内容へ

目次へ

エホバの証人

言語を選ぶ 日本語

 第​10​章

清い崇拝を擁護した人

清い崇拝を擁護した人

1,2. (イ)イスラエル​の​民​は​どんな​窮状​に​あり​まし​た​か。(ロ)カルメル​山​で,エリヤ​の​前​に​どんな​敵対​者​たち​が​集まり​まし​た​か。

エリヤ​は,大勢​の​人​が​重い​足取り​で​カルメル​山​を​登っ​て​来る​の​を​見つめ​て​い​ます。早朝​の​薄明かり​の​中​で​も,人々​の​窮状​が​ありあり​と​見て取れ​ます。3​年​半​に​及ぶ​干ばつ​に​打ちのめさ​れ​て​いる​の​です。

2 肩​を​そびやかし​て​登っ​て​来る​の​は​バアル​の​預言​者​450​人​です。誇り高ぶり,エホバ​の​預言​者​エリヤ​に​対する​燃える​よう​な​憎しみ​を​抱い​て​い​ます。大勢​の​エホバ​の​僕​たち​が​王妃​イゼベル​に​よっ​て​処刑​さ​れ​た​に​も​かかわら​ず,エリヤ​は​まだ​頑強​に​バアル​崇拝​に​抵抗​し​て​い​ます。しかし,いつ​まで​そう​できる​でしょ​う​か。それら​バアル​の​祭司​たち​は,たっ​た​一​人​の​男​が​自分​たち​全員​を​打ち負かせる​はず​が​ない,と​考え​て​いる​よう​です。(王​一 18:4,19,20)王​の​兵車​に​乗っ​て​アハブ​王​も​来​て​い​ます。彼​も​エリヤ​を​嫌っ​て​い​ます。

3,4. (イ)この​重要​な​日​の​夜明け​に​エリヤ​は​幾らか​恐れ​を​感じ​て​い​た​か​も​しれ​ない,と​言える​の​は​なぜ​です​か。(ロ)これ​から​どんな​点​を​考え​ます​か。

3 この​孤独​な​預言​者​に​とっ​て,今日​は​人生​に​おける​特別​な​日​と​なり​ます。エリヤ​が​見守る​中,前例​の​ない​劇的​な,善​と​悪​の​対決​の​舞台​が​整っ​て​ゆき​ます。夜​が​明け​て​ゆく​時,エリヤ​は​どう​感じ​た​でしょ​う​か。エリヤ​は​恐れ知ら​ず​の​人​で​は​あり​ませ​ん。「わたしたち​と​同様​の​感情​を​持つ​人」です。ヤコブ 5:17を​読む。少なく​と​も​一つ​の​点​は​確か​です。不​信仰​な​民​と,背教​し​た​王​と,殺意​に​満ち​た​祭司​たち​に​囲ま​れ,エリヤ​は​自分​が​全く​独りぼっち​で​ある​こと​を​ひしひし​と​感じ​て​い​まし​た。―王​一 18:22

4 そもそも​イスラエル​は​どうして​この​よう​な​危機​的​状況​に​陥っ​た​の​でしょ​う​か。この​記述​は,今日​の​わたしたち​と​どの​よう​な​関係​が​あり​ます​か。エリヤ​の​信仰​の​模範​を​調べ,実際​的​な​教訓​を​得​ましょ​う。

長年​の​争い​が​最高潮​に​達する

5,6. (イ)イスラエル​で​は​どんな​争い​が​続い​て​い​まし​た​か。(ロ)アハブ​王​は​どの​よう​に​し​て​エホバ​を​ひどく​怒らせ​まし​た​か。

5 エリヤ​は​これ​まで​ずっ​と,この​国​と​民​の​有する​最良​の​もの​が​無視​され​踏みにじら​ れる​の​を,なす​すべ​も​なく​見​て​き​まし​た。イスラエル​で​は​長年,一つ​の​争い​が​続い​て​い​ます。清い​宗教​と​偽り​の​宗教​の​争い,エホバ​神​の​崇拝​と​周辺​諸​国民​の​偶像​礼拝​の​争い​です。エリヤ​の​時代​に​は,その​争い​が​ひときわ​激化​し​て​い​ます。

6 アハブ​王​は​エホバ​を​ひどく​怒らせ​まし​た。シドン​の​王​の​娘​イゼベル​と​結婚​し​た​の​です。イゼベル​は,イスラエル​の​国中​に​バアル​崇拝​を​広め​て​エホバ​の​崇拝​を​根絶​し​よう​と​決意​し​て​い​ます。アハブ​は​すぐ​彼女​の​言いなり​に​なっ​て,バアル​の​ため​の​神殿​と​祭壇​を​造り,その​異教​の​神​に​身​を​かがめる​こと​に​率先​し​ます。―王​一 16:30‐33

7. (イ)バアル​崇拝​が​エホバ​を​非常​に​怒らせ​た​の​は​なぜ​です​か。(ロ)エリヤ​の​時代​の​干ばつ​の​期間​に​つい​て​聖書​の​記述​に​矛盾​は​ない,と​言える​の​は​なぜ​です​か。( 囲みを​含む。)

7 バアル​崇拝​が​エホバ​を​非常​に​怒らせ​た​の​は​なぜ​でしょ​う​か。バアル​崇拝​は​イスラエル​を​たぶらかし,多く​の​人​を​まこと​の​神​から​引き離し​まし​た。この​嫌悪​す​べき​残忍​な​宗教​に​は​神殿​男娼​や​神殿​娼婦​が​おり,性的​乱交​や,子ども​の​生贄​さえ​行なわ​れ​て​い​ます。その​ため​エホバ​は,アハブ​の​もと​に​エリヤ​を​遣わし,神​の​預言​者​が​終わり​を​宣言​する​まで​干ばつ​が​続く​で​あろ​う​と​告げ​させ​まし​た。(王​一 17:1)数​年​後,エリヤ​は​アハブ​に​会い,民​と​バアル​の​預言​者​たち​を​カルメル​山​に​集める​よう​に​と​命じ​まし​た。 *

バアル​崇拝​の​主要​な​特徴​は​現代​で​も​広く​見​られる

8. バアル​崇拝​に​関する​この​記述​は,わたしたち​に​とっ​て​どんな​意味​が​あり​ます​か。

8 この​争い​は,今日​の​わたしたち​に​とっ​て​どんな​意味​が​ある​でしょ​う​か。自分​の​周り​に​は​バアル​の​神殿​も​祭壇​も​ない​から​バアル​崇拝​は​自分​と​は​無縁​だ,と​考える​人​も​いる​でしょ​う。しかし,この​記述​は​単なる​古代​の​歴史​で​は​あり​ませ​ん。(ロマ 15:4)「バアル」と​いう​語​に​は「所有​者」や「主人」と​いう​意味​が​あり​ます。エホバ​神​は​民​に,自分​たち​の「バアル」つまり“夫​たる​所有​者”と​し​て​エホバ​を​選ぶ​べき​で​ある​こと​を​お告げ​に​なり​まし​た。(イザ 54:5)現代​の​人々​も,全能​の​神​以外​の​様々​な​主人​に​仕え​て​いる​の​で​は​ない​でしょ​う​か。人々​は,エホバ​を​崇拝​する​の​で​は​なく,金銭,仕事,レクリエーション,性的​な​快楽​と​いっ​た​神々​に​仕える​こと​に​人生​を​費やし​て​い​ます。それら​を​自分​の​主人​と​し​て​選ん​で​いる​の​です。(マタ 6:24。ローマ 6:16を​読む。バアル​崇拝​の​主要​な​特徴​は​現代​で​も​広く​見​られ​ます。だれ​に​仕える​か​に​関し​て​賢明​な​選択​を​する​うえ​で,古代​に​おける​エホバ​と​バアル​の​対決​は​参考​に​なり​ます。

 「ふらつい​て​いる」― どの​よう​に?

9. (イ)カルメル​山​が​バアル​崇拝​の​正体​を​暴く​の​に​ぴったり​の​場所​で​あっ​た​の​は​なぜ​です​か。(脚注​を​参照。)(ロ)エリヤ​は​民​に​何​と​言い​まし​た​か。

9 カルメル​山​の​上​から​は,周囲​一帯​を​見渡せ​ます。眼下​に​は​キション​の​奔流​の​谷​が​あり,すぐ​近く​に​大海(地中海)が,はるか​北方​に​レバノン​山脈​が​見え​ます。 * しかし,争い​が​最高潮​を​迎える​この​日,太陽​が​昇る​と,辺り​は​ぞっ​と​する​よう​な​眺め​です。エホバ​が​アブラハム​の​子孫​に​お与え​に​なっ​た​肥沃​な​土地​は,今や​死​の​とばり​に​覆わ​れ​て​い​ます。灼熱​の​太陽​に​激しく​焼か​れ,神​の​民​の​愚行​に​よっ​て​損なわ​れ​て​いる​の​です。民​が​集まる​と,エリヤ​は​彼ら​に​近づい​て,こう​言い​ます。「あなた方​は​いつ​まで,二つ​の​異なっ​た​意見​の​間​で​ふらつい​て​いる​の​です​か。もし,エホバ​が​まこと​の​神​で​あれ​ば,これ​に​従っ​て​行き​なさい。 しかし,もし​バアル​が​そう​で​あれ​ば,それ​に​従っ​て​行き​なさい」。―王​一 18:21

10. 民​は​どの​よう​に「二つ​の​異なっ​た​意見​の​間​で​ふらつい​て」い​まし​た​か。どんな​基本​的​な​真理​を​忘れ​て​い​まし​た​か。

10 「二つ​の​異なっ​た​意見​の​間​で​ふらつい​て​いる」と​述べ​た​エリヤ​は,何​を​言お​う​と​し​て​い​た​の​でしょ​う​か。民​は,エホバ​の​崇拝​か​バアル​の​崇拝​か,どちら​か​を​選ば​なけれ​ば​なら​ない,と​いう​こと​を​理解​し​て​い​ませ​ん。その​二つ​を​両立​できる,つまり​忌まわしい​儀式​に​よっ​て​バアル​を​なだめ​つつ,エホバ​神​の​恵み​を​求める​こと​が​できる,と​思っ​て​いる​の​です。バアル​は​作物​と​家畜​を​祝福​し​て​くれ,「万軍​の​エホバ」は​戦い​に​おい​て​保護​し​て​くれる,と​考え​て​い​た​の​か​も​しれ​ませ​ん。(サム​一 17:45)民​は​基本​的​な​真理​を​忘れ​て​い​まし​た。エホバ​は​崇拝​を​だれ​と​も​分け合っ​たり​は​され​ない,と​いう​真理​です。今日​の​多く​の​人​も​その​点​を​理解​し​て​い​ませ​ん。エホバ​は​全き​専心​を​要求​し​て​おら​れ,それ​を​受ける​に​ふさわしい​方​です。エホバ​の​崇拝​に​他​の​何らか​の​崇拝​を​混ぜ合わせる​なら,エホバ​は​それ​を​受け入れ​られ​ませ​ん。それ​は​エホバ​の​怒り​さえ​引き起こす​の​です。―出エジプト​記 20:5を​読む。

11. カルメル​山​で​エリヤ​が​語っ​た​言葉​は,自分​の​優先​順位​と​崇拝​を​再​吟味​する​うえ​で​どの​よう​に​役立つ​と​思い​ます​か。

11 イスラエル​人​は,二つ​の​道​を​同時​に​歩も​う​と​する​人​の​よう​に「ふらつい​て」い​まし​た。今日​で​も,同様​の​間違い​を​犯す​人​が​大勢​い​ます。何らか​の“バアル”が​生活​に​忍び込ん​で​エホバ​の​崇拝​を​押しやる​の​を​許し​て​しまう​の​です。ふらつく​の​を​やめ​なさい​と​いう​エリヤ​の​明快​な​呼びかけ​は,わたしたち​が​自分​の​優先​順位​と​崇拝​を​再​吟味​する​の​に​役立ち​ます。

最高潮​を​なす​対決

12,13. (イ)エリヤ​は​どんな​対決​を​提案​し​まし​た​か。(ロ)エリヤ​の​よう​に​エホバ​へ​の​確信​を​抱い​て​いる​こと​を,どの​よう​に​示せ​ます​か。

12 次い​で​エリヤ​は,一つ​の​対決​を​提案​し​ます。対決​の​方法​は​簡単​です。バアル​の​祭司​たち​と​エリヤ​が,それぞれ​一つ​の​祭壇​を​築い​て,その​上​に​犠牲​を​置き,火​を​つけ​て​くれる​よう​自分​の​神​に​祈る​の​です。「火​に​よっ​て​答える……神​こそ​まこと​の​神​です」と​エリヤ​は​言い​ます。エリヤ​は,どちら​が​まこと​の​神​か​を​よく​知っ​て​い​まし​た。強い​信仰​を​抱い​て​い​た​の​で,ためらう​こと​なく​何​で​も​バアル​の​預言​者​たち​に​有利​に​なる​よう​に​し​ます。まず​彼ら​に,犠牲​に​する​雄牛​を​選ば​せ,バアル​に​呼びかけ​させ​ます。 *王​一 18:24,25

 13 現代​は,奇跡​の​生じる​時代​で​は​あり​ませ​ん。と​は​いえ,エホバ​は​変わっ​て​は​おら​れ​ませ​ん。わたしたち​は​エリヤ​の​よう​に,エホバ​へ​の​確信​を​抱け​ます。聖書​の​教え​に​異議​を​唱える​人​に​会っ​た​場合,恐れ​ず​に,まず​その​人​に​意見​を​述べ​させる​こと​が​でき​ます。エリヤ​と​同じく,まこと​の​神​が​決着​を​つけ​て​くださる​こと​に​信頼​を​置く​の​です。自分​に​頼る​の​で​は​なく,神​の​霊感​の​もと​に​記さ​れ​た​み言葉​に​頼る​こと​に​よっ​て,そう​し​ます。み言葉​に​は「物事​を​正(す)」力​が​ある​の​です。―テモ​二 3:16

エリヤ​は,バアル​崇拝​が​ばかげ​た​いかさま​で​ある​こと​を​知っ​て​おり,神​の​民​に​それ​を​悟ら​せ​たかっ​た

14. エリヤ​は​バアル​の​預言​者​たち​を​どの​よう​に​あざけり​まし​た​か。なぜ​です​か。

14 バアル​の​預言​者​たち​は​犠牲​を​整え,自分​たち​の​神​に​呼びかけ​ます。「ああ,バアル​よ,答え​て​ください!」と​何​度​も​何​度​も​叫び​ます。叫び続け,時間​は​刻々​と​過ぎ​て​ゆき​ます。「しかし,何​の​声​も​なく,答える​者​も​なかっ​た」と​聖書​は​述べ​て​い​ます。真昼​に​なる​と,エリヤ​は​彼ら​を​あざけり​始め​ます。皮肉​たっぷり​に,きっと​バアル​は​忙しすぎ​て​答え​られ​ない​の​だろ​う,あるいは​屋外​便所​で​用​を​足し​て​いる​の​か,昼寝​を​し​て​い​て​だれ​か​に​起こし​て​もらわ​なけれ​ば​なら​ない​の​か​も​しれ​ない,と​言い​ます。「声​を​限り​に​呼べ」と,ぺてん​師​たち​を​あおり​ます。エリヤ​は,バアル​崇拝​が​ばかげ​た​いかさま​で​ある​こと​を​知っ​て​おり,神​の​民​に​それ​を​悟ら​せ​たい​の​です。―王​一 18:26,27

15. バアル​の​祭司​たち​の​例​は,エホバ​以外​の​主人​を​選ぶ​こと​の​愚か​さ​を​どの​よう​に​示し​て​い​ます​か。

15 あざけら​れ​た​バアル​の​祭司​たち​は​狂っ​た​よう​に​なり,「声​を​限り​に​呼ばわっ​たり,彼ら​の​習わし​に​したがって​短剣​や​小槍​で​身​を​傷つけ​たり​し​て,ついに​その​身​に​血​を​流れ出さ​せる​よう​に」なり​ます。しかし,全く​無駄​です。「何​の​声​も​なく,答える​者​も​なく,注意​が​払わ​れる​こと​も​なかっ​た」と​記さ​れ​て​い​ます。(王​一 18:28,29)バアル​など​実在​し​ない​の​です。人々​を​エホバ​から​引き離す​ため​に​サタン​が​捏造​し​た​もの​に​すぎ​ませ​ん。エホバ​以外​の​主人​を​選ぶ​なら,失望​し,恥​を​かく​こと​に​なり​ます。―詩編 25:3; 115:4‐8を​読む。

答え​が​与え​られる

16. (イ)カルメル​山​で​エリヤ​が​エホバ​の​祭壇​を​修理​する​の​を​見​て,民​は​どんな​こと​を​思い出し​た​か​も​しれ​ませ​ん​か。(ロ)エリヤ​は​神​へ​の​確信​を​さらに​どの​よう​に​示し​まし​た​か。

16 午後​遅く,エリヤ​が​犠牲​を​ささげる​番​に​なり​ます。エリヤ​は,清い​崇拝​の​敵対​者​たち​に​よっ​て​壊さ​れ​て​い​た​と​思わ​れる​エホバ​の​祭壇​を​修理​し​ます。その​ 際,12​個​の​石​を​用い​ます。10​部族​の​イスラエル​の​人々​に,彼ら​が​今​で​も​12​部族​全体​に​与え​られ​た​律法​の​下​に​いる​こと​を​思い出さ​せる​ため​でしょ​う。それ​から​エリヤ​は,犠牲​を​置き,すべて​を​水​で​びしょぬれ​に​させ​ます。水​は​近く​の​地中海​から​くん​で​来​た​の​か​も​しれ​ませ​ん。さらに,祭壇​の​周囲​に​掘っ​た​みぞ​に​水​を​満たし​ます。先​ほど​は​すべて​を​バアル​の​預言​者​たち​に​有利​に​なる​よう​に​し​まし​た​が,今度​は​すべて​を​エホバ​に​不利​に​なる​よう​に​し​ます。それ​ほど​まで​に​神​へ​の​確信​が​強かっ​た​の​です。―王​一 18:30‐35

エリヤ​は​祈り​の​中​で,今​も​民​を​気遣っ​て​いる​こと​を​言い表わし​た。エホバ​が「彼ら​の​心​を​引き返さ​せ​て」くださる​の​を​見​たい,と​切望​し​て​い​た​から​で​ある

17. エリヤ​の​祈り​に​は,彼​が​何​を​優先​し​て​い​た​か​が​どの​よう​に​表われ​て​い​ます​か。わたしたち​は​祈り​に​おい​て​どの​よう​に​エリヤ​に​倣え​ます​か。

17 準備​が​すべて​整う​と,エリヤ​は​祈り​を​ささげ​ます。簡潔​ながら​も​力強い​その​祈り​に​は,エリヤ​が​何​を​優先​し​て​い​た​か​が​よく​表われ​て​い​ます。まず​第​一​に,バアル​で​は​なく​エホバ​が「イスラエル​に​おい​て​神」で​ある​こと​が​知らさ​れる​よう​に,と​祈り​ます。次​に,自分​が​エホバ​の​僕​と​し​て​の​務め​を​果たし​て​いる​こと​を​皆​が​知り,すべて​の​栄光​と​誉れ​が​神​に​帰さ​れる​よう​に,と​祈り​ます。そして​最後​に,今​も​民​を​気遣っ​て​いる​こと​を​言い表わし​ます。エホバ​が「彼ら​の​心​を​引き返さ​せ​て」くださる​の​を​見​たい,と​切望​し​て​いる​の​です。(王​一 18:36,37)民​の​不​信仰​の​ゆえに​極めて​悲惨​な​状況​が​生じ​て​いる​に​も​かかわら​ず,エリヤ​は​今​で​も​民​を​愛し​て​い​ます。わたしたち​も​神​へ​の​祈り​の​中​で,謙遜​さ,神​の​み名​に​対する​深い​関心,助け​の​必要​な​人々​へ​の​同情​を​表わす​こと​が​でき​ます。

18,19. (イ)エホバ​は​エリヤ​の​祈り​に​どの​よう​に​お答え​に​なり​まし​た​か。(ロ)エリヤ​は​民​に​何​を​命じ​まし​た​か。バアル​の​祭司​たち​が​憐れみ​を​受ける​に​値し​なかっ​た​の​は​なぜ​です​か。

18 エリヤ​が​祈る​前,群衆​は,エホバ​も​バアル​と​同じく​まやかし​で​ある​こと​が​露呈​する​の​で​は​ない​か,と​考え​た​か​も​しれ​ませ​ん。しかし​祈り​の​後​に​は,考える​暇​など​あり​ませ​ん。こう​記さ​れ​て​い​ます。「すると,エホバ​の​火​が​降っ​て​来​て,焼燔​の​捧げ物​と​薪​と​石​と​塵​と​を​食らい​尽くし,みぞ​の​中​に​あっ​た​水​も​なめ尽くし​た」。(王​一 18:38)目​を​みはる​よう​な​答え​です! 民​は​どう​反応​する​でしょ​う​か。

「すると,エホバ​の​火​が​降っ​て​来(た)」

19 民​は​皆,「エホバ​こそ​まこと​の​神​です! エホバ​こそ​まこと​の​神​です!」と​叫び​ます。(王​一 18:39)ようやく​その​真理​を​悟っ​た​の​です。と​は​いえ,民​は​まだ​少し​も​信仰​を​示し​て​い​ませ​ん。実​の​ところ,祈り​の​答え​と​し​て​天​から​火​が​降っ​て​来る​の​を​見​た​後​に​エホバ​が​まこと​の​神​で​ある​こと​を​認め​た​から​と​いっ​て,信仰​ を​はっきり​表わし​た​こと​に​は​なり​ませ​ん。そこで​エリヤ​は,それ​以上​の​こと​を​求め​ます。何​年​も​前​に​行なう​べき​だっ​た​こと​を​する​よう​に,つまり​エホバ​の​律法​に​従う​よう​に​と​求め​ます。神​の​律法​に​よれ​ば,偽​預言​者​や​偶像​礼拝​者​は​死​に​処せ​られる​べき​でし​た。(申 13:5‐9)バアル​の​祭司​たち​は​エホバ​神​に​あくまで​も​敵対​し,エホバ​の​目的​に​逆らう​こと​を​故意​に​行なっ​て​い​ます。彼ら​は​憐れみ​を​受ける​に​値する​でしょ​う​か。考え​て​み​て​ください。大勢​の​罪​の​ない​子ども​たち​が​バアル​へ​の​犠牲​と​し​て​生き​た​まま​焼か​れ​まし​た。彼ら​は​その​子​たち​に​どれ​ほど​の​憐れみ​を​示し​た​でしょ​う​か。箴言 21:13を​読む。エレ 19:5)ですから,これら​の​祭司​たち​に​は​憐れみ​を​受ける​余地​など​全く​あり​ませ​ん。それ​で​エリヤ​は​祭司​たち​の​処刑​を​命じ,彼ら​は​処刑​さ​れ​ます。―王​一 18:40

20. エリヤ​に​よる​処刑​に​関する​現代​の​批評​家​たち​の​非難​は​事実​に​基づい​て​い​ない,と​言える​の​は​なぜ​です​か。

20 現代​の​一部​の​批評​家​は,カルメル​山​で​の​この​対決​の​結末​を​非難​し​ます。狂信​者​が​これ​を​根拠​に​し​て​宗教​的​不​寛容​の​暴力​行為​を​正当​化​する​の​で​は​ない​か,と​心配​する​人​も​い​ます。残念​ながら,今日,暴力​的​な​狂信​者​は​たくさん​い​ます。しかし,エリヤ​は​狂信​者​で​は​あり​ませ​ん。エホバ​の​代理​と​し​て​公正​な​処刑​を​行なっ​た​の​です。さらに​真​の​クリスチャン​は,邪悪​な​者​たち​に​対し​て​剣​を​取る​点​で​エリヤ​に​倣う​わけ​に​は​ゆか​ない,と​いう​こと​を​知っ​て​い​ます。イエス​の​弟子​すべて​の​ため​の​規準​が​ある​から​です。その​規準​は,ペテロ​に​対する​イエス​の​次​の​言葉​に​示さ​れ​て​い​ます。「あなた​の​剣​を​元​の​所​に​納め​なさい。すべて​剣​を​取る​者​は​剣​に​よっ​て​滅びる​の​です」。(マタ 26:52)将来,エホバ​は​み子​を​用い​て​ご自分​の​公正​を​施行​さ​れ​ます。

21. 今日​の​真​の​クリスチャン​は​どんな​点​で​エリヤ​の​模範​に​倣え​ます​か。

21 真​の​クリスチャン​に​は,信仰​の​生活​を​送る​責任​が​あり​ます。(ヨハ 3:16)そう​する​ため​の​一つ​の​方法​は,エリヤ​の​よう​な​信仰​の​人​に​倣う​こと​です。エリヤ​は,エホバ​だけ​を​崇拝​し,そう​する​よう​他​の​人​を​励まし​まし​た。人々​を​エホバ​から​引き離す​ため​に​サタン​が​用い​て​い​た​宗教​が​いかさま​で​ある​こと​を,大胆​に​暴露​し​まし​た。そして,自分​の​能力​や​考え​に​頼る​の​で​は​なく,エホバ​が​決着​を​つけ​て​くださる​こと​に​信頼​を​置き​まし​た。エリヤ​は​清い​崇拝​を​擁護​し​まし​た。わたしたち​も​ぜひ​その​信仰​に​倣い​ましょ​う。

^ 9節 通常,カルメル​は​緑​豊か​な​場所​です。湿気​を​含ん​だ​海風​が​山​の​斜面​に​ぶつ​かっ​て​上昇​する​時,雨​を​降らせ​たり,多量​の​露​を​残し​たり​する​から​です。バアル​は​雨​を​もたらす​神​と​され​て​い​た​の​で,この​山​は​バアル​崇拝​に​とっ​て​重要​な​場所​だっ​た​よう​です。乾い​た​不毛​の​地​と​なっ​た​カルメル​は,バアル​崇拝​が​いかさま​で​ある​こと​を​暴く​の​に​ぴったり​の​場所​でし​た。

^ 12節 エリヤ​は​バアル​の​預言​者​たち​に,犠牲​に「火​を​つけ​て​は​なり​ませ​ん」と​言い​まし​た。学​者​たち​に​よる​と,偶像​礼拝​者​たち​は,下部​に​秘密​の​空洞​が​ある​祭壇​を​用い​て,超​自然​的​な​方法​で​火​が​つい​た​か​の​よう​に​見せかける​こと​が​あり​まし​た。