1. マルタ​は​なぜ​悲しん​で​い​まし​た​か。

マルタ​の​脳裏​に​は,自分​の​兄弟​の​墓,入口​を​石​で​封じ​られ​た​洞くつ​が​焼き付い​て​い​ます。マルタ​は,その​石​の​よう​に​冷たく​重い​悲しみ​に​打ちひしが​れ​て​い​ます。愛する​ラザロ​が​もう​い​ない​と​は,とても​信じ​られ​ませ​ん。ラザロ​が​息​を​引き取っ​て​から​の​4​日​間​は,悲嘆​に​暮れ,弔問​客​を​迎え,悔やみ​の​言葉​を​聞く​など​し​て,あっと​いう​間​に​過ぎ​て​しまい​まし​た。

2,3. (イ)イエス​の​姿​を​見​て,マルタ​は​どんな​気持ち​に​なっ​た​か​も​しれ​ませ​ん​か。(ロ)マルタ​の​述べ​た​重要​な​言葉​から,マルタ​に​つい​て​どんな​こと​が​分かり​ます​か。

2 マルタ​の​目​の​前​に​は,ラザロ​の​かけがえ​の​ない​友​イエス​が​い​ます。その​姿​を​見る​と,また​悲しみ​が​こみ上げ​て​き​ます。イエス​が​い​て​くれ​さえ​し​た​なら,ラザロ​は​死な​ず​に​済ん​だ​こと​でしょ​う。と​は​いえ​マルタ​は,イエス​が​来​て​くれ​た​こと​で​幾らか​慰め​られ​ます。ここ​は,丘​の​斜面​に​ある​ベタニヤ​と​いう​小さな​町​の​外れ​です。マルタ​は​いつも​イエス​の​優しい​まなざし​や​深い​思いやり​に​力づけ​られ​て​い​まし​た​が,この​わずか​な​ひととき​も​そう​でし​た。この​時​イエス​から​尋ね​られ​た​事柄​に​より,マルタ​は​自分​の​抱く​信仰​に,また​復活​に​つい​て​信じ​て​いる​事柄​に​思い​を​向け​ます。そして​印象​的​な​言葉​を​口​に​し​ます。それ​は,生涯​中​に​語っ​た​言葉​の​中​で​とりわけ​重要​な​言葉​です。「わたし​は,あなた​が​神​の​子​キリスト,世​に​おいで​に​なる​はず​の​方​で​ある​こと​を​信じ​て​まいり​まし​た」と​言っ​た​の​です。―ヨハ 11:27

3 この​言葉​から​分かる​よう​に,マルタ​は​信仰​の​点​で​際立っ​た​女性​です。マルタ​の​こと​は​聖書​に​少し​しか​記さ​れ​て​い​ませ​ん​が,その​記述​に​は,わたしたち​の​信仰​を​強める​意味深い​教訓​が​含ま​れ​て​い​ます。どんな​教訓​を​学べる​の​か,マルタ​に​つい​て​の​最初​の​記述​を​見​て​み​ましょ​う。

「思い煩っ​て​気​を​乱し​て​い​ます」

4. マルタ​の​家族​は​どんな​点​で​普通​の​家族​と​は​異なっ​て​い​まし​た​か。この​家族​と​イエス​に​は,どんな​交友​が​あり​まし​た​か。

4 何​か月​か​前​の​こと​です。ラザロ​は​まだ​健在​でし​た。ベタニヤ​に​ある​ラザロ​ の​家​に​は,最も​大切​な​客​イエス​・​キリスト​が​来る​こと​に​なっ​て​い​ます。ラザロ​と​マルタ​と​マリア​は,普通​の​家族​と​は​異​なり,成人​し​た​実​の​兄弟​姉妹​3​人​で​1​軒​の​家​に​住ん​で​い​た​よう​です。3​人​の​うち​最​年長​は​マルタ​だっ​た​か​も​しれ​ない,と​考える​研究​者​たち​も​い​ます。マルタ​が​主人​役​を​務め​て​いる​よう​で​あり,最初​に​名前​を​挙げ​られ​て​いる​箇所​も​ある​から​です。(ヨハ 11:5)3​人​の​いずれ​か​に​結婚​歴​が​あっ​た​か​どう​か​は​分かり​ませ​ん。いずれ​に​せよ,彼ら​は​イエス​の​親しい​友​と​なり​ます。イエス​は,反対​や​敵意​を​示す​人​が​非常​に​多い​ユダヤ​で​の​宣教​期間​中,彼ら​の​家​を​拠点​と​し​まし​た。その​家​で​安らぎ​や​支え​が​得​られる​こと​を,とても​ありがたく​思っ​た​に​違いあり​ませ​ん。

5,6. (イ)イエス​が​来​た​時,マルタ​が​非常​に​忙しかっ​た​の​は​なぜ​です​か。(ロ)イエス​が​来​て​開か​れ​た​機会​に,マリア​は​どう​応じ​まし​た​か。

5 マルタ​に​は,家​を​快適​な​場所​に​し,客​を​もてなす​ため​に,なす​べき​こと​が​たくさん​あり​まし​た。勤勉​な​人​で​ある​マルタ​は,いつも​忙しく​働い​て​い​た​よう​に​見受け​られ​ます。イエス​を​迎える​この​時​も​そう​でし​た。その​大切​な​客​を​もてなそ​う​と,すぐ​に​計画​を​立て,特別​な​食事​の​機会​を​設け​て​たくさん​の​料理​を​出す​こと​に​し​ます。おそらく,連れ​の​人々​の​うち​幾​人​か​を​も,もてなそ​う​と​し​た​こと​でしょ​う。当時,人​を​もてなす​こと​は​非常​に​重要​でし​た。客​が​到着​する​と,口づけ​を​もっ​て​迎え,サンダル​を​脱が​せ​て​足​を​洗い,気分​を​さわやか​に​する​香油​を​客​の​頭​に​塗り​まし​た。ルカ 7:44‐47を​読む。客​の​宿​や​食事​に​関し​て​万全​を​期す​こと​に​なっ​て​い​まし​た。

6 ですから,マルタ​と​マリア​に​は,行なう​べき​仕事​が​山​ほど​あり​まし​た。時​に​マルタ​より​繊細​で​瞑想​的​と​される​マリア​も,最初​は​マルタ​の​手伝い​を​し​て​い​た​こと​でしょ​う。しかし,イエス​が​到着​する​と​状況​は​変わり​ます。イエス​は,その​時​を​教える​機会​と​考え​た​の​です。当時​の​宗教​指導​者​たち​と​は​異​なり,女性​に​敬意​を​払い,宣教​の​テーマ​で​ある​神​の​王国​に​つい​て​進ん​で​教え​まし​た。マリア​は,その​機会​に​胸​を​躍らせ,イエス​の​足もと​に​座っ​て​一心​に​耳​を​傾け​ます。

7,8. マルタ​の​心​の​内​で​緊張​が​高まっ​て​い​た​の​は​なぜ​です​か。ついに​マルタ​は​何​と​言い​まし​た​か。

7 マルタ​の​心​の​内​に​は,緊張​が​高まっ​て​い​た​こと​でしょ​う。作ら​なけれ​ば​なら​ない​料理​や,客​の​ため​に​果たさ​なけれ​ば​なら​ない​用事​を​あれこれ​考える​うち​に,ますます​思い煩い,取り乱し​ます。部屋​の​中​を​忙しく​行き来​し​て​いる​と,何​の​手伝い​も​せ​ず​に​座っ​て​いる​マリア​が​目​に​入り​ます。マルタ​は​顔色​が​変わり,聞こえよ​が​し​に​ため息​を​つき,まゆ​を​しかめ​た​でしょ​う​か。そう​だっ​た​と​し​て​も​無理​は​あり​ませ​ん。すべて​の​仕事​を​一​人​で​こなす​こと​など​でき​ない​から​です。

8 ついに​マルタ​は,不満​を​こら​え​きれ​なく​なり,イエス​の​話​を​遮っ​て​こう​言っ​て​しまい​ます。「主​よ,わたし​の​姉妹​が​わたし​ひとり​に​用事​を​させ​て​おり​ます​ こと​を​何​と​も​思わ​れ​ない​の​です​か。ですから,一緒​に​なっ​て​わたし​を​助ける​よう​彼女​に​おっしゃっ​て​ください」。(ルカ 10:40)それ​は​強い​言葉​でし​た。マルタ​は​イエス​に,マリア​を​正し​て​仕事​に​戻る​よう​命じ​て​ください,と​言っ​て​い​た​の​です。

9,10. (イ)イエス​は​マルタ​に​何​と​答え​まし​た​か。(ロ)イエス​が​マルタ​の​懸命​な​努力​を​否定​し​て​い​た​わけ​で​は​ない,と​言える​の​は​なぜ​です​か。

9 イエス​の​答え​に,マルタ​は​驚い​た​か​も​しれ​ませ​ん。この​記述​を​読ん​で,同じ​よう​に​意外​に​思う​人​も​少なく​あり​ませ​ん。イエス​は​優しく​こう​言っ​た​の​です。「マルタ,マルタ,あなた​は​多く​の​こと​を​思い煩っ​て​気​を​乱し​て​い​ます。ですが,必要​な​の​は​わずか​な​もの,と​いう​より​一つ​だけ​です。マリア​は​良い​もの​を​選ん​だ​の​で​あり,それ​が​彼女​から​取り去ら​れる​こと​は​あり​ませ​ん」。(ルカ 10:41,42)何​を​言お​う​と​し​て​い​た​の​でしょ​う​か。マルタ​は​物質​主義​者​だ,と​言っ​て​い​た​の​です​か。ごちそう​を​準備​する​マルタ​の​懸命​な​努力​を​否定​し​て​い​た​の​です​か。

マルタ​は「多く​の​こと​を​思い煩っ​て​気​を​乱し​て」い​た​が,矯正​を​謙遜​に​受け入れ​た

10 そう​で​は​あり​ませ​ん。イエス​は,マルタ​の​動機​が​愛​に​基づく​純粋​な​もの​で​ある​こと​を​よく​知っ​て​い​まし​た。また,気前よく​もてなす​の​は​必ずしも​間違っ​て​いる​わけ​で​は​ない,と​考え​て​い​まし​た。以前,マタイ​から「盛大​な​歓迎​の​宴」に​招か​れ​た​時,快く​応じ​た​の​です。(ルカ 5:29)マルタ​の​場合,問題​だっ​た​の​は,どんな​食事​を​準備​し​て​い​た​か​で​は​なく,何​を​優先​し​て​い​た​か​でし​た。マルタ​は,手​の​込ん​だ​食事​を​用意​し​よう​と​する​あまり,最も​大切​な​事柄​を​見失っ​て​い​まし​た。それ​は​何​でし​た​か。

イエス​は,マルタ​の​動機​が​愛​に​基づく​純粋​な​もの​で​ある​こと​を​知っ​て​おり,その​もてなし​を​ありがたく​思っ​た

11,12. イエス​は​どの​よう​に​マルタ​を​正し​まし​た​か。

11 エホバ​神​の​独り子​イエス​が​マルタ​の​家​で​真理​を​教え​て​い​た​の​です。素晴らしい​食事​や​いろいろ​な​準備​など,どんな​事柄​も,イエス​の​教え​を​聞く​こと​ほど​重要​で​は​あり​ませ​ん。マルタ​は​信仰​を​深める​類いまれ​な​機会​を​逃し​て​い​まし​た。イエス​は​それ​を​残念​に​思っ​た​に​違いあり​ませ​ん​が,マルタ​の​し​たい​よう​に​させ​て​い​まし​た。 * しかし,マリア​に​も​その​機会​を​得​させ​ない​よう​に​し​て​ください,と​いう​頼み​に​応じる​こと​は​でき​ませ​ん。

12 そこで​イエス​は,優しく​マルタ​を​正し​ます。いらだち​を​和らげる​よう​に​マルタ​の​名​を​二​度​呼び,「多く​の​こと​を​思い煩っ​て​気​を​乱(す)」必要​など​ない,と​言い​ます。簡単​な​食事​で,一品​か​二​品​あれ​ば​十分​な​の​です。霊的​な​宴​に​あずかれる​場合​は​特に​そう​です。 ですから​イエス​は,マリア​の​選ん​だ「良い​もの」,つまり​イエス​から​学ぶ​機会​を​取り去っ​たり​は​し​ませ​ん。

13. イエス​が​マルタ​を​正し​た​時​に​語っ​た​言葉​から,どんな​教訓​を​学べ​ます​か。

13 生活​の​この​ひとこま​に​は,今日​の​キリスト​の​追随​者​たち​に​役立つ​多く​の​教訓​が​含ま​れ​て​い​ます。何​か​に​妨げ​られ​て​自分​の「霊的​な​必要」を​満たす​こと​が​脇​に​押しやら​れる,と​いう​こと​が​あっ​て​は​なり​ませ​ん。(マタ 5:3)マルタ​の​寛大​さ​や​勤勉​さ​に​倣い​たい​と​は​いえ,人​を​もてなす​上​で​さほど​重要​で​は​ない​事柄​を「思い煩っ​て​気​を​乱(す)」あまり,最も​大切​な​事柄​を​見失わ​ない​よう​に​し​ましょ​う。信仰​の​仲間​と​の​交わり​は,おもに​豪華​な​食事​を​共​に​する​ため​の​もの​で​は​なく,相互​に​励まし合い,霊的​な​賜物​を​分かち合う​ため​の​もの​です。ローマ  1:11,12を​読む。そう​し​た​ひととき​は,ごく​簡単​な​食事​で​あっ​て​も,励み​の​多い​機会​と​なる​でしょ​う。

愛する​兄弟​の​死 ― そして​復活

14. 矯正​を​受け入れる​点​で​マルタ​が​良い​模範​で​ある,と​言える​の​は​なぜ​です​か。

14 マルタ​は,イエス​の​優しい​戒め​を​受け入れ,それ​から​学ん​だ​でしょ​う​か。学ん​だ​と​考え​られ​ます。使徒​ヨハネ​は,マルタ​の​兄弟​ラザロ​に​関する​胸​の​躍る​よう​な​記述​の​初め​の​ほう​で,「イエス​は​マルタ​と​その​姉妹​および​ラザロ​を​愛し​て​おら​れ​た」と​記し​て​い​ます。(ヨハ 11:5)これ​は​イエス​が​先​に​ベタニヤ​を​訪れ​た​時​から​何​か月​か​後​の​こと​です。マルタ​が​ふてくされ​たり,親切​に​助言​し​た​イエス​を​恨ん​だり​し​て​い​なかっ​た​こと​は​明らか​です。助言​を​真剣​に​受け止め​た​の​です。この​点​で​マルタ​は​立派​な​信仰​を​示し​まし​た。わたしたち​も​その​模範​に​倣え​ます。だれしも​時​に​は,何​か​の​こと​で​正さ​れる​必要​が​ある​の​で​は​ない​でしょ​う​か。

15,16. (イ)ラザロ​が​病気​に​なっ​た​時,マルタ​は​どう​し​た​に​違いあり​ませ​ん​か。(ロ)マルタ​と​マリア​の​望み​が​絶た​れ​た​の​は​なぜ​です​か。

15 ラザロ​が​病気​に​なる​と,マルタ​は​懸命​に​看病​し​た​に​違いあり​ませ​ん。ラザロ​の​苦痛​を​和らげ​回復​を​助ける​ため​に,できる​こと​は​何​で​も​し​ます。それでも​ラザロ​の​容態​は​悪く​なっ​て​ゆき​ます。マルタ​と​マリア​は,何​時間​も​ずっ​と​ラザロ​に​付き添っ​て​看病​し​ます。マルタ​は​ラザロ​の​やつれ​た​顔​を​見つめ​て​は,一緒​に​過ごし​た​年月​や,共​に​経験​し​た​喜び​や​悲しみ​を​思い起こし​た​こと​でしょ​う。

16 マルタ​と​マリア​は,自分​たち​の​力​で​は​もう​ラザロ​を​助け​られ​ない​よう​に​思え​た​時,イエス​の​もと​へ​伝言​を​送り​まし​た。イエス​は,ベタニヤ​から​2​日​ぐらい​の​道のり​の​場所​で​宣べ伝え​て​い​まし​た。その​伝言​は,「主​よ,ご覧​ください,あなた​が​愛情​を​抱い​て​くださる​者​が​病気​です」と​いう​簡潔​な​もの​でし​た。(ヨハ 11:1,3)二​人​は,イエス​が​友​の​ラザロ​を​愛し​て​いる​こと​を​知っ​て​おり,できる​こと​は​何​で​も​し​て​くださる​と​信じ​て​い​まし​た。手後れ​に​なら​ない​うち​に​イエス​が​到着​する​こと​に​望み​を​かけ​て​い​た​の​でしょ​う​か。もし​そう​なら,その​望み​は​絶た​れ​まし​た。ラザロ​は​死ん​だ​の​です。

17. マルタ​の​頭​の​中​で,どうして​と​いう​思い​が​募っ​た​の​は​なぜ​です​か。イエス​が​町​の​近く​に​来​て​いる​と​聞い​て,マルタ​は​どう​し​まし​た​か。

17 マルタ​と​マリア​は,ラザロ​の​死​を​悼み,埋葬​の​準備​を​し,ベタニヤ​周辺​から​の​多く​の​客​を​迎え​ます。イエス​から​は​まだ​何​の​連絡​も​あり​ませ​ん。時間​が​たつ​に​つれ,マルタ​の​頭​の​中​に​は,どうして​と​いう​思い​が​募っ​た​こと​でしょ​う。そして​ラザロ​の​死​から​4​日​後,イエス​が​町​の​近く​に​来​て​いる​と​聞き​ます。行動​的​な​女性​で​ある​マルタ​は,この​よう​な​つらい​時​に​も​立ち上がり,マリア​に​は​何​も​告げ​ず​に​急い​で​イエス​を​出迎え​に​行き​ます。―ヨハネ 11:18‐20を​読む。

18,19. マルタ​は​どんな​希望​を​言い表わし​まし​た​か。マルタ​の​信仰​が​際立っ​て​いる​の​は​なぜ​です​か。

 18 マルタ​は​イエス​の​姿​を​見る​と,自分​と​マリア​を​幾​日​も​悩ませ​て​き​た​考え​を​言葉​に​し,「主​よ,もし​ここ​に​い​て​くださっ​た​なら,わたし​の​兄弟​は​死な​なかっ​た​こと​でしょ​う」と​言い​ます。それでも,希望​や​信仰​を​失っ​た​わけ​で​は​あり​ませ​ん。「わたし​は​今,あなた​が​神​に​お求め​に​なる​こと​は,神​が​みな​お与え​に​なる​こと​を​知っ​て​おり​ます」と​も​述べ​ます。すぐ​に​イエス​は​マルタ​の​信仰​を​強める​言葉​を​語り,「あなた​の​兄弟​は​よみがえり​ます」と​言い​ます。―ヨハ 11:21‐23

19 マルタ​は,イエス​が​将来​の​復活​の​こと​を​言っ​て​いる​の​だ​と​思い,「彼​が​終わり​の​日​の​復活​の​際​に​よみがえる​こと​は​知っ​て​おり​ます」と​答え​ます。(ヨハ 11:24)マルタ​は​復活​の​教え​に​対し​て​際立っ​た​信仰​を​抱い​て​い​まし​た。その​教え​は,霊感​の​もと​に​記さ​れ​た​聖書​に​はっきり​述べ​られ​て​い​ます。それ​に​も​かかわら​ず,ユダヤ​人​の​宗教​指導​者​で​ある​サドカイ​人​は,復活​が​ある​こと​を​否定​し​て​ い​まし​た。(ダニ 12:13。マル 12:18)一方​マルタ​は,イエス​が​復活​の​希望​を​教え​た​こと​や,幾​人​か​を​すでに​復活​さ​せ​た​こと​を​知っ​て​い​まし​た。もっとも,死後​に​これ​ほど​時間​が​たっ​て​から​復活​さ​せ​られ​た​人​は​い​ませ​ん​でし​た。これ​から​何​が​起きる​の​か​分から​なかっ​た​の​も​無理​は​あり​ませ​ん。

20. ヨハネ 11​章​25‐27​節​に​記さ​れ​て​いる,イエス​の​忘れ​難い​言葉​と​マルタ​の​答え​に​は,どんな​意味​が​あり​ます​か。

20 次い​で​イエス​は,「わたし​は​復活​で​あり,命​です」と​いう​忘れ​難い​言葉​を​述べ​ます。実際,エホバ​神​は​み子​に,将来​全地​で​死者​を​復活​さ​せる​権威​を​与え​て​おら​れ​ます。イエス​は​マルタ​に,「あなた​は​これ​を​信じ​ます​か」と​問いかけ​ます。その​時​マルタ​は,この​章​の​序論​で​取り上げ​た​言葉​を​述べ​まし​た。イエス​が​キリスト​すなわち​メシア​で​あり,エホバ​神​の​子​で​あり,世​に​来る​こと​を​預言​者​たち​が​予告​し​て​い​た​方​で​ある,と​いう​信仰​を​抱い​て​い​た​の​です。―ヨハ 5:28,29。ヨハネ 11:25‐27を​読む。

21,22. (イ)イエス​は,嘆き悲しむ​人​たち​に​対する​気持ち​を​どの​よう​に​表わし​まし​た​か。(ロ)ラザロ​が​復活​さ​せ​られ​た​時​の​こと​を​説明​し​て​ください。

21 エホバ​神​と​み子​イエス​・​キリスト​は,マルタ​の​よう​な​信仰​を​高く​評価​なさい​ます​か。これ​から​マルタ​の​目​の​前​で​起きる​事柄​が​紛れ​も​ない​答え​と​なり​ます。マルタ​は​急い​で​マリア​を​呼び​に​行き​ます。その​あと​マルタ​は,イエス​が​マリア​や​その​傍ら​で​嘆き悲しむ​人​たち​と​話す​うち​に​深く​心​を​動かさ​れる​様子​を​目​に​し​ます。イエス​は​死​の​もたらす​苦痛​を​見​て​深く​悲嘆​し,涙​を​流し​た​の​です。マルタ​は​また,ラザロ​の​墓​から​石​を​転がしのける​よう​命じる​イエス​の​言葉​を​聞き​ます。―ヨハ 11:28‐39

22 現実​的​な​人​で​ある​マルタ​は,死後​4​日​に​なる​の​で​臭く​なっ​て​いる​はず​です,と​言い​ます。すると​イエス​は​マルタ​に,「信じる​なら​神​の​栄光​を​見る​でしょ​う​と,わたし​は​言い​ませ​ん​でし​た​か」と​述べ​ます。マルタ​は​確か​に​信じ,実際​に​エホバ​神​の​栄光​を​見​まし​た。まさに​その​時,神​が​み子​に​力​を​与え​て​ラザロ​を​生き返ら​せ​た​の​です。この​時​に​起き​た​こと​は,細か​な​点​まで​マルタ​の​記憶​に​深く​刻ま​れ​た​に​違いあり​ませ​ん。思い描い​て​み​て​ください。「ラザロ​よ,さあ,出​て​来​なさい!」と​いう​イエス​の​声​が​響き渡り​ます。ラザロ​の​埋葬​さ​れ​て​いる​洞くつ​から,かすか​な​音​が​聞こえ​て​き​ます。ラザロ​が​起き上がり,埋葬​の​ため​の​巻き布​を​巻か​れ​た​まま,洞くつ​の​入口​へ​と​少し​ずつ​進ん​で​来​た​の​です。「彼​を​解い​て,行か​せ​なさい」と​イエス​が​命じ​ます。マルタ​と​マリア​は​ラザロ​の​腕​に​飛び込ん​で,我​を​忘れ​て​抱き合っ​た​に​違いあり​ませ​ん。ヨハネ 11:40‐44を​読む。マルタ​の​心​に​重く​のしかかっ​て​い​た​悲しみ​は​取り除か​れ​まし​た。

イエス​に​対する​マルタ​の​信仰​は​報わ​れ,マルタ​と​マリア​は​ラザロ​の​復活​を​目撃​し​た

23. エホバ​と​イエス​は​あなた​の​ため​に​何​を​し​たい​と​願っ​て​おら​れ​ます​か。あなた​に​は​何​が​求め​られ​ます​か。

 23 この​記述​が​示す​よう​に,死者​の​復活​は​単なる​夢​物語​で​は​あり​ませ​ん。心​温まる​聖書​の​教え​で​あり,歴史​上​の​確か​な​事実​です。(ヨブ 14:14,15)エホバ​と​み子​は,マルタ,マリア,ラザロ​の​場合​に​なさっ​た​よう​に,わたしたち​の​信仰​に​ぜひ​報い​たい​と​思っ​て​おら​れ​ます。あなた​も​強い​信仰​を​培う​なら,お二方​は​その​よう​な​報い​を​与え​て​くださる​でしょ​う。

「マルタ​は​給仕​し​て​い​た」

24. マルタ​の​こと​が​最後​に​出​て​くる​記述​に​は,何​と​あり​ます​か。

24 聖書​に​は,マルタ​の​こと​が​もう​1​回​だけ​出​て​き​ます。イエス​が​地上​で​過ごし​た​最後​の​週​の​初め​の​こと​です。前途​に​どんな​辛苦​が​待ち受け​て​いる​か​を​知っ​て​い​た​イエス​は,今回​も​ベタニヤ​の​心​安らぐ​この​家​に​滞在​する​こと​に​し​ます。そして,そこ​から​3​㌔​ほど​の​道のり​を​歩い​て​エルサレム​に​行く​こと​に​なり​ます。マルタ​の​こと​が​最後​に​出​て​くる​記述​は,らい病​人​シモン​の​家​で​イエス​と​ラザロ​が​食事​を​し​て​い​た​時​の​こと​で,そこ​に​は「マルタ​は​給仕​し​て​い​た」と​あり​ます。―ヨハ 12:2

25. 今日​の​会衆​に​マルタ​の​よう​な​女性​たち​が​いる​の​は,なぜ​喜ばしい​こと​です​か。

25 いかにも​勤勉​な​マルタ​らしい​行動​です。聖書​に​初めて​登場​し​た​時​も​働い​て​い​まし​た​が,最後​に​登場​し​た​時​に​も​やはり​働い​て​い​て,周り​の​人​たち​の​必要​を​顧みる​ため​に​最善​を​尽くし​て​い​ます。喜ばしい​こと​に,今日​の​クリスチャン​会衆​に​も​マルタ​の​よう​な​女性​たち​が​い​ます。しっかり​し​て​い​て​寛大​で,自分​を​与える​こと​に​よっ​て​いつも​信仰​を​実践​し​て​いる​人​たち​です。マルタ​は​きっと,その​よう​な​歩み​を​続け​た​こと​でしょ​う。それ​は​賢明​な​こと​で​も​あり​ます。多く​の​困難​が​待ち受け​て​い​た​から​です。

26. マルタ​に​とっ​て,信仰​は​どんな​点​で​助け​と​なり​まし​た​か。

26 それ​から​幾​日​も​し​ない​うち​に,マルタ​は,愛する​主​イエス​の​悲惨​な​死​を​耐え忍ば​なけれ​ば​なり​ませ​ん​でし​た。さらに,イエス​を​殺し​た​残忍​な​偽善​者​たち​は​ラザロ​を​も​殺そ​う​と​し​て​い​まし​た。ラザロ​の​復活​に​よっ​て,非常​に​多く​の​人​が​信仰​を​持つ​よう​に​なっ​た​から​です。ヨハネ 12:9‐11を​読む。そして​当然​ながら,マルタ​と​マリア​と​ラザロ​を​結び合わせ​て​い​た​愛​の​絆​は,やがて​死​に​よっ​て​断ち切ら​れ​まし​た。その​時​が​いつ​どの​よう​に​訪れ​た​か​は​知る​由​も​あり​ませ​ん。と​は​いえ,その​貴重​な​信仰​は​マルタ​が​最後​まで​耐え忍ぶ​助け​に​なっ​た​に​違いあり​ませ​ん。ですから,今日​の​クリスチャン​が​マルタ​の​信仰​に​倣う​の​は​良い​こと​です。

^ 11節 1​世紀​の​ユダヤ​人​社会​で​は​普通,女性​に​は​教師​から​学ぶ​機会​は​あり​ませ​ん​でし​た。むしろ,家事​を​習う​こと​に​重き​が​置か​れ​まし​た。その​ため​マルタ​は,女性​が​学​者​の​足もと​に​座っ​て​学ぶ​こと​など​あり得​ない,と​考え​て​い​た​の​か​も​しれ​ませ​ん。