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エホバの証人

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神の王国は支配している!

 16​章

崇拝のために集まり合う

崇拝のために集まり合う

この​章​で​考える​こと

集会​の​歴史​を​振り返り,集まり合う​こと​の​大切​さ​を​考える

1. 弟子​たち​が​共​に​集まっ​て​い​た​時,どんな​助け​が​与え​られ​まし​た​か。その​助け​が​必要​だっ​た​の​は​なぜ​です​か。

イエス​が​復活​し​て​程なく,弟子​たち​は​励まし合う​ため​に​集まり​まし​た。しかし,敵対​者​たち​を​恐れ​て,戸​に​錠​を​かけ​て​い​まし​た。そんな​時,彼ら​の​ただ中​に​イエス​が​現われ,「聖霊​を​受け​なさい」と​言い​ます。さっき​まで​抱い​て​い​た​恐れ​は​消えうせ​た​こと​でしょ​う。ヨハネ 20:19‐22を​読む。)後日,弟子​たち​は​再び​集まり​ます。エホバ​は​その​時,彼ら​に​聖霊​を​注が​れ​ます。弟子​たち​は​前途​の​宣べ伝える​業​に​備え​て,大いに​強め​られ​た​に​違いあり​ませ​ん。―使徒 2:1‐7

2. (イ)エホバ​は​どの​よう​に​し​て​力​を​与え​て​ください​ます​か。その​力​が​わたしたち​に​必要​な​の​は​なぜ​です​か。(ロ)家族​の​崇拝​の​取り決め​は,なぜ​非常​に​重要​です​か。(脚注​と「 家族​の​崇拝」と​いう​囲み​を​参照。)

2 わたしたち​も,1​世紀​の​兄弟​たち​と​同様​の​問題​に​直面​し​ます。(ペテ​一 5:9)時​に​は​人​へ​の​恐れ​が​障害​と​なる​こと​が​あり​ます。宣べ伝える​業​を​行ない​続ける​に​は,エホバ​が​与え​て​くださる​力​が​必要​です。(エフェ 6:10)集会​は,エホバ​が​その​よう​な​力​を​与える​ため​の​主要​な​手段​です。現在​は,週​に​2​回,有益​な​集会​に​出席​する​機会​に​恵ま​れ​て​い​ます。公開​集会​と​それ​に​続く「ものみの塔」研究,そして「クリスチャン​と​し​て​の​生活​と​奉仕」と​呼ば​れる​週日​の​集会​です。 * さらに,特別​な​集い​が​年​に​4​回​あり​ます。地区​大会,2​度​の​巡回​大会,キリスト​の​死​の​記念​式​です。これら​の​集まり​すべて​に​出席​する​こと​が​極めて​重要​な​の​は​なぜ​です​か。現代​に​おい​て,集会​は​どの​よう​な​変化​を​遂げ​て​き​まし​た​か。集会​に​対する​態度​は,わたしたち​に​つい​て​どんな​こと​を​明らか​に​し​ます​か。

なぜ​集まり合う​か

3,4. エホバ​は​ご自分​の​民​に​どんな​こと​を​求め​て​おら​れ​ます​か。例​を​挙げ​て​ください。

3 エホバ​は​昔​から,ご自分​の​民​が​崇拝​の​ため​に​集まり合う​こと​を​求め​て​こら​れ​まし​た。例えば​西暦​前​1513​年​に​イスラエル​国民​に​お与え​に​なっ​た​律法​に​は,週​ごと​の​安息​日​の​規定​が​あり​まし​た。家族​で​エホバ​を​崇拝​し,律法​から​教え​を​受ける​ため​です。(申 5:12; 6:4‐9)イスラエル​人​が​神​の​命令​に​従っ​た​時,家族​は​強め​られ,国民​全体​は​霊的​な​清さ​と​強さ​を​保て​まし​た。しかし,律法​を​守ら​ず,エホバ​を​崇拝​する​ため​定期​的​ に​集まる​よう​に​と​いっ​た​要求​を​軽んじ​た​時,神​の​恵み​を​失い​まし​た。―レビ 10:11; 26:31‐35。代​二 36:20,21

4 イエス​の​手本​に​つい​て​も​考え​ましょ​う。イエス​は,週​ごと​の​安息​日​に​会堂​に​行く​こと​を​習慣​に​し​て​い​まし​た。(ルカ 4:16)イエス​の​死​と​復活​の​後,弟子​たち​は​もはや​安息​日​の​律法​の​もと​に​は​い​ませ​ん​でし​た​が,それ​まで​の​習慣​どおり​定期​的​に​集まり​まし​た。(使徒 1:6,12‐14; 2:1‐4。ロマ 14:5。コロ 2:13,14)それら​の​集会​で,1​世紀​の​クリスチャン​は​教え​や​励まし​を​受け​た​だけ​で​なく,祈り​や​注解​や​歌​に​よっ​て​賛美​の​犠牲​を​神​に​ささげる​こと​も​し​まし​た。―コロ 3:16。ヘブ 13:15

イエス​の​弟子​たち​は​集まり​合い,力​と​励まし​を​得​た

5. わたしたち​が​毎週​の​集会​や​年​ごと​の​大会​に​出席​する​の​は​なぜ​です​か。(「 神​の​民​を​一致​さ​せる​年​ごと​の​集い」と​いう​囲み​を​参照。)

5 わたしたち​も,毎週​の​集会​や​年​ごと​の​大会​に​出席​する​時,神​の​王国​を​支持​し​て​いる​こと​を​示せ​ます。また,聖霊​に​よっ​て​力​を​与え​られ,自分​の​信仰​を​言い表わし​て​他​の​人​を​励ます​こと​が​でき​ます。さらに​重要​な​点​と​し​て,祈り​と​注解​と​歌​に​よっ​て​エホバ​を​崇拝​する​こと​が​でき​ます。それら​の​集会​は,古代​の​イスラエル​人​や​1​世紀​の​クリスチャン​が​出席​し​た​集まり​と​は​形式​が​異なる​もの​の,大切​で​ある​こと​に​変わり​は​あり​ませ​ん。では,現代​に​おい​て​集会​は​どの​よう​な​変化​を​遂げ​て​き​まし​た​か。

「愛​と​りっぱ​な​業」を​促進​する​毎週​の​集会

6,7. (イ)集会​の​目的​は​何​です​か。(ロ)かつて,集会​の​開き方​は​グループ​に​より​どの​よう​に​異なっ​て​い​まし​た​か。

6 チャールズ​・​テイズ​・​ラッセル​兄弟​は,神​の​言葉​の​真理​を​探究​し​始め​た​ころ,同じ​志​を​持つ​人​たち​と​集まる​必要​が​ある​こと​を​見て取り​まし​た。1879​年​に​ラッセル​は​こう​書い​て​い​ます。「私​は​ピッツバーグ​の​他​の​人​たち​と​共​に,聖書​を​調べる​ため​の​聖書​研究​会​を​組織​し,毎週​日曜​日​に​ 集まり​を​持っ​た」。「シオン​の​ものみの塔」誌​の​読者​は,集まり合う​よう​に​勧め​られ​まし​た。そして,1881​年​に​は​ペンシルバニア​州​ピッツバーグ​で​毎週​日曜​日​と​水曜​日​に​集会​を​開い​て​い​まし​た。「ものみの塔」(英語)1895​年​11​月​号​は,集会​の​目的​は「クリスチャン​の​交友​や​愛​や​親睦」を​深め,出席​する​人​たち​が​互い​に​励まし合う​機会​を​持つ​こと​で​ある,と​述べ​て​い​ます。―ヘブライ 10:24,25を​読む。

7 幾​年​も​の​間,集会​の​形式​や​頻度​は​聖書​研究​者​の​グループ​に​より​異なっ​て​い​まし​た。例えば,1911​年​の​出版​物​に​掲載​さ​れ​た,米国​の​ある​グループ​から​の​手紙​に​は,「毎週​少なく​と​も​集会​を​5​回​開い​て​い​ます」と​あり​まし​た。月曜​日,水曜​日,金曜​日​に​開き,日曜​日​に​は​2​回​開い​た​の​です。また,1914​年​に​掲載​さ​れ​た,アフリカ​の​グループ​から​の​別​の​手紙​に​は,「集会​を​月​に​2​回​開い​て​い​ます。金曜​日​に​始め​て​日曜​日​に​終わり​ます」と​述べ​られ​て​い​まし​た。しかし​やがて,現在​の​よう​な​形​の​集会​が​行なわ​れる​よう​に​なっ​て​ゆき​ます。それぞれ​の​集会​の​歴史​を​手短​に​取り上げ​ましょ​う。

8. 初期​の​公開​講演​で​は​どんな​テーマ​が​取り上げ​られ​まし​た​か。

8 公開​集会。ラッセル​兄弟​は,「シオン​の​ものみの塔」誌​を​創刊​し​た​翌年​の​1880​年,イエス​の​手本​に​倣っ​て​伝道​旅行​に​出​まし​た。(ルカ 4:43)その​際​に,現在​の​公開​集会​の​前身​と​なる​集まり​を​開き​まし​た。「ものみの塔」誌​は,その​伝道​旅行​に​つい​て​発表​し,ラッセル​が「『神​の​王国​に​関する​事柄』を​論じる​公開​の​集まり​を​喜ん​で​開く」こと​を​知らせ​まし​た。1911​年​に,幾つ​か​の​国​で​クラス​つまり​会衆​が​設け​られる​よう​に​なる​と,各​クラス​は​資格​ある​講演​者​たち​を​周辺​の​地域​に​派遣​し,裁き​や​贖い​など​の​テーマ​で​一連​の​6​つ​の​講演​を​行なう​よう​勧め​られ​まし​た。この​よう​な​講演​会​の​終わり​に​は,翌週​の​講演​者​の​名前​と​話​の​題​が​知らさ​れ​まし​た。

9. 公開​集会​は​どの​よう​な​変化​を​遂げ​て​き​まし​た​か。この​集会​に​どの​よう​に​貢献​でき​ます​か。

9 1945​年,世界​的​な​公開​集会​運動​の​始まる​こと​が「ものみの塔」誌​で​知らさ​れ​まし​た。一連​の​8​つ​の​聖書​講演​の​中​で​取り上げ​られる​の​は,「この​時代​に​おける​切迫​し​た​問題」でし​た。その​後​の​何十​年​に​も​わたり,講演​者​は​忠実​な​奴隷​の​用意​し​た​テーマ​に​基づく​話​に​加え,個人​で​作っ​た​話​も​行ない​まし​た。しかし,1981​年​に​は,会衆​に​提供​さ​れる​筋書き​に​基づい​て​話​を​行なう​よう​に​と​いう​指示​が​すべて​の​講演​者​に​与え​られ​まし​た。 * 1990​年​まで,一部​の​筋書き​に​は​聴衆​に​よる​参加​や​実演​を​含める​よう​に​と​いう​指示​が​載せ​られ​て​い​まし​た。しかし,その​年​に​行なわ​れ​た​調整​に​より,公開​講演​は​その​後,話​だけ​の​形式​に​なり​まし​た。2008​年​1​月​に​も​調整​が​行なわ​れ,公開​講演​の​時間​が​45​分​から​30​分​に​短縮​さ​れ​まし​た。この​よう​に​幾つ​か​の​変更​が​加え​られ​て​き​まし​た​が,よく​準備​さ​れ​ た​公開​講演​を​聞く​時,神​の​言葉​に​対する​信仰​が​築か​れ,神​の​王国​に​つい​て​いろいろ​な​事柄​を​学べ​ます。(テモ​一 4:13,16)聖書​に​基づく​重要​な​講演​を​聞き​に​来る​よう,再​訪問​先​の​人​を​はじめ,エホバ​の​証人​に​なっ​て​い​ない​人々​に​熱心​に​勧め​て​い​ます​か。

10‐12. (イ)「ものみの塔」研究​の​形式​は​どの​よう​に​変わっ​て​き​まし​た​か。(ロ)どんな​点​を​自問​でき​ます​か。

10 「ものみの塔」研究。1922​年​に​は,巡礼​者​と​呼ば​れ​た​兄弟​たち ― ものみの塔​協会​から​派遣​さ​れ​て​各​会衆​で​講演​を​行ない,宣べ伝える​業​に​率先​し​た​奉仕​者​たち ― が,定期​的​に​開か​れる​集会​の​一つ​を「ものみの塔」誌​の​研究​に​充てる​こと​を​協会​に​提案​し​まし​た。この​案​が​採用​さ​れ,「ものみの塔」研究​が​行なわ​れる​よう​に​なり​まし​た。その​集会​は​当初,週日​か​日曜​日​に​開か​れ​まし​た。

「ものみの塔」研究,ガーナ,1931​年

11 「ものみの塔」(英語)1932​年​6​月​15​日​号​に​は,この​集会​の​行ない​方​に​関する​詳しい​指示​が​掲載​さ​れ​まし​た。ベテル​で​行なわ​れ​て​い​た​研究​に​倣い,一​人​の​兄弟​が​この​集会​を​司会​し​ます。3​人​の​兄弟​が​前​に​座り,交替​で​節​の​朗読​を​し​ます。当時,記事​に​は​質問​が​載っ​て​い​なかっ​た​の​で,司会​者​は​出席​者​に,読ま​れ​た​節​に​基づく​質問​を​挙げる​よう​勧め​まし​た。その​後,他​の​出席​者​に,その​質問​の​答え​を​述べる​よう​促し​まし​た。もし​補足​す​べき​点​が​あれ​ば,司会​者​は「簡潔​で​的​を​射​た」説明​を​述べる​こと​に​なっ​て​い​まし​た。

12 初め​の​うち​は,どの​号​を​研究​する​か​を​会衆​ごと​に​選ぶ​こと​が​でき​まし​た。成員​の​多く​が​研究​し​たい​と​思う​号​を​選べ​た​の​です。しかし,「ものみの塔」(英語)1933​年​4​月​15​日​号​で​は,すべて​の​会衆​で​最新​号​を​使う​こと​が​勧め​られ​まし​た。1937​年​に​は,「ものみの塔」研究​を​日曜​日​に​行なう​よう​に​と​いう​指示​が​与え​られ​ます。また「ものみの塔」(英語)1942​ 年​10​月​1​日​号​で​は,新た​な​変更​が​加え​られる​こと​が​知らさ​れ​まし​た。それ​に​より,「ものみの塔」研究​は​現在​わたしたち​が​知っ​て​いる​方法​で​行なわ​れる​こと​に​なり​まし​た。まず,研究​記事​の​各​ページ​の​下​に​質問​が​載り,それら​の​質問​を​用いる​こと​に​なり​ます。さらに,その​集会​は​1​時間​で​終え​なけれ​ば​なり​ませ​ん。答え​を​述べる​人​は,節​の​語句​を​そのまま​読み上げる​の​で​は​なく,「自分​の​言葉​で」述べる​よう​勧め​られ​まし​た。「ものみの塔」研究​は​今​で​も,忠実​な​奴隷​が​時​に​応じ​た​霊的​食物​を​提供​する​ため​の​主要​な​集会​です。(マタ 24:45)わたしたち​は​こう​自問​でき​ます。『毎週​の「ものみの塔」研究​の​予習​を​し​て​いる​だろ​う​か。できる​だけ​注解​を​する​よう​努めて​いる​だろ​う​か』。

13,14. 「会衆​の​聖書​研究」の​歴史​に​つい​て​述べ​て​ください。あなた​は​この​集会​の​どんな​ところ​が​良い​と​思い​ます​か。

13 会衆​の​聖書​研究。1890​年代​の​初め,「千年期​黎明」(英語)の​幾つ​か​の​巻​が​発行​さ​れ​て​い​まし​た。その​ころ,米国​メリーランド​州​ボルティモア​市​に​住む​聖書​研究​者​の​H​・​N​・​ラーン​兄弟​は,聖書​研究​の​ため​の「黎明​会」を​開く​こと​を​提案​し​まし​た。当初,これら​の​集会​は​試験​的​に​行なわ​れ,たいてい​は​個人​の​家​で​開か​れ​まし​た。1895​年​9​月​の​時点​で,「黎明​会」は​米国​の​幾つ​も​の​都市​で​順調​に​開か​れ​て​い​まし​た。同じ​月​の「ものみの塔」誌​は,真理​の​研究​者​すべて​に,その​集会​を​開く​こと​を​勧め​まし​た。司会​者​は​上手​に​朗読​できる​人​で​ある​べき​でし​た。司会​者​は​一文​を​朗読​し​て​から​間​を​置き,出席​者​たち​に​注解​の​機会​を​与え​ます。一つ​の​節​の​すべて​の​文​の​朗読​と​討議​を​終え​て​から,司会​者​は​引照​聖句​を​開い​て​朗読​し​ます。各章​の​結び​に,出席​者​全員​は,章​全体​の​概要​を​手短​に​述べる​こと​に​なっ​て​い​まし​た。

14 この​集会​の​名称​は​何​度​か​変わり​まし​た。「黎明​会」に​続い​て,「聖書​研究​の​ため​の​ベレア​人​会」と​呼ば​れる​よう​に​なり​まし​た。聖書​を​注意深く​調べ​た​1​世紀​の​ベレア​の​人々​に​ちなん​で​付け​られ​た​名称​です。(使徒 17:11)後​に,その​名称​は「会衆​の​書籍​研究」に​改め​られ​まし​た。今​で​は「会衆​の​聖書​研究」と​呼ば​れ,個人​の​家​で​群れ​ごと​に​集まる​代わり​に,王国​会館​で​会衆​の​全員​が​共​に​学び​ます。これ​まで,様々​な​書籍​や​ブロシュアー​が​用い​られ​まし​た。「ものみの塔」誌​の​記事​が​用い​られ​た​こと​も​あり​ます。初期​の​ころ​から,出席​者​は​皆,この​集会​で​注解​に​加わる​よう​勧め​られ​て​き​まし​た。わたしたち​が​聖書​に​つい​て​の​知識​を​深める​うえ​で,この​集会​は​大いに​役立っ​て​き​まし​た。あなた​も,自分​に​できる​範囲​で​定期​的​に,予習​を​し​参加​し​て​い​ます​か。

15. 神権​宣教​学校​に​は​どんな​目的​が​あり​まし​た​か。

15 神権​宣教​学校。ケアリー​・​バーバー​は,ニューヨーク​の​ブルックリン​に​ある​世界​本部​で​奉仕​し​て​い​た​時​の​こと​を​回想​し,こう​述べ​まし​た。「1942​年​2​月​16​日,月曜​日​の​晩,ブルックリン​・​ベテル​の​男子​の​成員​すべて​ は,後​に​神権​宣教​学校​と​呼ば​れる​よう​に​なる​教育​課程​に​入校​する​よう​招か​れ​まし​た」。それ​から​か​なり​後​に​統治​体​の​成員​に​なっ​た​バーバー​兄弟​は,この​学校​に​つい​て,「エホバ​が​現代​に​おい​て​ご自分​の​民​の​ため​に​行なわ​れ​た​こと​の​中​で​特に​顕著​な​もの」と​表現​し​まし​た。この​課程​は,兄弟​たち​が​教える​技術​と​伝道​の​技術​を​向上​さ​せる​こと​に​大いに​貢献​し​まし​た。その​ため,1943​年​以降,「神権​宣教​課程」(英語)と​いう​小冊子​が​世界​中​の​会衆​で​徐々​に​用い​られる​よう​に​なり​まし​た。「ものみの塔」(英語)1943​年​6​月​1​日​号​に​よれ​ば,神権​宣教​学校​は,神​の​民​が「王国​を​告げ知らせる,より​優れ​た​証人​と​し​て​自分​を​整える」こと​を​目的​と​し​た​もの​でし​た。―テモ​二 2:15

16,17. 神権​宣教​学校​で​学ん​だ​の​は​技術​的​な​面​だけ​でし​た​か。説明​し​て​ください。

16 初め​の​うち,大勢​の​聴衆​の​前​で​話す​こと​に​気後れ​し​た​人​は​少なく​あり​ませ​ん​でし​た。クレイトン​・​ウッドワース​・​ジュニア(父親​が​1918​年​ に​ラザフォード​兄弟​や​他​の​人​たち​と​共​に​不当​に​投獄​さ​れ​た)は,自分​が​1943​年​に​この​学校​に​入校​し​た​当初​の​こと​を​振り返り,こう​述べ​まし​た。「演壇​から​話​を​する​の​は​非常​に​苦手​でし​た。舌​が​うまく​回ら​ず,口​は​からから​に​渇き,声​が​ひっくり返っ​て​しまう​よう​に​感じ​まし​た」。しかし,兄弟​は​進歩​し,公​の​場​で​話す​特権​を​多く​与え​られ​まし​た。この​学校​で​は,単に​技術​的​な​面​だけ​を​学ん​だ​わけ​で​は​あり​ませ​ん。謙遜​さ​の​価値​と​エホバ​に​頼る​こと​の​大切​さ​も​学ん​だ​の​です。兄弟​は​こう​語り​まし​た。「私​は,話し手​そのもの​が​重要​な​わけ​で​は​ない,と​いう​こと​を​理解​する​よう​に​なり​まし​た。それでも,よく​準備​し,エホバ​に​全く​依り頼む​なら,喜び​を​与える​話​が​でき,人々​は​何がしか​の​こと​を​学べる​の​です」。

17 1959​年​に​は,姉妹​たち​も​この​学校​に​入校​する​よう​招か​れ​まし​た。エドナ​・​バウアー​姉妹​は,大会​で​その​発表​が​あっ​た​時​の​こと​を​こう​回想​ し​まし​た。「姉妹​たち​の​間​で​期待​が​高まっ​た​の​を​覚え​て​い​ます。姉妹​たち​に​も,より​大きな​機会​が​開か​れ​た​の​です」。長年​に​わたり,多く​の​兄弟​姉妹​は,神権​宣教​学校​に​入校​し​て​エホバ​に​教え​られる​と​いう​機会​を​活用​し​て​き​まし​た。今日​で​も,週日​の​集会​で​そう​し​た​訓練​を​受ける​こと​が​でき​ます。―イザヤ 54:13を​読む。

18,19. (イ)現在,宣教​奉仕​を​行なう​ため​の​実際​的​な​導き​は​どの​よう​に​得​られ​ます​か。(ロ)集会​で​歌​を​歌う​の​は​なぜ​です​か。(「 真理​を​述べ​た​歌​を​歌う」と​いう​囲み​を​参照。)

18 奉仕​会。1919​年​に​は​すでに,野外​奉仕​の​活動​を​組織​する​ため​の​集会​が​開か​れ​て​い​まし​た。その​ころ,この​集会​に​出席​し​た​の​は​会衆​の​全員​で​は​なく,文書​の​配布​に​直接​携わる​人​だけ​でし​た。1923​年​に​は,ほとんど​の​月​に​奉仕​会​は​月​一度​開か​れ,クラス​つまり​会衆​の​全員​に​出席​が​求め​られ​まし​た。1928​年​に​は,会衆​が​奉仕​会​を​毎週​行なう​よう​勧め​られ​て​い​まし​た。そして​1935​年​の「ものみの塔」誌​に​次​の​勧め​が​掲載​さ​れ​ます。それ​は​奉仕​会​を「奉仕​の​指示」(後​の​名称​は「通知」,さらに​その​後​は「わたしたち​の​王国​宣教」)に​掲載​さ​れ​た​情報​を​もと​に​行なう​よう​に,と​いう​勧め​です。間​も​なく,奉仕​会​は​各​会衆​が​定期​的​に​開く​集会​の​一つ​に​なり​ます。

19 今日​で​は,週日​の​集会​で,宣教​奉仕​を​行なう​ため​の​実際​的​な​導き​が​得​られ​ます。(マタ 10:5‐13)資格​に​かな​い「集会​ワークブック」を​受け取っ​て​いる​なら,それ​を​研究​し,奉仕​を​行なう​時​に​その​提案​を​当てはめ​て​い​ます​か。

一​年​で​最も​重要​な​集まり

クリスチャン​が​年​に​一度​集まっ​て​キリスト​の​死​の​記念​式​を​行なう​こと​は​1​世紀​に​始まっ​た(20​節​を​参照)

20‐22. (イ)わたしたち​が​イエス​の​死​を​記念​する​の​は​なぜ​です​か。(ロ)毎年,記念​式​に​出席​する​こと​から​どんな​益​が​得​られ​ます​か。

20 イエス​の​追随​者​たち​は,イエス​が​到来​する​まで​その​死​を​記念​し​て​ゆく​よう​に,と​いう​指示​を​与え​られ​て​い​ます。キリスト​の​死​の​記念​式​は,過ぎ越し​の​祝い​と​同様,年​に​一度​行なわ​れ​ます。(コリ​一 11:23‐26)毎年,この​集まり​に​非常​に​多く​の​人​が​出席​し​ます。油そそが​れ​た​人​たち​は​その​集い​から,王国​の​共同​相続​人​に​なる​と​いう​特権​を​思い起こし​ます。(ロマ 8:17)ほか​の​羊​の​場合​は,神​の​王国​の​王​に​対する​深い​敬意​と​忠節​が​育ま​れ​ます。―ヨハ 10:16

21 ラッセル​兄弟​と​その​仲間​たち​は,記念​と​し​て​主​の​晩さん​を​行なう​こと​の​重要​性​を​理解​し​て​い​まし​た。また,それ​を​行なう​の​は​年​に​一度​だけ​で​ある​こと​も​知っ​て​い​まし​た。「ものみの塔」(英語)1880​年​4​月​号​に​は​こう​述べ​られ​て​い​ます。「ここ​数​年​に​わたり,ピッツバーグ​に​いる​わたしたち​の​多く​が​習慣​と​し​て​き​た​の​は……過ぎ越し[記念​式]を​執り行ない,主​の​体​と​血​を​示す​表象​物​に​あずかる​こと​で​ある」。やがて​記念​式​の​際​に​大会​が​開か​れる​よう​に​なり​ます。初めて​人数​が​記録​さ​れ​た​の​は​1889​年​の​大会​で,225​人​が​出席​し,22​人​が​バプテスマ​を​受け​まし​た。

22 現在​で​は,記念​式​の​時​に​大会​を​開く​こと​は​なくなり​まし​た。それでも​ わたしたち​は,王国​会館​や​借り​た​会場​で​記念​式​を​行ない,出席​する​よう​地域​の​すべて​の​人々​を​招待​し​ます。2013​年​に​は,1,900万​人​余り​が​イエス​の​死​を​記念​する​式​に​集い​まし​た。わたしたち​に​は,極めて​重要​な​晩​に​行なわ​れる​記念​式​に​自分​が​出席​する​こと​に​加え,出席​する​よう​人々​に​勧める​と​いう​大きな​特権​が​あり​ます。毎年,熱意​を​こめ​て,できる​だけ​多く​の​人​を​記念​式​に​招い​て​い​ます​か。

わたしたち​の​態度​が​明らか​に​する​もの

23. あなた​は,集まり合う​こと​に​つい​て​どう​感じ​て​い​ます​か。

23 エホバ​の​忠節​な​僕​たち​は,集まり合う​よう​に​と​いう​指示​を​重荷​と​は​考え​ませ​ん。(ヘブ 10:24,25。ヨハ​一 5:3)例えば,ダビデ​王​は,崇拝​の​ため​に​エホバ​の​家​に​行く​こと​を​心​から​喜ん​で​い​まし​た。(詩 27:4)とりわけ,神​を​愛する​仲間​と​共​に​エホバ​を​崇拝​する​こと​を​楽しみ​と​し​て​い​まし​た。(詩 35:18)イエス​の​手本​も​あり​ます。イエス​は,年若い​時​から,み父​の​崇拝​の​家​に​いる​こと​を​強く​願っ​て​い​まし​た。―ルカ 2:41‐49

神​の​王国​が​あなた​に​とっ​て​どれ​ほど​現実​的​で​ある​か​は,共​に​集まり合い​たい​と​いう​願い​の​強さ​に​表われ​ます

24. 集会​は​どんな​機会​に​なり​ます​か。

24 集会​に​出席​する​時,わたしたち​は​エホバ​へ​の​愛​と​信仰​の​仲間​を​強め​たい​と​いう​願い​を​表わす​こと​に​なり​ます。また,神​の​王国​の​臣民​と​し​て​の​生き方​を​ぜひ​学び​たい​と​いう​願い​を​表わす​こと​に​も​なり​ます。その​よう​な​教育​は​おもに,集会​や​大会​で​与え​られる​から​です。集会​で​は​また,いま​神​の​王国​が​推し進め​て​いる​極めて​重要​な​活動​を​行ない​続ける​の​に​必要​な,力​と​技術​を​得る​こと​が​でき​ます。その​活動​と​は,王​イエス​・​キリスト​の​弟子​を​作り​訓練​する​こと​です。マタイ 28:19,20を​読む。)神​の​王国​が​あなた​自身​に​とっ​て​どれ​ほど​現実​的​で​ある​か​は,共​に​集まり合い​たい​と​いう​願い​の​強さ​に​表われ​ます。これ​から​も​集会​を​大切​に​し​て​ゆけ​ます​よう​に。

^ 2節 会衆​で​の​週​ごと​の​集会​に​加え,家族​や​個人​は,家族​の​崇拝​や​個人​研究​の​ため​の​時間​を​取る​よう​勧め​られ​て​い​ます。

^ 9節 2013​年​現在,公開​講演​の​筋書き​は​180​以上​あり​ます。

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