ルカ​に​よる​福音​書 9:1-62

9  それから,イエスは12にんあつめ,すべてのじゃあくてん使せいしたりびょうなおしたりするちからけんあたえた+  そして,かみおうこくについてつたえ,またびょうやすためにつかわして,  こうった。「たびのためになにも,つえもしょくもつぶくろもパンもおかねも,っていってはなりません。また,えの*ふくってもなりません+  どこでも,あるいえはいったなら,そこにたいざいし,そしてそのまちからりなさい+  どこでも,ひとびとがあなたたちをむかえないところでは,そのまちときに,あとはそのひとたちのせきにんであることをしめすためにあしつちはらいなさい+」。  そこで12にんけていき,むらからむらへとまわり,いたところらせをひろめ,びょうなおした+  さて,いきはいしゃヘロデは,きているすべてのことについてき,ひどくとうわくしていた。というのは,あるひとは,ヨハネがかえったとっており+  ほかのひとは,エリヤがあらわれた,またほかのひとは,だいげんしゃ1人ひとりかえった,とっていたからである+  ヘロデはった。「ヨハネはわたしくびをはねた+。では,うわさがこえてくるこのひとだれか」。こうしてヘロデはそのひとおうとしていた+ 10  使たちはかえってきて,おこなったことをぜんイエスにほうこくした+。イエスは使たちをれ,ぶんたちだけでベツサイダというまちっていった+ 11  しかし,ひとびとはそれをってそのしょかった。イエスはそのひとたちをしんせつむかえ,かみおうこくについてはなはじめ,りょうひつようひとたちをやした+ 12  やがて1にちわるころ,12にんってきてった。「ぐんしゅうかいさんさせ,まわりのむら田舎いなかって宿やどしょくりょうつけられるようにしてあげてください。ここはへんぴなしょですから+」。 13  しかしイエスは,「あなたたちがものあたえなさい」とった+。12にんった。「5つのパンと2ひきさかなしかありません。わたしたちがみんなのためにものってくるというならべつですが」。 14  やく5000にんだんせいがいたのである。しかしイエスはたちに,「50にんぐらいずつのグループにしてすわらせなさい」とった。 15  たちはそのとおりにし,ぜんいんすわらせた。 16  イエスは5つのパンと2ひきさかなり,てんげていのってから,それらをってたちにわたはじめた。ぐんしゅうくばらせるためである。 17  こうしてみなべてまんぞくした。あまりをひろうと,かけらはかご12ぶんになった+ 18  のちに,イエスが1人ひとりいのっているあいだに,たちが*。イエスはこうしつもんした。「ぐんしゅうわたしのことをだれだとっていますか+」。 19  たちはこたえた。「バプテストのヨハネや,エリヤ,さらに,だいげんしゃ1人ひとりかえった,などとっています+」。 20  イエスはった。「でも,あなたたちは,わたしのことをだれだといますか」。ペテロがこたえた。「かみのキリストです+」。 21  それでイエスはたちにきっぱりかたり,このことをだれにもはなさないようにとした+ 22  またこうった。「ひとかならおおくのくるしみにい,ちょうろうさいちょうりっぽうがくしゃたちに退しりぞけられてころされ+,3かえります+」。 23  イエスはさらにみなった。「だれでもわたしいてきたいとおもうなら,ぶん+くるしみのくいげ,えずわたしあとしたがいなさい+ 24  ぶんいのちすくおうとおもひとはそれをうしないますが,わたしのためにいのちうしなひとはそれをすくうからです+ 25  ぜんかいれても,いのちうしなったりほろぼしたりするなら,いったいなんがあるでしょうか+ 26  わたしわたしことじるようになるひとについては,ひとも,ぶんえいこうおよびちちせいなるてん使たちのえいこうびてとき,そのひとじるのです+ 27  でもじつうと,ここにっているひとなかには,むかえるまえかみおうこくひとたちがいます+」。 28  イエスはこれらのことをはなしてから8ほどあとに,ペテロとヨハネとヤコブをれて,いのりをするためやまのぼった+ 29  そしていのっているうちに,イエスのかおようわり,ふくはきらめくほどしろ*なった。 30  さらに,2人ふたりひとがイエスとかたっていた。モーセとエリヤだった。 31  この2人ふたりえいこうびてあらわれ,エルサレムでじつげんしようとしているイエスのたびちについてかたはじめた+ 32  ペテロたちはねむりにちていたが,すっかりめたとき,イエスのえいこう+と,イエスととも2人ふたりひとえた。 33  2人ふたりがイエスからはなれていくときに,ペテロがイエスにった。「せんせいわたしたちがこのにいられるのはらしいことです。3つのてんまくてさせてください。あなたと,モーセと,エリヤのためです」。ペテロはぶんなにっているのかよくかっていなかった。 34  しかし,ペテロがこうしたことをっているうちに,くもができてみなおおはじめた+くもなかはいっていくにつれ,ペテロたちはこわくなった。 35  するとくもなかからこえがして+,「これはわたしわたしえらんだものである+かれうことをきなさい+」とった。 36  そのこえがあったときにはイエスしかえなかった。3にんちんもくまもり,ことがらについてしばらくだれにもなにらせなかった+ 37  よくじつかれらがやまりると,おおぜいひとがイエスをむかえた+ 38  そして,ぐんしゅうなかから1人ひとりだんせいさけんでこうった。「せんせい息子むすこひとてやってください。一人ひとり息子むすこなのです+ 39  息子むすこじゃあくてん使おそわれると,とつぜんさけびます。そのもの息子むすこにけいれんをこさせてあわかせ,きずわせたあともなかなかはなれません+ 40  あなたのたちに,してくれるようおねがいしましたが,できませんでした」。 41  それでイエスはった。「ああ,しんこうけんぜん*だい+わたしはいつまであなたがたといて,あなたがたのことをえなければならないのでしょう。息子むすこをここにれてきなさい+」。 42  しょうねんちかづいてくるときも,じゃあくてん使かれめんにたたきつけ,はげしくけいれんさせた。しかし,イエスはじゃあくてん使しかりつけ,しょうねんやしてちちおやかえした。 43  みなかみごとちから+たいへんおどろいた。 イエスがおこなすべてのことがらみなじょうおどろいていると,イエスはたちにった。 44  「このことをよくいておぼえておきなさい。ひとうらられてひとびとわたされます+」。 45  しかしたちは,イエスがっていることをかいできなかった。そのは,あくできないようかくされていたのである。たちはこのことについてイエスにしつもんするゆうもなかった。 46  そのたちのあいだで,ぶんたちのなかだれいちばんえらいかというろんきた+ 47  イエスはたちのこころなかかんがえをり,おさなどもぶんわきたせ, 48  こうった。「わたしのためにこのおさなどもれるひとは,わたしをもれます。そして,わたしれるひとは,わたしつかわしたかたをもれます+。あなたたちのあいだでよりちいさなものとしてこうどうするひとこそえらいのです+」。 49  そこでヨハネがった。「せんせい,あるひとがあなたの使つかってじゃあくてん使していたので,わたしたちはやめさせようとしました。わたしたちといっしょにあなたにしたがっていない*からです+」。 50  しかしイエスはヨハネにった。「やめさせようとしてはなりません。あなたたちにはんたいしていないひとはあなたたちにかたしているのです」。 51  イエスは,てんげられるときちかづいて*おり+,エルサレムへけつかためた*+ 52  そして,さき使しゃつかわした。使しゃたちはけ,イエスのためにじゅんをしようとサマリアじんむらはいった。 53  しかしひとびとはイエスをむかれなかった+。イエスがエルサレムへこうとしていたからである。 54  のヤコブとヨハネ+はこれをて,った。「しゅよ,おのぞみでしたら,てんからくだるようもとめてかれらをほろぼしくしましょうか+」。 55  しかしイエスはいて2人ふたりしかった。 56  いっこうべつむらった。 57  みちすすんでいくと,あるひとがイエスにった。「あなたがところなら,どこへでもいていきます+」。 58  しかしイエスはった。「キツネにはあながあり,とりにはがありますが,ひとにはぶんいえ*がありません+」。 59  それからべつひとに,「わたしになり*なさい」とった。そのひとは,「しゅよ,まずってちちほうむらせてください+」とった。 60  しかしイエスはった。「にん+にんほうむらせ,あなたはってかみおうこくひろらせなさい+」。 61  さらにべつひとった。「しゅよ,わたしはあなたのあとしたがいます。でも,まずいえものわかれをげさせてください」。 62  イエスはった。「すきにけてからうしろのものをひと+かみおうこくにふさわしいひとではありません+」。

脚注

直訳,「2枚の」。
もしかすると,「加わった」,「一緒にいた」。
または,「稲光のように明るく」。
または,「腐敗した」,「ゆがんだ」。
または,「私たちと一緒にいる弟子ではない」。
直訳,「満ちようとして」,「実現しようとして」。
直訳,「ことにきっぱりと顔を向けた」。
直訳,「頭を横たえる所」。
または,「私の後に従い」。

注釈

サンダル: イエスはサンダルを持っていってはならないと命じているので,これは替えのサンダルのことだと思われる。サンダルの底が擦り減ったりひもが切れたりすることがあったので,長旅には替えのサンダルを持っていくのが普通だった。イエスは以前に同様の指示を与えた時,持っているサンダルを「履きなさい」と弟子たちに言った。(マル 6:8,9)また,マタ 10:9,10に記されているように,履いているもの以外にサンダルを「手に入れて」はならないと指示した。

旅のために何も……持っていってはなりません: イエスは「神の王国」(ルカ 9:2)を広める伝道旅行に使徒たちを送り出す際,この極めて重要な活動を行う方法について指示を与えた。その指示は3つの共観福音書全てに記録されている。(マタ 10:8-10。マル 6:8,9。ルカ 9:3)言い回しに多少の違いはあるが,どの指示も,使徒たちは余分の持ち物を手に入れようとして気を散らしてはならないということを伝えている。エホバが必要な物を与えてくださるから。3つの記述はどれも,着ている衣服以外の「替えの[直訳,「2枚の」]衣服も……手に入れて[または,「持っていって」,「持って」]」はならないと述べている。旅人がつえを持っていくのはヘブライ人の習慣だったようで(創 32:10),マル 6:8は「旅のために,つえ以外は何も……持っていってはならない」と述べている。それで,このルカ 9:3の指示(「つえも……持っていってはなりません」)は,つえを持たずに出掛けるようにということではなく,持っているつえ以外にもう1本手に入れたり持っていったりしてはならないという意味に理解できる。イエスは弟子たちに,軽装で旅をし,重荷になるような余分の荷物を持っていかないようにと言っていた。旅の間エホバが必要な物を与えてくださるから。ルカ 10:4の注釈を参照。そこではイエスが別の機会に送り出した70人の弟子に同様の指示を与えている。

お金: 直訳,「銀」。お金として使われた銀。

その土地を去るまではそこに滞在しなさい: イエスは弟子たちに,ある町に着いたら,迎え入れてくれる家に滞在するべきで,「家から家へと移っていって」はならないと指示していた。(ルカ 10:1-7)弟子たちは,より快適で,もっと物を提供したりもてなしたりしてくれそうな家を探そうとしないことによって,それらのものが伝道という使命に比べれば二の次であることを示すことになる。

そこに滞在し: マル 6:10の注釈を参照。

足の土を振り払いなさい: 信心深いユダヤ人は異国人の土地を通ってくると,ユダヤ人の地域に入る前に,サンダルの土を汚れと見なして振り払っていた。しかしイエスは弟子たちにこの指示を与えた時,別の意味で述べていたと考えられる。この動作によって,弟子たちは神の裁きの結果に関して責任がないことを示した。同様の表現が,マタ 10:14マル 6:11で使われている。マルコとルカは,後はその人たちの責任であることを示すためにという表現を付け加えている。パウロとバルナバはピシデアのアンティオキアでこの指示通りにした。(使徒 13:51)パウロはコリントでも同様に自分の服に付いた土を振り払い,こう説明している。「あなた方がどうなるとしても,それはあなた方自身の責任です。私は潔白です」。(使徒 18:6

地域支配者: 直訳,「四分領太守」(属州の「4分の1の支配者」という意味)。下級の地域支配者や地方領主に当てはまる語で,ローマ当局の承認を得て支配した。ヘロデ・アンテパスの四分領はガリラヤとペレア。マル 6:14の注釈と比較。

ヘロデ: ヘロデ大王の子ヘロデ・アンテパスのこと。用語集参照。

地域支配者: マタ 14:1の注釈を参照。

ヘロデ: マタ 14:1の注釈を参照。

あなたたちが食べ物を与えなさい: 4福音書全てに記録されているイエスの奇跡はこれだけ。(マタ 14:15-21。マル 6:35-44。ルカ 9:10-17。ヨハ 6:1-13

それらを割って: パンはたいてい平たく,かたく薄く焼かれた。それで,パンを割って食べるのが習慣だった。(マタ 14:19; 15:36; 26:26。マル 6:41; 8:6

籠: 旅行者が持ち運びするためのひもが付いた小さな編み籠だったと思われる。容量は7.5リットルぐらいと考えられている。マタ 16:9,10の注釈を参照。

籠: マタ 14:20の注釈を参照。

祈っていると: ルカは福音書で,祈りに特別の注意を向けている。ルカだけが記しているイエスの祈りがいくつもある。例えば,ルカはここでイエスがバプテスマの時に祈っていたという点を述べている。この時の祈りでイエスが述べた意味深い言葉の一部を後にパウロが記録したのだろう。(ヘブ 10:5-9)ルカだけが記しているイエスの祈りのほかの例は,ルカ 5:16; 6:12; 9:18,28; 11:1; 23:46

1人で祈っている: これはカエサレア・フィリピでのこと。(マタ 16:13。マル 8:27)イエスが1人で祈っていたことをルカだけが記している。ルカ 3:21の注釈を参照。

ヨハネ: ヘブライ語名のエホハナンあるいはヨハナンに相当する。「エホバは恵みを与えてくださった」,「エホバは慈悲深い」という意味。

バプテストの: または,「浸礼を施す人」,「浸す人」。マル 1:4; 6:14では「バプテスマを施す人」,マル 6:24では「バプテスマを施す者」と呼ばれている。ヨハネの別名で,水に浸してバプテスマを施すのがヨハネの特徴となる活動だったことを示していると思われる。ユダヤ人の歴史家フラウィウス・ヨセフスは,「別名をバプテストというヨハネ」と書いている。

エリヤ: 「私の神はエホバ」という意味のヘブライ語の名前。

バプテストのヨハネ: マタ 3:1の注釈を参照。

エリヤ: マタ 11:14の注釈を参照。

キリスト: ギリシャ語クリストスに由来する称号で,「メシア」(ヘブライ語マーシーアハ)に相当する。どちらも「油を注がれた者」(「選ばれた者」とも訳される)という意味。聖書時代,統治者として選ばれた人に油を注ぐ儀式が行われた。

キリスト: ギリシャ語では,ここの「キリスト」という称号の前に定冠詞が付いている。イエスのメシアとしての地位を強調するためと思われる。

神のキリスト: ペテロはイエスが「神のキリスト」(ギリシャ語,ホ クリストス トゥー テウー)だと認めた。「キリスト」は「メシア」(ヘブライ語マーシーアハ)に相当し,どちらの称号も「油を注がれた者」(「選ばれた者」とも訳される)という意味。ギリシャ語では,ここの「キリスト」の前に定冠詞が付いている。イエスが受けたメシアとしての任命や地位を強調するためと思われる。マタ 1:1; 2:4の注釈を参照。

祭司長: ここのギリシャ語は,単数の場合,しかも神の前で民を代表する主要な人を指す場合,「大祭司」と訳される。ここでは複数形で,元大祭司たちを含め,祭司たちの中の主立った人々を指す。24の祭司の組の長たちも含むかもしれない。

律法学者: この語はもともと聖書の写字生を指したが,イエスの時代には,律法の専門家で律法の教師である人たちを指した。

長老: 直訳,「年長者」。聖書で,ギリシャ語プレスビュテロスは主に,国や共同体で権威や責任のある立場に就いている人を指す。年上の人を表すこともあるが(ルカ 15:25,使徒 2:17がその例),年配者に限られてはいない。ここでは,祭司長や律法学者とよく一緒に出てくる,ユダヤ国民の指導者を指す。サンヘドリンはこれら3つのグループの男性で構成されていた。(ルカ 20:1; 22:52,66用語集参照。

祭司長: マタ 2:4の注釈用語集を参照。

律法学者: マタ 2:4の注釈用語集を参照。

自分を捨て: または,「自分自身にある権利を全て捨て」。進んで自分を全く否定したり自分に対する所有権を神に渡したりする気持ちを表している。この部分のギリシャ語は,自分の欲望,大望,利便性に「いいえ」と言うことを含むので,「自分に『いいえ』と言わなければならない」とも訳せる。(コ二 5:14,15)マタイは,ペテロがイエスを知っていることを否定した時の描写に同じギリシャ語動詞を使っている。(マタ 26:34,35,75

苦しみの杭: または,「処刑用の杭」。古典ギリシャ語で,スタウロスという語はおもに,真っすぐに立てられた杭または棒を指す。時に比喩的に使われ,イエスの後に従うゆえに経験する苦しみ,辱め,拷問,さらには死を表す。用語集参照。

自分を捨て: または,「自分自身にある権利を全て捨て」。進んで自分を全く否定したり自分に対する所有権を神に渡したりする気持ちを表している。この部分のギリシャ語は,自分の欲望,大望,利便性に「いいえ」と言うことを含むので,「自分に『いいえ』と言わなければならない」とも訳せる。(コ二 5:14,15)ルカは,ペテロがイエスを知っていることを否定した時の描写に同じギリシャ語動詞および関連する動詞を使っている。(ルカ 22:34,57,61マタ 16:24の注釈を参照。

苦しみの杭: マタ 16:24の注釈を参照。

命: ギリシャ語,プシュケー。用語集の「プシュケー」参照。

世: ギリシャ語コスモスはここで,人類という世を指す。この文脈で,世に来るという表現は,イエスが人間として誕生することではなく,バプテスマを受けて人々の中に来ることをおもに指すようだ。イエスはバプテスマの後,与えられた務めを遂行し,人類という世に光を掲げる者となった。(ヨハ 3:17,19; 6:14; 9:39; 10:36; 11:27; 12:46,ヨ一 4:9と比較。)

世は彼を通して存在するようになった: ここでギリシャ語コスモス(「世」)は人類という世を指す。そのことは,節の後半に,世の人々は彼を知らなかったとあることから明らか。このギリシャ語は世俗の文書で宇宙や創造物全般を指して使われることもあった。使徒パウロもギリシャ人に話した時,その意味で使ったのかもしれない。(使徒 17:24)とはいえ,ギリシャ語聖書ではたいてい,人類という世あるいはその一部を指す。確かにイエスは天地とそこにある全てのものを含め,全てのものを生み出すことに携わったが,この節は人類を存在させる上でのイエスの役割に注意を向けている。(創 1:26。ヨハ 1:3。コロ 1:15-17

人類: 直訳,「世」。このギリシャ語コスモスは,一般のギリシャ文学で人類と密接に関連付けられていて,聖書では特にそうなっている。(ヨハ 1:10の注釈を参照。)この文脈のコスモスは,アダムから受け継いだ「罪」を負っているものとしてヨハ 1:29で描写されている,買い戻せる人類という世全体を指す。

世に生まれた: ここでイエスは苦痛や悲しみが「喜びに変わ」ることを示す例えとして出産を使った。(ヨハ 16:20)出産する女性は陣痛を経験するが,新しい命を世に誕生させた喜びは痛みを上回り,痛みを忘れさせる。この文脈で「世」という語(ギリシャ語コスモス)は,組織立った人間社会あるいは人間の生活環境を指す。子供はそこに生まれてくる。聖書で「世」あるいは「世界」という語は時々この意味で使われる。(コ一 14:10。テモ一 6:7ルカ 9:25の注釈を参照。

全世界: 「世界」や「世」と訳されることが多いギリシャ語コスモスの基本的な意味は,「秩序」や「配列」。一般のギリシャ文学で,この語は人類という世界を指すこともあり,ギリシャ語聖書で,この意味でよく使われている。(ヨハ 1:9,10; 3:16の注釈を参照。)しかし,コスモスという語は単に人類の類義語ではない。聖書では,「秩序」や「配列」という元々の意味が保たれている。さまざまな文化,民族,国家,経済システムから成る人類という世界には一定の構造が見られる。(ヨ一 3:17。啓 7:9; 14:6)「世界」という語はここや他の幾つかの文脈でそういう意味で使われている。時代とともに,人間の生活に影響を与える周囲の枠組みは,人口が増加するにつれて規模と複雑さを増してきている。ヨハ 16:21の注釈を参照。

これらのことを話してから8日ほど後に: マタイとマルコの記述には,「6日後」とある。(マタ 17:1。マル 9:2)ルカは日数についてマタイとマルコとは別の観点で書いている。イエスが約束した日(ルカ 9:27)とイエスの姿が変わった日とを含めているようだ。マタイとマルコはその間の丸6日を数えている。ルカが「8日ほど」とおおよその日数を述べていることにも注目できる。

祈りをするため: イエスの姿が変わったことに関連して祈りについて述べているのはルカだけ。次の節にも,イエスが「祈っている」ことが書かれている。(ルカ 9:29)ルカだけが記しているイエスの祈りのほかの例は,ルカ 3:21; 5:16; 6:12; 9:18; 11:1; 23:46

イエスの旅立ち: ここで使われているギリシャ語エクソドスは,ヘブ 11:22(脱出)とペ二 1:15(去った)にも出ている。イエスの旅立ちには,イエスの死とそれに続く天の命への復活の両方が含まれていたと思われる。

天から声があった: 福音書の中で,エホバが人間に聞こえるように話したことが記されている3つの事例のうち最初のもの。ルカ 9:35,ヨハ 12:28の注釈を参照。

声: 福音書の中で,エホバが人間に直接話したことが記されている3つの事例のうち3つ目のもの。1つ目は西暦29年のイエスのバプテスマの時で,マタ 3:16,17,マル 1:11,ルカ 3:22に記されている。2つ目は西暦32年,イエスの姿が変わった時で,マタ 17:5,マル 9:7,ルカ 9:35に記されている。3つ目はヨハネの福音書だけに出ていて,西暦33年,イエスの最後の過ぎ越しの少し前のこと。エホバは,お名前を栄光あるものとしてください,というイエスの願いに答えた。

雲の中から声がして: 福音書の中で,エホバが人間に直接話したことが記されている3つの事例のうち2つ目のもの。ルカ 3:22,ヨハ 12:28の注釈を参照。

独り子: 「ただ一人生まれた」とも訳されるギリシャ語モノゲネースは,「その種の中で唯一の」,「唯一無二の」,「特異な」と定義されている。聖書でこの語は,息子または娘と親との関係を表すのに使われる。(ルカ 7:12; 8:42; 9:38の注釈を参照。)使徒ヨハネが書いた書で,この語はイエスについてのみ使われているが(ヨハ 3:16,18。ヨ一 4:9),イエスが人間として誕生し存在したことに関しては一度も使われていない。この語はロゴスつまり「言葉」として人間となる以前に存在していたイエスを描写するために使われていて,イエスは「人類が誕生する前」でさえ「初めに神と共にいた」方と述べられている。(ヨハ 1:1,2; 17:5,24)イエスはエホバの初子で神が直接創造したただ独りの方なので,「独り子」。他の天使も「真の神の子たち」や「神の子たち」(創 6:2,4。ヨブ 1:6; 2:1; 38:4-7)と呼ばれているが,その子たちは皆,初子を通してエホバによって創造された。(コロ 1:15,16)まとめると,モノゲネースという語は,イエスが「無類の」,「特異な」,「比類のない」存在であることと,神がただひとりで直接生み出した唯一の子であることを表す。(ヨ一 5:18

独り子: 「ただ一人生まれた」とも訳されるギリシャ語モノゲネースは,「その種の中で唯一の」,「唯一無二の」,「特異な」と定義されている。使徒ヨハネが書いた書で,この語はイエスについてのみ使われている。(ヨハ 1:14; 3:18。ヨ一 4:9ヨハ 1:14の注釈を参照。)神が創造した他の天使も子と呼ばれているが,イエスだけが「独り子」と呼ばれている。(創 6:2,4。ヨブ 1:6; 2:1; 38:4-7)イエスは初子で父が直接創造したただ独りの方なので,特異で,神の他の全ての子と異なっている。その子たちは,初子を通してエホバによって創造された,つまり生み出された。パウロはギリシャ語モノゲネースを同じように使って,イサクがアブラハムの「独り子」だったと言っている。(ヘブ 11:17)アブラハムはハガルによるイシュマエルや,ケトラによる数人の子の父親だったが(創 16:15; 25:1,2。代一 1:28,32),イサクは特別な意味で「独り子」だった。神の約束によるアブラハムの唯一の子で,サラの唯一の子だった。(創 17:16-19

一人: 「ただ一人生まれた」とも訳されるギリシャ語モノゲネースは,「その種の中で唯一の」,「唯一無二の」,「ある部類もしくは種類の中で唯一の」,「特異な」と定義されている。この語は,息子または娘と親との関係を表すのに使われる。この文脈では,一人っ子という意味で使われている。同じギリシャ語はナインのやもめの「一人」息子やヤイロの「一人」娘にも使われている。(ルカ 7:12; 8:41,42)ギリシャ語セプトゥアギンタ訳ではエフタの娘についてモノゲネースが使われていて,「彼女はたった1人の子で,ほかに息子も娘もいなかった」と書かれている。(裁 11:34)使徒ヨハネが書いたものの中で,モノゲネースはイエスに関して5回使われている。イエスに関して使われる場合のこの語の意味については,ヨハ 1:14; 3:16の注釈を参照。

神の見事な力: または,「神の偉大さ(威光)」。イエスは人々を癒やす時,癒やしを行う自分自身に注意を引くのではなく,その奇跡を神の力によるものとした。

天に上げられる: ギリシャ語アナレームプシスは,ギリシャ語聖書でここだけに出ている。普通,イエスが天に昇ることを指すと理解されている。関連する動詞が使徒 1:2,11,22で使われていて,「上げられ」と訳されている。

イエスがエルサレムへ行こうとしていた: 直訳,「イエスの顔がエルサレムへ行くことに向けられていた」。(ルカ 9:51と比較。)同様の表現がヘブライ語聖書にあり,何かの目標,目的,願いに目を向けるという意味(王一 2:15,脚注。王二 12:17,脚注),また強い意向や決意という考え(代二 20:3,脚注。ダニ 11:17)を伝えている。

主よ: この語は一部の写本には含まれていないが,幾つもの権威ある初期の写本による裏付けがある。

父を葬らせて: これは,男性が父親を亡くしたばかりで,葬式だけは済まさせてほしいと言っていた,ということではないと思われる。もしそうだったとすれば,この場でイエスと話していたとは考えにくい。古代中東では,家族の誰かが死ぬとすぐに,たいていその日のうちに葬式を行った。この男性の父親は死んだのではなく,病弱だったか年を取っていたのだろう。イエスが,病気で世話の必要な親を見捨てるように言うはずはないので,必要な世話ができる家族がほかにいたに違いない。(マル 7:9-13)この男性は,「あなたの後に従いますが,父が生きている間は無理です。父が死んで葬るまで待ってください」と言っていたことになる。しかし,イエスからすれば,この男性は生活の中で神の王国を最優先にする機会を逸していた。(ルカ 9:60,62

父を葬らせて: これは,男性が父親を亡くしたばかりで,葬式だけは済まさせてほしいと言っていた,ということではないと思われる。もしそうだったとすれば,この場でイエスと話していたとは考えにくい。古代中東では,家族の誰かが死ぬとすぐに,たいていその日のうちに葬式を行った。この男性の父親は死んだのではなく,病弱だったか年を取っていたのだろう。イエスが,病気で世話の必要な親を見捨てるように言うはずはないので,必要な世話ができる家族がほかにいたに違いない。(マル 7:9-13)この男性は,「あなたの後に従いますが,父が生きている間は無理です。父が死んで葬るまで待ってください」と言っていたことになる。しかし,イエスからすれば,この男性は生活の中で神の王国を最優先にする機会を逸していた。(ルカ 9:60,62

死人は死人に葬らせ……なさい: ルカ 9:59の注釈にあるように,イエスが話していた男性の父親は死んだのではなく,病弱だったか年を取っていたのだと思われる。それで,イエスは「神から見て死んでいる人に死人を葬らせなさい」と言っていたと考えられる。つまり,父親が亡くなるまで世話できる親族がほかにいたようなので,男性はイエスの後に従うという決定を引き延ばすべきではなかった。男性はイエスの後に従うなら,神から見て死んでいる人たちの1人になるのではなく,永遠の命への道を歩むことになる。イエスは,生活の中で神の王国を第一にしてそれを遠く広く知らせることが神から見て生きていくうえで鍵となることを示している。

すきに手を掛けてから後ろのものを見る人: 弟子として心を込めて仕える大切さを強調するために,イエスは耕す作業に言及している。弟子になりたいという願いを言い表しながら,まず家の者に別れを告げてからという条件を付ける人について述べている。(ルカ 9:61)耕す人が手元の作業から気を散らされるなら,畝は曲がってしまう。また,振り返るために耕す手を止めるなら,畑仕事が遅れる。同じように,クリスチャンの弟子になるよう招かれながら果たすべき務めから気を散らされる人は,神の王国にふさわしい人ではなくなる。

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つえと食物袋
つえと食物袋

つえや棒は古代ヘブライ人には日常的なもので,さまざまな用途に使われた。例えば,体を支えるため(出 12:11。ゼカ 8:4。ヘブ 11:21),防御や保護のため(サ二 23:21),脱穀のため(イザ 28:27),オリーブの収穫のため(申 24:20。イザ 24:13)。食物袋はたいてい革製の袋で,旅人,羊飼い,農作業者などが肩から掛けた。食物,衣類,その他の物を入れた。イエスは使徒たちを伝道旅行に送り出す際,つえと食物袋についても指示を与えた。使徒たちは余分の物を手に入れようとして気を散らしたりすることなく,そのまま出掛けるべきだった。エホバが必要な物を与えてくださるから。イエスの指示をどう理解したらよいかについては,ルカ 9:310:4の注釈を参照。

ヘロデ・アンテパスが造った硬貨
ヘロデ・アンテパスが造った硬貨

これらの写真は,イエスが宣教を行っていた頃に鋳造された銅貨の両面。硬貨を造らせたヘロデ・アンテパスはガリラヤとペレアの四分領太守つまり地域支配者。イエスがエルサレムに行く途中でヘロデの領土のペレアを通った時と思われるが,パリサイ派の人たちは,ヘロデがイエスを殺そうとしていると告げた。イエスはそれに答えた時,ヘロデを「あのキツネ」と呼んだ。(ルカ 13:32の注釈を参照。)ヘロデの支配下にいたのはほとんどがユダヤ人だったので,彼が造った硬貨にはヤシの枝(1)と木の葉の冠(2)が描かれている。それらはユダヤ人の感情を害するものではなかった。

籠

聖書では,幾つかの語がさまざまな種類の籠を指すのに使われている。例えば,イエスが奇跡的に約5000人の男性に食事をさせた後の余ったかけらを集めた12の籠について,小さめの編み籠を指すギリシャ語が使われている。一方,イエスが約4000人の男性に食事をさせた後の余ったかけらを入れた7つの籠については別のギリシャ語が使われている。(マル 8:8,9)こちらの語は大籠を指し,パウロがダマスカスの城壁の窓から地面に下ろされた時の籠にも使われている。(使徒 9:25

ヘルモン山
ヘルモン山

カエサレア・フィリピから近いヘルモン山は標高2814メートルで,イスラエル近辺で最も高い山。雪を頂く山頂部で水蒸気が凝結して大量の露が生じるので,長い乾期でも草木が枯れることはない。(詩 133:3)雪解け水がヨルダン川の主な水源となる。イエスの姿が変わったのはヘルモン山でのことだったかもしれない。(マタ 17:2

フーラ渓谷自然保護区から見たヘルモン山
フーラ渓谷自然保護区から見たヘルモン山

ヘルモン山は約束の地の北端に位置し,幾つかの峰がある。最も高い所は標高2814メートル。それらの峰はアンティ・レバノン山脈の南の部分に当たる。イエスの姿が変わったのはヘルモン山でのことだったかもしれない。

キツネの穴と鳥の巣
キツネの穴と鳥の巣

イエスは家を持たない自分の状況を,巣穴のあるキツネや巣のある鳥と対比させた。この写真のキツネ(Vulpes vulpes)は中東だけでなくアフリカ,アジア,ヨーロッパ,北アメリカにもすんでいて,オーストラリアにも持ち込まれた。キツネは自然の岩の裂け目や他の動物がすまなくなった穴を使うこともあれば,他の動物から巣穴を奪い取ることもあるが,普通は地面を掘って巣穴を作る。写真の鳥はヨーロッパウグイス(Cettia cetti)で,イスラエルで1年のある時期に見掛ける推定470種の鳥の1種。鳥の巣も多様で,樹木,木の幹のくぼみ,岩壁などにあり,小枝,葉,海藻,羊毛,わら,コケ,羽毛その他で作られる。イスラエルは地中海の南東角の近くで,涼しい山頂,厳しい暑さの深い谷,乾燥した砂漠,海沿いの平野など,さまざまな自然条件の土地が集まっていて,その地域の渡りをする鳥にもしない鳥にも魅力的な生息地。

すきで耕す
すきで耕す

耕すことはたいてい秋に行われた。暑い夏の時期に太陽に照らされて硬くなった地面が秋には雨で軟らかくなったから。(付録B15参照。)ある種のすきは,先のとがった木材の先端に金属などをはめてあり,長柄を付けて動物に引かせた。地面を耕した後に種をまいた。ヘブライ語聖書で,耕す作業はよく知られていたので,何度も例えに使われている。(裁 14:18。イザ 2:4。エレ 4:3。ミカ 4:3)イエスはしばしば農作業を例えに使って重要なことを教えた。弟子として心を込めて仕える大切さを強調するために,耕すことに関連した作業に言及している。(ルカ 9:62)耕す人が手元の作業から気を散らされるなら,畝は曲がってしまう。同じように,キリストの弟子が自分の果たすべき務めからそれたり気を散らされたりするなら,神の王国にふさわしい人ではなくなる。