使徒​の​活動 15:1-41

15  さて,あるひとたちがユダヤからくだってきて,きょうだいたちに,「モーセのかんれいどおかつれいけないかぎ+すくわれない」とおしはじめた。  それで,パウロとバルナバと,そのひとたちとのあいだで,かなりのたいりつろんしょうじた。このけんで,パウロとバルナバとなんにんかが,エルサレムにいる使ちょうろうたちのもとにのぼることになった+  このひとたちはちゅうまでかいしゅうおくられたあとすすんでいってフェニキア+やサマリアをとおり,こくひとびとしんじゃになったことについてくわしくはなしたので,きょうだいたちはみなじょうよろこんだ。  いっこうはエルサレムにくと,かいしゅうおよび使ちょうろうたちにしんせつむかえられ,かみぶんたちをとおしておこなったおおくのことをはなした+  しかし,ぜんはパリサイだったしんじゃなんにんかがせきからち,「かれらにかつれいほどこし,モーセのりっぽうまもるようめいじることがひつよう+」とった。  そこで使ちょうろうたちは,このけんについて調しらべるためにあつまった。  かっぱつろんつづいたあと,ペテロがってこうった。「みなさん,きょうだいたち,よくごぞんじのとおり,かみわたしたちのなかからわたしをまずえらんでこくひとびとらせをつたえさせ,そのひとたちがいてしんじるようにしました+  そして,ひとこころっているかみ+わたしたちとおなじようにそのひとたちにもせいなるちからあた+,そのひとたちをみとめていることをしめしました。  また,わたしたちとそのひとたちとのあいだなんべつもうけず+かれらのこころしんこうのゆえにきよめました+ 10  ですから,どうしていまわたしたちもえなかったおも+たちにして+かみためしたりするのですか。 11  いまわたしたちは,すくいはしゅイエスのしみないしんせつによるというしんこうっており+,そのひとたちのすくいもおなじなのです+」。 12  するといちどうだまり,バルナバとパウロのはなしはじめた。2人ふたりは,ぶんたちをとおしてかみこくひとびとあいだおこなったおおくのせき*なことについてはなした。 13  2人ふたりはなえてから,ヤコブ+った。「みなさん,きょうだいたち,いてください+ 14  シメオン+は,かみはじめてこくひとびとちゅうけて,そのなかからごぶんのためのたみしただいじゅうぶんはなしてくれました+ 15  げんしゃことはこのことといっしています。こういてあります。 16  『これらのことのあとわたしもどって,たおれたダビデのてんまくふたたこす。そのはいきょなおしてもともどす。 17  のこっているひとたちが,すべてのくにひとびとわたしばれるひとびとともに,こころからエホバにつかえるためである。わたしエホバがそうっている。わたしがこれらのことをおこなっており+ 18  むかしからそうめていた+』。 19  ですから,わたしけっていは,かみすうはいするようになるこくひとびとわずらわさず+ 20  ぐうぞうによってけがされたもの+せいてきどうとく+ころされたどうぶつける+ようおくることです。 21  モーセのしょあんそくごとにかいどうろうどくされていて,それをおしえるひとむかし*からどのまちにもいます+」。 22  そこで,使ちょうろうたちはかいしゅうぜんたいともに,ぶんたちのなかからえらんだひとたちをパウロとバルナバといっしょにアンティオキアにつかわすことにめた。バルサバとばれるユダとシラス+であり,きょうだいたちのなかおおきなせきにんになっているひとたちだった。 23  そして,かれらをとおしてのようながみおくった。 みなさんのきょうだいである使ちょうろうたちから,アンティオキア+,シリア,キリキアにいるこくじんきょうだいたちへ。あいさつをおくります。 24  こちらからったあるひとたちが,わたしたちからなんけていなかったのに,いろいろなことをってみなさんをわずらわせ+しんこうそこなおう*としていることをきましたので, 25  わたしたちは,ひとえらんで,あいするバルナバとパウロとともみなさんのもとにつかわすことをぜんいんいっけっていしました。 26  しゅイエス・キリストののためにいのちささげてきた+2人ふたりともに, 27  ユダとシラスをつかわします。おなじことをこうとうでもつたえるためです+ 28  というのは,せいなるちから+によってわたしたちは,つぎひつようことがらがいみなさんになんおもくわえないのがよいとかんがえたからです。 29  すなわち,ぐうぞうせいとしてささげられたもの++ころされたどうぶつ+せいてきどうとくけていることです+。これらのものからちゅうぶかまもっていれば,みなさんはおだやかにらせます。すこやかにおごしください」。 30  こうして,このひとたちはおくされてアンティオキアにくだり,みなあつめてがみわたした。 31  ひとびとはそれをんで,はげましのことよろこんだ。 32  ユダとシラスは,げんしゃでもあったので,なんはなしをしてきょうだいたちをはげまし,ちからづけた+ 33  2人ふたりはそこでしばらくごしたあときょうだいたちからあたたかくおくられ,ぶんたちをつかわしたひとびとのもとにもどっていった。 34  ― 35  しかし,パウロとバルナバはアンティオキアにとどまっておしえ,ほかのおおくのひといっしょにエホバのことらせをひろめた。 36  なんにちあと,パウロはバルナバにった。「さあ*,エホバのことひろめたすべてのまちもどってきょうだいたちをたずね,どうしているかをてみましょう+」。 37  バルナバは,マルコとばれるヨハネ+れていくことにめていた。 38  しかしパウロは,パンフリアでマルコがいっしょこうどうするのをやめてしまったことがあるので,かれれていくことにさんせいできなかった+ 39  そこでいかりがはげしくぶつかって,2人ふたりわかれることになった。バルナバ+はマルコをれてふねでキプロスにかった。 40  パウロはシラスをえらび,しゅっぱつした。けるまえに,きょうだいたちは,パウロがエホバのしみないしんせつけるようにといのった+ 41  パウロはシリアとキリキアをとおってかいしゅうつよくした。

脚注

直訳,「しるし」。
または,「昔の世代」。
または,「皆さんをかき乱そう」。
もしかすると,「ぜひとも」。

注釈

活発な論議: または,「議論すること」。ここで使われているギリシャ語は,「探し求める」を意味する動詞(ゼーテオー)と関係があり,「探し求めること」,「質問すること」を意味する。(「王国行間逐語訳」[英語])それで,使徒と長老たちは,質問し,注意深い調査を行い,恐らくさまざまな意見を気兼ねなく自由に述べることによって,どうすべきか徹底的に話し合ったのだろう。

長老: 直訳,「年長者」。聖書で,ギリシャ語プレスビュテロスは主に,国や共同体で権威や責任のある立場に就いている人を指す。年上の人を表すこともあるが(ルカ 15:25,使徒 2:17がその例),年配者に限られてはいない。ここでは,祭司長や律法学者とよく一緒に出てくる,ユダヤ国民の指導者を指す。サンヘドリンはこれら3つのグループの男性で構成されていた。(マタ 21:23; 26:3,47,57; 27:1,41; 28:12用語集参照。

長老: 直訳,「年長者」。聖書で,ギリシャ語プレスビュテロスは,実際に年長の人を表すこともあるが,主に,国や共同体で権威や責任のある立場に就いている人を指す。(マタ 16:21の注釈を参照。)古代イスラエルでは,長老が地域社会レベルでも(申 25:7-9。ヨシ 20:4。ルツ 4:1-12),国家レベルでも(裁 21:16。サ一 4:3; 8:4。王一 20:7),指導したり管理したりする責任を担った。ここはクリスチャン会衆に関連してこの語が使われている最初の箇所。イスラエル国民の場合と同じように,クリスチャン会衆の長老たちにも会衆を指導する責任があった。この文脈で,長老たちが救援の寄付を受け取り,ユダヤの諸会衆への分配を監督した。

件: または,「議論のこと」。ギリシャ語ゼーテーマはしばしば,論争となる問題や議論されている事柄を指す。この語は,「探し求める」という意味のギリシャ語(ゼーテオー)と関係がある。使徒 15:7の注釈を参照。

長老: 直訳,「年長者」。ここでギリシャ語プレスビュテロスは,初期クリスチャン会衆で責任ある立場にある人たちを指す。エルサレム会衆の長老たちは使徒たちと共に述べられていて,パウロとバルナバと,シリアのアンティオキアの何人かの兄弟たちが割礼の問題の解決のため,その人たちの所に行った。生来のイスラエルに国家レベルで奉仕する長老たちがいたように,この長老たちは使徒たちと共に1世紀のクリスチャン会衆全てのための統治体を形成した。もともと12使徒で構成された統治体が増員されていたようだ。(使徒 1:21,22,26マタ 16:21,使徒 11:30の注釈を参照。

信者になった: ここで使われているギリシャ語エピストロフェーは,「戻る」,「帰る」,「向きを変える」という意味の動詞から来ている。(ヨハ 12:40; 21:20。使徒 15:36)神との関係で使われる時,この語は,真の神の方を向いたりそのもとに帰ったりすることと,偶像や偽りの神々から離れることを含む場合がある。(この動詞は,使徒 3:19; 14:15; 15:19; 26:18,20,コ二 3:16に出ている。)この動詞は,テサ一 1:9の「皆さんがどのように偶像から離れて……神に仕えるようになったか」という箇所で使われている。人は悔い改めてから信者になる。マタ 3:2,8,使徒 3:19; 26:20の注釈を参照。

悔い改める: ここで使われているギリシャ語は「考えを変える」と直訳することもでき,考え・態度・目的の変化を意味する。この文脈で,「悔い改めるように」という勧めは,神を崇拝するという表現と結び付けられているので,神との関係について言っている。本当に悔い改めるには,悔い改めたことを示す行動を取らなければならない。つまり,行動によって,考えや態度が本当に変わったことが明らかになる。マタ 3:2,8,ルカ 3:8の注釈用語集を参照。

悔い改めて生き方を変えなさい: 「悔い改める」に当たるギリシャ語メタノエオーは,直訳すると,「考えを変える」となり,考え・態度・目的の変化を意味する。この文脈で,悔い改めは神との関係を修復または回復したいという願いを含んでいた。心から悔い改める罪人は間違った歩みを深く後悔し,罪を繰り返さないよう決意する。(コ二 7:10,11マタ 3:2,8の注釈を参照。)さらに,本当に悔い改めた人は「生き方を変え」る。間違った歩みをやめ,神に喜ばれる生き方をするよう努力する。ヘブライ語でもギリシャ語でも,「生き方を変える」に当たる動詞(ヘブライ語はシューブ,ギリシャ語はストレフォー,エピストレフォー)の文字通りの意味は,「戻る」,「帰る」,「向きを変える」。(創 18:10; 50:14。ルツ 1:6。使徒 15:36)しかし,神との関係で良い意味で使われている場合,この語は,悪い道から離れ,神のもとに帰るという意味にもなる。(王一 8:33。エゼ 33:11使徒 15:3; 26:20の注釈を参照。

悔い改めていることを示す行動: ヨハネの言葉を聞く人たちが考えや態度を変えたことを示す証拠や行動を指す。(ルカ 3:8。使徒 26:20マタ 3:2,11の注釈と用語集の「悔い改め」を参照。

悔い改めなさい: ここで使われているギリシャ語は「考えを変える」と直訳することもでき,考え・態度・目的の変化を意味する。この文脈では,神との関係で「悔い改めなさい」と言っている。マタ 3:8,11の注釈用語集を参照。

私はパリサイ派で: 聴衆の中には,パウロを知っている人もいた。(使徒 22:5)サンヘドリンのパリサイ派の人は,パウロがパリサイ派の人の子と述べて自分たちと背景が同じであることを認めていたと考えただろう。彼らはパウロが自分の立場を偽っているとは思わなかった。パウロが熱心なクリスチャンになったことを知っていたから。この文脈で,自分はパリサイ派だというパウロの言葉は相対的な意味に理解できる。つまり,パウロはパリサイ派と同じく復活を信じていたので,サドカイ派ではなくパリサイ派だと称した。そのようにして,その場にいたパリサイ派の人と共通の土台を築いた。パウロは議論を呼ぶこの問題を持ち出すことで,自分の言うことに同意するサンヘドリンのメンバーが現れることを願ったと思われる。その策は功を奏した。(使徒 23:7-9使徒 23:6にあるこのパウロの言葉は,後にアグリッパ王の前で弁明した際に自分について述べたことと一致している。(使徒 26:5)また,フィリピの仲間のクリスチャンにローマから手紙を書いた時,パウロは自分がパリサイ派だったことに再び言及した。(フィリ 3:5使徒 15:5で,以前はパリサイ派だったクリスチャンについて述べられていることにも注目できる。使徒 15:5の注釈を参照。

以前はパリサイ派だった信者: これらのクリスチャンはまだ,ある意味でパリサイ派の背景を持つ人と見られていたようだ。使徒 23:6の注釈と比較。

活発な論議: または,「議論すること」。ここで使われているギリシャ語は,「探し求める」を意味する動詞(ゼーテオー)と関係があり,「探し求めること」,「質問すること」を意味する。(「王国行間逐語訳」[英語])それで,使徒と長老たちは,質問し,注意深い調査を行い,恐らくさまざまな意見を気兼ねなく自由に述べることによって,どうすべきか徹底的に話し合ったのだろう。

不思議なこと: または,「前兆」。使徒 2:19の注釈を参照。

不思議なこと: または,「前兆」。ギリシャ語聖書で,ギリシャ語テラスはいつもセーメイオン(「しるし」)と一緒に使われていて,どちらも複数形が使われている。(マタ 24:24。ヨハ 4:48。使徒 7:36; 14:3; 15:12。コ二 12:12)基本的にテラスは,畏れの気持ちを抱かせたり,驚嘆させたりするものを指す。この語が将来起きることの前兆となるものを指すことが明らかな場合,注釈に「前兆」という別の訳を挙げている。

ヤコブ: イエスの異父弟で使徒 12:17に出ているヤコブのことと思われる。(マタ 13:55,使徒 12:17の注釈を参照。)割礼の件が「エルサレムにいる使徒や長老たち」の前に持ち出された時,ヤコブは討議の司会を務めたようだ。(使徒 15:1,2)この時のことと思われるが,パウロは,ヤコブとケファ(ペテロ)とヨハネがエルサレム会衆の「柱と見なされていた」と述べた。(ガラ 2:1-9

ヤコブ: イエスの異父弟。使徒 12:17注釈を参照)とガラ 1:19で言及されていて聖書の「ヤコブの手紙」を書いた人と思われる。(ヤコ 1:1

ヤコブ: イエスの異父弟のことと考えられる。マリアから普通の方法で生まれたヤコブ,ヨセフ,シモン,ユダという4人の息子のうち最初に名前が挙げられているので,ヤコブはイエスに次いで年長だったのかもしれない。(マタ 13:55。マル 6:3。ヨハ 7:5)西暦33年のペンテコステの時,離散していたユダヤ人がエルサレムに来ていたが,そのうちの何千人もが良い知らせを聞いてバプテスマを受けるのをヤコブは直接見た。(使徒 1:14; 2:1,41)ペテロが弟子たちに,「ヤコブ……に報告してください」と言っていることから,ヤコブがエルサレム会衆で中心的な役割を果たしていたことが分かる。使徒 15:13; 21:18,コ一 15:7,ガラ 1:19(そこでは「主の弟」と呼ばれている); 2:9,12に出ているヤコブも,聖書の「ヤコブの手紙」を書いたのも,このヤコブだと思われる。(ヤコ 1:1。ユダ 1

ペテロと呼ばれるシモン: 聖書中でペテロには5つの呼び名がある。(1)ギリシャ語で「シメオン」,ヘブライ語名シメオンをそのまま取り入れたもの。(2)ギリシャ語「シモン」(シメオンもシモンも「聞く」という意味のヘブライ語動詞に由来)。(3)「ペテロ」(「小岩」という意味のギリシャ語名で,聖書中でこう呼ばれているのは1人だけ)。(4)「ケファ」,ペテロに相当するセム語系の単語(ヨブ 30:6,エレ 4:29にあるヘブライ語ケーフィーム[「岩」の複数形]と関係があるかもしれない)。(5)「シモン・ペテロ」という組み合わせ。(使徒 15:14。ヨハ 1:42。マタ 16:16

シメオン: シモン・ペテロのこと。ギリシャ語シュメオーンはヘブライ語名シメオンをそのまま取り入れたもの。ヘブライ語名をそのまま取り入れたギリシャ語名が使われているので,この集まりではヘブライ語が話されていたのかもしれない。聖書の中で,使徒ペテロがこの名前で呼ばれているのは1度だけ。マタ 10:2の注釈を参照。

ご自分の名のための民: この表現は,ヘブライ語聖書中でエホバが1つの民を特別な所有物として選んだと言われていることが背景になっているのかもしれない。(出 19:5。申 7:6; 14:2; 26:18,19)エホバの名前を付けられたこの新しい民は,「神のイスラエル」と呼ばれ,ユダヤ人ではない信者も含むようになった。(ガラ 6:16。ロマ 11:25,26前半。啓 14:1)その人々は自分たちが代表する方の素晴らしさを広く知らせ,人々の前でその名前をたたえる。(ペ一 2:9,10)生来のイスラエルと同様,「神のイスラエル」にも,「その民は,私が自分のために形作った。彼らが私を賛美するようになるために」というエホバの言葉が当てはまる。(イザ 43:21)初期のクリスチャンはエホバだけが真の神であることを大胆に語り,当時崇拝されていた神々は全て偽物であることを明らかにした。(テサ一 1:9

預言者の言葉: シメオンつまりシモン・ペテロの話(使徒 15:7-11),およびバルナバとパウロが提出した証拠(使徒 15:12)によって,ヤコブは,討議中の事柄に光を当てる適切な聖句を思い出したのだろう。(ヨハ 14:26)「預言者の言葉は[いま話された]ことと一致しています」と言ってから,アモ 9:11,12を引用した。アモス書はヘブライ語聖書の中で一般に「預言者」と呼ばれる部分に含まれている。(マタ 22:40。使徒 15:16-18ルカ 24:44の注釈を参照。

モーセの律法の中,また預言者と詩編の書の中: イエスは,ヘブライ語聖書全体をユダヤ人が用いてよく知っていた仕方で区分していたと思われる。「律法」(ヘブライ語,トーラー)は,聖書の創世記から申命記までの書を指す。「預言者」(ヘブライ語,ネビーイーム)の書は,ヘブライ語聖書の預言書を指し,それにはいわゆる前預言書(ヨシュア記から列王記まで)が含まれる。「詩編」は3番目の区分を指し,ヘブライ語聖書の残りの書を含み,諸書,ヘブライ語ではケトゥービームと呼ばれる。「詩編」という名称が使われているのは,3番目の区分の最初の書だったから。「タナッハ」(Tanakh)は,ユダヤ人が使うヘブライ語聖書の呼び方で,3つの区分の頭文字T,N,Kを組み合わせたものから来ている。イエスがこれら3つの語を使ったことは,イエスが地上にいた時にヘブライ語聖書の正典が十分に確立されていて,イエスが認めていたことを示している。

ダビデの天幕: または,「ダビデの仮小屋(住まい)」。エホバは,ダビデの王国が「永遠に安定する」と約束した。(サ二 7:12-16)「ダビデの天幕」つまり王家または王朝は,ゼデキヤ王が退位させられた時に倒れた。(エゼ 21:27)その時以降,ダビデの家系の王が地上のエルサレムの「エホバの王座」につくことはなかった。(代一 29:23)しかしエホバは,ダビデの子孫であるイエスを永遠の王として象徴的なダビデの天幕を建て直す。(使徒 2:29-36)ヤコブは,アモスが予告していたこの建て直し(ダビデの家系に王権を回復すること)には,イエスの弟子(王国の相続人)をユダヤ人と異国人の両方から集めることが含まれることを示した。(アモ 9:11,12

残っている人たちが……心からエホバに仕えるためである: 使徒 15:15の注釈にある通り,ヤコブはアモ 9:11,12から引用した。その引用には,現在入手できるヘブライ語本文と異なる部分がある。その違いはヤコブがヘブライ語聖書のギリシャ語訳であるセプトゥアギンタ訳から引用したためと言われてきた。しかし,使徒 15:14でペテロを指して使われている名前からすると,その集まりではヘブライ語が話されていたのかもしれない。(使徒 15:14の注釈を参照。)そうだとすると,ヤコブはヘブライ語で引用したが,ルカがその引用を記録した時にセプトゥアギンタ訳の言い回しを使ったという可能性もある。ルカ,ヤコブなど,聖書筆者はそのような方法でヘブライ語聖書から引用した。セプトゥアギンタ訳から引用した聖句は,今日入手できるヘブライ語本文といくらか異なるところがあるが,エホバは聖書筆者たちがその翻訳から引用することを許し,それが聖書の一部になるようにした。(テモ二 3:16アモ 9:12の引用に関して,入手できるヘブライ語写本で「エドムの残っているもの」となっているのに対し,セプトゥアギンタ訳では「残っている人たち」となっていることに注目できる。その違いが生じたのは,古代ヘブライ語で「人たち」に当たる語と「エドム」に当たる語がよく似て見えたからだという意見もある。「仕える」と「所有する」に当たるヘブライ語も似て見える。セプトゥアギンタ訳のアモ 9:12は,今日入手できるヘブライ語本文と異なる古代ヘブライ語本文に基づいていると言われてきたが,はっきりとしたことは分からない。いずれにしても,セプトゥアギンタ訳とヘブライ語のマソラ本文はヤコブの主張の基本的な点を伝えていて,どちらも異国の人々がエホバの名前で呼ばれるのをアモスが予告していたことを示している。

全ての国の人々……と共に: ユダヤ人でない人つまり異国の人々と共に,ということ。割礼を受けた異国の人は,もはや異国の人と見なされず,「生来のイスラエル人のようになる」。(出 12:48,49)エステルの時代,大勢の異国の人々が「自分はユダヤ人だと宣言していた」。(エス 8:17)注目できる点として,セプトゥアギンタ訳のエス 8:17は,異国の人々が「割礼を受け,ユダヤ人になった」となっている。「使徒の活動」はここでアモ 9:11,12の預言を引用していて,「全ての国の人々」(割礼を受けていない異国の人々)がイスラエルの「残っている人たち」(ユダヤ人と割礼を受けた改宗者)に加わり,「私[エホバ]の名で呼ばれる人々」になると述べている。この預言に基づいて,弟子たちは,割礼を受けていない異国の人々が神に受け入れられるために割礼を受ける必要はないということを理解した。

私の名で呼ばれる人々: ヘブライ語聖書でイスラエル人がエホバの名前で呼ばれていることは,イスラエル人がエホバの民であることを示していた。(申 28:10。代二 7:14。イザ 43:7; 63:19。ダニ 9:19)またエホバは,神殿のあるエルサレムにご自分の名を付すことによって,そこをご自分の崇拝の正当な中心地として受け入れた。(王二 21:4,7

エホバ: ヤコブは使徒 15:14で,「神が……異国の人々に注意を向け」た次第をシメオンが話してくれたと言っている。19節では,「神を崇拝するようになる異国の人々」について述べている。ヤコブはここでアモ 9:11,12から引用している。元のヘブライ語本文では,「エホバが宣言する[つまり,「言っている」]」という表現の中で,神の名前が1度出ている。ここ使徒 15:17にはギリシャ語キュリオス(主)が2回出ていて,どちらもエホバを指している。文脈やヘブライ語聖書の背景,セプトゥアギンタ訳とギリシャ語聖書の他の部分でのキュリオスという語の使い方からすると,この節でキュリオスが出てくる両方の箇所で神の名前を使う十分な理由がある。付録C1C3の序文使徒 15:17を参照。

エホバがそう言っている: ここでの引用はアモ 9:12から。元のヘブライ語本文に,ヘブライ語の4つの子音字(YHWHと翻字される)で表される神の名前が出ている。付録C参照。

これらのことを行っており,[18節]昔からそう決めていた: ギリシャ語本文の別の理解によれば,この部分は,「これらのことを昔から知らせてきた」とも訳せる。

シメオン: シモン・ペテロのこと。ギリシャ語シュメオーンはヘブライ語名シメオンをそのまま取り入れたもの。ヘブライ語名をそのまま取り入れたギリシャ語名が使われているので,この集まりではヘブライ語が話されていたのかもしれない。聖書の中で,使徒ペテロがこの名前で呼ばれているのは1度だけ。マタ 10:2の注釈を参照。

預言者の言葉: シメオンつまりシモン・ペテロの話(使徒 15:7-11),およびバルナバとパウロが提出した証拠(使徒 15:12)によって,ヤコブは,討議中の事柄に光を当てる適切な聖句を思い出したのだろう。(ヨハ 14:26)「預言者の言葉は[いま話された]ことと一致しています」と言ってから,アモ 9:11,12を引用した。アモス書はヘブライ語聖書の中で一般に「預言者」と呼ばれる部分に含まれている。(マタ 22:40。使徒 15:16-18ルカ 24:44の注釈を参照。

私の決定は: または,「私の意見(結論)は」。直訳,「私は判断しています」。ここでの使い方からすると,このギリシャ語は,集まりの司会者だったと思われるヤコブが自分の意見を皆に押し付けようとしていたことを示してはいない。ヤコブは聞いた証拠とこの件について聖書の述べる事柄とに基づいてどうすべきかの提案を述べていた。ある辞典は,このギリシャ語のこの文脈での意味を「さまざまな要素を考慮に入れた上で判断を下す」と定義している。それで,この動詞はここで,正式な判決のようなものではなく,直前に引用した聖句からの結論に基づくヤコブの意見を述べるために使われている。

性的不道徳: ギリシャ語ポルネイアは,聖書の基準に反するあらゆる性的な行動を広く指す語。姦淫,売春,結婚していない人同士の性関係,同性愛行為,獣姦などが含まれる。用語集参照。

絞め殺された動物: または,「殺して血を抜いていない動物」。これには自然死した動物やほかの動物に傷つけられて死んだ動物も含まれたと思われる。いずれの場合も,その動物はきちんと血抜きされていなかっただろう。(出 22:31。レビ 17:15。申 14:21

朗読のために立ち上がった: 学者たちは,これが会堂での礼拝に関するものとして知られている最も古い記述であることに注目している。ユダヤ教の伝承によれば,普通,出席者が建物に入って個人的な祈りを捧げて礼拝が始まり,その後,申 6:4-911:13-21が唱えられた。続いて公式の祈りが捧げられ,その後モーセ五書の一部が予定に従って朗読された。使徒 15:21は,西暦1世紀にそのような朗読が「安息日ごとに」行われたことを述べている。礼拝の次の部分で,預言書の朗読がなされ,読んだ事柄に基づく訓話が行われた。この点がこの節で取り上げられているようだ。朗読者は立って読むのが習慣だった。預言書のどこを読むかをある程度自由に選べたのかもしれない。使徒 13:15の注釈を参照。

律法と預言者の言葉が朗読された: 1世紀,この朗読は「安息日ごとに」行われた。(使徒 15:21)会堂での崇拝の1つの特色は,ユダヤ人の信仰告白としてシェマを唱えることだった。(申 6:4-9; 11:13-21)シェマという名称は,最初に唱える聖句の冒頭の語から来ていて,その聖句は,「聞きなさい[シェマー],イスラエル,私たちの神エホバはただひとりのエホバです」となっている。(申 6:4)礼拝の最も重要な部分は,トーラーつまりモーセ五書の朗読だった。多くの会堂では律法全体を1年間で読むように計画していたが,3年かけて読む会堂もあった。預言書も朗読され,説明された。朗読の結びに講話が行われた。ピシデアのアンティオキアの会堂で,この朗読の後に,パウロは,集まっていた人々に励ましの言葉を話すよう勧められた。ルカ 4:16の注釈を参照。

朗読のために立ち上がった: 学者たちは,これが会堂での礼拝に関するものとして知られている最も古い記述であることに注目している。ユダヤ教の伝承によれば,普通,出席者が建物に入って個人的な祈りを捧げて礼拝が始まり,その後,申 6:4-911:13-21が唱えられた。続いて公式の祈りが捧げられ,その後モーセ五書の一部が予定に従って朗読された。使徒 15:21は,西暦1世紀にそのような朗読が「安息日ごとに」行われたことを述べている。礼拝の次の部分で,預言書の朗読がなされ,読んだ事柄に基づく訓話が行われた。この点がこの節で取り上げられているようだ。朗読者は立って読むのが習慣だった。預言書のどこを読むかをある程度自由に選べたのかもしれない。使徒 13:15の注釈を参照。

律法と預言者の言葉が朗読された: 1世紀,この朗読は「安息日ごとに」行われた。(使徒 15:21)会堂での崇拝の1つの特色は,ユダヤ人の信仰告白としてシェマを唱えることだった。(申 6:4-9; 11:13-21)シェマという名称は,最初に唱える聖句の冒頭の語から来ていて,その聖句は,「聞きなさい[シェマー],イスラエル,私たちの神エホバはただひとりのエホバです」となっている。(申 6:4)礼拝の最も重要な部分は,トーラーつまりモーセ五書の朗読だった。多くの会堂では律法全体を1年間で読むように計画していたが,3年かけて読む会堂もあった。預言書も朗読され,説明された。朗読の結びに講話が行われた。ピシデアのアンティオキアの会堂で,この朗読の後に,パウロは,集まっていた人々に励ましの言葉を話すよう勧められた。ルカ 4:16の注釈を参照。

モーセの書: ヤコブが言及したモーセの書には,律法の規定だけでなく,律法以前の時代に神がご自分の民をどう扱い,ご意志をどう表したかの記録も含まれていた。例えば,血を取り入れることや姦淫や偶像崇拝に対する神の見方は創世記からはっきり分かる。(創 9:3,4; 20:2-9; 35:2,4)このようにエホバは,ユダヤ人か異国人かにかかわらず全人類に対して拘束力を持つ原則を明らかにしていた。使徒 15:19,20で提案された決定は,モーセの律法にある多くの要求を課して異国人のクリスチャンを「煩わ」せたり困らせたりするものではなかった。また,モーセの書[が]安息日ごとに会堂で朗読されるのを長年聞いていたユダヤ人のクリスチャンの良心を尊重するものだった。(ルカ 4:16,使徒 13:15の注釈を参照。)これは,ユダヤ人のクリスチャンと異国人のクリスチャンとの絆を強めるものだった。

安息日ごとに会堂で朗読され: ルカ 4:16,使徒 13:15の注釈を参照。

長老: 直訳,「年長者」。ここでギリシャ語プレスビュテロスは,初期クリスチャン会衆で責任ある立場にある人たちを指す。エルサレム会衆の長老たちは使徒たちと共に述べられていて,パウロとバルナバと,シリアのアンティオキアの何人かの兄弟たちが割礼の問題の解決のため,その人たちの所に行った。生来のイスラエルに国家レベルで奉仕する長老たちがいたように,この長老たちは使徒たちと共に1世紀のクリスチャン会衆全てのための統治体を形成した。もともと12使徒で構成された統治体が増員されていたようだ。(使徒 1:21,22,26マタ 16:21,使徒 11:30の注釈を参照。

使徒や長老: 使徒 15:2の注釈を参照。

あいさつを送ります: ギリシャ語カイローは,字義的には「喜ぶ」という意味で,ここであいさつとして使われていて,「あなたにとって物事が良い状態でありますように」という考えを伝えている。会衆に送られた割礼に関するこの手紙の書き出しは,古代の一般的な手紙の書き方に沿っている。まず差出人,次に受取人,そして一般的なあいさつが続いた。(使徒 23:26の注釈を参照。)ギリシャ語聖書の全ての手紙のうち,ヤコブの手紙だけが1世紀の統治体からのこの手紙と同じ仕方でギリシャ語カイローをあいさつとして使っている。(ヤコ 1:1)弟子ヤコブはこの手紙の作成に関わった。これは,ヤコブの手紙を書いたヤコブと使徒 15章に記録されている集まりで重要な役割を果たした人が同じ人であることの裏付けとなっている。

クラウディウス・ルシアスから,総督フェリクス閣下へ。ごあいさつ申し上げます: これは古代の手紙の一般的な書き出し。まず差出人,次に受取人,そして一般的なあいさつが続いた。そこで使われているギリシャ語カイローは,字義的には「喜ぶ」という意味で,「あなたにとって物事が良い状態でありますように」という考えを伝えた。聖書以外のパピルスの手紙に普通に出てくる。この文脈でこのギリシャ語を「ごあいさつ申し上げます」と訳すのは適切。似たような手紙の書き出しが使徒 15:23ヤコ 1:1に見られる。使徒 15:23の注釈を参照。

全員一致で: 直訳,「同じ(一つの)思いで」。ギリシャ語ホモテュマドンは「使徒の活動」に何度か出ていて,しばしば初期クリスチャンの特異な一致を表している。例えば,使徒 1:14; 2:46で「思いを一つにして」,使徒 4:24で「思いを一つにし」となっている。

命を捧げてきた: ここでギリシャ語プシュケーは複数形で,「命」と訳されている。この語は人や人の命を指せる。(用語集の「プシュケー」参照。)ここの表現は「命を懸けてきた」,「人生(自分)を差し出してきた」という意味にも理解できる。

血……を避けている: この決定は,結局のところ,ノアとその息子たちに与えられ,それゆえに全人類に与えられた,血を食べてはならないという神の命令に基づいている。(創 9:4-6)800年ほど後に神は,イスラエル人に与えた律法の中にその命令を含めた。(レビ 17:13-16)それから1500年ほど後,ここにあるように,神はクリスチャン会衆に対して改めてその命令を述べた。神から見て,血を避けることは,偶像崇拝や性的不道徳を避けるのと同じほど重要。

絞め殺された動物: 使徒 15:20の注釈を参照。

性的不道徳: 使徒 15:20の注釈を参照。

を避けている: または,「から離れている」。直前に挙げられている全てのことがこの動詞の目的語と言える。クリスチャンは,偶像崇拝,性的不道徳,絞め殺されてきちんと血抜きされていない動物の肉を食べることを避けなければならない。血を避けることに関して,この動詞は単に血を食べない以上のことを意味する。血の神聖さを重視して血の誤用を全て避けるという意味を含む。(レビ 17:11,14。申 12:23

健やかにお過ごしください: ここで使われているギリシャ語の表現は,当時の一般的な手紙の結びの言葉だった。直前で求められていることは,必ずしも健康法として「これらのものを避けていれば,もっと健康になる」という意味で述べられたわけではない。これは,相手が強く健康で幸せであるようにと願う結びの言葉だった。この表現は「平和」や「安心」を願うシャーロームというヘブライ語表現と似たような考えを伝えている。(裁 18:6; 19:20。サ一 1:17)ギリシャ語聖書の現代ヘブライ語訳の1つ(付録C4のJ22)は,この表現をシャーローム ラーケム,「皆さんに平和がありますように」と訳している。

性的不道徳: ギリシャ語ポルネイアは,聖書の基準に反するあらゆる性的な行動を広く指す語。姦淫,売春,結婚していない人同士の性関係,同性愛行為,獣姦などが含まれる。用語集参照。

絞め殺された動物: または,「殺して血を抜いていない動物」。これには自然死した動物やほかの動物に傷つけられて死んだ動物も含まれたと思われる。いずれの場合も,その動物はきちんと血抜きされていなかっただろう。(出 22:31。レビ 17:15。申 14:21

後代のギリシャ語写本や他の言語への古代訳の幾つかでは,言い回しに多少の違いはあるが,以下の文が加わっている。「しかし,シラスにとっては,そこにさらにとどまるのが良いと思えた。一方ユダは1人でエルサレムに出発した」。しかし,この文は最初期の最も信頼できる幾つかの写本には出ていないので,「使徒の活動」の原文の一部ではない。これは使徒 15:40を説明するための欄外注釈と思われ,やがて少数の写本の本文に加えられた。付録A3参照。

エホバの言葉: 使徒 8:25の注釈付録C3の序文使徒 15:35を参照。

エホバの言葉: この表現はヘブライ語聖書に背景があり,「言葉」に当たるヘブライ語と神の名前を組み合わせたものが200ほどの節に出ている。(例えば,サ二 12:9; 24:11,王二 7:1; 20:16; 24:2,イザ 1:10; 2:3; 28:14; 38:4,エレ 1:4; 2:4,エゼ 1:3; 6:1,ホセ 1:1,ミカ 1:1,ゼカ 9:1。)この表現は,イスラエルの死海近くのユダヤ砂漠にあるナハル・ヘベルで見つかったセプトゥアギンタ訳の初期の写本のゼカ 9:1に出ていて,ギリシャ語ロゴスの後に古代ヘブライ文字で書かれた神の名前()が続いている。この羊皮紙の巻物は紀元前50年から西暦50年の間のものとされている。使徒 8:25の多くのギリシャ語写本で「主の言葉」となっているのに対し,「新世界訳」が「エホバの言葉」という表現を本文で使っている理由については,付録C3の序文使徒 8:25で説明されている。

エホバの言葉: 使徒 8:25の注釈付録C3の序文使徒 15:36を参照。

エホバの言葉: この表現はヘブライ語聖書に背景があり,「言葉」に当たるヘブライ語と神の名前を組み合わせたものが200ほどの節に出ている。(例えば,サ二 12:9; 24:11,王二 7:1; 20:16; 24:2,イザ 1:10; 2:3; 28:14; 38:4,エレ 1:4; 2:4,エゼ 1:3; 6:1,ホセ 1:1,ミカ 1:1,ゼカ 9:1。)この表現は,イスラエルの死海近くのユダヤ砂漠にあるナハル・ヘベルで見つかったセプトゥアギンタ訳の初期の写本のゼカ 9:1に出ていて,ギリシャ語ロゴスの後に古代ヘブライ文字で書かれた神の名前()が続いている。この羊皮紙の巻物は紀元前50年から西暦50年の間のものとされている。使徒 8:25の多くのギリシャ語写本で「主の言葉」となっているのに対し,「新世界訳」が「エホバの言葉」という表現を本文で使っている理由については,付録C3の序文使徒 8:25で説明されている。

エホバの: 「使徒の活動」で惜しみない親切という表現は,ほとんどの場合,神と結び付けられている。(使徒 11:23; 13:43; 20:24,32使徒 14:26に「の惜しみない親切を受けた」という似た表現が出ている。付録C3の序文使徒 15:40を参照。

メディア

使徒の活動 パウロの第2回宣教旅行(使徒 15:36–18:22)西暦49-52年ごろ
使徒の活動 パウロの第2回宣教旅行(使徒 15:36–18:22)西暦49-52年ごろ

出来事が起きた順に挙げられている。

1. パウロとバルナバは別れる。パウロはシラスと旅行し,バルナバはヨハネ(マルコとも呼ばれる)を連れていく。(使徒 15:36-41

2. パウロはデルベに,それからルステラに行き,そこでテモテを選んで同行させる。(使徒 16:1-4

3. パウロはアジア州で神の言葉を語ることを聖なる力によって禁じられる。フリギアとガラテアを通って,ミシアに行く。(使徒 16:6,7

4. パウロの一行はトロアスに行き,パウロは,マケドニアに来るよう頼んでいるマケドニアの男性の幻を見る。(使徒 16:8-10

5. パウロの一行はトロアスから船でネアポリスに向かい,それからフィリピに行く。(使徒 16:11,12

6. フィリピの門の外,川のそばで,パウロは女性たちに話す。ルデアと家の人たちがバプテスマを受ける。(使徒 16:13-15

7. パウロとシラスがフィリピで投獄される。牢番と家の人たちがバプテスマを受ける。(使徒 16:22-24,31-33

8. パウロは公の謝罪を求める。町の行政官たちが2人を牢屋から連れ出す。パウロはルデアを訪ね,バプテスマを受けたばかりの人たちを励ます。(使徒 16:37-40

9. パウロの一行はアンフィポリスとアポロニアを通ってテサロニケに来る。(使徒 17:1

10. パウロはテサロニケで伝道する。一部のユダヤ人と多くのギリシャ人が信者となる。信者でないユダヤ人が町に騒動を起こす。(使徒 17:2-5

11. パウロとシラスはベレアに着くと会堂で伝道する。テサロニケから来たユダヤ人が群衆をあおる。(使徒 17:10-13

12. パウロは海路でアテネに行き,シラスとテモテはベレアにとどまる。(使徒 17:14,15

13. パウロはアテネのアレオパゴスで話す。信者となる人もいる。(使徒 17:22,32-34

14. パウロはコリントで1年半過ごし,神の言葉を教える。反対する人もいるが,多くの人が信じてバプテスマを受ける。(使徒 18:1,6,8,11

15. パウロはプリスキラとアクラと共にコリントの港ケンクレアから船でエフェソスに行き,パウロはそこの会堂で伝道する。(使徒 18:18,19

16. パウロは船でカエサレアに向かうが,プリスキラとアクラはエフェソスにとどまる。パウロは恐らくエルサレムに行ってから,シリアのアンティオキアに行った。(使徒 18:20-22