使徒​の​活動 7:1-60

7  だいさいは,「そのとおりなのか」とった。  ステファノはこたえた。「みなさん,きょうだいたちもねんちょうかたがたも,いてください。アブラハムがハランにまえ,メソポタミアにいるあいだに,えいこうかみがアブラハムにあらわれて+  『あなたのしんぞくはなれ,わたししめきなさい+』といました。  それでアブラハムはカルデアじんて,ハランにみました。そしてかみはアブラハムを,かれちち+,あなたがたんでいるこのじゅうさせました+  でも,そこではすこしもあたえませんでした。あしはばほどもです。しかし,そこをアブラハムとそのそんしょゆうとしてあたえることをやくそくしました+。それはまだかれどもがいないときでした+  さらにかみは,アブラハムのそんがよそのくにがいこくじんとしてらし,れいにされて400ねんかんくるしめられる*,とげました+  またこういました。『わたしは,かれらをれいにしたこくみんしょばつする+。そのかれらはそのくにて,このしょわたししんせいほうをする+』。  そしてかみはアブラハムとかつれいけいやくむすびました+。アブラハムは,まれたイサク+に8かつれいほどこ+,イサクにもヤコブがまれ,ヤコブにも12にんまれてかれらはちょうとなりました。  ちょうたちはきょうだいのヨセフにしっ+,エジプトへりました+。しかしかみはヨセフとともにいて+ 10  あらゆるなんからすく+,エジプトのおうファラオのまえめぐみをしめせるようにしました。それでおうはヨセフを,エジプトとおうぜんたいおさめるたちにんめいしました+ 11  さて,エジプトとカナンのぜんきんおそわれ,しんこくたいになり,たちはべるものはいらなくなりました+ 12  しかしヤコブはエジプトにしょくりょう*があるとき,息子むすこたちをつかわしました+ 13  2ときに,ヨセフはぶんのことをきょうだいたちにかし,ヨセフのぞくのことがファラオにらされました+ 14  ヨセフはでんごんつたえて,ちちおやのヤコブとしんぞくぜんいんぜんで75にん+せました+ 15  こうしてヤコブはエジプトへくだ+,ヤコブ+息子むすこたちはそこでにました+ 16  かれらはシェケムにはこばれ,アブラハムがシェケムのハモルのからぎん*ったはかほうむられました+ 17  かみがアブラハムにげたやくそくじつげんときちかづいていたころたみえてエジプトじゅうひろがり, 18  やがて,ヨセフのことをらないべつおうがエジプトをおさはじめました+ 19  このおうわたしたちのみんぞく*たいしてわるはたらかせ,どうにもちちたちにようてさせ,ようつづけられないようにしました+ 20  モーセがまれたのはそのころです。きわめてうつくしいでした。そして3カげつかんぶんちちおやいえそだてられました+ 21  しかし,てられたとき+,ファラオのむすめひろわれ,かのじょとしてそだてられました+ 22  モーセはエジプトじんのあらゆるおしえられ,はなしこうどうちからづよいものでした+ 23  モーセは40さいときぶんきょうだいであるイスラエルのたみところ*ことにしました+ 24  そしてたみ1人ひとりをエジプトじんとうあつかっているのをると,ぎゃくたいされていたひとをかばい,そのエジプトじんたおしてふくしゅうしました+ 25  モーセは,かみぶん使つかってきょうだいたちをすくおうとしていることをかいしてもらえるとおもったのですが,きょうだいたちはかいしませんでした。 26  つぎ,モーセはきょうだいたちがあらそっているところにあらわれ,なかなおりさせようとして,『あなたたちはきょうだいです。どうしていためつけうのですか』といました+ 27  ところが,なかいためつけていたひとがモーセをしやって,いました。『だれがあなたをわれわれのはいしゃさいばんにんにしたのか。 28  昨日きのうエジプトじんにしたようにしてわたしころそうとでもいうのか+』。 29  これをいてモーセはげ,ミディアンほうがいこくじんとしてらし,そこで2人ふたり息子むすこをもうけました+ 30  それから40ねんぎ,シナイさんこうで,さかるいばらのなかてん使あらわれました+ 31  それをたモーセはとてもおどろきました。しかし調しらべようとしてちかづいていくと,エホバのこえがしました。 32  『わたしはあなたのかみ,アブラハムとイサクとヤコブのかみである+』。モーセはふるえだし,それじょう調しらべようとはしませんでした。 33  エホバはいました。『サンダルをぎなさい。あなたがっているのはせいなるしょだからだ+ 34  わたしは,エジプトにいるわたしたみぎゃくたいされるのをたしかに,うめくのをいて+かれらをすくすためにくだってきた。さあ,あなたをエジプトにつかわす+』。 35  たみが『だれがあなたをはいしゃさいばんにんにしたのか+』とって退しりぞけたそのモーセが,いばらのなかあらわれたてん使によって,はいしゃまたきゅうしゅつしゃとしてかみからつかわされたのです+ 36  このひとたみ+,エジプトで+こうかい+こうで40ねんにわたって+なこととせき*おこないました。 37  このモーセがイスラエルのたみに,『かみみなさんのためにきょうだいたちのなかからわたしのようなげんしゃてる+』といました。 38  モーセは,こうたちとともかいしゅうなかにいて,シナイさんてん使+かたけられました+。そして,きているしんせいせんげんけてわたしたちにつたえました+ 39  たちはこのひとしたがおうとせず,かれしのけ+こころなかではエジプトにかえ+ 40  アロンにこういました。『わたしたちのまえかみがみつくってください。わたしたちをエジプトからしたあのモーセがどうなったか,からないからです+』。 41  たみうしぞうつくったのはそのころで,ぐうぞうせいささげ,ぶんたちのつくったものまえたのしみはじめました+ 42  それでかみけ,かれらがてんほししんせいほうをするままにしました+げんしょにこうしるされているとおりです。『イスラエルよ,あなたたちはこうでの40ねんかんささものせいわたしにはささげなかったではないか。 43  あなたたちがかついだのは,モロク+てんまくやレファンしんほし,それらをすうはいするためにつくったぞうだった。それで,わたしはあなたたちをバビロンのこうにきょうせいじゅうさせる+』。 44  こうたちにはまくがありました。それは,せたかたしたがってつくるようにとかみがモーセにめいじたものでした+ 45  まくいだたちは,ヨシュアとともに,かみはらってくださったこくみん+それをはこれました+。それはダビデのだいまでここにありました。 46  ダビデはかみまえめぐみを,ヤコブのかみのためのいえ*させていただきたいとねがいました+ 47  しかし,かみのためのいえてたのはソロモンでした+ 48  とはいえ,こうしゃひとつくったいえにはみません+げんしゃもこうべています。 49  『エホバはう。てんわたしおう+わたしあしだいである+。あなたたちはわたしのためにどんないえてるのか。また,わたしやすしょはどこか。 50  わたしがこのすべてをつくったのではないか+』。 51  ごうじょうで,みみをふさぎ,こころえようとしないひとたち+,あなたがたはいつもせいなるちからていこうしています。ぶんたちのおなじようにこうどうしているのです+ 52  あなたがたたちがはくがいしなかったげんしゃがいるでしょうか+。しかもたちは,ただしいかたとうらいまえもってげたひとたちをころしました+。そしてあなたがたは,とうらいしたそのかたうらってころしました+ 53  あなたがたは,てん使によってつたえられたりっぽうけたのに+まもりませんでした」。 54  これをいたひとたちは,こころなかげきし,ステファノにかってぎしりしはじめた+ 55  しかしステファノはせいなるちからち,てんつめて,かみえいこうかみみぎつイエスをにし+ 56  こうった。「てください。てんひらいて,ひと+かみみぎっているのがえます+」。 57  するとかれらはちからかぎさけび,みみて,かれかっていっせいとっしんした。 58  そしてまちそとしたあといしちにしはじめた+。ステファノをうったえたしょうにんたち+がいをサウロというわかものあしもといた+ 59  そしていしつづけた。ステファノは,「しゅイエス,わたしいのちってください」とうったえた。 60  それからひざまずき,つよこえで,「エホバ,このつみかれらにわせないでください」とさけんだ+。そうってから,ねむりにいた。

脚注

または,「虐待される」。
または,「穀物」。
または,「お金」。
または,「民」。
または,「様子を確かめる」。
直訳,「しるし」。
または,「見つけ」。

注釈

カヤファ: ローマ人が任命したこの大祭司は巧みな外交家で,その頃の前任者たちの誰よりも長く職にとどまった。西暦18年ごろに任命され,36年ごろまで職に就いていた。この人はイエスを尋問してピラトに引き渡した。(マタ 26:3,57。ヨハ 11:49; 18:13,14,24,28)「使徒の活動」でこの名前が出ているのはここだけ。この書のほかの場所では「大祭司」と呼ばれている。(使徒 5:17,21,27; 7:1; 9:1

大祭司: カヤファのこと。使徒 4:6の注釈を参照。

あなたの土地……を離れ……なさい: ステファノはサンヘドリンで話した時,アブラハムがこの命令を受けたのは,「ハランに住む前,メソポタミアにいる間に,栄光の神がアブラハムに現れ」た時だったと述べた。(使徒 7:2)アブラハム(当初はアブラム)は,もともとカルデアの町ウルの人だった。ステファノの言葉からすると,アブラハムが自分の土地を離れるようにという命令を最初に受けたのは,その場所だったようだ。(創 11:28,29,31; 15:7; 17:5。ネヘ 9:7創 11:31–12:3の記述からは,この命令が最初に与えられたのは,アブラハムがハランにしばらくいる間,アブラハムの父テラが亡くなった後,という印象を受けるかもしれない。しかし,その記述とここのステファノの言葉を合わせて考えると,エホバはアブラハムがまだウルにいた時にこの命令を与え,その後アブラハムがハランに住んでいる間にこの命令を繰り返したと結論できる。

神: 直訳,「彼」。2節の「栄光の神」を指す。

子孫: 直訳,「種」。付録A2参照。

子孫: 直訳,「種」。付録A2参照。

400年間苦しめられる: ここで引用されている創 15:13で,神はアブラム(アブラハム)に,子孫が奴隷にされて400年間苦しめられると述べた。その期間が終わったのは,エホバがイスラエル人をエジプトでの奴隷状態から自由にした紀元前1513年ニサン14日なので,その期間が始まったのは紀元前1913年に違いない。聖書の年代計算からすると,その年,アブラハムの子孫イサクは5歳ぐらいで,異母兄イシュマエルにからかわれ虐待されるようになった。イシュマエルは,エジプト人でサライ(サラ)の召し使いだったハガルの息子で,19歳ぐらいだった。イシュマエルが弟をばかにしたのは,自分の方が先に生まれたのにイサクが長男としての相続物を受けることになっていたからかもしれない。(創 16:1-4; 21:8-10)後にパウロは,イシュマエルがイサクを苦しめたと書いている。(ガラ 4:29)それは,イシュマエルと母親を追い出してほしいというアブラハムに対するサラの要求をエホバが認めるほどひどいものだったようだ。(創 21:11-13)イサクは,アブラハムの子孫で予告されていた苦しみを経験した最初の人だった。それで,神が詳しく記録させたこの出来事は,出エジプトで終わった預言されていた400年間の苦しみの始まりとなったようだ。

私に神聖な奉仕をする: または,「私を崇拝する」。ギリシャ語動詞ラトレウオーは基本的に,仕えることを意味するが,文脈によっては「崇拝する」と訳せる。この節の後半は出 3:12にそれとなく言及していて,そこの対応するヘブライ語動詞は「仕える」や「崇拝する」と訳せる。(出 3:12,脚注)聖書中の用法では,ギリシャ語ラトレウオーは一般的に,神に仕えることや神への崇拝に関係した奉仕を指し(マタ 4:10。ルカ 1:74; 2:37; 4:8。ロマ 1:9。フィリ 3:3。テモ二 1:3。ヘブ 9:14; 12:28。啓 7:15; 22:3),聖なる所や神殿での奉仕も含む。(ヘブ 8:5; 9:9; 10:2; 13:10)例は少ないが,偽りの崇拝,創造された物への奉仕や崇拝も指す。(使徒 7:42。ロマ 1:25

イサクにもヤコブが生まれ: ギリシャ語で,この部分には,前の部分に出ている「生まれる」という動詞も「割礼を施す」という動詞もない。そのため,この節の後半でそれらの動詞の片方あるいは両方を補うことができる。それで,その部分は次のようにも訳せる。「イサクもヤコブに同じことをし[つまり,割礼を施し],ヤコブも12人の子にそのようにし,彼らは家長となりました」。

家長: または,「族長」。ギリシャ語パトリアルケースはギリシャ語聖書に4回出ている。ここではヤコブの12人の息子(創 35:23-26)を指していて,その語はダビデ(使徒 2:29)とアブラハム(ヘブ 7:4)に関しても使われている。

全部で75人: ステファノは,エジプトに入ったヤコブの家族が合計75人と述べた時,ヘブライ語聖書の特定の節から引用していたのではないのかもしれない。この数字はヘブライ語聖書のマソラ本文には見当たらない。創 46:26は,「エジプトに入ったヤコブの子孫は,妻たちを別にすると,全部で66人だった」と述べている。続く27節には,「エジプトに入ったヤコブの家族は全部で70人である」と記されている。ここで2通りの数え方がされている。1つ目の数字はヤコブの生来の子孫だけのようで,2つ目の数字はエジプトに入った人の合計を述べている。ヤコブの子孫の人数は出 1:5申 10:22にも出ていて,「70」とある。ステファノはヤコブの家族を広げて考えた3つ目の数字を挙げているようだ。それにはヨセフの息子であるマナセとエフライムの子供や孫が含まれているという意見がある。その人たちは創 46:20のセプトゥアギンタ訳に出ている。ほかに,創 46:26で明らかに除外されているヤコブの子孫の妻たちが含まれているという意見もある。それで,「75」というのは全てを含めた数字なのかもしれない。もしくは,この数字は西暦1世紀に出回っていたヘブライ語聖書の写本に基づいているのかもしれない。学者たちは昔から,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳の創 46:27出 1:5に「75」とあることを知っていた。さらに20世紀に,ヘブライ語で書かれた出 1:5の死海写本の2つの断片が発見され,そこにも「75」とあった。ステファノの数字はこうした古代の写本に基づいていたのかもしれない。どの見方が正しいにしても,ステファノが挙げた数字はヤコブの子孫の総数の数え方の1つに沿ったものだった。

人: ギリシャ語プシュケーは,ここで生きている人を指す。用語集の「プシュケー」と付録A2参照。

極めて美しい: ここのギリシャ語の表現は,字義的には「神にとって美しい」という意味。これは,最高のものを指すのに使われるセム語系の慣用句をそのまま取り入れたもの。ここでこの表現は,「極めて美しい」と「神から見て美しい」という2つの考えを伝えているのかもしれない。(出 2:2と比較。)この表現は人の外見だけでなく,神が注目する内面も指せる,と考える学者もいる。似た言い方がヨナ 3:3に出ている。そこのヘブライ語を直訳すると,ニネベは「神にとって大きな都市」となり,「とても大きな都市」という考えを伝えている。ほかの例として,創 23:6,脚注,詩 36:6,脚注を参照。

40歳の時: サンヘドリンでのステファノの話には,ユダヤ人の歴史についてヘブライ語聖書に出ていない幾つかの事柄が含まれている。例えば,ステファノはモーセがエジプトから逃げたのは40歳の時だったことを明らかにしている。ステファノの話の中でヘブライ語聖書に出ていないほかの点については,使徒 7:22,30,53の注釈を参照。

40年: ヘブライ語聖書は,モーセがミディアンに何年間いたかをはっきりと述べていない。しかし,ここでステファノはユダヤ人の歴史について聖書にそれまで書かれていなかった事柄を明らかにしている。モーセがミディアンに逃げたのは40歳の時だったことや(出 2:11。使徒 7:23),さらに40年が過ぎるかその間近までそこにとどまっていたことを述べている。それで,ここで述べられている期間は紀元前1553年から1513年だと思われる。ステファノが述べたことは,モーセが80歳の時にファラオに話し(出 7:7),イスラエル人をエジプトから導き出したという記述と一致している。また,モーセが荒野で40年過ごした後120歳で死んだという記述とも調和している。(申 34:7。使徒 7:36

天使によって伝えられた: サンヘドリンでのステファノの話には,ユダヤ人の歴史についてヘブライ語聖書に出ていない幾つかの事柄が含まれている。1つの例は,モーセの律法を与える時に天使が果たした役割。(ガラ 3:19。ヘブ 2:1,2)ステファノの話の中でヘブライ語聖書に記されていないほかの点については,使徒 7:22,23,30の注釈を参照。

エジプト人のあらゆる知恵を教えられ: サンヘドリンでのステファノの話には,ユダヤ人の歴史についてヘブライ語聖書に出ていない幾つかの事柄が含まれている。例えば,ステファノだけが,モーセがエジプトで受けた教育について述べている。ステファノの話の中でヘブライ語聖書に出ていないほかの点については,使徒 7:23,30,53の注釈を参照。

エジプト人のあらゆる知恵を教えられ: サンヘドリンでのステファノの話には,ユダヤ人の歴史についてヘブライ語聖書に出ていない幾つかの事柄が含まれている。例えば,ステファノだけが,モーセがエジプトで受けた教育について述べている。ステファノの話の中でヘブライ語聖書に出ていないほかの点については,使徒 7:23,30,53の注釈を参照。

40年: ヘブライ語聖書は,モーセがミディアンに何年間いたかをはっきりと述べていない。しかし,ここでステファノはユダヤ人の歴史について聖書にそれまで書かれていなかった事柄を明らかにしている。モーセがミディアンに逃げたのは40歳の時だったことや(出 2:11。使徒 7:23),さらに40年が過ぎるかその間近までそこにとどまっていたことを述べている。それで,ここで述べられている期間は紀元前1553年から1513年だと思われる。ステファノが述べたことは,モーセが80歳の時にファラオに話し(出 7:7),イスラエル人をエジプトから導き出したという記述と一致している。また,モーセが荒野で40年過ごした後120歳で死んだという記述とも調和している。(申 34:7。使徒 7:36

天使によって伝えられた: サンヘドリンでのステファノの話には,ユダヤ人の歴史についてヘブライ語聖書に出ていない幾つかの事柄が含まれている。1つの例は,モーセの律法を与える時に天使が果たした役割。(ガラ 3:19。ヘブ 2:1,2)ステファノの話の中でヘブライ語聖書に記されていないほかの点については,使徒 7:22,23,30の注釈を参照。

40歳の時: サンヘドリンでのステファノの話には,ユダヤ人の歴史についてヘブライ語聖書に出ていない幾つかの事柄が含まれている。例えば,ステファノはモーセがエジプトから逃げたのは40歳の時だったことを明らかにしている。ステファノの話の中でヘブライ語聖書に出ていないほかの点については,使徒 7:22,30,53の注釈を参照。

イスラエルの民: または,「イスラエル人」。直訳,「イスラエルの子たち」。用語集参照。

ことにしました: または,「ことが心に浮かびました」,「という考えが浮かびました」。このギリシャ語の表現は,ヘブライ語の慣用句をそのまま取り入れたもの。(イザ 65:17,エレ 3:16と比較。)

40年: ヘブライ語聖書は,モーセがミディアンに何年間いたかをはっきりと述べていない。しかし,ここでステファノはユダヤ人の歴史について聖書にそれまで書かれていなかった事柄を明らかにしている。モーセがミディアンに逃げたのは40歳の時だったことや(出 2:11。使徒 7:23),さらに40年が過ぎるかその間近までそこにとどまっていたことを述べている。それで,ここで述べられている期間は紀元前1553年から1513年だと思われる。ステファノが述べたことは,モーセが80歳の時にファラオに話し(出 7:7),イスラエル人をエジプトから導き出したという記述と一致している。また,モーセが荒野で40年過ごした後120歳で死んだという記述とも調和している。(申 34:7。使徒 7:36

天使: ステファノは出 3:2の記述に言及していて,そこで元のヘブライ語本文は「エホバの天使」と述べている。ここは,ほとんどのギリシャ語写本で「天使」となっているが,「主[または,「エホバ」]の天使」と訳せる写本や他の言語への古代訳もある。ギリシャ語聖書の幾つかのヘブライ語訳は,ここでテトラグラマトンを使っていて,「エホバの天使」としている。(付録C4のJ7,8,10-12,14-17,28

エホバの声: ステファノは話のこの部分(使徒 7:30-34)で出 3:2-10の記述に言及している。4節で,「エホバ」は天使を通してモーセに呼び掛けていて,6節で,「エホバ」は使徒 7:32に引用されている言葉を述べている。「声」に当たるヘブライ語とテトラグラマトンを組み合わせた「エホバの声」というフレーズがヘブライ語聖書によく見られる。(例えば,創 3:8,出 15:26,申 5:25; 8:20; 15:5; 18:16; 26:14; 27:10; 28:1,62,ヨシ 5:6,サ一 12:15,王一 20:36,詩 106:25,イザ 30:31,エレ 3:25,ダニ 9:10,ゼカ 6:15。)注目できる点として,セプトゥアギンタ訳の紀元前1世紀の断片(ファド・パピルス266)で,申 26:14; 27:10; 28:1,62に「エホバの声」という表現が出ていて,ギリシャ語本文に神の名前がヘブライ語の方形文字で書かれている。使徒 7:31の入手できるギリシャ語写本で「主の声」となっているのに対し,「新世界訳」が「エホバの声」という表現を本文で使っている理由については,付録C1C3の序文使徒 7:31で説明されている。

エホバは言いました: ステファノが言及した記述の文脈である出 3:2-10で,明らかにエホバが天使を通して話している。この節の内容はほとんど出 3:5から取られているが,同じ話者について,出 3:7の元のヘブライ語本文に,直訳すると「エホバは言った」となる語句がある。付録C3の序文使徒 7:33を参照。

贖い: ギリシャ語リュトロン(「解く」,「解放する」という意味の動詞リュオーに由来)は,聖書以外のギリシャ語著述家たちが,拘束されている人や奴隷状態にある人を解放するため,あるいは戦争捕虜を買い戻すために支払われる代価を指して使っている。ギリシャ語聖書には,こことマル 10:45の2回出てくる。関連するアンティリュトロンという語がテモ一 2:6に出ていて,「対応する贖い」と訳されている。ほかにも関連する語があり,リュトロオマイは「自由にする」,「贖う」という意味で(テト 2:14。ペ一 1:18。それぞれの脚注も),アポリュトローシスは多くの場合,「贖いによる解放」という意味に訳される。(ロマ 3:24; 8:23。エフ 1:7。コロ 1:14。ヘブ 9:15; 11:35用語集参照。

救出者: または,「買い戻す者」,「解放者」。ギリシャ語リュトローテースは,「自由にする」,「救出する」という意味の動詞リュトロオマイから来ている。この語は「贖い」という意味の名詞リュトロンとも関係がある。(マタ 20:28の注釈を参照。)この動詞形はイエス・キリストを通して行われる救出に関して使われている。(ルカ 24:21。テト 2:14,脚注。ペ一 1:18,脚注)イエスはモーセのような預言者となることが予告されていた。(申 18:15。使徒 7:37)モーセがイスラエル人をエジプトから導き出す救出者だったように,イエス・キリストは,ご自分の贖いの犠牲による全人類の救出者である。

不思議なこと: または,「前兆」。ギリシャ語聖書で,ギリシャ語テラスはいつもセーメイオン(「しるし」)と一緒に使われていて,どちらも複数形が使われている。(マタ 24:24。ヨハ 4:48。使徒 7:36; 14:3; 15:12。コ二 12:12)基本的にテラスは,畏れの気持ちを抱かせたり,驚嘆させたりするものを指す。この語が将来起きることの前兆となるものを指すことが明らかな場合,注釈に「前兆」という別の訳を挙げている。

40年にわたって: この40年は,紀元前1513年にイスラエル人がエジプトを出た時から紀元前1473年に約束の地に入った時まで。この40年とその前にも,モーセは不思議なことと奇跡を行った。例えば,モーセはエジプトに戻った時,まずイスラエル人の長老全員の前で奇跡を行った。(出 4:29-31)それからエジプトを出る時まで,モーセはファラオとエジプトの人たち全員の前でとても不思議なことと奇跡を行うために用いられた。その後,ファラオとその軍隊が紅海で滅ぼされた時にも役割を果たした。(出 14:21-31; 15:4。申 11:2-4)モーセと関係のある際立った奇跡の1つは,荒野でマナが毎日供給されたこと。この奇跡はイスラエル人がカナン地方の産物を食べるようになった紀元前1473年の初めまで40年間続いた。(出 16:35。ヨシ 5:10-12

不思議なこと: または,「前兆」。使徒 2:19の注釈を参照。

エホバ: ここで引用されている申 18:15では,元のヘブライ語本文に,ヘブライ語の4つの子音字(YHWHと翻字される)で表される神の名前が出ている。注目できるのは,引用されているこの聖句がセプトゥアギンタ訳の初期の断片(ファド・パピルス266)に出ていて,ギリシャ語本文に神の名前がヘブライ語の方形文字()で書かれていること。この断片は紀元前1世紀のもの。(付録A5参照。)ギリシャ語聖書の幾つかのヘブライ語訳(付録C4のJ7,8,10-12,14-18,20,22-24,28)でも,ここでテトラグラマトンが使われている。それで,ギリシャ語聖書の現存する写本はここでキュリオス(主)を使っているが,ここの本文で神の名前を使う十分な理由がある。付録C参照。

イスラエルの民: または,「イスラエル人」。直訳,「イスラエルの子たち」。用語集参照。

神: ここで引用されている申 18:15では,元のヘブライ語本文に,ヘブライ語の4つの子音字(YHWHと翻字される)で表される神の名前が出ていて,「エホバ神」となっている。ステファノの引用は少し省略されていて,「神」に当たる語だけが使われている。ペテロは使徒 3:22で同じ節を引用し,省略せずに「エホバ神」という表現を使っている。(使徒 3:22の注釈を参照。)ギリシャ語聖書のヘブライ語訳の中には,ここで神の名前を使い,「あなたの神エホバ」(J7,8,10-17)や「エホバ神」(J28)としているものがある。(付録C4参照。)ギリシャ語写本の中にも,「主である神」,あるいは付録Cにあるのと同じ理由で「エホバ神」と訳せるものが幾つかある。しかし,ギリシャ語写本や他の言語への古代訳の大多数は単に「神」となっている。

会衆: ギリシャ語エックレーシアが出てくる最初の箇所。この語は,「外へ」という意味のエクと「呼ぶ」という意味のカレオーの2つのギリシャ語からできている。特定の目的や活動のために,招集されたあるいは呼び集められた人々の集団を指す。(用語集参照。)この文脈で,イエスは天に行くよう選ばれたクリスチャンから成るクリスチャン会衆の形成を予告している。その人たちは「生きた石」として「聖なる力によって建てられている家を構成」する。(ペ一 2:4,5)このギリシャ語は,「会衆」と訳されるヘブライ語に対応する語としてセプトゥアギンタ訳で頻繁に使われている。このヘブライ語は多くの場合,神の民全体を指す。(申 23:3; 31:30使徒 7:38では,エジプトから呼び出されたイスラエル人たちが「会衆」と呼ばれている。同様に,「闇から……招き入れ」られ,「世から選び出」されたクリスチャンたちは「神の会衆」を構成している。(ペ一 2:9。ヨハ 15:19。コ一 1:2

会衆: ギリシャ語エックレーシアが「使徒の活動」に出てくる最初の箇所。この語は,「外へ」という意味のエクと「呼ぶ」という意味のカレオーの2つのギリシャ語からできている。特定の目的や活動のために呼び集められた人々の集団を指す。それで,この語は新しく設立されたクリスチャン会衆をよく表している。(用語集参照。)エックレーシアという語はマタ 16:18注釈を参照)で使われていて,イエスは天に行くよう選ばれたクリスチャンから成るクリスチャン会衆の形成を予告している。その人たちは生きた石として,「聖なる力によって建てられている家を構成」する。(ペ一 2:4,5)ギリシャ語聖書で,この語は天に行くよう選ばれたクリスチャンから成る一団だけでなく,ある地域に住んでいるクリスチャン全体や,ある土地の1つの会衆を構成するクリスチャンたちも指す。使徒 5:11の文脈で,この語はエルサレムにあるクリスチャン会衆を指している。使徒 7:38の注釈を参照。

会衆: ここで,エジプトから呼び出されたイスラエル人たちが「会衆」と呼ばれている。ヘブライ語聖書に出ているヘブライ語カーハールは,「新世界訳」でたいてい「会衆」と訳されていて,「呼び集める」,「集合させる」という意味の語根から来ている。(民 20:8。申 4:10)その語は「イスラエルの会衆」(レビ 16:17。ヨシ 8:35。王一 8:14),「真の神の会衆」(ネヘ 13:1),「エホバの会衆」(民 20:4。申 23:2,3。代一 28:8。ミカ 2:5)など,組織された集団としてのイスラエル人を指してよく使われている。セプトゥアギンタ訳でヘブライ語カーハールはしばしばエックレーシアというギリシャ語に訳されていて(詩 22:22 [21:23,LXX] がその例),これはギリシャ語聖書で「会衆」を指して使われている表現。マタ 16:18,使徒 5:11の注釈を参照。

幕屋: 直訳,「証しの天幕」。この表現は「会見の天幕」に当たるヘブライ語の訳としてセプトゥアギンタ訳で使われているので,ルカはその影響を受けてこの言葉をこの節で使ったのかもしれない。(出 27:21; 28:43。民 1:1)イスラエルが荒野を旅していた間,この天幕の中に契約の箱が置かれ,その箱の主な中身は「証しの石板2枚」だった。こうした文脈で,「証し」という語はたいてい,石版に書かれた十戒を指している。(出 25:16,21,22; 31:18; 32:15)「証し」に当たるヘブライ語は,「思い出させるもの」とも訳せる。契約の箱は,思い出させたり証ししたりする神聖なものを収める聖なる保管庫として使われた。用語集の「契約の箱」,「至聖所」参照。

型: または,「設計」,「タイプ」。ここでギリシャ語テュポスは,ヘブ 8:5とセプトゥアギンタ訳の出 25:40と同じ意味で使われている。

ヨシュア: ここでは,イスラエル人を約束の地に連れて入ったイスラエルの指導者を指す。(申 3:28; 31:7。ヨシ 1:1,2)エホシュアというヘブライ語名とその短縮形ヨシュアは「エホバは救い」という意味。ここでルカは,それに相当するギリシャ語イエースースを使っている。同じ名前のラテン語形はイエス(イエースース)。(付録A4参照。)これは聖書時代のユダヤ人によくある名前だった。ギリシャ語聖書にイエースースというギリシャ語名の人は4人出ている。モーセの後継者でヌンの子ヨシュア(使徒 7:45。ヘブ 4:8),イエス・キリストの先祖(ルカ 3:29),イエス・キリスト自身(マタ 1:21),ユダヤ人と思われ,パウロと共に働いたクリスチャン(コロ 4:11)。ヨセフスは,聖書に出てくる人以外にも,その名前の人を何人か挙げている。

人が造った家: または,「手で造った所(物)」。ギリシャ語ケイロポイエートスは使徒 17:24ヘブ 9:11,24(「人が造った」)でも使われている。

エホバ: ここで引用されているイザ 66:1では,元のヘブライ語本文に,ヘブライ語の4つの子音字(YHWHと翻字される)で表される神の名前が出ている。エホバは言うと訳されている表現は,イザ 66:1の最初の表現(「エホバはこう言う」)と次の節の最初の表現(「エホバはこう宣言する」)から来ている。(イザ 66:2付録C参照。

強情で: 直訳,「うなじが固く」。ここで使われているギリシャ語はギリシャ語聖書に1回しか出ていないが,セプトゥアギンタ訳では同様の意味のヘブライ語の表現の訳として何回か使われている。(出 33:3,5; 34:9。申 9:6,脚注。格 29:1,脚注)

耳をふさぎ,心を変えようとしない: 直訳,「心と耳に割礼を施されていない」。頑固で無反応であることを意味するこの比喩表現は,ヘブライ語聖書に背景がある。(レビ 26:41,脚注。エレ 9:25,26。エゼ 44:7,9エレ 6:10(脚注)で,直訳では「耳は割礼を受けておらず」となる表現が,「耳は閉ざされており」と訳されている。心と耳が神の指示に鈍感だったり無反応だったりすることが,割礼を施されていないと述べられている。

エジプト人のあらゆる知恵を教えられ: サンヘドリンでのステファノの話には,ユダヤ人の歴史についてヘブライ語聖書に出ていない幾つかの事柄が含まれている。例えば,ステファノだけが,モーセがエジプトで受けた教育について述べている。ステファノの話の中でヘブライ語聖書に出ていないほかの点については,使徒 7:23,30,53の注釈を参照。

40歳の時: サンヘドリンでのステファノの話には,ユダヤ人の歴史についてヘブライ語聖書に出ていない幾つかの事柄が含まれている。例えば,ステファノはモーセがエジプトから逃げたのは40歳の時だったことを明らかにしている。ステファノの話の中でヘブライ語聖書に出ていないほかの点については,使徒 7:22,30,53の注釈を参照。

40年: ヘブライ語聖書は,モーセがミディアンに何年間いたかをはっきりと述べていない。しかし,ここでステファノはユダヤ人の歴史について聖書にそれまで書かれていなかった事柄を明らかにしている。モーセがミディアンに逃げたのは40歳の時だったことや(出 2:11。使徒 7:23),さらに40年が過ぎるかその間近までそこにとどまっていたことを述べている。それで,ここで述べられている期間は紀元前1553年から1513年だと思われる。ステファノが述べたことは,モーセが80歳の時にファラオに話し(出 7:7),イスラエル人をエジプトから導き出したという記述と一致している。また,モーセが荒野で40年過ごした後120歳で死んだという記述とも調和している。(申 34:7。使徒 7:36

天使によって伝えられた: サンヘドリンでのステファノの話には,ユダヤ人の歴史についてヘブライ語聖書に出ていない幾つかの事柄が含まれている。1つの例は,モーセの律法を与える時に天使が果たした役割。(ガラ 3:19。ヘブ 2:1,2)ステファノの話の中でヘブライ語聖書に記されていないほかの点については,使徒 7:22,23,30の注釈を参照。

歯ぎしりしたり: または,「歯がみしたり」,「歯を食い縛ったり」。これは,苦悩,絶望,怒りといった気持ちの表れのこともあり,時にきつい言葉や乱暴な行動が伴う。

激怒し: または,「切られるように感じ」。このギリシャ語の表現は,ここと使徒 5:33だけに出ている。字義的には「(のこぎりで)ひき切られる」という意味だが,どちらの箇所でも比喩的な意味で使われていて,強い感情の反応を表している。

歯ぎしりし: または,「歯がみし」,「歯を食い縛り」。これは,苦悩,絶望,怒りといった気持ちの表れのこともあり,時にきつい言葉や乱暴な行動が伴う。この文脈では明らかに,猛烈な怒りを指している。(ヨブ 16:9マタ 8:12の注釈を参照。

自分の右に……自分の左に: 文脈によっては,どちらの側も誉れや権威を意味するが(マタ 20:21,23),一番誉れがあるのは常に右側。(詩 110:1。使徒 7:55,56。ロマ 8:34)とはいえ,こことマタ 25:34,41では,王の右と左が好意を受ける側と受けない側として対照的に述べられている。(伝 10:2,脚注と比較。)

1人をあなたの右に,1人を左に: ここではどちらの側も誉れや権威を意味するが,一番誉れがあるのは常に右側。(詩 110:1。使徒 7:55,56。ロマ 8:34マタ 25:33の注釈を参照。

強力な神の右に: または,「神の力の右に」。統治者の右にいるとは,統治者に次ぐ重要な地位にあることを意味した。(詩 110:1。使徒 7:55,56)「強力な……右」に当たるギリシャ語はマタ 26:64マル 14:62にも出ている。人の子が「強力な神の右に」座ることは,イエスが力や権力を与えられることも暗示している。(マル 14:62マタ 26:64の注釈を参照。

神の右に立つイエス: ステファノは,詩 110:1で預言されていた通りイエスが天で神の右に立っているのを見たと証言した最初の人。右側は,非常に重要であることの象徴と考えられた。統治者の右にいることは,統治者に次ぐ2番目に重要な地位にいる(ロマ 8:34。ペ一 3:22),あるいは統治者の恵みを受ける立場にいるということだった。マタ 25:33,マル 10:37,ルカ 22:69の注釈を参照。

サウロ: 「[神に]求めた」,「[神に]伺った」という意味。パウロというローマ名でも知られたサウロは,「ベニヤミン族の者,ヘブライ人から生まれたヘブライ人」だった。(フィリ 3:5)サウロは生まれながらのローマ市民だったので(使徒 22:28),ユダヤ人の両親はパウルスつまりパウロ(「小さい」,「小さな」という意味)というローマ名を付けたのだろう。子供の頃から両方の名前を持っていたと思われる。両親がサウロと名付けたことには,幾つかの理由が考えられる。イスラエル全体の最初の王はベニヤミン族のサウルという人だったので,サウロという名前はベニヤミン族の間で由緒ある名前だった。(サ一 9:2; 10:1。使徒 13:21)または,両親は名前の意味を考えてそう名付けたのかもしれない。別の可能性として,父親の名前がサウロで,慣習に従って父親の名前を息子に付けたのかもしれない。(ルカ 1:59と比較。)いずれにしても,ユダヤ人といる間,特にパリサイ派の教育を受けてパリサイ派として活動していた時は,サウロというヘブライ語名を使っただろう。(使徒 22:3)クリスチャンになってから10年以上,おもにヘブライ語名で知られていたようだ。(使徒 11:25,30; 12:25; 13:1,2,9

エホバ: 入手できるギリシャ語写本はここで「主」(キュリオス)という語を使っている。ギリシャ語聖書でたいていこの称号は,文脈によってエホバ神かイエス・キリストを指す。ここでは以下の幾つかの理由でエホバ神を指すと思われる。ステファノは,ルカ 23:34で「父よ,彼らをお許しください。自分たちが何をしているのか知らないのです」と述べたイエスとよく似た言葉を使っている。ルカがステファノの話を記した使徒 7:2-53で,キュリオスという語が3回使われている。3回とも,明らかに神を指すヘブライ語聖書の部分が引用あるいは言及されている。(使徒 7:31,33,49の注釈を参照。)多くの注釈者や翻訳者は,これらの文脈でキュリオスがエホバを指すという見方を支持している。(付録C参照。)キュリオスという語は使徒 7:59にも出ていて,そこではステファノが「主イエス」とはっきり言っている。しかし,これはある人たちが主張するように使徒 7:60でキュリオスと呼び掛けられているのがイエスであるということではない。ステファノの59節の言葉と60節の言葉はいったん切れている。それまで立っていたステファノが,敵たちの前でひざまずいたのは,エホバに祈るためだったと思われる。(ルカ 22:41,使徒 9:40; 20:36; 21:5と比較。そこではひざまずくことが神への祈りと結び付けられている。)それで,ステファノの最後の言葉は全能の神エホバへの祈りだったようだ。さらに使徒 7:56によると,ステファノは「天が開いて,人の子が神の右に立っている」のを見たので,59節でイエスに,その後60節でエホバに語り掛けたと考えられるだろう。ギリシャ語聖書の幾つかのヘブライ語訳(付録C4のJ17,18,22,23)は60節でテトラグラマトンを使っているが,59節の「主イエス」という表現の訳では使っていない。付録C3の序文使徒 7:60を参照。

ステファノは,「主イエス,……」と訴えた: 55節と56節に記されているように,ステファノは幻の中で,「天が開いて,人の子が神の右に立っている」のを見た。ステファノはエホバとイエスをはっきり区別していた。そして,エホバがイエスに死者を復活させる力を与えたことを知っていた。それで,ステファノが,幻の中で見たイエスに直接話し掛け,自分のあるいは生命力を守ってくださいとお願いしたのは,自然なことだった。(ヨハ 5:27-29)ステファノは「主イエス[ギリシャ語,キュリエ イエースー]」という言葉を使って,イエスに語り掛けた。ギリシャ語聖書で,キュリオスはエホバ神もイエス・キリストも指せるが,ここでは文脈からキュリオスがイエスを指していることは明らか。ここで「訴えた」と訳されているギリシャ語は,ギリシャ語聖書で「祈る」という意味でよく使われるギリシャ語ではないが,多くの聖書翻訳で「祈った」と訳されていて,ステファノがイエスに対して祈ったという印象を与えている。しかし,信頼できる参考文献は,ここで使われているギリシャ語(エピカレオー)が「呼ぶ」,「呼び求める」,「権威に訴える」という意味だと述べていて,たいていそのように訳されている。(使徒 2:21; 9:14。ロマ 10:13。テモ二 2:22)同じ語が「カエサルに上訴します!」というパウロの言葉を訳すのに使われている。(使徒 25:11)それで,ステファノがイエスに対して祈ったと考えるべき理由はない。ステファノはこの幻によって,ためらうことなくイエスに訴えることができた。使徒 7:60の注釈を参照。

エホバの声: ステファノは話のこの部分(使徒 7:30-34)で出 3:2-10の記述に言及している。4節で,「エホバ」は天使を通してモーセに呼び掛けていて,6節で,「エホバ」は使徒 7:32に引用されている言葉を述べている。「声」に当たるヘブライ語とテトラグラマトンを組み合わせた「エホバの声」というフレーズがヘブライ語聖書によく見られる。(例えば,創 3:8,出 15:26,申 5:25; 8:20; 15:5; 18:16; 26:14; 27:10; 28:1,62,ヨシ 5:6,サ一 12:15,王一 20:36,詩 106:25,イザ 30:31,エレ 3:25,ダニ 9:10,ゼカ 6:15。)注目できる点として,セプトゥアギンタ訳の紀元前1世紀の断片(ファド・パピルス266)で,申 26:14; 27:10; 28:1,62に「エホバの声」という表現が出ていて,ギリシャ語本文に神の名前がヘブライ語の方形文字で書かれている。使徒 7:31の入手できるギリシャ語写本で「主の声」となっているのに対し,「新世界訳」が「エホバの声」という表現を本文で使っている理由については,付録C1C3の序文使徒 7:31で説明されている。

エホバは言いました: ステファノが言及した記述の文脈である出 3:2-10で,明らかにエホバが天使を通して話している。この節の内容はほとんど出 3:5から取られているが,同じ話者について,出 3:7の元のヘブライ語本文に,直訳すると「エホバは言った」となる語句がある。付録C3の序文使徒 7:33を参照。

エホバ: ここで引用されているイザ 66:1では,元のヘブライ語本文に,ヘブライ語の4つの子音字(YHWHと翻字される)で表される神の名前が出ている。エホバは言うと訳されている表現は,イザ 66:1の最初の表現(「エホバはこう言う」)と次の節の最初の表現(「エホバはこう宣言する」)から来ている。(イザ 66:2付録C参照。

死んだのではなく,眠っている: 聖書の中で,死はたびたび眠りに例えられている。(詩 13:3。ヨハ 11:11-14。使徒 7:60。コ一 7:39; 15:51。テサ一 4:13)イエスは少女を生き返らせに行くところだったので,こう言ったのかもしれない。深い眠りに就いている人を起こすことができるように,死んだ人を生き返らせることができる,ということを示そうとしていた。少女を復活させるイエスの力は,「死んだ人を生かし,ないものをあるかのように呼ぶ方」である天の父から来た。(ロマ 4:17

眠っています: 聖書の中で,死はたびたび眠りに例えられている。(詩 13:3。マル 5:39。使徒 7:60。コ一 7:39; 15:51。テサ一 4:13)イエスはラザロを生き返らせに行くところだったので,こう言ったのかもしれない。深い眠りに就いている人を起こすことができるように,死んだ人を生き返らせることができる,ということを示そうとしていた。ラザロを復活させる力は,「死んだ人を生かし,ないものをあるかのように呼ぶ方」である,イエスの父から来た。(ロマ 4:17マル 5:39,使徒 7:60の注釈を参照。

エホバ: 入手できるギリシャ語写本はここで「主」(キュリオス)という語を使っている。ギリシャ語聖書でたいていこの称号は,文脈によってエホバ神かイエス・キリストを指す。ここでは以下の幾つかの理由でエホバ神を指すと思われる。ステファノは,ルカ 23:34で「父よ,彼らをお許しください。自分たちが何をしているのか知らないのです」と述べたイエスとよく似た言葉を使っている。ルカがステファノの話を記した使徒 7:2-53で,キュリオスという語が3回使われている。3回とも,明らかに神を指すヘブライ語聖書の部分が引用あるいは言及されている。(使徒 7:31,33,49の注釈を参照。)多くの注釈者や翻訳者は,これらの文脈でキュリオスがエホバを指すという見方を支持している。(付録C参照。)キュリオスという語は使徒 7:59にも出ていて,そこではステファノが「主イエス」とはっきり言っている。しかし,これはある人たちが主張するように使徒 7:60でキュリオスと呼び掛けられているのがイエスであるということではない。ステファノの59節の言葉と60節の言葉はいったん切れている。それまで立っていたステファノが,敵たちの前でひざまずいたのは,エホバに祈るためだったと思われる。(ルカ 22:41,使徒 9:40; 20:36; 21:5と比較。そこではひざまずくことが神への祈りと結び付けられている。)それで,ステファノの最後の言葉は全能の神エホバへの祈りだったようだ。さらに使徒 7:56によると,ステファノは「天が開いて,人の子が神の右に立っている」のを見たので,59節でイエスに,その後60節でエホバに語り掛けたと考えられるだろう。ギリシャ語聖書の幾つかのヘブライ語訳(付録C4のJ17,18,22,23)は60節でテトラグラマトンを使っているが,59節の「主イエス」という表現の訳では使っていない。付録C3の序文使徒 7:60を参照。

死の眠りに就いた: 聖書は,「眠る」や「眠りに就く」という表現を,睡眠(マタ 28:13。ルカ 22:45。ヨハ 11:12。使徒 12:6)についても,死の眠り(ヨハ 11:11。使徒 7:60; 13:36。コ一 7:39; 15:6,51。ペ二 3:4)についても使っている。死についての文脈でそういった表現が使われている場合,聖書翻訳者はたいてい,読者に誤解させないよう,「死の眠りに就く」,あるいは単に「死ぬ」という言い方をする。聖書中の比喩的な用法の場合,「眠っている」という語は,アダムから受け継いだ罪と死のために死んだ人について使われている。マル 5:39,ヨハ 11:11の注釈を参照。

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