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エホバの証人

日本語

神の王国は支配している!

 4​章

エホバはご自分のみ名を高められる

エホバはご自分のみ名を高められる

この​章​で​考える​こと

神​の​民​は​神​の​み名​を​際立た​せる

1,2. 「新​世界​訳」は​どの​よう​に​神​の​み名​を​高め​て​い​ます​か。

1947​年​12​月​2​日,火曜​日​の​ひんやり​し​た​朝​の​こと​です。米国​の​ニューヨーク,ブルックリン​に​ある​ベテル​で,油そそが​れ​た​兄弟​たち​から​成る​少​人数​の​グループ​が​大きな​仕事​に​取りかかり​まし​た。骨​の​折れる​仕事​でし​た​が,それ​から​12​年​間,根気強く​作業​を​続け​まし​た。そして1960​年​3​月​13​日,日曜​日,ついに​新しい​翻訳​聖書​の​すべて​の​訳​を​仕上げ​まし​た。3​か月​後​の​1960​年​6​月​18​日,ネイサン​・​ノア​兄弟​が「新​世界​訳​聖書」(英語)の​分冊​の​最後​の​巻​を​英国​マンチェスター​の​大会​で​発表​する​と,聴衆​は​興奮​に​包ま​れ​まし​た。ノア​兄弟​の​次​の​言葉​に​は,出席​者​全員​の​気持ち​が​よく​表われ​て​い​ます。「今日​は,世界​中​の​エホバ​の​証人​に​とっ​て​大きな​喜び……の​日​です!」 喜び​の​特別​な​いわれ​と​なっ​た​の​は,この​新しい​訳​の​特長​の​1​つ,つまり​神​の​固有​の​名​が​頻繁​に​使わ​れ​て​いる​こと​でし​た。

「クリスチャン​・​ギリシャ​語​聖書 新​世界​訳」が​1950​年​の「拡大​する​神権​政治​大会」で​発表​さ​れる(左: ニューヨーク​市​の​ヤンキー​・​スタジアム。右: ガーナ)

2 多く​の​翻訳​聖書​は,神​の​み名​を​省い​て​い​ます。しかし,エホバ​の​油そそが​れ​た​僕​たち​は,神​の​み名​を​人間​の​記憶​から​消し去ろ​う​と​する​サタン​の​企て​に​対抗​し​まし​た。その​日​に​発表​さ​れ​た「新​世界​訳」の​序文​に​は​こう​あり​ます。「この​翻訳​の​最大​の​特色​は,……正当​な​箇所​に​神​の​み名​を​復元​し​て​いる​こと​です」。実際,「新​世界​訳」は​神​の​固有​の​名​エホバ​を​7,000​回​以上​用い​て​い​ます。天​の​父​エホバ​の​み名​を​大いに​高め​て​いる​の​です。

3. (イ)当時​の​兄弟​たち​は,神​の​み名​の​意味​に​つい​て​どんな​点​を​認識​する​よう​に​なり​まし​た​か。(ロ)出エジプト​記 3​章​13,14​節​を​どの​よう​に​理解​す​べき​です​か。(「 神​の​み名​の​意味」と​いう​囲み​を​参照。)

3 聖書​研究​者​は​早く​から,神​の​み名​に​は「我​は​我​あり​と​いう​者​なり」と​いう​意味​が​ある​こと​を​理解​し​て​い​まし​た。(出 3:14,「ジェームズ​王​欽定​訳」[英語])それで,「ものみの塔」(英語)1926​年​1​月​1​日​号​に​は,「エホバ​と​いう​名前​は,自存​し​て​いる​方,……始まり​が​なく​終わり​の​ない​方​を​意味​する」と​記さ​れ​て​い​ます。しかし,「新​世界​訳」の​翻訳​が​始まる​ころ​に​は,エホバ​は​ご自分​の​民​が​次​の​点​を​認識​する​よう​助け​て​おら​れ​まし​た。すなわち,神​の​み名​は​単に,神​が​自存​し​て​いる​こと​を​意味​する​の​で​は​なく,神​が​目的​を​持ち​行動​さ​れる​方​で​ある​こと​を​おもに​意味​する,と​いう​点​です。神​の​民​は,エホバ​と​いう​名​に,字義​どおり​に​は「彼​は​ならせる」 と​いう​意味​が​ある​こと​を​知り​まし​た。事実,エホバ​は​宇宙​を,また​知性​を​持つ​者​たち​を​存在​さ​せ​まし​た。そして​引き続き,ご自分​の​意志​と​目的​が​実現​する​よう​に​させ​て​おら​れ​ます。では,神​の​み名​が​高め​られる​こと​が​非常​に​重要​な​の​は​なぜ​です​か。どう​すれ​ば,わたしたち​も​み名​を​高める​こと​が​できる​でしょ​う​か。

神​の​み名​を​神聖​な​もの​に​する​こと

4,5. (イ)「あなた​の​お名前​が​神聖​な​もの​と​され​ます​よう​に」と​祈る​時,何​を​求め​て​いる​こと​に​なり​ます​か。(ロ)神​は​いつ,どの​よう​に,み名​を​神聖​な​もの​と​され​ます​か。

4 エホバ​は​ご自分​の​み名​が​高め​られる​こと​を​望ん​で​おら​れ​ます。実際,神​の​主要​な​目的​は​み名​を​神聖​な​もの​に​する​こと​です。イエス​の​模範​的​な​祈り​の​中​で​も,「あなた​の​お名前​が​神聖​な​もの​と​され​ます​よう​に」と​いう​願い​が​最初​に​述べ​られ​て​い​ます。(マタ 6:9)そう​請願​する​時,何​を​祈り​求め​て​いる​こと​に​なり​ます​か。

5 この​本​の1​章で​学ん​だ​よう​に,「あなた​の​お名前​が​神聖​な​もの​と​され​ます​よう​に」と​いう​願い​は,イエス​が​模範​的​な​祈り​の​中​で​述べ​た,エホバ​の​目的​に​関係​する​3​つ​の​請願​の​うち​の​1​つ​です。他​の​2​つ​は,「あなた​の​王国​が​来​ます​よう​に。あなた​の​ご意志​が……なさ​れ​ます​よう​に」と​いう​もの​です。(マタ 6:10)これ​は,王国​が​来​て​ご意志​が​なさ​れる​よう​に​する​ため​に​行動​し​て​ください,と​いう​祈り​です。同じ​よう​に,「あなた​の​お名前​が​神聖​な​もの​と​され​ます​よう​に」と​祈る​時,エデン​で​の​反逆​以来​み名​に​浴びせ​られ​て​き​た​非難​すべて​を​ぬぐい去る​ため​に​行動​し​て​ください,と​エホバ​に​求め​て​いる​こと​に​なる​の​です。エホバ​は​そう​し​た​祈り​に​どの​よう​に​お答え​に​なり​ます​か。こう​述べ​て​おら​れ​ます。「わたし​は,諸​国民​の​中​で​汚さ​れ……た​わたし​の​大いなる​名​を​必ず​神聖​な​もの​と​する​で​あろ​う」。(エゼ 36:23; 38:23)エホバ​は​ハルマゲドン​で​悪​を​一掃​する​時,すべて​の​被​造物​の​目​の​前​で,み名​を​神聖​な​もの​と​され​ます。

6. どう​すれ​ば​神​の​み名​を​神聖​な​もの​と​する​こと​に​加われ​ます​か。

6 エホバ​は​歴史​を​通じ​て,ご自分​の​僕​たち​が​み名​を​神聖​な​もの​と​する​こと​に​加われる​よう​に​し​て​こら​れ​まし​た。もちろん,み名​は​すでに​絶対​的​な​意味​で​神聖​な​もの​な​の​で,さらに​神聖​に​する​こと​など​でき​ませ​ん。では,わたしたち​は​どの​よう​に​し​て,み名​を​神聖​な​もの​に​する​の​でしょ​う​か。イザヤ​は​こう​述べ​て​い​ます。「万軍​の​エホバ ― この​方​を​あなた方​は​聖​なる​方​と​す​べき[つまり,聖​なる​方​と​見る​べき]で​あ(る)」。エホバ​も,ご自分​の​民​に​つい​て​こう​述べ​て​おら​れ​ます。「彼ら​は​わたし​の​名​を​神聖​な​もの​と​し,……イスラエル​の​神​を​畏敬​の​念​を​抱い​て​見つめる​で​あろ​う」。(イザ 8:13; 29:23)ですから,わたしたち​は​次​の​方法​で​神​の​み名​を​神聖​な​もの​と​し​ます。それ​を​他​の​すべて​の​名前​と​は​別個​の​もっと​高い​もの​と​見る​こと,み名​の​表わす​事柄​に​認識​を​示す​こと,み名​を​聖​なる​もの​と​見る​よう​他​の​人​たち​を​助ける​こと​に​よっ​て​です。神​の​み名​に​対する​畏敬​の​念​や​崇敬​の​念​は,エホバ​を​支配​者​と​し​て​認め,心​から​エホバ​に​従う​こと​に​より,はっきり​示せ​ます。―箴 3:1。啓 4:11

 神​の​み名​を​担い,また​高める​者​と​なる​よう,整え​られる

7,8. (イ)神​の​民​が​み名​を​担える​よう​に​なる​まで​に​時間​が​必要​だっ​た​の​は​なぜ​です​か。(ロ)これ​から​どんな​こと​を​考え​ます​か。

7 現代​の​神​の​僕​たち​は,1870​年代​から​出版​物​の​中​で​神​の​み名​を​用い​て​き​まし​た。例えば,「シオン​の​ものみの塔」(英語)1879​年​8​月​号​と,その​年​に​発行​さ​れ​た「花嫁​の​歌」(英語)と​いう​歌​の​本​で,エホバ​と​いう​名​を​用い​て​い​ます。です​が​エホバ​は,彼ら​が​神聖​な​み名​を​自分​たち​の​名称​と​し​て​公​に​用いる​こと​を​許す​前​に,その​大きな​特権​を​受ける​に​ふさわしい​者​と​なる​よう​助け​た​もの​と​思わ​れ​ます。エホバ​は,み名​を​担える​よう​初期​の​聖書​研究​者​を​どの​よう​に​整え​まし​た​か。

8 1800​年代​後半​から​1900​年代​前半​の​出来事​を​振り返る​と,エホバ​が​ご自分​の​民​に,み名​に​関連​し​た​重要​な​真理​の​明快​な​理解​を​お与え​に​なっ​た​こと​が​分かり​ます。3​つ​の​真理​を​取り上げ​ましょ​う。

9,10. (イ)初期​の「ものみの塔」誌​の​記事​が​イエス​に​注意​を​向け​て​い​た​の​は​なぜ​です​か。(ロ)1919​年​以降,どんな​変化​が​起き​まし​た​か。どんな​結果​に​なり​まし​た​か。(「 『ものみの塔』誌​は​どの​よう​に​神​の​み名​を​高め​て​き​た​か」と​いう​囲み​を​参照。)

9 第​一​に,エホバ​の​僕​たち​は​神​の​み名​の​重要​性​を​正しく​認識​する​よう​に​なり​まし​た。初期​の​忠実​な​聖書​研究​者​たち​は,聖書​の​おも​な​教え​は​贖い​の​取り決め​で​ある​と​考え​て​い​まし​た。「ものみの塔」誌​が​しばしば​イエス​に​注意​を​向け​て​い​た​の​は​その​ため​です。例えば,創刊​さ​れ​て​から​の​1​年​間​に,イエス​と​いう​名​を​エホバ​と​いう​名​の​10​倍​も​多く​用い​て​い​ます。「ものみの塔」1976​年​3​月​15​日​号(日本​語​版,7​月​1​日​号)は,初期​の​聖書​研究​者​が​イエス​を​過度​に​重んじ​て​い​た​と​述べ​て​い​ます。と​は​いえ,エホバ​は​やがて,聖書​が​神​の​固有​の​名​を​際立た​せ​て​いる​こと​を​彼ら​が​理解​できる​よう​助け​まし​た。聖書​研究​者​は​どんな​影響​を​受け​まし​た​か。その​同じ​記事​に​よれ​ば,とりわけ​1919​年​以降,「彼ら​は​メシア​の​天​の​父​エホバ​神​に​対し​て​もっと​感謝​を​示す​よう​に​なり​まし​た」。実際,1920​年代​の「ものみの塔」誌​で​は,神​の​み名​が​6,500​回​以上​用い​られ​て​い​ます。

10 兄弟​たち​は​エホバ​の​み名​に​ふさわしい​認識​を​表わす​こと​に​より,神​の​み名​を​愛し​て​いる​こと​を​示し​まし​た。そして​昔​の​モーセ​と​同様,「エホバ​の​名​を​ふれ告げる」よう​に​なり​まし​た。(申 32:3。詩 34:3)エホバ​も,聖書​の​中​で​約束​し​て​おら​れる​よう​に,み名​に​対する​愛​に​注目​し,彼ら​に​恵み​を​示さ​れ​まし​た。―詩 119:132。ヘブ 6:10

11,12. (イ)1919​年​から​間​も​なく,わたしたち​の​出版​物​で​は​どんな​聖句​が​よく​取り上げ​られる​よう​に​なり​まし​た​か。(ロ)エホバ​は​ご自分​の​僕​たち​の​注意​を​何​に​向け​させ​て​おら​れ​まし​た​か。なぜ​です​か。

11 第​二​に,真​の​クリスチャン​は​神​から​割り当て​られ​た​仕事​を​正しく​理解​する​よう​に​なり​まし​た。1919​年​から​程なく​し​て,指導​の​任​に​当たる​油そそが​れ​た​兄弟​たち​は,イザヤ​の​預言​を​調べる​よう​動かさ​れ​まし​た。以後,わたしたち​の​出版​物​で​宣べ伝える​業​が​強調​さ​れる​よう​に​なり​まし​た。その​よう​な​記事​が「時​に​応じ(た)食物」と​言え​た​の​は​なぜ​です​か。―マタ 24:45

12 1919​年​より​も​前​に,「ものみの塔」誌​は​イザヤ​の​次​の​言葉​を​詳しく​取り上げ​た​こと​は​あり​ませ​ん​でし​た。「『あなた方​は​わたし​の​証人​で​ある』と,エホバ​は​お告げ​に​なる,『すなわち,わたし​が​選ん​だ​わたし​の​僕​で​ある』」。 イザヤ 43:10‐12を​読む。)しかし,1919​年​から​間​も​なく,わたしたち​の​出版​物​は​この​聖句​に​注意​を​向ける​よう​に​なり​まし​た。油そそが​れ​た​すべて​の​人​は,エホバ​から​割り当て​られ​た​仕事,すなわち​エホバ​に​つい​て​証し​する​業​に​加わる​よう​勧め​られ​まし​た。実際,1925​年​から​1931​年​だけ​を​見​て​も,「ものみの塔」誌​の​57​の​号​で​イザヤ 43​章​が​考察​さ​れ,どの​号​で​も​イザヤ​の​言葉​が​真​の​クリスチャン​に​適用​さ​れ​まし​た。当時,エホバ​は​ご自分​の​僕​たち​の​注意​を,行なう​べき​仕事​に​向け​させ​て​おら​れ​た​の​です。なぜ​そう​さ​れ​まし​た​か。言っ​て​みれ​ば,「ふさわしい​か​どう​か​まず​試」す​ため​で​す。(テモ​一 3:10)聖書​研究​者​たち​は,神​の​み名​を​ふさわしく​担える​よう​に​なる​前​に,エホバ​の​真​の​証人​で​ある​こと​を​行ない​に​よっ​て​実証​し​なけれ​ば​なり​ませ​ん​でし​た。―ルカ 24:47,48

13. 神​の​言葉​は,解決​さ​れる​べき​最も​重要​な​論争​点​を​どの​よう​に​明らか​に​し​て​い​ます​か。

13 第​三​に,エホバ​の​民​は​神​の​み名​が​神聖​な​もの​と​される​こと​の​重要​性​を​認識​する​よう​に​なり​まし​た。1920​年代​に​エホバ​の​民​は,神​の​み名​が​神聖​な​もの​と​される​こと​が​解決​さ​れる​べき​最も​重要​な​論争​点​で​ある,と​理解​する​よう​に​なり​まし​た。神​の​言葉​は,この​重要​な​真理​を​どの​よう​に​明らか​に​し​て​いる​でしょ​う​か。2​つ​の​例​を​挙げ​ましょ​う。神​が​イスラエル​を​エジプト​から​救出​な​さっ​た​主要​な​理由​は​何​でし​た​か。エホバ​は,「わたし​の​名​を​全地​に​宣明​さ​せる​ため​で​ある」と​述べ​て​おら​れ​ます。(出 9:16)イスラエル​が​反逆​し​た​時,エホバ​が​憐れみ​を​お示し​に​なっ​た​の​は​なぜ​でし​た​か。やはり,こう​述べ​て​おら​れ​ます。「わたし​は​わたし​の​名​の​ため,それ​が​諸​国民​の​目​の​前​で​汚さ​れる​こと​の​ない​よう​行動​を​起こし​た」。(エゼ 20:8‐10)聖書​研究​者​たち​は,これら​の​聖書​の​記述​から​何​を​学び​まし​た​か。

14. (イ)1920​年代​後半​に,神​の​民​は​何​を​認識​する​よう​に​なり​まし​た​か。(ロ)主要​な​論争​点​に​関する​理解​を​深め​た​聖書​研究​者​たち​は,宣べ伝える​業​に​対し​て​どんな​見方​を​する​よう​に​なり​まし​た​か。(「 宣べ伝える​強力​な​理由」と​いう​囲み​を​参照。)

14 1920​年代​後半​に​神​の​民​は,2,700​年​ほど​前​に​イザヤ​が​語っ​た​言葉​の​意味​を​認識​する​よう​に​なり​まし​た。イザヤ​は​エホバ​に​つい​て​こう​述べ​まし​た。「あなた​は​ご自分​の​ため​に​美しい​名​を​得​よう​と​し​て,あなた​の​民​を​導か​れ​まし​た」。(イザ 63:14)聖書​研究​者​たち​は,主要​な​論争​点​は​自分​たち​の​救い​で​は​なく,神​の​み名​が​神聖​な​もの​と​される​こと​で​ある,と​理解​し​まし​た。(イザ 37:20。エゼ 38:23)1929​年​に​発行​さ​れ​た「預言」(英語)と​いう​本​は,その​真理​を​こう​要約​し​て​い​ます。「エホバ​の​み名​は,すべて​の​被​造物​の​前​に​掲げ​られ​た​最も​重要​な​論争​点​で​ある」。こう​し​た​理解​の​調整​に​より,神​の​僕​たち​は​エホバ​に​つい​て​証し​し,み名​に​対する​そしり​を​除く​よう​に​促さ​れ​まし​た。

15. (イ)1930​年代​に,兄弟​たち​は​どんな​こと​を​認識​し,理解​し​て​い​まし​た​か。(ロ)今や​どんな​時​が​来​まし​た​か。

15 1930​年代​に​入る​ころ​に​は,兄弟​たち​は​神​の​み名​の​重要​性​を​正しく​認識​し,神​から​割り当て​られ​た​仕事​を​もっと​よく​理解​し,解決​す​べき​主要​な​論争​点​に​対する​理解​を​深め​て​い​まし​た。今や​エホバ​が​ご自分​の​僕​たち​に,み名​を​公​に​担う​誉れ​を​与える​時​が​来​まし​た。その​点​を​考える​前​に,み名​の​民​の​歴史​を​少し​振り返り​ましょ​う。

 エホバ​は「ご自分​の​み名​の​ため​の​民」を​取り出さ​れる

16. (イ)エホバ​は​どんな​方法​で​ご自分​の​み名​を​高め​られ​ます​か。(ロ)過去​に​おい​て,最初​に​神​の​み名​の​ため​の​民​と​なっ​た​の​は​だれ​です​か。

16 エホバ​が​ご自分​の​み名​を​高める​1​つ​の​方法​は,み名​を​担う​民​を​この​地上​に​持つ​こと​です。西暦​前​1513​年​以降,イスラエル​国民​は​エホバ​を​代表​する​民​と​なり​まし​た。(イザ 43:12)しかし,神​と​の​契約​を​守ら​なかっ​た​ため,西暦​33​年​に​神​と​の​特別​な​関係​を​失い​まし​た。程なく​し​て,エホバ​は「諸​国民​に​注意​を​向け,その​中​から​ご自分​の​み名​の​ため​の​民​を​取り出さ​れ」まし​た。(使徒 15:14)新た​に​選ば​れ​た​民​は「神​の​イスラエル」と​し​て​知ら​れる​よう​に​なり​まし​た。「神​の​イスラエル」は,様々​な​国​から​来​た,キリスト​の​油そそが​れ​た​追随​者​たち​で​構成​さ​れ​て​い​ます。―ガラ 6:16

17. サタン​の​どんな​たくらみ​は​成功​し​まし​た​か。

 17 西暦​44​年​ごろ,キリスト​の​弟子​たち​は「神慮​に​よっ​て​クリスチャン​と​呼ば​れ」まし​た。(使徒 11:26)当初,その​名称​は,真​の​クリスチャン​だけ​を​指す​独特​の​もの​でし​た。(ペテ​一 4:16)しかし,小麦​と​雑草​に​関する​イエス​の​たとえ​話​に​示さ​れ​て​いる​よう​に,クリスチャン​と​いう​特異​な​名称​を​あらゆる​偽​クリスチャン​に​当てはめ​よう​と​する​サタン​の​たくらみ​は​成功​し​まし​た。その​ため,非常​に​長い​間,真​の​クリスチャン​と​偽​クリスチャン​の​見分け​が​つき​にくい​状態​が​続き​まし​た。しかし,1914​年​に​始まっ​た「収穫​の​季節」に,状況​は​変化​し​始め​ます。と​いう​の​も,み使い​たち​が​偽​クリスチャン​を​真​の​クリスチャン​から​分け​始め​た​から​です。―マタ 13:30,39‐41

18. 兄弟​たち​は,新しい​名称​が​必要​で​ある​こと​を​どの​よう​に​し​て​理解​し​まし​た​か。

18 忠実​な​奴隷​が​1919​年​に​任命​さ​れ​た​後,エホバ​は​ご自分​の​民​が,神​から​割り当て​られ​た​仕事​を​見極める​こと​が​できる​よう​に​助け​まし​た。彼ら​は​すぐ​に,自分​たち​と​偽​クリスチャン​すべて​と​の​違い​は,家​から​家​に​宣べ伝える​業​に​よっ​て​明らか​に​なる,と​いう​こと​に​気づき​まし​た。それゆえ,「聖書​研究​者」と​いう​名称​で​は​不​十分​で​ある​こと​も​すぐ​に​理解​し​まし​た。彼ら​の​生きる​主要​な​目的​は,単に​聖書​を​研究​する​こと​で​は​なく,神​に​つい​て​証し​し,み名​を​高め,み名​に​誉れ​を​帰する​こと​だ​から​です。では,彼ら​の​行なっ​て​いる​仕事​に​ふさわしい​名称​は​何​でし​た​か。答え​が​出​た​の​は​1931​年​の​こと​です。

1931​年​の​大会​の​プログラム

19,20. (イ)1931​年​の​大会​で,どんな​感動​的​な​決議​が​なさ​れ​まし​た​か。(ロ)新しい​名称​が​採択​さ​れ​た​時,兄弟​たち​は​どの​よう​に​反応​し​まし​た​か。

19 1931​年​7​月,約​1万5,000​人​の​聖書​研究​者​が​米国​オハイオ​州​コロンバス​の​大会​に​やっ​て​来​まし​た。彼ら​は,大会​の​プログラム​の​表紙​に​印刷​さ​れ​た​J​と​W​と​いう​2​つ​の​大きな​文字​に​興味​を​そそら​れ,「これ​は​どう​いう​意味​だろ​う」と​思い​まし​た。「注意​し​て​い​なさい(Just Watch)」と​か,「ただ​待っ​て​い​なさい(Just Wait)」など,いろいろ​な​推測​が​なさ​れ​まし​た。そして​7​月​26​日,日曜​日,ジョセフ​・​ラザフォード​兄弟​は​次​の​力強い​決議​文​を​提出​し​まし​た。「わたしたち​は,エホバ​の​証人​と​いう​名称​で​知ら​れ,また​呼ば​れる​こと​を​欲する​もの​です」。ついに​出席​者​全員​が​なぞ​の​文字​の​意味​を​理解​し​まし​た。エホバ​の​証人(Jehovah's Witnesses)の​頭​文字​だっ​た​の​です。それ​は​イザヤ 43​章​10​節​に​基づく​聖書​的​な​名称​でし​た。

20 その​決議​文​が​読ま​れる​と,聴衆​は​割れる​よう​な​歓声​と​長い​拍手​で​こたえ​まし​た。コロンバス​の​聴衆​の​興奮​は,ラジオ​を​通じ​て​南​半球​に​も​伝わり​まし​た。オーストラリア​の​アーネスト​・​バーバー​と​ナオミ​・​バーバー​は​こう​回想​し​て​い​ます。「アメリカ​で​拍手​が​わき起こる​や,メルボルン​の​兄弟​たち​も​総立ち​に​なっ​て​拍手​し,それ​は​なかなか​鳴りやみ​ませ​ん​でし​た。その​時​の​こと​は​決して​忘れ​ませ​ん」。 *

神​の​み名​は​全​世界​で​高め​られ​て​いる

21. 新しい​名称​を​与え​られ​た​こと​は,宣べ伝える​業​を​行なう​うえ​で​どの​よう​に​励み​と​なり​まし​た​か。

21 神​の​僕​たち​に​とっ​て,エホバ​の​証人​と​いう​聖書​的​な​名称​を​与え​られ​ た​こと​は,宣べ伝える​業​に​携わる​ため​の​いっそう​の​力​と​なり​まし​た。米国​の​開拓​者​の​夫婦​エドワード​・​グライムズ​と​ジェシー​・​グライムズ​は,1931​年​の​コロンバス​の​大会​に​出席​し​まし​た。こう​語っ​て​い​ます。「家​を​出​た​時​に​は​聖書​研究​者​でし​た​が,家​に​帰っ​て​くる​時​に​は​エホバ​の​証人​でし​た。この​名称​を​与え​られ​て,ぜひ​神​の​み名​を​たたえ​よう​と​いう​気持ち​に​なり​まし​た」。大会​後,新しい​方法​で​そう​し​よう​と​する​エホバ​の​証人​も​い​まし​た。家​の​人​に​自己​紹介​を​する​時,「わたしたち​の​神​エホバ​の​王国​に​つい​て​伝える​エホバ​の​証人」と​記さ​れ​た​カード​を​手渡し​た​の​です。この​よう​に,神​の​民​は​エホバ​の​み名​を​担う​こと​を​誇り​に​思っ​て​い​まし​た。み名​の​持つ​重要​な​意味​に​つい​て,遠く​広く​ふれ告げる​用意​が​でき​て​い​た​の​です。―イザ 12:4

「家​を​出​た​時​に​は​聖書​研究​者​でし​た​が,家​に​帰っ​て​くる​時​に​は​エホバ​の​証人​でし​た」

22. エホバ​の​民​が​特異​な​存在​で​ある​こと​は,どんな​事実​から​分かり​ます​か。

22 エホバ​の​導き​に​より,油そそが​れ​た​兄弟​たち​が​エホバ​の​証人​と​いう​特有​の​名称​を​採用​し​て​から,数十​年​が​過ぎ​まし​た。その​期間​に,サタン​は​だれ​が​神​の​民​で​ある​か​を​あいまい​に​する​こと​が​でき​まし​た​か。わたしたち​を​世​の​諸​宗教​の​中​に​埋もれ​させ​て​しまう​こと​が​でき​た​でしょ​う​か。その​よう​な​こと​は​あり​ませ​ん​でし​た。むしろ,神​の​証人​と​し​て​の​わたしたち​の​特異​な​立場​は​いっそう​際立っ​て​い​ます。ミカ 4:5; マラキ 3:18を​読む。)事実,エホバ​の​証人​と​神​の​み名​と​の​結びつき​は​はっきり​知ら​れる​よう​に​なり,今​で​は​エホバ​と​いう​名​を​使う​人​は​すぐ​に​エホバ​の​証人​と​認識​さ​れる​ほど​です。エホバ​の​真​の​崇拝​は,偽り​の​宗教​の​峰々​の​中​に​埋没​し​て​しまう​どころ​か,「もろもろ​の​山​の​頂​より​上​に​堅く​据え​られ」て​い​ます。(イザ 2:2)今日,エホバ​の​崇拝​と​神聖​な​み名​は,非常​に​高め​られ​て​いる​の​です。

23. 詩編 121​編​5​節​に​記さ​れ​て​いる​どんな​重要​な​真理​を​知る​と,心強く​感じ​ます​か。

23 エホバ​が​今​も​将来​も​サタン​の​攻撃​から​わたしたち​を​守っ​て​くださる,と​いう​こと​を​知る​と,本当​に​心強く​感じ​ます。(詩 121:5)わたしたち​も,詩編​作者​の​次​の​言葉​に​和する​こと​が​でき​ます。「エホバ​を​その​神​と​する​国民,神​が​その​相続​分​と​し​て​選ば​れ​た​民​は​幸い​だ」。―詩 33:12

^ 20節 この​時​に​ラジオ​放送​が​どの​よう​に​用い​られ​た​か​に​つい​て​は,7​章​の​72‐74​ページを​参照。

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エホバに近づきなさい

『聖なるかな,聖なるかな,聖なるかな,エホバ』

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