内容へ

サブ・メニューへ

目次へ

エホバの証人

日本語

神の王国は支配している!

 13​章

王国伝道者は裁判に訴える

王国伝道者は裁判に訴える

この​章​で​考える​こと

イエス​の​予告​どおり,追随​者​たち​の​宣べ伝える​業​は​法的​な​面​で​反対​を​受ける

1,2. (イ)宗教​指導​者​たち​は,伝道​の​業​に​対し​て​どんな​措置​を​講じ​まし​た​か。しかし,使徒​たち​は​どう​し​まし​た​か。(ロ)伝道​を​禁じる​命令​に​使徒​たち​が​従わ​なかっ​た​の​は​なぜ​です​か。

西暦​33​年​の​ペンテコステ​の​少し​後​の​こと​です。エルサレム​の​クリスチャン​会衆​は,数​週​間​前​に​発足​し​た​ばかり​です。サタン​は,今​が​攻撃​を​加える​絶好​の​機会​と​見​ます。会衆​が​強く​なる​前​に​ぬぐ​い​去っ​て​しまお​う​と​考え​た​の​です。サタン​は​速やか​に​物事​を​動かし,宗教​指導​者​たち​が​王国​伝道​の​業​を​禁止​する​よう​に​仕向け​ます。しかし,使徒​たち​は​勇敢​に​伝道​を​続け,多く​の​人々​が​男性​も​女性​も「主​を​信じる​者」と​なり​まし​た。―使徒 4:18,33; 5:14

使徒​たち​は「彼​の​名​の​ため​に​辱め​られる​に​足る​者​と​され​た​こと」を​歓ん​だ

2 反対​者​たち​は​怒り​に​駆ら​れ,今度​は​使徒​たち​全員​を​投獄​し​ます。ところが,夜中​に​エホバ​の​み使い​が​獄​の​戸​を​開き,夜明け​に​使徒​たち​は​またもや​宣べ伝え​て​い​まし​た。使徒​たち​は​再び​逮捕​さ​れ​て​支配​者​たち​の​前​に​連れ出さ​れ,伝道​を​禁じる​命令​を​破っ​た​と​し​て​非難​さ​れ​ます。使徒​たち​は​大胆​に​こう​答え​ます。「わたしたち​は,自分​たち​の​支配​者​と​し​て​人間​より​神​に​従わ​ね​ば​なり​ませ​ん」。支配​者​たち​は​激怒​し,使徒​たち​を「除き去っ​て​しまい​たい」と​思い​ます。しかし​この​重要​な​局面​で,民​から​重んじ​られ​て​い​た​律法​教師​ガマリエル​が​発言​し,支配​者​たち​に​こう​警告​し​ます。「注意​し​て​ください。……この​人​たち​に​手出し​せ​ず,彼ら​を​ほっ​て​おき​なさい」。意外​に​も,支配​者​たち​は​この​勧め​を​受け入れ,使徒​たち​を​去ら​せ​ます。使徒​たち​は​どう​し​ます​か。おじけづい​たり​せ​ず,「たゆみ​なく​教え,キリスト,イエス​に​つい​て​の​良い​たより​を​宣明​し​続け」まし​た。―使徒 5:17‐21,27‐42。箴 21:1,30

3,4. (イ)サタン​は​神​の​民​を​攻撃​する​ため​に​昔​から​どんな​方法​を​用い​て​き​まし​た​か。(ロ)この​章​と,14,15​章​で​は,どんな​点​を​考え​ます​か。

3 西暦​33​年​の​その​裁判​は,クリスチャン​会衆​が​当局​者​から​の​反対​を​受け​た​最初​の​ケース​でし​た。しかし,それ​は​始まり​に​過ぎ​ませ​ん​でし​た。(使徒 4:5‐8; 16:20; 17:6,7)現代​に​おい​て​も​サタン​は,真​の​崇拝​の​反対​者​たち​が​当局​者​たち​を​唆し​て,伝道​の​業​を​禁止​する​よう​に​仕向け​ます。反対​者​たち​は​神​の​民​に​関し​て​様々​な​訴え​を​起こし​て​き​まし​た。その​1​つ​は,わたしたち​が​公共​の​秩序​を​乱し,面倒​を​起こし​て​いる,と​いう​もの​です。さらに,扇動​者​だ​と​いう​訴え​も​あれ​ば,訪問​販売​員​だ​と​いう​訴え​も​ あり​ます。兄弟​たち​は​その​よう​な​非難​の​誤り​を​証明​する​ため,ふさわしい​時​に​裁判​を​起こし​て​き​まし​た。それら​の​裁判​は​どんな​結果​に​なり​まし​た​か。何十​年​も​前​に​下さ​れ​た​それら​の​判決​は,現在​あなた​に​どの​よう​な​影響​を​与え​て​い​ます​か。これ​から​幾つ​か​の​裁判​の​例​を​取り上げ,「良い​たより​を​擁護​し​て​法的​に​確立​する」点​で​どの​よう​に​役立っ​た​か​を​考え​て​み​ましょ​う。―フィリ 1:7

4 この​章​で​は,わたしたち​が​自由​に​宣べ伝える​権利​を​どの​よう​に​擁護​し​て​き​た​か​を​考え​ます。14,15​章​で​は,世​の​もの​と​は​なら​ない​ため​に,また​王国​の​規準​に​従っ​て​生きる​ため​に,どの​よう​な​法的​闘い​が​行なわ​れ​て​き​た​か​を​考察​し​ます。

面倒​を​起こす​者? それとも,神​の​王国​の​忠節​な​擁護​者?

5. 1930​年代​の​終わり​に​王国​伝道​者​たち​が​逮捕​さ​れ​た​の​は​なぜ​です​か。指導​の​任​に​当たる​人​たち​は,何​を​行なう​こと​を​考え​まし​た​か。

5 1930​年代​の​終わり​に,米国​各地​の​州​や​都市​は​エホバ​の​証人​に​対し​て,宣教​奉仕​を​行なう​ため​の​許可​証​の​取得​を​義務づけ​よう​と​し​まし​た。しかし,兄弟​たち​は​許可​証​の​申請​を​し​ませ​ん​でし​た。許可​は​後​に​取り消さ​れる​可能​性​が​あり​ます。また​兄弟​たち​は,王国​の​音信​を​宣べ伝える​よう​に​と​いう​命令​は​イエス​が​クリスチャン​に​与え​た​もの​で​あり,その​命令​の​遂行​を​妨げる​権限​は​どの​国​の​政府​に​も​ない,と​考え​て​い​まし​た。(マル 13:10)結果​と​し​て,王国​伝道​者​は​何百​人​も​逮捕​さ​れ​まし​た。組織​の​中​で​指導​の​任​に​当たる​人​たち​は,裁判​に​訴える​こと​を​考え​まし​た。宗教​を​自由​に​実践​する​エホバ​の​証人​の​権利​を​国​が​不当​に​制限​し​て​いる,と​いう​こと​を​はっきり​示し​たい​と​思っ​た​の​です。折しも​1938​年,ある​事件​が​起き​まし​た。その​事件​が​きっかけ​で,後​に​画期​的​な​判決​が​下さ​れる​こと​に​なり​ます。いったい​何​が​起き​た​の​でしょ​う​か。

6,7. キャントウェル​家​の​人​たち​は,どんな​経験​を​し​まし​た​か。

6 1938​年​4​月​26​日,火曜​日​の​朝,60​歳​の​ニュートン​・​キャントウェル​と​妻​の​エスター,息子​の​ヘンリー,ラッセル,ジェシー​は,コネティカット​州​の​ニューヘブン​市​へ​伝道​に​出かけ​まし​た。5​人​と​も​特別​開拓​者​です。彼ら​は​一日​を​伝道​に​充てる​つもり​でし​た​が,それ​より​長く​なる​心積もり​も​し​て​い​まし​た。すでに​何​度​か​逮捕​さ​れ​て​おり,再び​逮捕​さ​れる​か​も​しれ​ない​と​思っ​て​い​た​の​です。それでも,王国​の​音信​を​宣べ伝え​たい​と​いう​願い​は​変わり​ませ​ん​でし​た。一家​は​2​台​の​車​で​ニューヘブン​に​やっ​て​来​まし​た。ニュートン​は,聖書​文書​と​携帯​用​の​蓄音​機​を​載せ​た​自家​用​車​を​運転​し,22​歳​の​ヘンリー​は​サウンドカー​を​運転​し​まし​た。案の定,数​時間​後​に​この​家族​は​警察​官​に​止め​られ​まし​た。

7 最初​に​18​歳​の​ラッセル​が,次い​で​ニュートン​と​エスター​が​逮捕​さ​れ​まし​た。16​歳​の​ジェシー​は​遠く​から,両親​と​兄​が​警察​官​に​連行​さ​れる​の​を​見​て​い​まし​た。ヘンリー​は​町​の​別​の​場所​で​伝道​し​て​い​た​の​で,若い​ジェシー​は​一​人​だけ​に​なり​まし​た。それでも​蓄音​機​を​携え​て​伝道​を​続け​まし​ た。ジェシー​は​カトリック​の​男性​二​人​に​会い,了承​を​得​て​から​ラザフォード​兄弟​の「敵」と​いう​講演​の​レコード​を​かけ​まし​た。しかし,二​人​は​聞い​て​いる​うち​に​怒り​だ​し,ジェシー​を​殴ろ​う​と​し​まし​た。ジェシー​は​穏やか​に​その​場​を​去り​まし​た​が,しばらく​し​て​警察​官​に​呼び止め​られ​まし​た。こう​し​て​ジェシー​も​拘束​さ​れ​まし​た。警察​は​キャントウェル​姉妹​を​起訴​し​ませ​ん​でし​た​が,キャントウェル​兄弟​と​息子​たち​を​起訴​し​まし​た。しかし,彼ら​は​その​日​の​うち​に​保釈​さ​れ​まし​た。

8. ジェシー​・​キャントウェル​が,面倒​を​起こす​者​と​し​て​有罪​判決​を​受け​た​の​は​なぜ​です​か。

8 数​か月​後​の​1938​年​9​月,キャントウェル​家​の​人​たち​は​ニューヘブン​の​事実​審​裁判​所​に​出廷​し​まし​た。ニュートン​と​ラッセル​と​ジェシー​は,許可​なし​に​寄付​集め​を​し​た​と​し​て​有罪​判決​を​受け​まし​た。コネティカット​州​の​最高​裁判​所​に​上訴​が​なさ​れ​まし​た​が,ジェシー​は​平穏​妨害​の​罪​で​有罪​に​なり​まし​た。面倒​を​起こす​者​と​みなさ​れ​た​の​です。なぜ​でしょ​う​か。レコード​を​聞い​た​カトリック​の​男性​二​人​が​法廷​で,その​講演​は​自分​たち​の​宗教​を​侮辱​する​挑発​的​な​もの​だっ​た,と​証言​し​た​から​です。わたしたち​の​組織​の​責任​ある​兄弟​たち​は,それら​の​有罪​判決​に​異議​を​申し立て,米国​最高​裁判​所​に​上訴​し​まし​た。

9,10. (イ)米国​最高​裁判​所​は,キャントウェル​家​に​関する​事件​で​どんな​判決​を​下し​まし​た​か。(ロ)この​判決​から​現在​の​わたしたち​は​どの​よう​な​益​を​得​て​い​ます​か。

9 1940​年​3​月​29​日​に​始まっ​た​裁判​で,首席​裁判​官​チャールズ​・​E​・​ヒューズ​ と​8​人​の​陪席​裁判​官​は,エホバ​の​証人​側​の​弁護​士​ヘイドン​・​カビントン​兄弟​の​弁論​を​聞き​まし​た。 * コネティカット​州​の​検察​官​が,エホバ​の​証人​は​面倒​を​起こす​者​で​ある​こと​を​証明​し​よう​と​し​て​陳述​を​行なう​と,裁判​官​の​一​人​は​こう​尋ね​まし​た。「キリスト​・​イエス​が​広め​た​音信​は​当時,受け​が​良く​なかっ​た​の​で​は​あり​ませ​ん​か」。すると,州​の​検察​官​は​こう​答え​まし​た。「その​とおり​です。そして,聖書​に​関する​わたし​の​記憶​が​正しけれ​ば,その​音信​を​広め​た​イエス​が​どう​なっ​た​か​も​聖書​は​述べ​て​い​ます」。実​に​興味深い​発言​です。検察​官​は​意図​せ​ず​に,エホバ​の​証人​は​イエス​と​同類​で,州​は​イエス​を​有罪​に​し​た​者​たち​と​同類​だ​と​述べ​て​しまっ​た​の​です。1940​年​5​月​20​日,米国​最高​裁判​所​は​全員​一致​で,エホバ​の​証人​側​勝訴​の​判決​を​下し​まし​た。

ヘイドン​・​カビントン(手前​中央),グレン​・​ハウ(左)が​他​の​兄弟​姉妹​と​共​に,法的​勝利​を​得​て​裁判​所​を​あと​に​する

10 この​判決​に​は​どんな​意義​が​あり​まし​た​か。この​判決​は,宗教​を​自由​に​実践​する​権利​の​保護​範囲​を​広げ,それ​に​伴い,連邦​政府​や​州​政府​や​地方​自治​体​が​宗教​的​自由​を​合法​的​に​制限​する​こと​は​でき​なく​なり​まし​た。さらに​最高​裁判​所​は,ジェシー​の​行動​は「公共​の​平穏​と​秩序​を​脅かす​もの​で​は​ない」と​判断​し​まし​た。その​判決​に​より,エホバ​の​証人​が​公共​の​秩序​を​乱す​者​で​は​ない​こと​が​はっきり​示さ​れ​た​の​です。神​の​僕​たち​に​とっ​て​非常​に​重要​な​法的​勝利​です。この​判決​から​現在​の​わたしたち​は​どの​よう​な​益​を​得​て​い​ます​か。エホバ​の​証人​で​ある​弁護​士​は​こう​述べ​て​い​ます。「宗教​を​自由​に​実践​する​権利​が​認め​られ,不当​な​制限​を​課さ​れる​心配​が​ない​の​で,エホバ​の​証人​は​現在,住ん​で​いる​地域​で​人々​に​希望​の​音信​を​伝える​こと​が​でき​て​い​ます」。

扇動​者? それ​と​も​真理​の​宣明​者?

「神​と​キリスト​と​自由​に​対する​ケベック​の​燃える​憎しみ​は,カナダ​全体​の​恥」

11. カナダ​の​兄弟​たち​は​どんな​キャンペーン​を​行ない​まし​た​か。なぜ​です​か。

11 1940​年代​に,カナダ​の​エホバ​の​証人​は​激しい​反対​に​遭い​まし​た。崇拝​を​自由​に​行なう​権利​を​国​が​無視​し​て​いる​こと​を​公表​する​ため,1946​年​に,カナダ​の​兄弟​たち​は​16​日​間​の​キャンペーン​を​行ない​まし​た。そして,「神​と​キリスト​と​自由​に​対する​ケベック​の​燃える​憎しみ​は,カナダ​全体​の​恥」(英語)と​いう​4​ページ​の​パンフレット​を​配布​し​まし​た。ケベック​州​の​兄弟​たち​は,僧職​者​の​けしかけ​た​暴動,警察​に​よる​残虐​行為,集団​暴行​など​の​被害​を​受け​て​い​まし​た。この​パンフレット​は​その​詳細​を​伝え,「エホバ​の​証人​の​不当​逮捕​が​続い​て​いる」と​述べ​て​い​ます。「モントリオール​大​都市​圏​で,エホバ​の​証人​に​対する​起訴​は​約​800​件​に​及ん​で」い​まし​た。

12. (イ)パンフレット​の​配布​キャンペーン​に​対し​て,反対​者​は​どんな​反応​を​示し​まし​た​か。(ロ)兄弟​たち​は​どんな​罪​で​起訴​さ​れ​まし​た​か。(脚注​を​参照。)

12 パンフレット​の​配布​活動​を​受け​て,ケベック​州​知事​モーリス​・​デュプレッシ​は,エホバ​の​証人​に​対する「容赦​の​ない​闘争」を​行なう​と​宣言​し​まし​た。デュプレッシ​は,ローマ​・​カトリック​の​ビルヌーブ​枢機卿​と​結託​し​て​い​まし​た。起訴​件数​は​たちまち​800​件​から​1,600​件​へ​と​倍増​し​まし​た。 ある​開拓​者​の​姉妹​は,「幾​度​も​警察​に​逮捕​さ​れ​まし​た。その​回数​は​数えきれ​ない​くらい​です」と​述べ​まし​た。その​パンフレット​を​配布​し​て​いる​ところ​が​見つかっ​た​エホバ​の​証人​は,「文書​に​よる​扇動​罪」で​起訴​さ​れ​まし​た。 *

13. 扇動​罪​で​最初​に​裁判​に​かけ​られ​た​の​は​だれ​でし​た​か。裁判​所​は​どんな​判決​を​下し​まし​た​か。

13 1947​年,エメイ​・​ブーシェ​兄弟​と​18​歳​の​娘​ジゼル,また​11​歳​の​娘​ルシール​は,扇動​罪​で​裁判​に​かけ​られ​まし​た。エホバ​の​証人​が​その​容疑​で​裁判​を​受け​た​最初​の​ケース​です。この​親子​は,ケベック​市​南部​の​丘陵​地​に​ある​自分​たち​の​農場​の​近く​で,「ケベック​の​燃える​憎しみ」の​パンフレット​を​配布​し​まし​た。と​は​いえ,面倒​を​起こす​無法​者​と​は​程遠い​人​たち​です。ブーシェ​兄弟​は​腰​の​低い​温厚​な​人​で,小さな​農場​を​営み,馬車​で​時おり​町​に​出かける​と​いう​静か​な​生活​を​送っ​て​い​まし​た。それ​に​も​かかわら​ず,この​家族​は​パンフレット​に​ある​よう​な​ひどい​仕打ち​を​受け​て​き​まし​た。事実​審​裁判​所​の​裁判​官​は,エホバ​の​証人​を​嫌っ​て​おり,ブーシェ​兄弟​の​無罪​を​示す​証拠​を​認め​よう​と​は​し​ませ​ん​でし​た。むしろ,その​パンフレット​が​敵意​を​あおる​もの​で​あり,それゆえ​ブーシェ​親子​は​有罪​で​ある,と​する​検察​側​の​主張​を​受け入れ​まし​た。その​裁判​官​の​見解​を​煎じ詰める​と,真実​を​語る​の​は​犯罪​な​の​です。エメイ​と​ジゼル​は​文書​に​よる​扇動​罪​で​有罪​と​され,年若い​ルシール​も​2​日​に​わたっ​て​留置​さ​れ​まし​た。兄弟​たち​は​カナダ​の​最高​裁判​所​に​上訴​し,最高裁​は​その​件​を​審理​する​こと​に​同意​し​まし​た。

14. ケベック​州​の​兄弟​たち​は,迫害​が​続い​た​期間​中​も,どう​し​まし​た​か。

14 そう​し​た​時期​に​も,ケベック​州​の​勇敢​な​兄弟​姉妹​は,暴力​的​な​攻撃​が​執よう​に​続く​中,王国​の​音信​を​宣べ伝え​続け​まし​た。多く​の​場合,その​奉仕​は​良い​結果​を​生み​まし​た。パンフレット​の​配布​キャンペーン​が​始まっ​た​1946​年​から​の​4​年​間​で,ケベック​州​の​エホバ​の​証人​は​300​人​から​1,000​人​に​増え​た​の​です。 *

15,16. (イ)カナダ​の​最高​裁判​所​は,ブーシェ​家​に​関する​事件​で​どんな​判決​を​下し​まし​た​か。(ロ)この​勝利​は,エホバ​の​証人​や​他​の​人々​に​どんな​影響​を​与え​まし​た​か。

15 1950​年​6​月,カナダ​最高​裁判​所​は​9​人​の​裁判​官​全員​で​エメイ​・​ブーシェ​の​件​を​審理​し​まし​た。6​か月​後​の​1950​年​12​月​18​日,同​裁判​所​は​エホバ​の​証人​に​有利​な​判決​を​下し​まし​た。エホバ​の​証人​側​の​弁護​士​グレン​・​ハウ​兄弟​が​説明​する​とおり,裁判​所​が​被告​人​側​の​次​の​主張​を​認め​た​から​です。すなわち,「扇動」は​政府​に​対する​暴動​や​反乱​を​あおり立てる​こと​を​要件​と​する,と​いう​主張​です。しかし,その​パンフレット​は,その​よう​に​あおり立てる​ところ​の​全く​ない,自由​な​言論​の​合法​的​な​一​形態​でし​た。ハウ​兄弟​は,「エホバ​が​どの​よう​に​勝利​を​与え​て​くださる​か​を​じかに​見る​思い​でし​た」と​述べ​て​い​ます。 *

16 最高​裁判​所​の​この​判決​は,神​の​王国​の​大​勝利​と​言え​ます。ケベック​州​の​エホバ​の​証人​が​文書​に​よる​扇動​罪​で​起訴​さ​れ​て​い​た​未決​の​122​の​事件​に​関し​て​も,罪​を​問う​根拠​が​失わ​れ​た​の​です。さらに,この​判決​に​より, カナダ​と​他​の​英​連邦​諸国​の​国民​は,政府​の​物事​の​行ない​方​に​関し​て​懸念​を​述べる​自由​を​持つ​こと​に​なり​まし​た。この​勝利​は​また,ケベック​州​で​行なわ​れ​て​い​た,教会​と​国家​に​よる​エホバ​の​証人​の​自由​に​対する​攻撃​を​くじく​もの​と​なり​まし​た。 *

訪問​販売​員? それ​と​も​神​の​王国​の​熱心​な​伝道​者?

17. 一部​の​政府​は,わたしたち​の​伝道​活動​を​どの​よう​な​方法​で​規制​し​よう​と​し​ます​か。

17 今日​の​エホバ​の​僕​たち​は,初期​クリスチャン​と​同様,「神​の​言葉​を​売り歩く​者​で​は」あり​ませ​ん。コリント​第​二 2:17を​読む。)ところが,政府​が​わたしたち​の​宣教​活動​を,商​取引​に​関する​法律​に​よっ​て​規制​し​よう​と​する​こと​が​あり​ます。エホバ​の​証人​は​訪問​販売​員​な​の​か,それ​と​も​宗教​上​の​奉仕​者​な​の​か,と​いう​点​が​争点​と​なっ​た​2​つ​の​裁判​を​取り上げ​ましょ​う。

18,19. デンマーク​の​当局​者​は,伝道​活動​を​どの​よう​な​方法​で​制限​し​よう​と​し​まし​た​か。

18 デンマーク。1932​年​10​月​1​日​に​施行​さ​れ​た​法律​に​より,訪問​販売​の​許可​証​なし​に​印刷​物​を​販売​する​こと​は​違法​に​なり​まし​た。しかし,兄弟​たち​は​許可​証​を​申請​し​ませ​ん​でし​た。法律​が​施行​さ​れ​た​翌日,5​人​の​伝道​者​が​首都​コペンハーゲン​から​約​30​㌔​西​の​ロスキレ​と​いう​町​に​行き,一日,伝道​を​し​まし​た。その​日​の​終わり​に,アウグスト​・​レーマン​が​伝道​から​戻っ​て​き​ませ​ん​でし​た。許可​証​なし​に​物品​を​販売​し​た​と​し​て​逮捕​さ​れ​て​い​た​の​です。

19 1932​年​12​月​19​日,アウグスト​・​レーマン​は​出廷​し​まし​た。訪問​し​て​聖書​文書​を​勧め​て​い​た,と​証言​し​まし​た​が,訪問​販売​を​し​て​い​た​こと​は​否認​し​まし​た。事実​審​裁判​所​は​レーマン​の​主張​を​受け入れ,こう​述べ​まし​た。「被告​人​は……自活​する​こと​が​でき​て​いる。経済​的​な​利益​を​得​て​は​おら​ず,その​よう​な​利益​を​得る​意図​も​なかっ​た。むしろ,当人​の​活動​は​当人​に​金銭​面​で​損失​を​もたらし​て​いる」。裁判​所​は​エホバ​の​証人​側​の​主張​を​支持​し,レーマン​の​活動​は「商売​に​は​当たら​ない」と​いう​判決​を​下し​まし​た。しかし,神​の​民​に​敵対​する​人々​は,国内​の​伝道​活動​を​制限​する​こと​を​決意​し​て​い​まし​た。(詩 94:20)検察​官​は​上訴​を​続け,その​件​は​国​の​最高​裁判​所​で​争わ​れる​こと​に​なり​まし​た。兄弟​たち​は​どの​よう​に​反応​し​まし​た​か。

20. デンマーク​の​最高​裁判​所​は​どんな​判決​を​下し​まし​た​か。兄弟​たち​は​どう​し​まし​た​か。

20 最高​裁判​所​で​の​審理​が​行なわ​れる​まで​の​1​週​間,デンマーク​各地​の​エホバ​の​証人​は​伝道​活動​を​増し加え​まし​た。1933​年​10​月​3​日,火曜​日,判決​が​言い渡さ​れ​まし​た。最高​裁判​所​は,アウグスト​・​レーマン​は​法律​に​違反​し​て​は​い​ない,と​いう​下級​審​の​判決​を​支持​し​た​の​です。エホバ​の​証人​は​引き続き​自由​に​伝道​を​行なえる​こと​に​なり​まし​た。兄弟​姉妹​は,この​法的​勝利​に​対する​エホバ​へ​の​感謝​を​表わす​ため,いっそう​熱心​に​伝道​し​まし​た。この​判決​以来,デンマーク​の​兄弟​たち​は​政府​から​の​干渉​を​受け​ず​に​宣教​奉仕​を​行なう​こと​が​でき​て​い​ます。

デンマーク​の​勇敢​な​エホバ​の​証人,1930​年代

21,22. マードック​兄弟​に​関する​事件​で,米国​最高​裁判​所​は​どんな​判決​を​下し​まし​た​か。

 21 米国。1940​年​2​月​25​日,日曜​日,開拓​者​の​ロバート​・​マードック​・​ジュニア​と​7​人​の​エホバ​の​証人​は,ペンシルバニア​州​ピッツバーグ​に​近い​ジャネット​市​で,伝道​中​に​逮捕​さ​れ​まし​た。彼ら​は,許可​証​を​取得​せ​ず​に​文書​を​勧め​て​い​た​と​し​て,有罪​判決​を​受け​まし​た。この​件​は​上訴​さ​れ,米国​最高​裁判​所​は​審理​を​行なう​こと​に​同意​し​まし​た。

22 1943​年​5​月​3​日,最高​裁判​所​は​エホバ​の​証人​の​主張​を​認める​判決​を​下し​まし​た。同​裁判​所​は,許可​証​の​取得​を​義務づける​べき​で​は​ない,と​し​まし​た。「合衆国​憲法​で​認め​られ​た​権利​の​行使​に​対し​て​料金」を​課す​こと​に​なる​から​です。最高​裁判​所​は​市​の​条例​を,「出版​の​自由​を​制限​し,宗教​の​自由​な​実践​を​妨げる​もの」と​し​て​無効​と​し​まし​た。裁判​官​の​ウィリアム​・​O​・​ダグラス​は,同​裁判​所​の​多数​意見​と​し​て,エホバ​の​証人​の​活動​は「単なる​伝道​で​も,宗教​文書​の​配布​で​も​ない。両者​の​結合​で​ある」と​述べ​まし​た。そして​こう​続け​て​い​ます。「この​形態​の​宗教​活動​は,……教会​で​の​礼拝​や​説教​壇​から​の​説教​と​同じ​ほど​高い​地位​を​占め​て​いる」。

23. 1943​年​の​法的​勝利​が,現在​の​わたしたち​に​重要​な​意味​を​持つ​の​は​なぜ​です​か。

23 この​最高​裁判​所​判決​は,神​の​民​の​重要​な​法的​勝利​と​なり​まし​た。わたしたち​は​クリスチャン​の​奉仕​者​で​あり,セールスマン​で​は​ない,と​いう​事実​が​確認​さ​れ​た​の​です。エホバ​の​証人​は​1943​年​の​その​記念​す​べき​日​ に,米国​の​最高​裁判​所​に​おける​13​件​の​訴訟​の​うち​12​件​で​勝訴​し​まし​た。マードック​事件​は​その​1​つ​でし​た。これら​の​判決​は,後​の​裁判​に​おい​て​強力​な​判例​と​なり​まし​た。実際,王国​の​音信​を​公​に​も​家​から​家​に​も​宣べ伝える​わたしたち​の​権利​に​反対​者​たち​が​なおも​異議​を​唱え,裁判​に​発展​する​場合​が​あり​まし​た。

「自分​たち​の​支配​者​と​し​て​人間​より​神​に​従わ​ね​ば​なり​ませ​ん」

24. 宣べ伝える​業​が​政府​に​よっ​て​禁止​さ​れる​時,わたしたち​は​どう​し​ます​か。

24 エホバ​の​僕​たち​は,王国​の​音信​を​自由​に​宣べ伝える​権利​が​政府​に​よっ​て​法的​に​認め​られる​時,その​こと​を​本当​に​ありがたく​思い​ます。しかし,宣べ伝える​業​が​政府​に​よっ​て​禁止​さ​れる​時​は,伝道​の​方法​を​調整​し,可能​な​方法​で​業​を​続け​ます。使徒​たち​の​よう​に,「わたしたち​は,自分​たち​の​支配​者​と​し​て​人間​より​神​に​従わ​ね​ば​なり​ませ​ん」。(使徒 5:29。マタ 28:19,20)それ​と​とも​に,わたしたち​の​活動​に​対する​禁止​令​の​解除​を​求め​て​裁判​に​訴え​ます。2​つ​の​例​を​取り上げ​ましょ​う。

25,26. どんな​いきさつ​で,エホバ​の​証人​に​関する​裁判​が​ニカラグア​の​最高​裁判​所​で​行なわ​れ​まし​た​か。どんな​結果​に​なり​まし​た​か。

25 ニカラグア。1952​年​11​月​19​日,宣教​者​で​支部​の​僕​の​ドノバン​・​マンスターマン​は,首都​マナグア​の​出入国​管理​局​に​出向き​まし​た。局​の​責任​者​アルノルド​・​ガルシア​大佐​の​ところ​に​出頭​する​よう​命じ​られ​た​から​です。ドノバン​は​大佐​から,ニカラグア​の​エホバ​の​証人​は「自分​たち​の​教義​に​つい​て​の​伝道​と​宗教​活動​を​続ける​こと​を​禁じ​られ​て​いる」と​告げ​られ​まし​た。その​理由​を​尋ねる​と,ガルシア​大佐​は,エホバ​の​証人​は​宣教​活動​を​行なう​許可​を​政府​の​大臣​から​得​て​おら​ず,共産​主義​者​だ​と​言わ​れ​て​いる​から​だ,と​説明​し​まし​た。共産​主義​者​だ​と,だれ​が​言っ​て​い​た​の​でしょ​う​か。ローマ​・​カトリック​の​僧職​者​たち​です。

禁令​下​の​ニカラグア​の​兄弟​たち

 26 マンスターマン​兄弟​は​直ちに​行政​・​宗教​省​と​アナスタシオ​・​ソモサ​・​ガルシア​大統領​に​不服​を​申し立て​まし​た​が,聞き入れ​られ​ませ​ん​でし​た。それ​で​兄弟​たち​は​活動​の​方法​を​調整​し​まし​た。王国​会館​を​閉鎖​し,少​人数​の​グループ​で​集まり​まし​た。街路​証言​は​やめ​まし​た​が,王国​の​音信​を​宣べ伝える​こと​は​続け​まし​た。同時​に,ニカラグア​の​最高​裁判​所​に,禁止​令​を​無効​と​する​裁判​所​命令​を​請求​し​まし​た。幾つ​も​の​新聞​が​禁止​令​および​裁判​所​命令​の​請求​に​つい​て​広く​報道​し,最高​裁判​所​は​その​件​を​審理​する​こと​に​同意​し​まし​た。どんな​結果​に​なり​まし​た​か。1953​年​6​月​19​日,最高​裁判​所​は​全員​一致​で​エホバ​の​証人​側​に​有利​な​判決​を​下し​まし​た。同​裁判​所​は,禁止​令​は​憲法​の​保障​する​表現​の​自由,良心​の​自由,信念​を​表明​する​自由​を​侵害​し​て​いる,と​裁定​し​まし​た。また,ニカラグア​政府​と​エホバ​の​証人​と​の​関係​を​以前​の​状態​に​回復​する​よう​命じ​まし​た。

27. ニカラグア​の​人々​が​最高​裁判​所​の​判決​に​驚い​た​の​は​なぜ​です​か。兄弟​たち​は,その​勝利​に​つい​て​どんな​見方​を​し​まし​た​か。

27 ニカラグア​の​人々​は,最高​裁判​所​が​エホバ​の​証人​の​主張​を​支持​する​判決​を​下し​た​こと​に​驚き​まし​た。カトリック​の​僧職​者​の​影響​力​が​非常​に​強かっ​た​ため,最高​裁判​所​は​それ​まで​僧職​者​と​の​衝突​を​避け​て​き​まし​た。また,政府​の​役人​の​力​が​強かっ​た​ため,その​決定​を​覆す​こと​も​ほとんど​あり​ませ​ん​でし​た。この​勝利​が​与え​られ​た​の​は,王​イエス​が​保護​し​て​くださっ​た​から​で​あり,自分​たち​が​宣べ伝える​業​を​やめ​なかっ​た​から​で​も​ある,と​兄弟​たち​は​考え​まし​た。―使徒 1:8

28,29. 1980​年代​半ば​に,ザイール​で​は​どんな​変化​が​起き​まし​た​か。

28 ザイール。1980​年代​半ば​に,ザイール(現在​の​コンゴ​民主​共和​国)に​は​3万5,000​人​ほど​の​エホバ​の​証人​が​い​まし​た。王国​の​業​の​拡大​に​対応​する​ため,支部​は​新しい​施設​の​建設​を​進め​て​い​まし​た。1985​年​12​月​に​は,首都​キンシャサ​で​国際​大会​が​開か​れ,市​の​スタジアム​に​世界​各地​から​の​代表​者​を​含む​3万2,000​人​ほど​が​集い​まし​た。しかし​その​後,エホバ​の​僕​たち​を​取り巻く​状況​は​変わり​始め​ます。何​が​起き​た​の​でしょ​う​か。

29 当時​ザイール​で​は,カナダ​の​ケベック​州​出身​の​宣教​者​マーセル​・​フィルトー​兄弟​が​奉仕​し​て​い​まし​た。デュプレッシ​時代​の​迫害​を​経験​し​た​人​です。兄弟​は​こう​語っ​て​い​ます。「1986​年​3​月​12​日,責任​ある​兄弟​たち​は,ザイール​の​エホバ​の​証人​協会​は​違法​で​ある​と​宣言​し​た​書状​を​渡さ​れ​まし​た」。その​禁止​令​に​は,大統領​モブツ​・​セセ​・​セコ​の​署名​が​あり​まし​た。

30. 支部​委員​会​は​どんな​重要​な​決定​を​下す​必要​が​あり​まし​た​か。どう​する​こと​に​決め​まし​た​か。

30 翌日,国営​ラジオ​で,「[ザイール]では,二​度​と​エホバ​の​証人​に​つい​て​聞く​こと​は​ない​でしょ​う」と​いう​放送​が​なさ​れ​まし​た。すぐ​に​迫害​が​始まり​まし​た。王国​会館​は​破壊​さ​れ,兄弟​たち​は​持ち物​を​強奪​さ​れ,逮捕​さ​れ,投獄​さ​れ,殴打​さ​れ​まし​た。子ども​たち​で​さえ​留置​さ​れ​た​の​です。1988​年​10​月​12​日,政府​は​わたしたち​の​組織​の​持ち物​を​没収​し,軍​の​師団​で​ある​治安​警備​隊​が​支部​を​占拠​し​まし​た。責任​ある​兄弟​たち​は​モブツ​ 大統領​に​不服​を​申し立て​まし​た​が,返事​は​あり​ませ​ん​でし​た。その​時点​で,支部​委員​会​は​重要​な​決定​を​迫ら​れ​まし​た。最高​裁判​所​に​訴える​べき​か,それ​と​も​待つ​べき​か,と​いう​決定​です。当時,支部​委員​会​の​調整​者​と​し​て​奉仕​し​て​い​た​宣教​者​の​ティモシー​・​ホームズ​は,「エホバ​に​知恵​と​導き​を​求め​まし​た」と​語っ​て​い​ます。支部​委員​会​は​祈り​つつ​検討​し​た​末,今​は​法的​措置​を​取る​べき​時​で​は​ない,と​考え​まし​た。むしろ,兄弟​たち​を​世話​する​こと​と,宣べ伝える​業​を​続ける​方法​を​探す​こと​に​力​を​傾け​まし​た。

「その​訴訟​期間​中,エホバ​が​どの​よう​に​し​て​物事​を​動かさ​れる​か​を​目​の​当たり​に​し​まし​た」

31,32. ザイール​最高​裁判​所​は,注目​す​べき​どんな​決定​を​下し​まし​た​か。兄弟​たち​は​その​決定​から​どんな​益​を​受け​まし​た​か。

31 それ​から​数​年​が​過ぎ​まし​た。エホバ​の​証人​に​対する​圧力​は​和らぎ,国内​で​の​人権​意識​が​高まり​まし​た。支部​委員​会​は,禁止​令​の​妥当​性​を​問う​ため​ザイール​最高​裁判​所​に​上訴​する​時​が​来​た,と​判断​し​まし​た。注目​す​べき​こと​に,最高​裁判​所​は​その​件​を​審理​する​こと​に​同意​し​まし​た。こう​し​て,大統領​の​禁止​令​から​7​年​近く​たっ​た​1993​年​1​月​8​日,最高​裁判​所​は​エホバ​の​証人​に​対する​政府​の​措置​は​違法​で​あっ​た​と​裁定​し,禁止​令​が​解除​さ​れ​まし​た。考え​て​み​て​ください。裁判​官​たち​は​身​の​危険​も​顧み​ず,大統領​の​決定​を​無効​に​し​た​の​です。ホームズ​兄弟​は,「その​訴訟​期間​中,エホバ​が​どの​よう​に​し​て​物事​を​動かさ​れる​か​を​目​の​当たり​に​し​まし​た」と​語っ​て​い​ます。(ダニ 2:21)この​勝利​に​よっ​て,兄弟​たち​の​信仰​は​強め​られ​まし​た。兄弟​たち​は,いつ,どの​よう​に​行動​す​べき​か​を​王​イエス​が​臣民​に​教え​て​こら​れ​た​の​だ​と​感じ​まし​た。

コンゴ​民主​共和​国​の​エホバ​の​証人​は​エホバ​を​崇拝​する​自由​を​歓ぶ

32 禁止​令​が​解除​さ​れ​た​結果,支部​事務​所​は​宣教​者​を​再び​受け入れ,新しい​支部​施設​を​建設​し,聖書​文書​を​輸入​する​こと​が​できる​よう​に​なり​ まし​た。 * 世界​中​の​神​の​僕​たち​は,エホバ​が​ご自分​の​民​の​霊的​福祉​を​守っ​て​おら​れる​の​を​知っ​て,大いに​喜び​まし​た。―イザ 52:10

「エホバ​は​わたし​の​助け主」

33. この​章​で​取り上げ​た​裁判​から,どんな​こと​を​学べ​ます​か。

33 この​章​で​取り上げ​た​法的​な​闘い​は,イエス​が​次​の​約束​を​果たして​こら​れ​た​証拠​です。「わたし​が​あなた方​に​口​と​知恵​を​与える​から​です。あなた方​の​反対​者​が​みな​一緒​に​なっ​て​も,それ​に​抵抗​する​こと​も​論ばく​する​こと​も​でき​ない​でしょ​う」。ルカ 21:12‐15を​読む。)時​に​エホバ​は,現代​の​ガマリエル​の​よう​な​人​たち​を​起こし​て​ご自分​の​民​を​保護​し,勇敢​な​裁判​官​や​弁護​士​を​動かし​て​正義​を​擁護​さ​せ​て​こら​れ​まし​た。エホバ​は​反対​者​たち​の​武器​の​力​を​そが​れ​た​の​です。イザヤ 54:17を​読む。)どんな​反対​も,神​の​業​を​止める​こと​は​でき​ませ​ん。

34. わたしたち​の​法的​勝利​が​注目​に​値する​の​は​なぜ​です​か。それ​は​どんな​こと​を​示す​証拠​です​か。(「 王国​伝道​の​業​を​促進​し​た,最高​裁判​所​に​おける​重要​な​勝訴​判決」と​いう​囲み​を​参照。)

34 わたしたち​の​法的​勝利​が​注目​に​値する​の​は​なぜ​でしょ​う​か。考え​て​み​て​ください。エホバ​の​証人​は,名声​や​影響​力​の​ある​人​たち​で​は​あり​ませ​ん。選挙​で​投票​し​たり,政治​活動​を​支援​し​たり,政治​家​の​力​を​借り​よう​と​し​たり​も​し​ませ​ん。さらに,最高​裁判​所​の​裁判​の​当事​者​と​なっ​た​エホバ​の​証人​は,一般​に「無学​な​普通​の​人」たち​です。(使徒 4:13)ですから​人間​的​な​観点​で​言え​ば,それら​の​裁判​所​に​は,有力​な​宗教​的​・​政治​的​反対​者​に​不利​な​判決​を​下し​て​まで​エホバ​の​証人​を​助ける​理由​は​ない​はず​です。にもかかわらず,裁判​所​は​わたしたち​に​有利​な​判決​を​幾​度​も​下し​て​き​まし​た。そう​し​た​法的​勝利​は,わたしたち​が「神​の​見​て​おら​れる​ところ​で,キリスト​と​共​に」歩ん​で​いる​証拠​です。(コリ​二 2:17)ですから,わたしたち​は​使徒​パウロ​の​よう​に,「エホバ​は​わたし​の​助け主,わたし​は​恐れ​ない」と​はっきり​言える​の​です。―ヘブ 13:6

^ 9節 この「キャントウェル 対 コネティカット​州」事件​は,ヘイドン​・​カビントン​兄弟​が​米国​最高​裁判​所​で​エホバ​の​証人​を​弁護​し​た​43​件​の​訴訟​の​うち,最初​の​もの​でし​た。兄弟​は​1978​年​に​亡くなり​まし​た。残さ​れ​た​ドロシー​姉妹​は,2015​年​に​92​歳​で​亡くなる​まで​忠実​に​奉仕​し​まし​た。

^ 12節 この​起訴​は,1606​年​に​制定​さ​れ​た​法律​に​基づい​て​なさ​れ​まし​た。その​法律​に​よれ​ば,陪審​は,ある​人​の​発言​が​敵意​を​抱か​せる​もの​だ​と​判断​し​た​なら,たとえ​その​発言​内容​が​真実​で​あっ​て​も,当人​に​有罪​を​宣告​でき​まし​た。

^ 14節 1950​年​に,ケベック​州​に​は​164​人​の​全​時間​奉仕​者​が​い​まし​た。その​中​に​は,ギレアデ​卒業​生​63​人​が​含ま​れ​て​い​まし​た。それら​卒業​生​は,厳しい​反対​が​待ち受け​て​いる​こと​を​知り​つつ,ケベック​州​で​奉仕​する​割り当て​を​進ん​で​受け入れ​まし​た。

^ 15節 W​・​グレン​・​ハウ​兄弟​は​勇気​ある​弁護​士​で,1943​年​から​2003​年​に​かけ​て,カナダ​と​他​の​国々​に​おける​何百​件​も​の​訴訟​で​手腕​を​発揮​し​まし​た。

^ 16節 この​事件​に​つい​て​の​詳細​は,「目ざめよ!」2000​年​4​月​22​日​号​18‐24​ページ​の『戦い​は​あなた方​の​もの​で​は​なく,神​の​もの』と​いう​記事​を​参照。

^ 32節 治安​警備​隊​は​最終​的​に​支部​の​敷地​から​立ち退き​まし​た​が,新しい​支部​施設​は​別​の​場所​に​建設​さ​れ​まし​た。