使徒​の​活動 16:1-40

16  パウロはデルベに,次いでルステラ+に着いた。そこにテモテ+という弟子がいた。信者であるユダヤ人女性の息子で,ギリシャ人の父親を持ち,  ルステラとイコニオムの兄弟たちから良い評判を得ていた+  パウロは,テモテを同行させたいとの願いを述べ,その地域のユダヤ人のために彼に割礼を施した+。皆は彼の父親がギリシャ人だと知っていたのである。  一行は幾つもの町を通って,エルサレムにいる使徒や長老たちが下した決定を守るように伝えた+  こうして,会衆は信仰を強められ,日々,人数が増えていった。  また,一行はフリギアとガラテア地方+を通っていった。アジア州で神の言葉を語ることを聖なる力によって禁じられたからである*  さらに,ミシアに行った時,ビチニア+に入ろうと努力したが,イエスは聖なる力によってそれを許さなかった。  そこで一行は,ミシアを通り過ぎてトロアスに行った。  パウロは夜に幻を見た。マケドニアの男性が立っていて,「マケドニアへ渡ってきて私たちを助けてください」と頼むのだった。 10  パウロがその幻を見てからすぐ,私たちは,彼らに良い知らせを広めるために神が私たちを招いたのだと結論して,マケドニアへ行こうとした。 11  それで,私たちはトロアスから船に乗ってサモトラケ島に直行し,翌日ネアポリスに行き, 12  そこからフィリピ+に行った。植民市で,マケドニア地区の主要な町である。私たちはこの町に何日かとどまった。 13  そして安息日に,町の門の外に出て川のそばに行った。そこに祈りの場所があると思ったのである。私たちは腰を下ろし,集まっていた女性たちに話し始めた。 14  テアテラ+の人で紫布を売る人,神を崇拝するルデアという女性が聞いていた。エホバは彼女の心を大きく開いて,パウロが話す事柄を受け入れるようにした+ 15  ルデアは家の人たちと共にバプテスマを受けた時+,「もし,私のことをエホバに忠実な人と思ってくださるのでしたら,私の家に泊まりに来てください」と私たちに促した。そして,どうしても来てほしいと言って,連れていった。 16  その祈りの場所に行く時のこと,邪悪な天使の力で占いをする+召し使いの女性に出会った。その女性は運勢占いで主人たちに多くの利益をもたらしていた。 17  この女性がパウロと私たちにずっと付いてきて,「この人たちは至高の神の奴隷で+,救いの道を広めています」と叫び続けた。 18  これが何日も続いた。ついにパウロはうんざりし,振り向いて邪悪な天使に言った。「イエス・キリストの名によって命じます。その人から出なさい」。すると,すぐさま出ていった+ 19  その女性の主人たちは利益が期待できなくなったのを知って+,パウロとシラスを捕まえ,広場の中,支配者たちの所へ引きずっていった+ 20  そして,2人を行政官たちの所に引いていき,こう言った。「この男たちは私たちの町をひどく混乱させています+。ユダヤ人で, 21  私たちローマ人にとっては取り入れることも行うことも許されない習慣+を広めています+」。 22  群衆は2人に対していきり立った。行政官たちは2人の服を剝ぎ取った後,棒で打ちたたくようにと命令した+ 23  そして,何度も打った後,2人を牢屋に入れ+,牢番に厳重に見張っておくよう命じた+ 24  そのような命令を受けたので,牢番は2人を奥の牢屋に入れ,足かせをはめた。 25  しかし,真夜中ごろ,パウロとシラスは祈ったり歌で神を賛美したりしていて+,囚人たちはそれを聞いていた。 26  突然,大きな地震が起きて,牢屋が土台から揺れた。その上,全ての戸が直ちに開き,皆の鎖やかせが外れた+ 27  牢番は目を覚まして牢屋の戸が開いているのを見ると,囚人たちが逃げてしまったものと思い,剣を抜いて自殺しようとした+ 28  しかしパウロは大声で,「やめなさい。皆ここにいます!」と叫んだ。 29  牢番は明かりを持ってこさせてから,中に駆け込み,震えながらパウロとシラスの前にひれ伏した。 30  そして,2人を外に連れ出し,こう言った。「先生方,救われるには何をしなければなりませんか」。 31  2人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば救われます。あなたも,あなたの家の人たちも+」。 32  その後,牢番とその家の全ての人にエホバの言葉を語った。 33  牢番は,その夜に2人を連れていって傷の手当てをした。そして,家の人全員と共にすぐにバプテスマを受けた+ 34  それから2人を家に連れてきて,食卓を整え,自分が神を信じるようになったことを家の人全員と共に大変喜んだ。 35  夜が明けると,行政官たちは警備の者たちを遣わして,「あの人たちを釈放するように」と言わせた。 36  牢番は彼らの言葉をパウロにこう伝えた。「行政官たちは,お二人を釈放するようにと人をよこしました。ですから,出てきて,安心して行ってください」。 37  しかしパウロは警備の者たちに言った。「あの人たちはローマ市民+である私たちを,有罪の宣告*もせずに人前で打ちたたき,牢屋に入れました。それを今,ひそかに出そうというのですか。それはなりません! 彼らが出向いてきて,私たちを連れ出すべきです」。 38  警備の者たちがこの言葉を報告すると,行政官たちは2人がローマ市民だと聞いて恐ろしくなった+ 39  そのため,やって来て2人に懇願し,牢屋から連れ出した後,町から去るようにと頼んだ。 40  しかし,2人は牢屋を出てからルデア+の家に行き,兄弟たちに会って励まし+,去っていった。

脚注

または,「禁じられた」。
または,「裁判」。

注釈

彼に割礼を施した: パウロはクリスチャンに割礼は求められていないことをよく知っていた。(使徒 15:6-29)テモテは父親が信者ではなく,割礼を受けていなかった。パウロが知っていたように,これは一緒に伝道旅行で行く先々のユダヤ人の信仰の妨げとなりかねなかった。パウロはそれが活動の障害にならないよう,痛みを伴うこの手術を受けるようテモテに頼んだ。そのようにして2人とも,パウロが後にコリントのクリスチャンに述べた「ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を引き寄せるためです」という言葉を実践した。(コ一 9:20

長老: 直訳,「年長者」。ここでギリシャ語プレスビュテロスは,初期クリスチャン会衆で責任ある立場にある人たちを指す。エルサレム会衆の長老たちは使徒たちと共に述べられていて,パウロとバルナバと,シリアのアンティオキアの何人かの兄弟たちが割礼の問題の解決のため,その人たちの所に行った。生来のイスラエルに国家レベルで奉仕する長老たちがいたように,この長老たちは使徒たちと共に1世紀のクリスチャン会衆全てのための統治体を形成した。もともと12使徒で構成された統治体が増員されていたようだ。(使徒 1:21,22,26マタ 16:21,使徒 11:30の注釈を参照。

エルサレムにいる使徒や長老たち: 使徒 15:2の注釈にあるように,イスラエル国民の長老たちの中に国家レベルで責任ある立場で奉仕する人がいた。同じように,エルサレムのこの長老たちは使徒たちと共に1世紀のクリスチャン会衆全てのための統治体を形成した。使徒や長老たちは割礼の問題を扱った後,決定を会衆に知らせ,それは権威あるものとして受け入れられた。

アジア州: 用語集参照。

イエスは聖なる力によって: イエスは「天の父から受けた」聖なる力を使った。(使徒 2:33)クリスチャン会衆の頭であるイエスは,最初のクリスチャンたちの伝道を聖なる力によって導き,どこに努力を傾けるべきかを示した。今回イエスは,パウロの一行がアジア州とビチニア州で伝道するのを「聖なる力」によってとどめた。(使徒 16:6-10)しかし,その地域にも後に良い知らせが伝わった。(使徒 18:18-21。ペ一 1:1,2

通り過ぎて: または,「通り抜けて」。ここで「通り過ぎて」と訳されているギリシャ語動詞パレルコマイは,ある地域の中を通るという意味にも,そばを通るという意味にもなる。パウロの一行は中を通ったようだ。トロアスの港は,小アジアの北西部に位置するミシア地方にあった。トロアスに行くにはミシアを旅しなければならなかったので,一行が「ミシアを通り過ぎ」たというのは,腰を据えて伝道することなく,その地域を通り抜けたという意味。

マケドニア: 用語集参照。

最初の記述: これはイエスの生涯を扱ったルカの福音書のこと。ルカは福音書の中で,「イエスが行い,教え始めた全ての事柄」に注目した。「使徒の活動」では福音書で終えたところから始めて,イエスの弟子たちの言ったことや行ったことを記録している。2つの書は似た文体や言葉を使っていて,どちらもテオフィロに宛てて書かれている。テオフィロがキリストの弟子であったか,はっきりとは記されていない。(ルカ 1:3の注釈を参照。)ルカは「使徒の活動」の書き出しで,福音書の最後の部分の出来事をまとめていて,それはこの2つ目の書が最初の書の続きであることを示している。しかしこのまとめの部分で,ルカは少し異なった言葉を使ったり,別の情報を付け加えたりしている。(ルカ 24:49使徒 1:1-12と比較。)

私たち: ルカが「私たち」という言い方を使っているので,フィリピでパウロと合流したことが分かる。2人はしばらく前にフィリピで別れていた。(使徒 16:10-17,40)今回一緒にフィリピからエルサレムまで旅をし,後にパウロはそこで捕らえられた。(使徒 20:5–21:18,33)「使徒の活動」でルカが自分を話に含めているのは,これが2回目。使徒 16:10; 27:1の注釈を参照。

私たち: 使徒 16:1020:5の注釈で述べられているように,「使徒の活動」には,筆者のルカが「私たち」という言い方を使って出来事を記している部分がある。たくさんの旅をしたパウロにルカが時々同行したということ。ここから使徒 28:16までの部分でそうした言い方が使われていて,ルカがパウロと共にローマまで旅をしたことが分かる。

良い知らせを広め: ここで使われているギリシャ語動詞エウアンゲリゾマイは,「良い知らせ」という意味の名詞エウアンゲリオンと関係がある。ギリシャ語聖書で,良い知らせの重要な面は,イエスの宣教のテーマであった神の王国,またイエス・キリストに対する信仰による救いと密接に結び付いている。「使徒の活動」にはギリシャ語動詞エウアンゲリゾマイは何度も出ていて,伝道活動が強調されている。(使徒 8:4,12,25,35,40; 10:36; 11:20; 13:32; 14:7,15,21; 15:35; 16:10; 17:18マタ 4:23; 24:14の注釈を参照。

私たち: 「使徒の活動」は,使徒 16:9まで第三者の視点で出来事が記されている。つまり,筆者のルカはほかの人の言動だけを伝えている。しかし,ここ使徒 16:10で書き方が変化し,ルカは自分を話に含めている。それ以降,ルカはパウロの一行に同行したと思われる部分で,「私たち」という言い方を使っている。(使徒 1:1の注釈と「使徒の活動の紹介」を参照。)ルカは西暦50年ごろパウロに初めて同行してトロアスからフィリピに行ったが,パウロがフィリピを去った時,ルカは一緒に行かなかった。(使徒 16:10-17,40使徒 20:5; 27:1の注釈を参照。

良い知らせを広める: 使徒 5:42の注釈を参照。

フィリピ: この町は最初クレニデスと呼ばれた。マケドニアのフィリッポス2世(アレクサンドロス大王の父)が紀元前4世紀の半ばごろにこの町をトラキア人から奪い,自分にちなんだ名前を付けた。その地域には豊かな金鉱があり,フィリッポスの名前で金貨が発行された。紀元前168年ごろ,ローマの執政官ルキウス・アエミリウス・パウルスがマケドニア最後の王ペルセウスを打ち破り,フィリピとその周囲の領土を取得した。紀元前146年にはマケドニア全体がローマの1つの属州とされた。紀元前42年に,オクタウィアヌス(オクタウィウス)とマルクス・アントニウスが,ブルートゥスとガイウス・カッシウス・ロンギヌス(ユリウス・カエサルの暗殺者たち)の率いる軍隊をフィリピ平原で打ち破った。その後,オクタウィアヌスは大勝利を記念して,フィリピをローマの植民市とした。数年後,オクタウィアヌスはローマの元老院によってカエサル・アウグスツスとされた時,その町をコロニア・アウグスタ・ユリア・フィリッペンシスと名付けた。付録B13参照。

川: この川は,フィリピから西に2.4キロ(つまり安息日に移動できる距離以上)離れたガンギテス川だと考える学者が多い。フィリピの軍事的な性格ゆえにユダヤ人はその町の中で崇拝のために集まることを禁じられていたのかもしれず,離れた所で集まる必要があった,という意見がある。また,クレニデス川だと考える人もいる。それは町にもっと近い小川で,地元でルデア川と呼ばれている。しかし,そこではローマ人の墓が見つかっていて,人々から見える場所だったので,祈りの場所だったとは考えにくいという意見がある。さらに,ネアポリス門の外の今では乾いた川床になっている場所だと考える人もいる。そこには,パウロがフィリピを訪れたことを記念して4世紀や5世紀に教会が幾つか建てられた。

祈りの場所: フィリピの軍事的な性格ゆえに,ユダヤ人はその町に会堂を持つことを禁じられていたのかもしれない。あるいは,この町のユダヤ人の男性が10人(伝統的に会堂の設立に必要な最低人数)に満たなかったという可能性もある。

紫布を売る人: ルデアは,紫の布地,衣服,タペストリー,染料など,紫のさまざまな品物を扱っていたのかもしれない。出身は小アジア西部のリュディア地方の町テアテラだった。紫布を売る人たちの組合がフィリピにあったことが,そこで見つかった碑文によって裏付けられている。リュディア地方とその近隣の人たちは,ホメロスの時代(紀元前9世紀か8世紀)以来,紫の染色技術で有名だった。ルデアの商売にはかなりの資金が必要だったことや,パウロ,シラス,テモテ,ルカの4人を泊められる大きな家を持っていたことからすると,ルデアは商売で成功した裕福な人だったに違いない。「家の人たち」とあるのは,親族と一緒に住んでいたことを意味しているのかもしれないが,奴隷や召し使いがいたことを示しているのかもしれない。(使徒 16:15)パウロとシラスがその町を去る前にルデアの家で兄弟たちと会ったことからすると,もてなしの精神に富むこの女性の家はフィリピの最初のクリスチャンたちの集会場所になっていたのだろう。(使徒 16:40

ルデアという女性: ルデアという名前は,聖書にここと使徒 16:40の2回だけ出ている。ルデアは「リュディアの女性」という意味のあだ名だと考える人もいるが,ルデアが人名として使われていたことを示す文書がある。ルデアとその家の人たちは,西暦50年ごろにフィリピでクリスチャンになった。それで,パウロの伝道の結果としてヨーロッパで最初にキリスト教を受け入れた人々に含まれていた。恐らく未婚かやもめだったルデアは,惜しみなく与える人だったので,宣教者であるパウロやシラスやルカとの交友から多くの励みを得ることができた。(使徒 16:15

エホバは彼女の心を大きく開いて: ルデアは神を崇拝する人と言われていて,ユダヤ教への改宗者だったようだ。(使徒 13:43)ルデアとほかの女性たちは,安息日にフィリピの外の川のそばにある祈りの場所で集まっていた。(使徒 16:13)フィリピにはユダヤ人が少なく,会堂がなかったのかもしれない。ルデアは故郷の町テアテラでエホバの崇拝について知ったのかもしれない。そこにはユダヤ人が大勢いて,ユダヤ人の集会場があった。ルデアが崇拝する神エホバは,ルデアが注意深く聞いているのに気付いた。付録C3の序文と使徒 16:14を参照。

エホバは彼女の心を大きく開いて: ルデアは神を崇拝する人と言われていて,ユダヤ教への改宗者だったようだ。(使徒 13:43)ルデアとほかの女性たちは,安息日にフィリピの外の川のそばにある祈りの場所で集まっていた。(使徒 16:13)フィリピにはユダヤ人が少なく,会堂がなかったのかもしれない。ルデアは故郷の町テアテラでエホバの崇拝について知ったのかもしれない。そこにはユダヤ人が大勢いて,ユダヤ人の集会場があった。ルデアが崇拝する神エホバは,ルデアが注意深く聞いているのに気付いた。付録C3の序文と使徒 16:14を参照。

エホバに忠実: ほとんどのギリシャ語写本はここで,「主」(キュリオス)という語を使っている。ギリシャ語聖書でキュリオスは文脈によってエホバ神かイエス・キリストを指す。前の節の注釈にあるように,ルデアはユダヤ教への改宗者だったようで,エホバのことを念頭に置いていたというのが理にかなっている。ルデアはパウロの伝道でイエス・キリストについて聞いたばかりで,イエスに忠実であることはまだ示していなかった。ルデアはすでに自分が崇拝していた神エホバについて言っていたと考えるのが理にかなっているだろう。付録C3の序文と使徒 16:15を参照。

邪悪な天使の力で占いをする: ここでギリシャ語ピュトーンが使われている。ピュトンとは,ギリシャのデルフォイの神殿と神託所を守護した神話上の蛇または竜の名前。ギリシャ語ピュトーンは,将来を予告できる人やその人を通して語る邪悪な天使を指すようになった。後にこの語は腹話術師を指して使われたが,「使徒の活動」のこの箇所では,若い女性に予言を行わせた邪悪な天使を表すために使われている。

運勢占いで: または,「予言をして」。聖書では,将来に起きることを予告できると言う人として,魔術師や心霊術を使う占い師,占星術師などが挙げられている。(レビ 19:31。申 18:11)ギリシャ語聖書で,将来のことを予告する邪悪な天使は,フィリピでのこの出来事にしか出てこない。邪悪な天使は神や神の望まれることを行う人たちに反対するので,占いをする女性からこの邪悪な天使を追い出した結果,パウロとシラスが激しい反対に遭ったのも不思議ではない。(使徒 16:12,17-24

広場: または,「集会の場所」。ここでギリシャ語アゴラが使われており,古代近東およびギリシャ・ローマ世界の都市や町にあった広場を指す。そこは売買の中心,また公の集会の場所だった。

広場: アクロポリスの北西にあったアテネの広場(ギリシャ語アゴラ)は,5ヘクタールほどの広さだった。広場は,物を売買する場所だった。それだけではなく,町の経済,政治,文化の中心地だった。アテネの人々は,生活の中心地であるこの場所に集まって知的な論議を楽しんだ。

広場: または,「市場」,「フォルム」。ここでギリシャ語アゴラが使われており,古代近東およびギリシャ・ローマ世界の都市や町にあった広場を指す。そこは売買の中心,また公の集会の場所だった。フィリピで起きたことに関するこの記述からすると,ある種の訴訟問題は広場で扱われたようだ。フィリピの遺跡の発掘調査によると,この町の中央部をエグナティア街道が通り,その街道沿いに,かなりの大きさのフォルムつまり広場があった。マタ 23:7,使徒 17:17の注釈を参照。

行政官たち: ギリシャ語ストラテーゴスの複数形はここで,ローマの植民市フィリピの最高位の役人たちを指す。その人たちには,治安を維持し,財政を管理し,法律に違反した人を裁き,処罰を命じる責務があった。

フィリピ: この町は最初クレニデスと呼ばれた。マケドニアのフィリッポス2世(アレクサンドロス大王の父)が紀元前4世紀の半ばごろにこの町をトラキア人から奪い,自分にちなんだ名前を付けた。その地域には豊かな金鉱があり,フィリッポスの名前で金貨が発行された。紀元前168年ごろ,ローマの執政官ルキウス・アエミリウス・パウルスがマケドニア最後の王ペルセウスを打ち破り,フィリピとその周囲の領土を取得した。紀元前146年にはマケドニア全体がローマの1つの属州とされた。紀元前42年に,オクタウィアヌス(オクタウィウス)とマルクス・アントニウスが,ブルートゥスとガイウス・カッシウス・ロンギヌス(ユリウス・カエサルの暗殺者たち)の率いる軍隊をフィリピ平原で打ち破った。その後,オクタウィアヌスは大勝利を記念して,フィリピをローマの植民市とした。数年後,オクタウィアヌスはローマの元老院によってカエサル・アウグスツスとされた時,その町をコロニア・アウグスタ・ユリア・フィリッペンシスと名付けた。付録B13参照。

私たちローマ人: フィリピはローマの植民市で,住民には多くの特権が与えられた。その中には,部分的あるいは二次的な形態のローマ市民権も含まれていたかもしれない。そのため,フィリピの住民はローマに対して,そうした事情がなければ抱かないような強い愛着を抱いていたようだ。使徒 16:12の注釈を参照。

エホバの言葉: この表現はヘブライ語聖書に背景があり,「言葉」に当たるヘブライ語と神の名前を組み合わせたものが200ほどの節に出ている。(例えば,サ二 12:9; 24:11,王二 7:1; 20:16; 24:2,イザ 1:10; 2:3; 28:14; 38:4,エレ 1:4; 2:4,エゼ 1:3; 6:1,ホセ 1:1,ミカ 1:1,ゼカ 9:1。)この表現は,イスラエルの死海近くのユダヤ砂漠にあるナハル・ヘベルで見つかったセプトゥアギンタ訳の初期の写本のゼカ 9:1に出ていて,ギリシャ語ロゴスの後に古代ヘブライ文字で書かれた神の名前()が続いている。この羊皮紙の巻物は紀元前50年から西暦50年の間のものとされている。使徒 8:25の多くのギリシャ語写本で「主の言葉」となっているのに対し,「新世界訳」が「エホバの言葉」という表現を本文で使っている理由については,付録C3の序文と使徒 8:25で説明されている。

エホバの言葉: 使徒 8:25の注釈,付録C3の序文と使徒 16:32を参照。

私たち: 「使徒の活動」は,使徒 16:9まで第三者の視点で出来事が記されている。つまり,筆者のルカはほかの人の言動だけを伝えている。しかし,ここ使徒 16:10で書き方が変化し,ルカは自分を話に含めている。それ以降,ルカはパウロの一行に同行したと思われる部分で,「私たち」という言い方を使っている。(使徒 1:1の注釈と「使徒の活動の紹介」を参照。)ルカは西暦50年ごろパウロに初めて同行してトロアスからフィリピに行ったが,パウロがフィリピを去った時,ルカは一緒に行かなかった。(使徒 16:10-17,40使徒 20:5; 27:1の注釈を参照。

すぐにバプテスマを受けた: 牢番と家の人つまり家族は異国人で,聖書の基本的な真理をよく知らなかったと思われる。パウロとシラスは「主イエスを信じ」るよう勧めた後,「エホバの言葉」を語った。多くを語ったに違いない。(使徒 16:31,32)これはその人たちに大きな影響を与えた。使徒 16:34から分かるように,その晩,その人たちは「神を信じるように」,神に信仰を持つようになった。それで,その人たちがすぐにバプテスマを受けたのはふさわしいことだった。パウロとシラスがフィリピを去った時,使徒 16:40から分かるように,それまで同行していたルカは一緒に行かなかった。(使徒 16:10の注釈を参照。)ルカは,新しいクリスチャンたちをさらに援助するためにしばらくフィリピにとどまることができたのかもしれない。

警備の者: ギリシャ語ラブドゥーコスは,字義的には「棒を持つ人」を意味する。人々のいる所でローマの行政官を護衛し,その指示を実行する公的な従者を指した。ローマ人の用語ではリクトルだった。ローマの警備の者は,警察のような務めも果たしたが,行政官専属で,行政官に常に同行する責任があった。人々の求めに直接応じることはなく,行政官の命令にのみ従った。

ローマ市民: パウロがローマ市民としての権利を活用した3つの記録のうちの2つ目。ローマ当局は通常,ユダヤ人の問題にほとんど干渉しなかった。ローマ人がパウロの件に関わったのは,パウロが神殿を訪れた時に暴動が生じたためだけでなく,パウロがローマ市民だからでもあった。市民権を持つ人には特権が与えられ,それは帝国全土で認められ,尊重された。例えば,有罪の宣告を受けていないローマ市民を縛ったり打ちたたいたりするのは違法だった。そのように扱ってもよいのは奴隷だけだと考えられていた。他の2つの例については,使徒 16:37; 25:11の注釈を参照。

カエサルに上訴します!: 聖書中の記録で,パウロがローマ市民としての権利を活用した3つ目の例。(他の2つの例については,使徒 16:37; 22:25の注釈を参照。)カエサルに対するこのような上訴は,判決が言い渡された後でもそれより前の裁判中のどの時点でも行えた。フェストがこの件を自分で判断するのを望んでいないことは明らかであり,エルサレムの裁判ではまず公正を期待できなかった。それでパウロは,帝国の最高法廷での裁判をこのように正式に願い出た。現行犯で捕まった泥棒,海賊,扇動者などの場合,上訴が却下されることもあったようだ。フェストが上訴を認める前に「評議員会」と協議したのは恐らくそのためだろう。(使徒 25:12)その後,フェストは「尊厳者」ネロにパウロの件を送る際により明確な情報を提出できるよう,訪問中のヘロデ・アグリッパ2世と共に話を聞いた。(使徒 25:12-27; 26:32; 28:19)上訴によって,パウロはローマに行くことにもなり,以前に述べていた通りになった。(使徒 19:21)イエスがパウロに語った預言と天使が後に伝えた言葉は,この件に神の導きがあったことを示している。(使徒 23:11; 27:23,24

ローマ市民である私たち: パウロはローマ市民であり,シラスもそうだったと思われる。ローマ法によれば,市民には常に正当な裁判を受ける権利があり,市民を有罪の宣告もせずに人前で処罰するようなことをしてはならなかった。ローマの市民権を持っている人には,帝国全土で通用する権利と特権が与えられていた。ローマ市民は,属州の町の法律ではなく,ローマ法に従った。訴えられた時は,地元の法律による裁判に応じることもできたが,ローマ法による裁判を受ける権利を依然として持っていた。死刑に相当する罪の場合は,皇帝に上訴する権利があった。使徒パウロはローマ帝国中を広範囲に伝道した。パウロがローマ市民としての権利を活用した例が3つ記録されている。1つ目はここフィリピでのことで,パウロはフィリピの行政官たちに打ちたたかれて権利を侵害されたことを指摘した。他の2つの例については,使徒 22:25; 25:11の注釈を参照。

メディア

ネアポリス
ネアポリス

この写真は現代のカバラの町で,それは古代のネアポリスの遺跡の上に造られている。ネアポリスはエーゲ海の北の端に位置していて,すぐ北西にあったフィリピの港町だった。使徒パウロは,「マケドニアへ渡ってきて……ください」という呼び掛けに応じて初めてヨーロッパを訪れた時,ネアポリスに降り立った。(使徒 16:9,11,12)パウロは第3回宣教旅行でもネアポリスを通ったと思われる。(使徒 20:2,6)ローマ時代の町の遺跡はほとんどないが,今日そこを訪れる人は,すぐ近くにあるローマ人が造ったエグナティア街道(ウィア エグナティア)の一部を歩くことができる。その道路は東西約800キロの幹線道路で,ヨーロッパの数々の町を結び,アジアとの境界に達していた。ネアポリス,フィリピ,アンフィポリス,アポロニア,テサロニケなどパウロが訪れた幾つもの町が,エグナティア街道沿いにあった。(使徒 17:1

フィリピの近くの祈りの場所
フィリピの近くの祈りの場所

この写真はクレニデス川で,古代のフィリピの西側にあったクレニデス門のすぐ外を流れていた。パウロは,「川」のそばで祈りのために集まっている女性たちに伝道した。それはこの川のそばだったかもしれないが,正確な場所についてはさまざまな意見がある。(使徒 16:13-15