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エホバの証人

日本語

神の王国は支配している!

 11​章

道徳面での精錬 ― 神の神聖さを反映する

道徳面での精錬 ― 神の神聖さを反映する

この​章​で​考える​こと

王​は,神​の​道徳​規準​を​重んじる​よう​臣民​を​どの​よう​に​教え​て​き​た​か

エホバ​の​偉大​な​霊的​神殿​の,外​の​中庭​に​通じる​門​に​入っ​て​ゆく​ところ​を​想像​し​て​ください

1. エゼキエル​は,畏敬​の​念​を​抱か​せる​どんな​もの​を​見​まし​た​か。

今​から​約​2,600​年​前,預言​者​エゼキエル​は​ある​幻​を​見​ます。あなた​が​エゼキエル​だっ​た​なら,どう​感じ​た​でしょ​う​か。想像​し​て​み​て​ください。あなた​は,光り輝く​巨大​な​神殿​に​近づき​ます。そこ​に​は​強力​な​み使い​が​い​て,荘厳​な​神殿​を​案内​し​て​くれ​ます。あなた​は​7​つ​の​段​を​上り,3​つ​の​門​の​うち​の​1​つ​に​来​ます。入口​の​門​を​見​て,あなた​は​畏敬​の​念​に​打た​れ​ます。門​は​高さ​が​30​㍍​に​も​なる​の​です。その​入り道​を​通っ​て​ゆく​と,幾つ​か​の​監視​の​間​が​あり​ます。柱​に​は​優美​な​やし​の​木​の​模様​が​あり​ます。―エゼ 40:1‐4,10,14,16,22; 41:20

2. (イ)幻​の​中​の​神殿​は​何​を​表わし​て​い​ます​か。(脚注​を​参照。)(ロ)神殿​の​入口​の​幾つ​か​の​特色​に​は,どんな​意味​が​あり​ます​か。

2 これ​は​霊的​神殿​の​幻​です。エゼキエル​は​その​神殿​の​様子​を,エゼキエル​書​の​40​章​から​48​章の​中​で​詳しく​説明​し​て​い​ます。この​神殿​は,清い​崇拝​の​ため​の​エホバ​の​取り決め​を​表わし​て​い​ます。神殿​の​特色​は​どれ​も,今​の​終わり​の​日​に​おける​わたしたち​の​崇拝​と​関係​が​あり​ます。 * では,高い​門​に​は​どんな​意味​が​あり​ます​か。清い​崇拝​の​ため​の​エホバ​の​取り決め​に​入る​人々​は,神​の​廉直​で​高い​規準​に​従っ​て​生活​し​なけれ​ば​なら​ない,と​いう​こと​です。やし​の​木​の​模様​も​同様​の​点​を​示し​て​い​ます。聖書​の​中​で,やし​は​廉直​さ​を​表わす​ため​に​用い​られる​こと​が​ある​から​です。(詩 92:12)監視​の​間​が​ある​こと​に​は​どんな​意味​が​あり​ます​か。神​の​規準​を​重んじ​よう​と​し​ない​人​は,命​を​与える​清い​崇拝​の​美しい​道​に​入っ​て​ゆく​こと​を​許さ​れ​ない,と​いう​こと​です。―エゼ 44:9

3. キリスト​の​追随​者​たち​に​継続​的​な​精錬​が​必要​だっ​た​の​は​なぜ​です​か。

3 エゼキエル​の​幻​は​どの​よう​に​成就​し​て​き​まし​た​か。この​本​の2​章で​考え​た​よう​に,エホバ​は​キリスト​を​用い​て,1914​年​から​1919​年​の​初め​に​かけ​て,民​を​特別​に​精錬​なさい​まし​た。精錬​は​それ​で​終わっ​た​の​でしょ​う​か。そう​で​は​あり​ませ​ん。過去​100​年​に​わたり,キリスト​は​エホバ​の​聖​なる​行動​規準​を​擁護​し​続け​て​き​まし​た。キリスト​の​追随​者​たち​に​は,継続​的​な​精錬​が​必要​でし​た。なぜ​でしょ​う​か。彼ら​は​道徳​的​に​腐敗​し​た​世界​から​集め​られ​て​き​た​から​です。しかも,サタン​は​彼ら​を​不​道徳​な​行ない​と​いう​泥​の​中​に​必死​に​引き戻そ​う​と​し​て​い​ます。ペテロ​第​二 2:20‐22を​ 読む。)これ​から,真​の​クリスチャン​が​着実​に​精錬​さ​れ​て​き​た​3​つ​の​分野​を​考え​ましょ​う。まず​道徳​面​で​の​精錬​の​幾つ​か​に​つい​て,次​に​会衆​を​清く​保つ​うえ​で​欠か​せ​ない​取り決め​に​つい​て,最後​に​家族​に​つい​て​考え​ます。

現代​に​おける​道徳​面​で​の​精錬

4,5. サタン​は​昔​から​どんな​策略​を​用い​て​き​まし​た​か。どんな​結果​が​生じ​て​き​まし​た​か。

4 エホバ​の​民​は​いつ​の​時代​も,道徳​面​で​廉直​な​行ない​を​する​こと​に​強い​関心​を​抱い​て​き​まし​た。ですから,道徳​に​関する​いっそう​明確​な​指示​が​与え​られる​たび​に,それ​を​受け入れ​て​き​まし​た。幾つ​か​の​例​を​挙げ​ましょ​う。

5 性​の​不​道徳。エホバ​は,性​関係​が​夫婦​間​の​清く​美しい​もの​と​なる​こと​を​意図​なさい​まし​た。しかし,サタン​は​その​貴重​な​贈り物​が​誤用​さ​れる​こと​を​喜び​ます。本来​の​あり方​と​は​異なる​汚れ​た​もの​に​し,エホバ​の​民​を​誘惑​し​て​神​の​恵み​を​失わせる​手段​と​し​て​用い​て​いる​の​です。サタン​の​この​策略​は​バラム​の​時代​に​も​功​を​奏し,悲惨​な​結果​を​もたらし​まし​た。終わり​の​日​の​今,サタン​は​この​策略​を​ますます​用いる​よう​に​なっ​て​い​ます。―民 25:1‐3,9。啓 2:14

6. 「ものみの塔」誌​に​は​どんな​誓約​が​掲載​さ​れ​まし​た​か。それ​は​どの​よう​に​用い​られ​まし​た​か。後​に​その​誓約​が​廃止​さ​れ​た​の​は​なぜ​です​か。(脚注​を​参照。)

6 サタン​の​働きかけ​に​対抗​する​ため,「ものみの塔」(英語)1908​年​6​月​15​日​号​に​は,次​の​言葉​を​含む​誓約​が​掲載​さ​れ​まし​た。「私​は​いつ​で​も,どこ​に​おい​て​も,異性​と​個人​的​に​接する​時​は,公​の​場​に​いる​時​と​全く​同じ​よう​に​振る舞い​ます」。 * この​誓約​は​任意​の​もの​でし​た​が,多く​の​人​が​誓約​を​し,その​人​たち​の​名前​が「シオン​の​ものみの塔」(英語)に​掲載​さ​れ​まし​た。後​に​その​誓約​は​廃止​さ​れ​まし​た。当時​の​人々​に​とっ​て​有用​だっ​た​と​は​いえ,形式​的​な​もの​に​なっ​て​いる​と​判断​さ​れ​た​ため​です。しかし,その​誓約​に​示さ​れ​て​い​た​高潔​な​道徳​規準​は,それ​以降​も​固守​さ​れ​まし​た。

7. 1935​年​の「ものみの塔」誌​は,どんな​問題​を​取り上げ​まし​た​か。どんな​規準​が​確認​さ​れ​まし​た​か。

7 サタン​の​攻撃​は​強まる​一方​でし​た。「ものみの塔」(英語)1935​年​3​月​1​日​号​は,神​の​民​の​間​で​問題​に​なっ​て​い​た​事柄​を​率直​に​取り上げ​まし​た。当時,ある​人​たち​は,宣教​奉仕​を​行なっ​て​いれ​ば​私生活​に​おい​て​エホバ​の​道徳​規準​を​固守​する​務め​を​免れる,と​考え​て​い​た​よう​です。それで「ものみの塔」誌​は,はっきり​こう​述べ​まし​た。「銘記​す​べき​点​と​し​て,求め​られ​て​いる​の​は​単に​証し​の​業​を​行なう​こと​だけ​で​は​ない。エホバ​の​証人​は​エホバ​の​代表​者​で​あり,エホバ​と​その​王国​を​ふさわしく​代表​する​務め​を​負っ​て​いる​の​で​ある」。次い​で​同誌​は,結婚​と​性​道徳​に​関する​明確​な​助言​を​与え,「淫行」つまり​性​の​不​道徳​から「逃げ去」る​よう​神​の​民​を​助け​まし​た。―コリ​一 6:18

8. 「ものみの塔」誌​が​性​の​不​道徳​に​相当​する​ギリシャ​語​の​正確​な​意味​に​たびたび​注意​を​向け​て​き​た​の​は​なぜ​です​か。

8 「ものみの塔」誌​は​ここ​数十​年,性​の​不​道徳​に​相当​する,ギリシャ​語​聖書​中​の​ポルネイア​と​いう​語​の​正しい​定義​に​たびたび​注意​を​向け​て​き​まし​た。この​語​は​性交​を​意味​し​て​いる​だけ​で​は​あり​ませ​ん。むしろ,様々​な​不​道徳​行為​を​包含​し,売春​宿​で​行なわ​れる​よう​な​卑わい​な​行為​すべて​ を​広く​含み​ます。この​よう​に​し​て,キリスト​の​追随​者​たち​は,今日​の​世界​で​非常​に​多く​の​人​を​むしばん​で​いる​性​倒錯​から​保護​さ​れ​て​き​た​の​です。―エフェソス 4:17‐19を​読む。

9,10. (イ)1935​年​に,「ものみの塔」誌​は​道徳​面​で​の​どんな​問題​を​取り上げ​まし​た​か。(ロ)聖書​は​飲酒​に​関し​て,平衡​の​取れ​た​どんな​教え​を​与え​て​い​ます​か。

9 アルコール​の​乱用。「ものみの塔」1935​年​3​月​1​日​号​は,道徳​面​で​の​別​の​問題​に​注意​を​向け,こう​述べ​まし​た。「飲酒​し​た​状態​で​野外​奉仕​や​組織​内​で​の​他​の​務め​を​果たす​人​たち​が​いる​こと​も​観察​さ​れ​て​いる。聖書​で​は,どんな​状況​で​の​飲酒​が​認め​られ​て​いる​だろ​う​か。主​の​組織​内​で​の​奉仕​に​差し障り​が​生じる​よう​な​仕方​で​飲酒​を​する​の​は​ふさわしい​こと​だろ​う​か」。

10 その​記事​で​は,飲酒​に​対する​神​の​言葉​の​平衡​の​取れ​た​見方​が​説明​さ​れ​まし​た。聖書​は,ぶどう​酒​や​他​の​アルコール​類​を​節度​を​保っ​て​用いる​こと​は​禁じ​て​い​ませ​ん​が,酩酊​は​強く​非​と​し​て​い​ます。(詩 104:14,15。コリ​一 6:9,10)飲酒​し​た​状態​で​神聖​な​奉仕​を​行なう​こと​に​つい​て​は​どう​です​か。神​の​僕​たち​に​は​かねて​から,アロン​の​息子​たち​の​記述​を​もと​に​諭し​が​与え​られ​て​き​まし​た。神​は,適法​で​ない​火​を​神​の​祭壇​に​ささげ​た​その​二​人​を​死​に​処さ​れ​まし​た。この​記述​の​少し​あと​の​部分​で,二​人​が​不​適切​な​行動​に​至っ​た​原因​と​思わ​れる​事柄​が​明らか​に​され​て​い​ます。神​は​すべて​の​祭司​たち​に,神聖​な​務め​を​行なう​時​の​飲酒​を​禁じる​律法​を​お与え​に​なっ​た​の​です。(レビ 10:1,2,8‐11)今日,キリスト​の​追随​者​たち​は,指針​と​なる​この​原則​を​当てはめ,飲酒​し​た​状態​で​神聖​な​奉仕​を​行なう​こと​の​ない​よう​に​気​を​つけ​ます。

11. アルコール​依存​に​関し​て​いっそう​多く​の​理解​を​与え​られ​た​こと​は,神​の​民​に​とっ​て​どの​よう​に​益​と​なっ​て​き​まし​た​か。

11 キリスト​の​追随​者​たち​は​ここ​数十​年,アルコール​依存​に​関し​て​いっそう​多く​の​理解​を​与え​られ​て​き​まし​た。アルコール​依存​と​は,アルコール​の​乱用​が​続き,常用​癖​の​つい​た​状態​の​こと​です。時宜​に​かなっ​た​霊的​食物​に​より,この​問題​を​克服​し,再び​自己​管理​できる​よう​に​なっ​た​人​は​少なく​あり​ませ​ん。また,最初​から​その​よう​な​問題​に​陥ら​ない​よう​助け​られ​た​人​たち​は​沢山​い​ます。アルコール​の​乱用​に​よっ​て​尊厳​を​失い,家族​を​失い,何​より​も​エホバ​へ​の​清い​崇拝​に​携わる​特権​を​失う​と​いう​の​は,ぜひとも​避け​たい​事柄​です。

「私たち​の​主​が​たばこ​の​煙​を​くゆらせる​姿​も,汚れ​た​もの​を​口​に​くわえる​姿​も,全く​想像​でき​ない」。―C​・​T​・​ラッセル

12. キリスト​の​僕​たち​は,終わり​の​日​が​始まる​前​から,たばこ​に​つい​て​どんな​見方​を​し​て​い​まし​た​か。

12 たばこ​の​使用。キリスト​の​僕​たち​は,終わり​の​日​が​始まる​前​から,たばこ​は​ふさわしく​ない​と​考え​始め​て​い​まし​た。ずいぶん​前​の​こと​です​が,高齢​の​チャールズ​・​ケイペン​兄弟​は,19​世紀​の​終わり​に​チャールズ​・​テイズ​・​ラッセル​と​初めて​出会っ​た​時​の​出来事​を​語り​まし​た。当時​13​歳​だっ​た​ケイペン​兄弟​は,兄​や​弟​たち​と​一緒​に,ペンシルバニア​州​アレゲーニー​の​バイブル​・​ハウス​に​来​て​い​まし​た。階段​の​ところ​に​いる​と,ラッセル​兄弟​が​そば​を​通り,「君​たち​は​たばこ​を​吸う​の​かい? たばこ​の​におい​が​する​の​だが」と​言い​まし​た。彼ら​は,「吸っ​て​い​ませ​ん」と​はっきり​答え​まし​た。たばこ​に​つい​て​ラッセル​兄弟​が​どの​よう​に​考え​て​い​た​の​か,ケイペン​ 兄弟​たち​に​は​よく​分かり​まし​た。「ものみの塔」(英語)1895​年​8​月​1​日​号​に​は,コリント​第​二 7​章​1​節​に​関する​ラッセル​兄弟​の​注解​が​掲載​さ​れ​まし​た。そこ​に​は​こう​あり​ます。「クリスチャン​で​ある​人​が​どんな​形​に​せよ​たばこ​を​使用​する​と​し​たら,それ​が​どうして​神​の​栄光​に,あるいは​当人​の​益​に​なる​の​か,私​に​は​理解​でき​ない。……私たち​の​主​が​たばこ​の​煙​を​くゆらせる​姿​も,汚れ​た​もの​を​口​に​くわえる​姿​も,全く​想像​でき​ない」。

13. 1973​年​に​は,道徳​面​で​どんな​精錬​が​行なわ​れ​まし​た​か。

13 1935​年​の「ものみの塔」誌​は,たばこ​を「汚れ​た​葉」と​呼び,たばこ​を​かむ​人​や​吸う​人​は​ベテル​奉仕​を​続ける​こと​も,神​の​組織​を​代表​する​者​と​し​て​開拓​奉仕​や​旅行​する​奉仕​を​行なう​こと​も​でき​ない,と​述べ​まし​た。1973​年​に,神​の​民​は​道徳​面​で​さらに​精錬​さ​れ​まし​た。「ものみの塔」6​月​1​日​号(日本​語: 9​月​1​日​号)では,この​習わし​を​続ける​エホバ​の​証人​は​良い​立場​に​は​なく,会衆​内​に​とどまる​こと​は​でき​ない,と​説明​さ​れ​まし​た。それ​は​命​を​縮め,人​を​汚す,愛​の​欠け​た​行ない​です。たばこ​の​使用​を​やめ​よう​と​し​ない​人​は​排斥​さ​れる​こと​に​なり​まし​た。 * キリスト​は​追随​者​たち​を​精錬​する​ため​に​重要​な​措置​を​講じ​た​の​です。

14. 血​に​関する​神​の​規準​は​どの​よう​な​もの​です​か。どの​よう​に​し​て,輸血​は​普通​に​行なわ​れる​よう​に​なり​まし​た​か。

14 血​の​誤用。神​は​ノア​の​時代,血​を​食べる​こと​は​正しく​ない​と​言わ​れ​まし​た。さらに,イスラエル​国民​に​与え​た​律法​の​中​で​その​お考え​を​再度​述べ,クリスチャン​会衆​に​対し​て​も「血​を​避ける」よう​指示​なさい​まし​た。(使徒 15:20,29。創 9:4。レビ 7:26)サタン​が​現代​に​おい​て,神​の​この​規準​に​人々​を​背か​せる​方法​を​見いだし​た​の​も​驚く​に​は​当たり​ませ​ん。19​世紀​に​医師​たち​は​輸血​を​試みる​よう​に​なり​ます。後​に​血液​型​が​発見​さ​れ,輸血​は​もっと​一般​的​に​なり​まし​た。1937​年​に​は,血液​が​集め​られ​て​血液​銀行​で​保管​さ​れる​よう​に​なり​ます。第​二​次​世界​大戦​を​機​に,輸血​は​一気​に​広まり​まし​た。やがて,それ​は​世界​中​で​普通​に​行なわ​れる​よう​に​なっ​た​の​です。

15,16. (イ)エホバ​の​証人​は​輸血​に​関し​て​どんな​立場​を​取り​まし​た​か。(ロ)輸血​や​無​輸血​治療​に​関し​て,キリスト​の​追随​者​たち​に​は​どんな​支え​が​与え​られ​て​き​まし​た​か。どんな​結果​に​なっ​て​い​ます​か。

15 「ものみの塔」誌​は​早く​も​1944​年​に,輸血​を​受ける​の​は​血​を​食べる​の​と​同じ​で​ある,と​いう​考え​を​示し​まし​た。翌年,聖書​に​基づく​その​見解​が​強調​さ​れ,明確​に​され​まし​た。1951​年​の「ものみの塔」誌​に​は,神​の​民​が​医療​の​専門​家​に​自分​たち​の​立場​を​説明​する​の​に​役立つ​情報​が,質問​と​答え​の​形​で​掲載​さ​れ​まし​た。世界​中​の​キリスト​の​忠実​な​追随​者​たち​は,勇気​ある​立場​を​取っ​た​ため​に,しばしば​嘲笑,敵意,あからさま​な​迫害​に​面し​まし​た。しかし​キリスト​は,組織​を​動かし​て​神​の​民​に​必要​な​支え​を​与え​続け​まし​た。入念​な​調査​に​基づく​詳しい​情報​を​載せ​た​ブロシュアー​や​記事​が​出さ​れ​た​の​です。

16 1979​年​に​は,長老​たち​が​病院​を​訪問​し​て,医師​たち​に​わたしたち​の​立場​や​その​聖書​的​な​理由,輸血​に​代わる​治療​法​に​つい​て​説明​する​よう​に​なり​ます。1980​年​に​は,米国​の​39​の​都市​の​長老​たち​が,この​奉仕​の​ため​の​特別​な​訓練​を​受け​まし​た。やがて​統治​体​は,世界​各地​に​医療​機関​ 連絡​委員​会​を​設立​する​こと​を​承認​し​ます。これら​の​努力​は​成果​を​生み出し​て​いる​でしょ​う​か。現在​で​は,幾万​人​も​の​医療​専門​家 ― 外科​医​や​麻酔​科​医​など​の​医師​を​含む ― が​エホバ​の​証人​の​患者​に​協力​的​で​あり,無​輸血​治療​を​受け​たい​と​いう​願い​を​尊重​する​よう​に​なっ​て​い​ます。無​輸血​治療​を​行なう​病院​は​増え​て​おり,それ​を​最も​優れ​た​医療​と​見る​病院​も​あり​ます。サタン​は​イエス​の​追随​者​たち​を​汚そ​う​と​働きかけ​て​い​ます​が,イエス​は​彼ら​を​様々​な​方法​で​保護​し​て​き​まし​た。その​こと​を​考える​と,心強く​思う​の​で​は​あり​ませ​ん​か。―エフェソス 5:25‐27を​読む。

無​輸血​治療​を​行なう​病院​は​増え​て​おり,それ​を​最も​優れ​た​医療​と​見る​病院​も​ある

17. キリスト​が​追随​者​たち​を​精錬​し​て​いる​こと​に​対する​感謝​を,どの​よう​に​示せ​ます​か。

17 こう​自問​し​て​ください。『キリスト​が​追随​者​たち​を​精錬​し,エホバ​の​高い​道徳​規準​を​守る​よう​訓練​し​て​くださっ​て​いる​こと​に​感謝​し​て​いる​だろ​う​か』。そう​で​あれ​ば,サタン​が​わたしたち​を​エホバ​と​イエス​から​引き離す​ため​に​神​の​道徳​規準​に​対する​敬意​を​むしばも​う​と​し​て​いる,と​いう​こと​を​忘れ​ない​よう​に​し​ましょ​う。その​よう​な​影響​力​に​対抗​する​ため,エホバ​の​組織​は​世​の​不​道徳​な​歩み方​に​関し​て,愛​ある​警告​や​諭し​を​絶え​ず​与え​て​い​ます。そう​し​た​貴重​な​助言​に​いつも​留意​し,進ん​で​従い​ましょ​う。―箴 19:20

 道徳​面​で​そしり​を​受け​ない​よう,会衆​を​保護​する

18. 神​の​規準​に​故意​に​背く​人​に​関し​て,エゼキエル​の​幻​は​どんな​点​を​はっきり​示し​て​い​ます​か。

18 道徳​面​で​精錬​さ​れ​た​2​つ​目​の​分野​は,会衆​を​清く​保つ​ため​の​措置​と​関係​が​あり​ます。残念​ながら,エホバ​の​行動​規準​を​受け入れ​て​神​に​献身​する​人​が​皆,忠節​に​その​決定​を​貫く​わけ​で​は​あり​ませ​ん。心​変わり​し​て,神​の​規準​に​故意​に​背く​人​も​い​ます。それら​の​人​を​どの​よう​に​扱う​べき​でしょ​う​か。この​章​の​冒頭​で​取り上げ​た,霊的​神殿​に​関する​エゼキエル​の​幻​が​ヒント​に​なり​ます。その​神殿​の​門​が​高い​こと​を​覚え​て​おら​れる​でしょ​う。それぞれ​の​入り道​に​は​幾つ​か​の​監視​の​間​が​あり​まし​た。守衛​が​神殿​を​守っ​て​いる​の​は,「心​に……割礼​を​受け​て​い​ない」者​たち​が​入る​の​を​阻む​ため​だ​と​思わ​れ​ます。(エゼ 44:9)この​こと​から​はっきり​分かる​の​は,清い​崇拝​を​行なう​特権​は​エホバ​の​清い​行動​規準​に​従っ​て​生活​し​よう​と​努める​人​だけ​に​与え​られる,と​いう​点​です。今日,仲間​の​クリスチャン​と​交わっ​て​共​に​崇拝​を​行なう​特権​は,無​条件​で​得​られる​もの​で​は​ない​の​です。

19,20. (イ)キリスト​は,追随​者​たち​が​重大​な​悪行​の​扱い方​の​点​で​精錬​さ​れる​よう,どの​よう​に​段階​的​に​助け​て​き​まし​た​か。(ロ)悔い改め​ない​悪行​者​を​排斥​する,どんな​3​つ​の​理由​が​あり​ます​か。

19 1892​年​に「ものみの塔」誌​は​こう​述べ​まし​た。「わたしたち​に​は​次​の​務め​が​ある。それ​は,キリスト​が​ご自身​を​すべて​の​人​の​ため​の​贖い[対応​する​代価]と​し​て​与え​た​こと​を,直接​的​に​で​あれ​間接​的​に​で​あれ​否定​する​人​を(クリスチャン​と​し​て)排斥​する​こと​で​ある」。ヨハネ​第​二 10を​読む。)1904​年​に,「新しい​創造​物」(英語)と​いう​本​は,間違っ​た​歩み​を​続ける​人​たち​は​会衆​を​道徳​的​に​腐敗​させ​かね​ない,と​指摘​し​まし​た。当時​は,重大​な​悪行​に​関する​問題​を​扱う“教会​裁判”に​会衆​全体​が​加わる​こと​に​なっ​て​い​まし​た。ただし,その​よう​な​事例​は​まれ​でし​た。1944​年​の「ものみの塔」誌​で​は,責任​ある​兄弟​たち​だけ​が​そう​し​た​問題​を​扱う​べき​で​ある,と​いう​こと​が​示さ​れ​まし​た。1952​年​に​は,審理​問題​を​扱う​ため​の​聖書​的​な​手順​が「ものみの塔」誌​に​掲載​さ​れ​まし​た。その​記事​に​は,悔い改め​ない​人​を​排斥​する​主要​な​理由​は​会衆​を​清く​保つ​こと​に​ある,と​いう​点​が​はっきり​示さ​れ​まし​た。

20 その​後​も​キリスト​は,追随​者​たち​が​重大​な​悪行​の​扱い方​を​明確​に​し,その​点​で​精錬​さ​れる​よう​助け​て​き​まし​た。クリスチャン​の​長老​たち​は,審理​問題​を​エホバ​の​方法​で​扱い,公正​と​憐れみ​の​ふさわしい​釣り合い​を​保てる​よう,十分​な​訓練​を​受け​て​い​ます。現在​わたしたち​は,悔い改め​ない​悪行​者​を​会衆​から​排斥​する​こと​に​は,少なく​と​も​3​つ​の​理由​が​ある​こと​を​はっきり​理解​し​て​い​ます。それ​は,(1)エホバ​の​み名​が​そしり​を​受け​ない​よう​に​する​こと,(2)重大​な​罪​に​よる​汚染​から​会衆​を​保護​する​こと,(3)可能​で​あれ​ば​悪行​者​を​悔い改め​へ​と​動かす​こと​です。

21. 排斥​の​取り決め​は,神​の​民​に​とっ​て​どの​よう​に​祝福​と​なっ​て​い​ます​か。

21 排斥​の​取り決め​は,今日​の​キリスト​の​追随​者​たち​に​とっ​て​どの​よう​に​祝福​と​なっ​て​いる​でしょ​う​か。古代​イスラエル​に​おい​て,悪行​者​は​しばしば​国民​に​腐敗​的​な​影響​を​及ぼし,その​数​は​エホバ​を​愛し​正しい​こと​ を​し​よう​と​する​人々​を​上回る​こと​さえ​あり​まし​た。その​ため,イスラエル​国民​は​たびたび​エホバ​の​み名​に​そしり​を​もたらし,ついに​は​神​の​恵み​を​失っ​て​しまい​まし​た。(エレ 7:23‐28)今日,エホバ​は​霊的​な​人々​から​成る​民​を​持っ​て​おら​れ​ます。かたくな​な​悪行​者​は​わたしたち​の​間​から​除か​れる​の​で,彼ら​が​いわば​サタン​の​手中​に​ある​武器​と​なっ​て​会衆​と​会衆​の​清い​立場​に​さらに​害​を​及ぼす,と​いう​こと​を​防げ​ます。その​人々​の​影響​力​を​最小限​に​抑える​こと​が​できる​の​です。こう​し​て​わたしたち​は,グループ​と​し​て​エホバ​の​恵み​を​受け​続ける​こと​が​でき​ます。エホバ​は,「あなた​を​攻める​ため​に​形造ら​れる​武器​は​どれ​も​功​を​奏さ」ない​と​約束​し​て​おら​れ​まし​た。(イザ 54:17)審理​問題​を​扱う​と​いう​重責​を​担う​長老​たち​を,わたしたち​は​忠節​に​支持​し​て​いる​でしょ​う​か。

「あらゆる​家族​が​その​名​を​負う​方」に​栄光​を​もたらす

22,23. 20​世紀​初め​の​仲間​たち​に​感謝​できる​の​は​なぜ​です​か。と​は​いえ,家族​に​関し​て​やや​平衡​に​欠ける​部分​が​あっ​た​と​言える​の​は​なぜ​です​か。

22 キリスト​の​追随​者​たち​が​継続​的​な​精錬​から​益​を​受け​て​き​た​3​つ​目​の​分野​は,結婚​と​家族​生活​です。これ​まで​の​年月​に,家族​に​対する​わたしたち​の​見方​は​精錬​さ​れ​て​き​まし​た。20​世紀​初め​の​神​の​僕​たち​に​つい​て​の​記述​を​読む​と,その​自己​犠牲​の​精神​に​感銘​を​受け,驚嘆​する​こと​さえ​あり​ます。その​人​たち​が​生活​の​中​で​何​より​も​神聖​な​奉仕​を​優先​し​て​き​た​こと​を,わたしたち​は​深く​感謝​し​て​い​ます。と​は​いえ,やや​平衡​に​欠け​て​い​た​部分​が​ある​こと​に​も​気づき​ます。どんな​点​でしょ​う​か。

23 兄弟​たち​が​宣教​や​旅行​する​奉仕​の​割り当て​を​果たす​ため​に,何​か月​も​家​を​留守​に​する​こと​は​珍しく​あり​ませ​ん​でし​た。結婚​し​ない​よう​に​と​いう​勧め​が,聖書​の​述べる​ところ​を​越え​て​与え​られる​場合​も​あり​まし​た。その​一方​で,クリスチャン​の​夫婦​の​絆​を​強める​こと​に​つい​て​は,あまり​語ら​れ​ませ​ん​でし​た。現在​の​キリスト​の​追随​者​たち​の​間​で​も,その​よう​な​状況​が​見​られ​ます​か。いいえ,その​よう​な​こと​は​あり​ませ​ん。

家族​に​対する​責務​を​犠牲​に​し​て​神権​的​な​割り当て​を​果たす,と​いう​こと​は​勧め​られ​て​い​ない

24. キリスト​は,忠実​な​追随​者​たち​が​結婚​と​家族​生活​に​関し​て​もっと​平衡​の​取れ​た​見方​を​持てる​よう,どの​よう​に​助け​まし​た​か。

24 現在​で​は,家族​に​対する​責務​を​犠牲​に​し​て​神権​的​な​割り当て​を​果たす,と​いう​こと​は​勧め​られ​て​い​ませ​ん。テモテ​第​一 5:8を​読む。)キリスト​は​さらに,地上​の​忠実​な​追随​者​たち​が,結婚​や​家族​生活​に​関する​有用​で​平衡​の​取れ​た​聖書​的​な​助言​を​常​に​得​られる​よう​取り計らっ​て​き​まし​た。(エフェ 3:14,15)1978​年(日本​語​は​1979​年)に​は,「あなた​の​家族​生活​を​幸福​な​もの​に​する」と​いう​本​が​発行​さ​れ​まし​た。その​18​年​後​に​は,「幸せ​な​家庭​を​築く​秘訣」の​本​が​出さ​れ​まし​た。「ものみの塔」誌​に​も,聖書​の​原則​を​当てはめる​よう​夫婦​を​助ける​ため​の​記事​が​たくさん​掲載​さ​れ​て​き​まし​た。

25‐27. 様々​な​年齢​層​の​子ども​たち​が​必要​と​する​もの​に,いっそう​注意​が​向け​られ​て​き​まし​た。どの​よう​に​です​か。

25 子ども​や​若い​人​に​つい​て​は​どう​でしょ​う​か。子ども​たち​が​必要​と​する​もの​に​も,いっそう​注意​が​向け​られる​よう​に​なり​まし​た。エホバ​の​組織​ は​長年,様々​な​年齢​層​の​子ども​たち​に​良い​もの​を​備え​て​き​まし​た。しかも,以前​は​わずか​な​水​の​流れ​の​よう​だっ​た​備え​が,今​で​は​力強い​川​の​よう​に​豊か​に​与え​られ​て​い​ます。例えば,1919​年​から​1921​年​の「黄金​時代」(英語)に​は,「児童​聖書​研究」と​いう​記事​が​掲載​さ​れ​まし​た。1920​年​に​は「黄金​時代​ABC」(英語)と​いう​ブロシュアー​が,1941​年​に​は「子供​たち」(英語)と​いう​本​が​発行​さ​れ​まし​た。1970​年代​に​は,「偉大​な​教え手​に​聞き従う」,「あなた​の​若い​時代,それ​から​最善​の​もの​を​得る」,「わたし​の​聖書​物語​の​本」など​の​書籍​が​備え​られ​まし​た。1982​年​に​は,「目ざめよ!」誌​で「若い​人​は​尋ねる」と​いう​記事​の​連載​が​始まり,それ​を​元​に​1989​年​に​は「若い​人​が​尋ねる​質問 ― 実際​に​役立つ​答え」と​いう​本​が​出版​さ​れ​まし​た。

ドイツ​の​大会​で「せいしょ​の​べんきょう」の​ブロシュアー​を​受け取っ​て​喜ぶ​子ども​たち

26 現在​で​は,2​巻​から​成る​新しい「若い​人​が​尋ねる」の​本​が​あり,「若い​人​は​尋ねる」の​記事​は​公式​ウェブサイト​jw.org​に​掲載​さ​れ​て​い​ます。「偉大​な​教え手​から​学ぶ」の​本​も​あり​ます。公式​ウェブサイト​に​は​若い​人​の​ため​の​情報​が​満載​さ​れ​て​い​ます。聖書​の​人物​カード,クイズ,ビデオ,まんが​ 聖書​物語,聖書​を​研究​する​ため​の​資料,さらに​は​3​歳​以下​の​子ども​向け​の​教材​も​あり​ます。キリスト​は​1​世紀​に​子ども​たち​を​腕​の​中​に​抱き寄せ​まし​た。今​も​子ども​たち​を​大切​に​思っ​て​い​ます。(マル 10:13‐16)イエス​は,子ども​たち​が​愛さ​れ​て​いる​と​感じ,霊的​に​豊か​に​養わ​れる​こと​を​望ん​で​おら​れる​の​です。

27 イエス​は,子ども​たち​を​危険​から​守り​たい​と​も​願っ​て​おら​れ​ます。世界​は​道徳​的​に​腐敗​し​て​ゆく​一方​で​あり,児童​虐待​が​ますます​広まっ​て​い​ます。その​ため,親​が​忌まわしい​児童​虐待​から​子ども​を​守る​の​に​役立つ,明快​で​率直​な​資料​が​出版​物​に​掲載​さ​れ​て​き​まし​た。 *

28. (イ)エゼキエル​の​神殿​の​幻​が​示す​とおり,清い​崇拝​を​行なう​人​たち​に​は​何​が​求め​られ​ます​か。(ロ)あなた​は​どんな​こと​を​決意​し​て​い​ます​か。

28 こう​し​て​キリスト​は​追随​者​たち​を​精錬​し​続け,彼ら​が​エホバ​の​高い​道徳​規準​を​重んじ,それ​に​従っ​て​生活​し,益​を​受け​られる​よう​に​訓練​し​て​こら​れ​まし​た。その​こと​を​考える​と​感謝​が​深まる​の​で​は​あり​ませ​ん​か。エゼキエル​の​幻​の​神殿​を​思い起こし​て​ください。神殿​に​は​高い​入口​が​あり​まし​た。もちろん,その​神殿​は​文字どおり​の​場所​で​は​なく​霊的​な​もの​です。この​霊的​神殿​は​あなた​に​とっ​て​現実​の​もの​と​なっ​て​い​ます​か。霊的​神殿​に​入る​と​は,単に​王国​会館​に​行く​と​か,聖書​を​読む​と​か,伝道​で​家​の​ベル​を​鳴らす​と​いっ​た​こと​を​指す​わけ​で​は​あり​ませ​ん。偽善​的​な​歩み​を​し​て​いる​人​も,物理​的​に​は​こう​し​た​事柄​を​行なえ​ます​が,実際​に​は​エホバ​の​神殿​に​入っ​て​は​い​ませ​ん。一方​わたしたち​は,これら​の​事柄​を​行なう​こと​に​加え,エホバ​の​高潔​な​道徳​規準​に​従っ​て​生活​し,正しい​心​の​態度​で​清い​崇拝​を​行なう​なら,その​神殿​に​入っ​て​いる​こと​に​なり​ます。最も​神聖​な​場所​で,すなわち​エホバ​神​の​清い​崇拝​の​ため​の​取り決め​の​中​で​奉仕​し​て​いる​こと​に​なる​の​です。この​貴重​な​特権​を​ずっ​と​大切​に​し​ましょ​う。さらに,エホバ​の​義​の​規準​を​擁護​する​こと​に​より,最善​を​尽くし​て​エホバ​の​神聖​さ​を​反映​し​て​ゆき​ましょ​う。

^ 2節 神​の​民​が​故国​へ​復帰​する​こと​に​焦点​を​当て​た​聖書​預言​は,現代​に​おい​て​は,肉​の​イスラエル​で​は​なく​霊的​な​イスラエル​に​成就​し​ます。その​考え​は,1932​年​に​発行​さ​れ​た「証明」(英語)第​2​巻​で​初めて​示さ​れ​まし​た。それら​の​預言​は,清い​崇拝​の​回復​に​注意​を​向け​て​い​ます。「ものみの塔」1999​年​3​月​1​日​号​で​は,エゼキエル​の​神殿​の​幻​は​回復​に​関する​預言​の​1​つ​で​あり,それゆえ​終わり​の​日​の​間​に​重要​な​霊的​成就​を​見る,と​いう​こと​が​説明​さ​れ​まし​た。

^ 6節 この​誓約​で​は,配偶​者​や​近親​者​以外​の​異性​と​二​人​だけ​で​部屋​に​いる​場合​は​部屋​の​戸​を​広く​開け​て​おく​こと​が​求め​られ​て​い​まし​た。幾​年​も​の​間,この​誓い​の​言葉​は​毎日,ベテル​の​朝​の​崇拝​で​読ま​れ​まし​た。

^ 13節 ここ​で​言う​たばこ​の​使用​に​は,たばこ​を​吸う​こと​や​かむ​こと,また​その​よう​な​用途​の​ため​に​たばこ​を​栽培​する​こと​が​含ま​れ​ます。

^ 27節 例​と​し​て,「偉大​な​教え手​から​学ぶ」の​32​章,また「目ざめよ!」2007​年​10​月​号​の​特集​記事「 ,また「目ざめよ!」2007​年​10​月​号​の​特集​記事「 ,また「目ざめよ!」2007​年​10​月​号​の​特集​記事「子ども​を​危険​から​守る!」を​参照。

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レビ記は難しくて退屈だと思ったことがありますか。しかし,レビ記に含まれる霊的宝石は,聖なる者としてエホバを崇拝するための助けです。