エホバ​に​受け入れ​られる​崇拝​を​ささげる​こと​を​願う,今日​の​すべて​の​人​と​関係​が​あり​ます。その​時​イエス​が​清め​た​の​は​どんな​神殿​でし​た​か。

「レビ​の​子​ら」を​清く​する

4,5. (イ)イエス​の​油そそが​れ​た​追随​者​たち​は,1914​年​から​1919​年​の​初め​に​かけ​て,どの​よう​に​精錬​され​清め​られ​まし​た​か。(ロ)神​の​民​を​精錬​し​清める​こと​は,それ​で​終わり​まし​た​か。説明​し​て​ください。

4 この​本​の2​章で​考え​た​よう​に,イエス​は​1914​年​に​即位​し​た​後,み父​と​共​に​来​て​霊的​神殿​を​検分​し​まし​た。霊的​神殿​と​は,清い​崇拝​の​ため​の​取り決め​の​こと​です。 * 王​イエス​は​その​検分​の​結果,油そそが​れ​た​クリスチャン​で​ある「レビ​の​子​ら」が​幾らか​の​精錬​と​清め​を​必要​と​し​て​いる,と​いう​こと​を​見て取り​まし​た。(マラ 3:1‐3)1914​年​から​1919​年​の​初め​に​かけ​て,精錬​する​者​で​ある​エホバ​は,ご自分​の​民​が​様々​な​試練​や​苦難​に​遭う​こと​に​よっ​て,精錬​され​清め​られる​の​を​お許し​に​なり​まし​た。幸い,それら​油そそが​れ​た​者​たち​は​いっそう​清い​状態​に​なっ​て,火​の​よう​な​試み​ から​出​て​き​まし​た。メシア​なる​王​を​支持​し​たい​と​いう​熱意​に​あふれ​て​い​た​の​です。

5 神​の​民​を​精錬​し​清める​こと​は,それ​で​終わっ​た​の​でしょ​う​か。そう​で​は​あり​ませ​ん。エホバ​は​終わり​の​日​を​通じ,メシア​なる​王​を​用い​て,ご自分​の​民​が​清く​ある​よう​助け​て​こら​れ​まし​た。彼ら​が​霊的​神殿​に​とどまれる​よう​に​する​ため​です。続く​2​つ​の​章​で​は,王​が​追随​者​たち​を​道徳​面​や​組織​面​で​どの​よう​に​精錬​し​て​き​た​か​を​考え​ます。その​前​に,霊的​な​清め​に​つい​て​考え​ましょ​う。イエス​は,追随​者​たち​が​霊的​に​清い​者​で​いら​れる​よう,わたしたち​に​はっきり​識別​できる​方法​で,さらに​は​わたしたち​に​は​はっきり​分から​ない​形​で​助け​て​き​まし​た。その​ため​に​イエス​が​行なっ​た​事柄​を​考える​と,信仰​が​強め​られ​ます。

「身​を​清く​保​て」

6. ユダヤ​人​流刑​者​たち​に​対する​エホバ​の​命令​から,霊的​に​清く​ある​ため​に​何​が​求め​られる​こと​が​分かり​ます​か。

6 霊的​に​清く​ある​と​は​どう​いう​こと​です​か。西暦​前​6​世紀,ユダヤ​人​流刑​者​たち​は​バビロン​を​去ろ​う​と​し​て​い​まし​た。彼ら​に​対する​エホバ​の​言葉​から,霊的​な​清さ​の​意味​に​つい​て​調べ​ましょ​う。イザヤ 52:11を​読む。)それら​流刑​者​たち​が​エルサレム​に​帰還​する​おも​な​目的​は,神殿​を​再建​し,真​の​崇拝​を​回復​する​こと​でし​た。(エズ 1:2‐4)エホバ​は,ご自分​の​民​が​バビロン​の​宗教​の​名残​を​とどめる​もの​を​すべて​後​に​する​よう,望ん​で​おら​れ​まし​た。「汚れ​た​もの​に​は​何​に​も​触れる​な」,「彼女​の​中​から​出(よ)」,「身​を​清く​保​て」と​命令​し​て​おら​れる​こと​に​注目​し​て​ください。エホバ​の​清い​崇拝​が​偽り​の​崇拝​に​よっ​て​汚さ​れ​て​は​なら​なかっ​た​の​です。ですから,霊的​に​清く​ある​ため​に​は,偽り​の​宗教​の​教え​や​慣行​から​全く​離れ​て​い​なけれ​ば​なら​ない,と​いう​こと​が​分かり​ます。

7. イエス​は​どんな​経路​を​通し​て,霊的​に​清く​ある​よう​追随​者​たち​を​助け​て​き​まし​た​か。

7 イエス​は​王​と​し​て​即位​し​て​間​も​なく,霊的​に​清く​ある​よう​追随​者​たち​を​助ける​ため​の,はっきり​識別​できる​経路​を​設け​まし​た。この​経路​と​は,1919​年​に​キリスト​が​任命​し​た​忠実​で​思慮深い​奴隷​です。(マタ 24:45)その​年​まで​に,聖書​研究​者​たち​は​すでに,偽り​の​宗教​の​多く​の​教え​から​自分​たち​を​清め​て​い​まし​た。それでも,霊的​に​いっそう​清め​られる​必要​が​あり​まし​た。キリスト​は​忠実​な​奴隷​を​通し​て​追随​者​たち​に,捨て去る​べき​祝い​や​慣行​に​関する​啓発​を​徐々​に​与え​まし​た。(箴 4:18)幾つ​か​の​例​を​考え​ましょ​う。

クリスチャン​は​クリスマス​を​祝う​べき​か

8. 聖書​研究​者​は​以前​から,クリスマス​に​つい​て​どんな​こと​を​認め​て​い​まし​た​か。しかし,どんな​こと​は​理解​し​て​い​ませ​ん​でし​た​か。

8 聖書​研究​者​は​以前​から,クリスマス​は​異教​に​由来​する​こと​や,イエス​が​12​月​25​日​に​誕生​し​た​の​で​は​ない​こと​を​認め​て​い​まし​た。「シオン​の​ものみの塔」(英語)1881​年​12​月​号​に​は​こう​あり​ます。「非常​に​多く​の​人々​が​異教​から​教会​に​入っ​て​来​た。しかし,ほとんど​の​場合,そう​し​た​変化​は​ 名目​上​の​変化​に​すぎ​ない。異教​の​聖職​者​が​キリスト​教​の​聖職​者​に​なり,異教​の​祝祭日​が​キリスト​教​の​名称​で​呼ば​れる​よう​に​なっ​た​の​だ。クリスマス​は​その​よう​な​祝祭日​の​1​つ​で​ある」。1883​年,「ものみの塔」誌​は「イエス​は​いつ​生ま​れ​た​か」と​いう​記事​を​掲載​し,イエス​が​生ま​れ​た​の​は​10​月​の​初め​ごろ​で​ある​と​論じ​まし​た。 * と​は​いえ,当時​の​聖書​研究​者​は,クリスマス​の​祝い​を​やめる​必要​が​ある​こと​を​理解​し​て​い​ませ​ん​でし​た。ブルックリン​・​ベテル​の​成員​たち​で​さえ,クリスマス​の​祝い​を​続け​て​い​まし​た。しかし,1926​年​が​過ぎ​て​から,状況​は​変化​し​始め​ます。なぜ​でしょ​う​か。

9. 聖書​研究​者​たち​は​クリスマス​に​つい​て​どんな​こと​を​理解​し​まし​た​か。

9 聖書​研究​者​たち​は​この​点​を​注意深く​調べ​た​結果,クリスマス​の​起源​や​それ​に​関連​し​た​慣行​が​実際​に​は​神​を​辱める​もの​で​ある,と​いう​こと​を​理解​し​まし​た。「黄金​時代」(英語)1927​年​12​月​14​日​号​の「クリスマス​の​起源」と​いう​記事​は,クリスマス​が​異教​の​祝い​で​あり,快楽​に​重き​を​置き,偶像​崇拝​を​伴う​こと​を​指摘​し​て​い​ます。その​記事​は,キリスト​は​クリスマス​を​祝う​よう​命じ​なかっ​た​と​述べ,こう​結論​づけ​まし​た。「世​も,肉​の​傾向​も,悪魔​も,それ​が​今後​も​祝わ​れ​続ける​こと​を​望ん​で​いる。この​事実​は,エホバ​へ​の​奉仕​に​全く​身​を​ささげ​て​いる​人​たち​が​その​祝い​を​退ける​べき​決定​的​な​理由​と​なる」。当然​ながら,その​年​の​12​月​に​ベテル​家族​は​クリスマス​を​祝い​ませ​ん​でし​た。そう​です,もう​二​度​と​祝わ​なかっ​た​の​です。

10. (イ)1928​年​12​月,クリスマス​は​どの​よう​に​徹底​的​に​暴露​さ​れ​まし​た​か。(「 クリスマス​の​起源​と​目的」と​いう​囲み​を​参照。)(ロ)神​の​民​は,他​の​どんな​祝い​や​祝祭日​を​避ける​よう​注意​を​促さ​れ​まし​た​か。(「 他​の​祝い​や​祝祭日​を​暴く」と​いう​囲み​を​参照。)

10 翌年,クリスマス​は​いっそう​徹底​的​に​暴露​さ​れ​まし​た。1928​年​12​月​ 12​日,本部​の​奉仕​者​リチャード​・​H​・​バーバー​兄弟​は​ラジオ​の​講話​の​中​で,クリスマス​の​起源​が​汚れ​た​もの​で​ある​こと​を​指摘​し​まし​た。神​の​民​は,本部​から​の​こう​し​た​明確​な​指示​に​どの​よう​に​反応​し​まし​た​か。チャールズ​・​ブランドライン​兄弟​は,自分​たち​家族​が​クリスマス​を​祝う​の​を​やめ​た​時​の​こと​を​こう​述べ​まし​た。「わたしたち​は,そう​し​た​異教​の​もの​を​捨てる​こと​に​反対​し​た​でしょ​う​か。そういう​こと​は​全く​あり​ませ​ん​でし​た。……汚れ​た​上着​を​脱い​で​捨てる​よう​な​もの​でし​た」。後​に​旅行​する​監督​と​し​て​奉仕​し​た​ヘンリー​・​A​・​キャントウェル​兄弟​も,同様​の​気持ち​を​こう​言い表わし​まし​た。「何​か​を​手離す​こと​に​なっ​て​も,エホバ​へ​の​愛​を​証明​できる​こと​を,うれしく​思い​まし​た」。キリスト​の​忠節​な​追随​者​たち​は,汚れ​た​崇拝​に​由来​する​祝い​に​一切​かかわら​ない​よう​に​する​ため,必要​な​変化​を​進ん​で​遂げ​まし​た。 *ヨハ 15:19; 17:14

11. メシア​なる​王​を​支持​し​て​いる​こと​を​どの​よう​に​示せ​ます​か。

11 それら​忠実​な​聖書​研究​者​たち​は,わたしたち​の​りっぱ​な​手本​です。その​手本​に​つい​て​考え,こう​自問​できる​でしょ​う。『わたし​は​本部​から​の​指示​を​どう​見​て​いる​だろ​う​か。喜ん​で​指示​を​受け入れ,学ん​だ​こと​を​当てはめ​て​いる​だろ​う​か』。もし​進ん​で​従う​なら,メシア​なる​王​を​支持​し​て​いる​こと​に​なり​ます。王​は​忠実​な​奴隷​を​用い​て,時宜​に​かなっ​た​霊的​食物​を​分配​し​て​いる​の​です。―使徒 16:4,5

クリスチャン​は​十字架​を​用いる​べき​か

十字架​と​冠​の​表象(12,13​節​を​参照)

12. 聖書​研究​者​は​長年,十字架​に​つい​て​どんな​見方​を​し​て​い​まし​た​か。

12 聖書​研究​者​は​長年,十字架​を​キリスト​教​の​シンボル​と​し​て​用い​て​よ​ い​と​考え​て​い​まし​た。もっとも,十字架​を​崇拝​す​べき​で​ない​と​いう​認識​は​あり​まし​た。偶像​礼拝​が​間違っ​て​いる​こと​を​理解​し​て​い​た​から​です。(コリ​一 10:14。ヨハ​一 5:21)「ものみの塔」誌​は​早く​も​1883​年​に,「偶像​礼拝​は​すべて,神​に​とっ​て​忌まわしい​もの​で​ある」と​率直​に​述べ​て​い​ます。それでも,聖書​研究​者​は​当初,十字架​を​ふさわしく​用いる​こと​に​は​問題​が​ない,と​いう​見方​を​し​て​い​まし​た。例えば,自分​たち​の​立場​を​示す​もの​と​し​て,十字架​と​冠​を​あしらっ​た​ピンバッジ​を​誇らしげ​に​身​に​着け​て​い​まし​た。その​バッジ​に​は,死​に​至る​まで​忠実​で​ある​なら​命​の​冠​を​受ける,と​いう​意味​が​あっ​た​の​です。また,1891​年​以降,十字架​と​冠​の​図柄​が「ものみの塔」誌​の​表紙​に​掲載​さ​れる​よう​に​なり​まし​た。

13. キリスト​の​追随​者​たち​は,十字架​の​使用​に​つい​て​どの​よう​な​漸進​的​啓発​を​与え​られ​まし​た​か。(「 十字架​の​使用​に​つい​て​漸進​的​な​啓発​を​受ける」と​いう​囲み​を​参照。)

13 聖書​研究​者​は​十字架​と​冠​の​表象​に​愛着​を​抱い​て​い​まし​た。しかし,1920​年代​の​後半​以降,キリスト​の​追随​者​たち​は​十字架​の​使用​に​つい​て​漸進​的​な​啓発​を​与え​られ​まし​た。後​に​統治​体​の​成員​と​し​て​奉仕​し​た​グラント​・​スーター​兄弟​は,1928​年​に​米国​ミシガン​州​デトロイト​で​開か​れ​た​大会​を​思い出し,こう​語り​まし​た。「その​大会​で,十字架​と​冠​の​表象​は​不​必要​な​ばかり​か​好ましく​ない​こと​が​示さ​れ​まし​た」。続く​数​年​間​に,さらに​多く​の​啓発​が​与え​られ​まし​た。霊的​に​清い​崇拝​に​十字架​が​全く​似つかわしく​ない​こと​は​明らか​でし​た。

14. 神​の​民​は,十字架​に​関する​漸進​的​な​啓発​に​どの​よう​に​反応​し​まし​た​か。

14 神​の​民​は,十字架​に​関する​漸進​的​な​啓発​に​どの​よう​に​反応​し​まし​た​か。愛着​の​あっ​た​十字架​と​冠​の​表象​を​使い​続け​まし​た​か。長年​エホバ​に​仕え​て​き​た​リーラ​・​ロバーツ​姉妹​は,「それ​が​何​を​表わし​て​いる​か​が​分かっ​た​時,使う​の​を​すぐ​に​やめ​まし​た」と​述べ​て​い​ます。別​の​忠実​な​姉妹​ウルスラ​・​セレンコ​は,多く​の​人​の​気持ち​を​こう​表現​し​て​い​ます。「以前​は​それ​を,主​の​死​と​わたしたち​クリスチャン​の​専心​の​思い​の​象徴​と​し​て​大切​に​し​て​い​まし​た。でも,実際​に​は​それ​が​異教​の​シンボル​で​ある​こと​を​理解​し​まし​た。箴言 4​章​18​節​に​ある​とおり,道筋​が​もっと​明るく​照らさ​れる​よう​に​なっ​た​こと​に​感謝​し​まし​た」。キリスト​の​忠節​な​追随​者​たち​は,偽り​の​宗教​の​汚れ​た​慣行​に​一切​かかわり​たく​ない​と​思っ​て​い​た​の​です。

15,16. エホバ​の​霊的​神殿​の​地上​の​中庭​を​清く​保と​う​と​決意​し​て​いる​こと​を,どの​よう​に​示せ​ます​か。

15 今日​の​わたしたち​も​同じ​決意​を​抱い​て​い​ます。キリスト​は,はっきり​識別​できる​経路​で​ある​忠実​で​思慮深い​奴隷​を​用い,追随​者​たち​が​霊的​に​清く​ある​よう​助け​て​き​まし​た。ですから,与え​られる​霊的​食物​を​通し​て,偽り​の​宗教​に​汚さ​れ​た​祝い​や​慣行​や​習慣​に​用心​する​よう​促さ​れる​時,速やか​に,また​従順​に​こたえ応じ​ます。キリスト​の​臨在​の​初期​の​ころ​に​生き​て​い​た​兄弟​姉妹​の​よう​に,わたしたち​も​エホバ​の​霊的​神殿​の​地上​の​中庭​を​清く​保つ​こと​を​決意​し​て​い​ます。

16 キリスト​は​終わり​の​日​を​通じ​て,わたしたち​に​は​はっきり​分から​ない​形​で​も​働き,霊的​な​汚染​を​もたらしかね​ない​人​たち​から​エホバ​の​民​の​ 会衆​を​保護​し​て​き​まし​た。どの​よう​に​そう​し​て​き​た​か​を​考え​て​み​ましょ​う。

「義人​の​中​から​邪悪​な​者​を​より分け」る

17,18. 引き網​の​例え​で,次​の​事柄​に​は​どんな​意味​が​あり​ます​か。(イ)引き網​を​海​に​下ろす。(ロ)「あらゆる​種類​の​魚​を​寄せ集める」。(ハ)良い​魚​を​器​に​集める。(ニ)ふさわしく​ない​魚​を​投げ捨てる。

17 王​イエス​・​キリスト​は,全地​の​神​の​民​の​会衆​を​いつも​見守っ​て​い​ます。キリスト​と​み使い​たち​は,わたしたち​に​は​はっきり​分から​ない​形​で,分ける​業​を​行なっ​て​き​まし​た。イエス​は​その​業​に​つい​て,引き網​の​例え​で​説明​し​て​い​ます。マタイ 13:47‐50を​読む。)この​例え​に​は​どんな​意味​が​ある​でしょ​う​か。

引き網​は,人類​と​いう​海​の​全域​で​行なわ​れ​て​いる​王国​伝道​の​業​を​表わし​て​いる(18​節​を​参照)

18 「引き網」を「海​に​下ろ」す。引き網​は,人類​と​いう​海​の​全域​で​行なわ​れ​て​いる​王国​伝道​の​業​を​表わし​ます。「あらゆる​種類​の​魚​を​寄せ集める」。良い​たより​は​あらゆる​人々​を​引き寄せ​ます。その​中​に​は,真​の​クリスチャン​に​なる​ため​の​段階​を​踏む​人​たち​も​いれ​ば,初め​は​幾らか​関心​を​示す​もの​の​清い​崇拝​の​側​に​立場​を​定め​ない​人​たち​も​少なからず​い​ます。 * 「良い​もの​を​器​に​集め」る。心​の​正直​な​人​たち​は,器​に​も​似​た​会衆​の​中​へ​集め​られ,会衆​で​エホバ​に​清い​崇拝​を​ささげる​こと​が​でき​ます。「ふさわしく​ない」魚​を​投げ捨てる。終わり​の​日​を​通じ​て,キリスト​と​み使い​たち​は「義人​の​中​から​邪悪​な​者​を​より分け」て​き​まし​た。 * 結果​と​し​て,心​が​正しい​状態​に​ない​人​たち ― おそらく,間違っ​た​信条​や​慣行​を​捨て​よう​と​し​ない​人​たち ― が​会衆​を​汚す​よう​な​こと​を​防げ​ます。 *

19. キリスト​が​神​の​民​の​清さ​と​真​の​崇拝​の​清さ​を​守る​ため​に​行なっ​て​き​た​事柄​に​つい​て,あなた​は​どう​感じ​ます​か。

19 王​イエス​・​キリスト​が​ご自分​の​世話​の​もと​に​ある​人々​を​保護​し​て​くださる,と​いう​こと​を​知る​と,安心​できる​の​で​は​あり​ませ​ん​か。今日,キリスト​は​真​の​崇拝​に​対し​て,さらに​は​真​の​崇拝​者​たち​に​対し​て​も,1​世紀​に​神殿​を​清め​た​時​と​同じ​熱心​さ​を​抱い​て​い​ます。その​こと​を​知る​と,心強く​思う​の​で​は​ない​でしょ​う​か。キリスト​が​神​の​民​の​霊的​清さ​と​真​の​崇拝​の​清さ​を​守る​ため​に​働い​て​こら​れ​た​こと​を,本当​に​感謝​でき​ます。わたしたち​は,王​と​その​王国​を​支持​し​て​いる​こと​を,偽り​の​宗教​と​一切​かかわら​ない​こと​に​よっ​て​示せる​の​です。

^ 2節 神殿​に​来​た​ユダヤ​人​は,定め​られ​た​通貨​で​年​ごと​の​神殿​税​を​払わ​なけれ​ば​なり​ませ​ん​でし​た。両替​屋​は,彼ら​の​持っ​て​き​た​硬貨​を​指定​さ​れ​た​通貨​に​両替​する​際​に​手数​料​を​取り​まし​た。神殿​に​来​た​人々​の​中​に​は,捧げ物​に​する​動物​を​買わ​なけれ​ば​なら​ない​人​も​い​た​こと​でしょ​う。イエス​が​商人​たち​を「強盗」と​呼ん​だ​の​は,彼ら​が​法外​な​値段​や​手数​料​を​取っ​て​い​た​ため​だ​と​思わ​れ​ます。

^ 4節 地上​に​いる​エホバ​の​民​は,神​の​偉大​な​霊的​神殿​の​地上​の​中庭​で​神​を​崇拝​し​ます。

^ 8節 この​記事​は,イエス​が​冬​に​誕生​し​た​と​いう​見方​は,「羊飼い​たち​が​群れ​と​共​に​戸外​に​い​た​と​いう​記述​と​相いれ​ない」と​述べ​て​い​ます。―ルカ 2:8

^ 10節 フレデリック​・​W​・​フランズ​兄弟​は​1927​年​11​月​14​日​付​の​個人​的​な​手紙​の​中​で,こう​述べ​て​い​ます。「今年​は​クリスマス​を​し​ませ​ん。ベテル​家族​は,もう​クリスマス​を​祝わ​ない​こと​に​決め​まし​た」。それ​から​数​か月​後,1928​年​2​月​6​日​付​の​手紙​に​は,「主​は​少し​ずつ,悪魔​の​バビロン​的​な​組織​の​誤り​から​わたしたち​を​清め​て​くださっ​て​い​ます」と​記し​まし​た。

^ 18節 参考​に​できる​点​と​し​て,2013​年​の​伝道​者​の​最高​数​は​796万5,954​人,キリスト​の​死​の​記念​式​の​出席​者​数​は​1,924万1,252​人​でし​た。

^ 18節 良い​魚​と​ふさわしく​ない​魚​を​分ける​こと​は,羊​と​やぎ​を​分ける​こと​と​同じ​で​は​あり​ませ​ん。マタ 25:31‐46)羊​と​やぎ​を​分ける​こと,つまり​最終​的​な​裁き​は,来たる​べき​大​患難​の​間​に​生じ​ます。それ​まで​は,ふさわしく​ない​魚​の​よう​な​人​たち​も,エホバ​の​もと​に​帰り,器​に​も​似​た​会衆​に​集め入れ​られる,と​いう​可能​性​が​あり​ます。―マラ 3:7

^ 18節 最終​的​に,ふさわしく​ない​人​たち​は​象徴​的​な​意味​で,火​の​燃える​炉​に​ほうり込ま​れ​ます。つまり​滅ぼさ​れる​こと​に​なる​の​です。

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