ルカ​に​よる​福音​書 4:1-44

4  さて,イエスはせいなるちからちてヨルダンがわあとにした。そして,せいなるちからによってこうのあちらこちらへみちびかれて+  40にちになり,あくからゆうわくけた+。そのなにべなかったので,そのかんわったときくうふくかんじた。  すると,あくがイエスにった。「かみなら,このいしに,パンになるようにめいじなさい」。  しかしイエスはこたえた。「『ひとはパンだけできるのではない+』といてあります」。  それであくはイエスをたかところれていき,またたかいすべてのおうこくせた+  そしてった。「このすべてのけんえいこうをあげましょう。それはわたしわたされており+あたえたいものあたえることができます+  それで,わたしすうはいするなら,すべてはあなたのものになります」。  イエスはこたえた。「『あなたがすうはいすべきなのはエホバかみであり,このかただけにしんせいほうをし*なければならない+』といてあります」。  いであくはイエスをエルサレムにれていき,しん殿でんもっとたかところたせて,った。「かみなら,ここからりなさい+ 10  こういてあります。『かみはあなたのためにてん使たちにめいれいし,あなたをまもらせる』, 11  そして,『てん使たちはあなたをせてはこび,あなたがいしあしをぶつけないようにする+』」。 12  イエスはこたえた。「『エホバかみためしてはならない+』とわれています」。 13  それであくゆうわくえ,べつごうときまでイエスからはなれた+ 14  イエスはせいなるちからちてガリラヤにかえった+。イエスのひょうばんしゅうほういったいひろまった。 15  イエスはかいどうおしはじめ,みなからうやまわれた。 16  イエスはぶんそだったナザレに+。そして,あんそくぶんしゅうかんどおり,かいどうはい+ろうどくのためにがった。 17  げんしゃイザヤのまきものわたされると,まきものひらいて,こういてあるところつけた。 18  「エホバのせいなるちからわたしうえにある。かみわたしえら*まずしいひとらせをげるようにさせたからである。わたしかみからつかわされて,らわれているひとしゃくほうを,えないひとりょくかいふくらせ,ちのめされたひとかいほう+ 19  エホバにれられるとしつたえる+」。 20  イエスはまきものき,それをかかりひとかえして,こしろした。かいどうにいたすべてのひとがじっとイエスにそそがれた。 21  そこでこうはじめた。「みなさんがいまいた*このせいは,今日きょうじつげんしています+」。 22  それでひとびとみな,イエスについてこうてきかたり,そのくちからりょくあること+にとてもおどろくようになった。また,「これはヨセフのではないか」とうのだった+ 23  するとイエスはった。「きっとみなさんは,『しゃよ,ぶんなおせ』ということわたしてはめてこううでしょう。『わたしたちはカペルナウムでなされたことをいた+。それをきょうのここでもおこなえ』」。 24  そしてイエスはった。「はっきりいますが,げんしゃきょうではれられません+ 25  じつれいげましょう。エリヤのだいに,3ねんはんにわたってあめらず+だいきんぜんおそったとき,イスラエルにはやもめがおおぜいいました。 26  それでも,エリヤはそのだれところにもつかわされず,シドンのザレパテにいた1人ひとりのやもめのところにだけつかわされました+ 27  また,げんしゃエリシャのときに,イスラエルにはおもびょうひとおおぜいいました。それでも,そのうちの一人ひとりやされず,シリアじんナアマンだけがやされました+」。 28  かいどうでこのはなしいていたひとみないかりでいっぱいになった+ 29  そして,がってイエスをまちそとて,まちっているやま*がけれていった。とそうとしたのである。 30  しかしイエスはかれらのなかとおけて,すすんでいった+ 31  それからイエスはガリラヤのまちカペルナウムにくだっていき,あんそくひとびとおしえていた+ 32  ひとびとはそのおしかたたいへんおどろいた+。イエスはけんをもってはなしたからである。 33  さて,かいどうには,じゃあくてん使りつかれただんせいがいて,おおごえでこうさけんだ+ 34  「ああ,ナザレじんイエス+なにをしにたのですか。わたしたちをほろぼすのですか。あなたがだれかはよくかっています。かみせいなるかたです+」。 35  しかしイエスは,「だまりなさい。そのひとからなさい」としかりつけた。じゃあくてん使はそのだんせいひとびとなかたおし,きずわせることなくていった。 36  みなじょうおどろき,たがいにこういだした。「なんと,ったとおりになった。かれけんちからをもってめいじると,じゃあくてん使たちはていくのだ」。 37  こうしてイエスにかんするはなししゅうほうすみずみまでひろまっていった+ 38  イエスはかいどうてから,シモンのいえはいった。するとシモンのしゅうとめがたかねつくるしんでいて,ひとびとから,たすけてほしいとたのまれた+ 39  それでかのじょのそばにち,そのねつしかりつけると,ねついた。しゅうとめはすぐさまがり,みなをもてなし*はじめた。 40  しずころひとびとみないえにいるさまざまなびょうひとをイエスのもとにれてきた。イエスは一人ひとり一人ひとりいてなおした+ 41  また,じゃあくてん使たちがさけごえげ,「あなたはかみです」といながら,おおくのひとからてきた+。イエスはかれらをしかりつけ,はなすのをゆるさなかった+かれらがイエスはキリストだとっていたからである+ 42  けに,イエスはけ,しずかなしょった+。ところが,ぐんしゅうさがはじめ,イエスのいるところた。そして,ぶんたちのところからっていくのをめようとした。 43  しかしイエスはった。「わたしはほかのまちにもかみおうこくらせをひろめなければなりません。そのためにつかわされたからです+」。 44  こうしてイエスはユダヤのかいどうでんどうしていった。

脚注

または,「仕え」。
直訳,「に油を注ぎ」。
直訳,「の耳にある」。
または,「丘」。
または,「に仕え」。

注釈

聖なる力によって……導かれて: ここのギリシャ語プネウマは神の聖なる力を指す。それは推進力として働き,神の意志に沿って物事を行うよう人を動かし,駆り立てることができる。(マル 1:12)用語集の「プネウマ」参照。

悪魔: 英語のデビル(Devil)は,「中傷する者」を意味するギリシャ語ディアボロスに由来。(ヨハ 6:70。テモ二 3:3)関連する動詞ディアバッローは「訴える」,「非難する」という意味で,ルカ 16:1で「訴えられ」と訳されている。

悪魔: マタ 4:1の注釈を参照。

人はパンだけで生きるのではない: ヘブライ語聖書からのイエスの引用を記録した時,ルカは申 8:3をマタイより短く引用している。古代のギリシャ語写本や翻訳の中には,「神の全ての言葉による」という部分を含めて引用を完成させ,ルカの記述を並行記述のマタ 4:4と同じようにしているものもある。しかし,ルカの記述の短い方の読みには,それ以前の写本による裏付けがある。とはいえ,ギリシャ語聖書の幾つかのヘブライ語訳(付録CのJ7,8,10,14,15,17)で,テトラグラマトンを使った長い方の読みになっていることは注目に値する。その部分は「エホバの口から出る全てのものによる」と訳せる。

順序立てて: ここのギリシャ語表現カテクセースは,時間順,話題ごと,論理的な順序を指すことができるが,必ずしも厳密な時系列を意味してはいない。ルカが全てを時系列で記録したわけではないことは,ルカ 3:18-21から明らか。それで,イエスの生涯と宣教に関する出来事の順番を確定するには4福音書全ての記述を調べる必要がある。ルカはおおむね時系列で記述しているが,出来事や話題を系統立てて述べる際に他の要素も加味したと思われる。

王国: ここでは,人間の政治体制を指す。

見せて: 邪悪な天使の支配者は,現実であるかのような幻をイエスに見せたと思われる。

それで悪魔はイエスを高い所に連れていき: 並行記述のマタ 4:8は,悪魔がイエスを「とりわけ高い山」に連れていったと多少詳しく述べている。ルカは,マタイとは異なる順番で誘惑を記しているが,この場合,マタイの書いた順番が正しいと思われる。(マタ 4:1-11)サタンはまず「神の子なら」という巧妙な言葉で始まる2つの誘惑をし,それから十戒の第1のおきてを破らせようとする露骨な誘惑をしたというのは十分に考えられる。(出 20:2,3)また,イエスが「離れ去れ,サタン!」と言ったのは,3つの試練の最後のものに返答した時だというのがふさわしいだろう。(マタ 4:10)そして,決定的な証拠ではないが,学者たちは,マタ 4:5で2つ目の誘惑が「次いで」と訳されるギリシャ語で始まっていることにも注目している。マタイのその言い回しの方が,ここのルカ 4:5の「それで」と訳されているギリシャ語よりも時間の流れを少し意識させるかもしれない。ルカは「順序立てて」書いてはいるが,厳密な時系列だったというわけではない。ルカ 1:3の注釈を参照。

王国: マタ 4:8の注釈を参照。

見せた: マタ 4:8の注釈を参照。

私を崇拝する: または,「私に1度崇拝の行為をする」。ここのギリシャ語動詞はアオリスト時制で,瞬間的な動作を示している。「1度崇拝の行為をする」という訳は,悪魔がイエスに,絶えずあるいは継続的に自分を崇拝することではなく,1回の「崇拝の行為」を求めていたことを示している。

私を崇拝する: マタ 4:9の注釈を参照。

エホバ: ここでの引用は申 6:13から。元のヘブライ語本文に,ヘブライ語の4つの子音字(YHWHと翻字される)で表される神の名前が出ている。付録C参照。

神殿の最も高い所: または,「神殿の胸壁の所」。直訳,「神殿の翼」。「神殿」に当たるギリシャ語は神殿の聖なる所も建造物群全体も指せる。それで,この表現は神殿建造物群の周囲の壁の最上部を指すのかもしれない。

神殿の最も高い所: マタ 4:5の注釈を参照。

エホバ: ここでの引用は申 6:16から。元のヘブライ語本文に,ヘブライ語の4つの子音字(YHWHと翻字される)で表される神の名前が出ている。付録C参照。

会堂: 用語集参照。

律法と預言者の言葉が朗読された: 1世紀,この朗読は「安息日ごとに」行われた。(使徒 15:21)会堂での崇拝の1つの特色は,ユダヤ人の信仰告白としてシェマを唱えることだった。(申 6:4-9; 11:13-21)シェマという名称は,最初に唱える聖句の冒頭の語から来ていて,その聖句は,「聞きなさい[シェマー],イスラエル,私たちの神エホバはただひとりのエホバです」となっている。(申 6:4)礼拝の最も重要な部分は,トーラーつまりモーセ五書の朗読だった。多くの会堂では律法全体を1年間で読むように計画していたが,3年かけて読む会堂もあった。預言書も朗読され,説明された。朗読の結びに講話が行われた。ピシデアのアンティオキアの会堂で,この朗読の後に,パウロは,集まっていた人々に励ましの言葉を話すよう勧められた。ルカ 4:16の注釈を参照。

安息日の自分の習慣通り: バビロン捕囚前のいずれの時点でもユダヤ人が安息日を守るために会堂に集まったという証拠はない。そうすることが習慣になったのは,エズラやネヘミヤの時代からだと思われる。イエスも,エホバを崇拝するこの良い習慣を守った。イエスが幼い頃から,家族はナザレの会堂に行くことを習慣にしていた。やがて,崇拝のために集まる同様の習慣がクリスチャン会衆で設けられた。

朗読のために立ち上がった: 学者たちは,これが会堂での礼拝に関するものとして知られている最も古い記述であることに注目している。ユダヤ教の伝承によれば,普通,出席者が建物に入って個人的な祈りを捧げて礼拝が始まり,その後,申 6:4-911:13-21が唱えられた。続いて公式の祈りが捧げられ,その後モーセ五書の一部が予定に従って朗読された。使徒 15:21は,西暦1世紀にそのような朗読が「安息日ごとに」行われたことを述べている。礼拝の次の部分で,預言書の朗読がなされ,読んだ事柄に基づく訓話が行われた。この点がこの節で取り上げられているようだ。朗読者は立って読むのが習慣だった。預言書のどこを読むかをある程度自由に選べたのかもしれない。使徒 13:15の注釈を参照。

預言者イザヤの巻物: 死海写本のイザヤの巻物は17枚の羊皮紙をつなぎ合わせたもので,長さは7.3メートル,54の欄がある。ナザレの会堂で使われていた巻物も同じくらいの長さだったかもしれない。1世紀には章節の番号がなかったので,イエスはその助けなしに読みたい聖句を見つけなければならなかった。その預言の言葉が書かれている所を見つけたことから,イエスが神の言葉に十分に通じていたことがよく分かる。

エホバ: ここでの引用はイザ 61:1から。元のヘブライ語本文に,ヘブライ語の4つの子音字(YHWHと翻字される)で表される神の名前が出ている。付録C参照。

神が……選び: ルカはイザヤの預言をセプトゥアギンタ訳から引用している。そこでは「神が……選び」となっている。しかしイエスはイザヤの預言(61:1,2)をヘブライ語で読んだだろう。ヘブライ語では,「選び」に当たる動詞が,ヘブライ語の4つの子音字(YHWHと翻字される)で表される神の名前と共に使われている。ギリシャ語聖書の幾つかのヘブライ語訳(付録CのJ7,8,10,14,15)はここで神の名前を使い,「エホバが……選び」としている。

捕らわれている人に釈放を……知らせ: イエスはイザヤの預言を引用しているが,それを文字通りに理解したユダヤ人もいたかもしれない。(イザ 61:1)しかしイエスの宣教は人々を罪への束縛から解放することに焦点を当てていた。それで,イエスが知らせた釈放は比喩的なものだった。この預言と,イエスがそれを自分の宣教に適用したことは,ヨベルを念頭に置いたものだったと思われる。50年ごとに祝われるヨベルの年の間,全土で自由が広く知らされることになっていた。(レビ 25:8-12

エホバ: ここでの引用はイザ 61:2から。元のヘブライ語本文に,ヘブライ語の4つの子音字(YHWHと翻字される)で表される神の名前が出ている。付録C参照。

エホバに受け入れられる年: または,「エホバの恵みの年」。イエスはここでイザ 61:1,2を引用している。ヘブライ語表現は「恵み[または,「善意」,脚注]の年」だが,セプトゥアギンタ訳では「受け入れられる年」となっていて,ルカのギリシャ語本文はそれに従っている。イエスはこの節を自分に当てはめて,自分の救いの奉仕がこのエホバに「受け入れられる年」の始まりとなることを示した。この期間にエホバは善意を示して人々を受け入れる。イエスは,比較的短い神の「復讐の日」に関するイザヤの言葉の前で朗読を止めた。それよりも長い「受け入れられる年」に注目させるためと思われる。その期間,神はご自分に救いを求める人たちに恵みを示す。(ルカ 19:9,10。ヨハ 12:47

腰を下ろした: これは,これから話をするということを示すものだった。会堂では,会衆の前で朗読した人が元の席に戻らず,「会堂にいた全ての人」から見える所に腰を下ろして教えるというのが習慣だった。マタ 5:1の注釈と比較。

腰を下ろす: ユダヤ教の教師たちの習慣。特に,改まった場での講義でそのようにした。

言葉: または,「格言」,「例え話」,「例え」。ギリシャ語パラボレーは字義的には,「そばに(一緒に)置く」という意味で,例え話,格言,例えなどを指す。マタ 13:3の注釈を参照。

郷里: 直訳,「父の場所」。イエスの育った町ナザレのこと。この文脈で,「郷里」と訳されているギリシャ語(パトリス)は,比較的限定された地域,イエスや家族の郷里の町を指していると思われる。とはいえ,この語は,生まれ育った国など,もっと広い地域に関して使われることもある。ヨハ 4:43,44の文脈で,このギリシャ語はガリラヤ全体を指していると思われ,「故郷」と訳されている。

例え: または,「例え話」。ギリシャ語パラボレーは字義的には,「そばに(一緒に)置く」という意味で,例え話,格言,例えなどの形を取る。イエスはある事柄を説明するのによく似た事柄になぞらえる,つまり「そばに置く」ことが度々あった。(マル 4:30)イエスの例えは短い話でたいていは創作的なものであり,そこから道徳上また宗教上の真理を引き出すことができた。

3年半にわたって: 王一 18:1によれば,エリヤは「3年目に」干ばつの終わりを宣言した。それでイエスの言ったことは列王第一の記述と矛盾していると主張する人がいる。しかし,ヘブライ語聖書は干ばつが3年も続かなかったと言っているわけではない。「3年目に」という語句は,最初にエリヤが干ばつをアハブに宣言した時からの期間について述べていると思われる。(王一 17:1)その宣言がなされた時,乾期はすでに始まっていただろう。乾期は通常6カ月続くが,この時は普通以上に長く続いたのかもしれない。さらに,干ばつはエリヤが「3年目に」再びアハブの前に現れた時にすぐ終わったのではなく,カルメル山で火によって答えるかどうかを試す出来事の後にようやく終わった。(王一 18:18-45)それで,ここに記録されているイエスの言葉や,ヤコ 5:17にあるキリストの異父弟の同様の言葉は,王一 18:1の時間的な記述と矛盾していない。

ザレパテ: このフェニキアの町は地中海沿いにあり,シドンとティルスの間すなわちイスラエル人の領土外に位置していた。ギリシャ語名はサレプタで,ヘブライ語名は王一 17:9,10オバ 20に出ている。その名前は現代のレバノンにあるサラファンドに名残が見られる。サラファンドはシドンの南南西13キロほどの所だが,古代の町は地中海沿いの少し離れた所にあったのかもしれない。付録B10参照。

癒やされ: または,「清められ」。ここではナアマンの重い皮膚病が治されたことを述べている。(王二 5:3-10,14)モーセの律法では,この病気によって人は儀式上汚れた人となった。(レビ 13:1-59)このギリシャ語は重い皮膚病を癒やすことに関してよく使われている。(マタ 8:3; 10:8。マル 1:40,41

突き落とそうとした: 後にタルムードに記されたユダヤ人の伝承によれば,断罪された人は時には崖から落とされ,その後死ぬまで石打ちにされた。ここでナザレの暴徒がそのことを考えていたかは分からないが,イエスを殺そうとしていたことは間違いない。

カペルナウム: 「ナホムの村」または「慰めの村」を意味するヘブライ語名に由来。(ナホ 1:1,脚注)イエスの地上の宣教で特に重要だった町で,ガリラヤ湖の北西岸にあり,マタ 9:1では「自分の町」と言われている。カペルナウムは海面より200メートル余り低く,ナザレは海面より360メートルほど高かったので,イエスがカペルナウムに下っていったというこの記述は正確。

邪悪な天使に取りつかれた: 用語集の「プネウマ」参照。

何をしに来たのですか: マタ 8:29の注釈を参照。

何をしに来たのですか: または,「私たちとあなたに共通するものがありますか」。この修辞的な質問は直訳すると,「私たちとあなたとには何が」。このセム語系の慣用句はヘブライ語聖書に出ていて(ヨシ 22:24。裁 11:12。サ二 16:10; 19:22。王一 17:18。王二 3:13。代二 35:21。ホセ 14:8),対応するギリシャ語表現がギリシャ語聖書で使われている。(マタ 8:29。マル 1:24; 5:7。ルカ 4:34; 8:28。ヨハ 2:4)具体的な意味は文脈によって異なる。この節では,敵意や拒絶の表れであり,「邪魔をするな」,「放っておいてくれ」と訳す人もいる。別の文脈では,侮蔑や高慢さや敵意の表れではなく,見方や意見が異なることを表明したり提案された事に関わりたくないことを示したりするために使われている。ヨハ 2:4の注釈を参照。

ペテロと呼ばれるシモン: 聖書中でペテロには5つの呼び名がある。(1)ギリシャ語で「シメオン」,ヘブライ語名シメオンをそのまま取り入れたもの。(2)ギリシャ語「シモン」(シメオンもシモンも「聞く」という意味のヘブライ語動詞に由来)。(3)「ペテロ」(「小岩」という意味のギリシャ語名で,聖書中でこう呼ばれているのは1人だけ)。(4)「ケファ」,ペテロに相当するセム語系の単語(ヨブ 30:6,エレ 4:29にあるヘブライ語ケーフィーム[「岩」の複数形]と関係があるかもしれない)。(5)「シモン・ペテロ」という組み合わせ。(使徒 15:14。ヨハ 1:42。マタ 16:16

シモンのしゅうとめ: つまり,ケファとも呼ばれるペテロのしゅうとめ。(ヨハ 1:42)これは,ケファを妻帯者としているコ一 9:5のパウロの言葉と一致している。しゅうとめは,ペテロの家に住んでいたと思われる。兄弟アンデレもその家に住んでいた。(マル 1:29-31マタ 10:2の注釈を参照。そこではこの使徒の別名が説明されている。

高い熱で苦しんでいて: マタイとマルコはペテロのしゅうとめが「熱病にかかって寝ている」と書いている。(マタ 8:14。マル 1:30)ルカだけは,医者だったためと思われるが,「高い熱」と述べて,症状が重いことに注意を引いている。「ルカの紹介」参照。

良い知らせ: ギリシャ語エウアンゲリオンは,「良い」という意味のエウと「知らせを携えてくる人」,「広く知らせる(告げる)人」という意味のアンゲロスから来ている。(用語集参照。)多くの聖書では「福音」と訳されている。関連表現で「福音伝道者」(ギリシャ語エウアンゲリステース)と訳されている語は,「良い知らせを伝える人」という意味。(使徒 21:8。エフ 4:11,脚注。テモ二 4:5,脚注)

良い知らせを広め: ここで使われているギリシャ語動詞エウアンゲリゾマイ(「良い知らせを広める」)はギリシャ語聖書に54回出ている。ルカが書いたものに頻繁に見られる。(ルカ 1:19; 2:10; 3:18; 4:18; 8:1; 9:6; 20:1。使徒 5:42; 8:4; 10:36; 11:20; 13:32; 14:15,21; 15:35; 16:10; 17:18)ケーリュッソー,つまり「伝える」,「知らせる」(マタ 3:1; 4:17; 24:14。ルカ 4:18,19; 8:1,39; 9:2; 24:47。使徒 8:5; 28:31。啓 5:2)とエウアンゲリゾマイ,つまり「良い知らせを広める」とには違いがある。前者は広める方法を強調しており,多くの人に向けた正式に認可された布告である。後者は内容を強調しており,「良い知らせ」を広めたり伝えたりすることである。関連する名詞エウアンゲリオン(「良い知らせ」)はギリシャ語聖書に76回出ている。マタ 4:23; 24:14の注釈と用語集の「良い知らせ」を参照。

神の王国: ギリシャ語聖書全体で,良い知らせは,イエスの宣教のテーマであった神の王国と密接に結び付いている。「神の王国」と訳されるギリシャ語は,ルカの福音書に32回,マルコの福音書に14回,マタイの福音書に4回出ている。マタイは,「天の王国」という類似の表現を30回ほど使っている。マタ 3:2; 24:14,マル 1:15の注釈を参照。

王国: ギリシャ語バシレイアが出てくる最初の箇所。王が率いる政府およびその統治下の領土と人々を指す。このギリシャ語はギリシャ語聖書に162回出てくるが,55回はマタイの記述にあり,そのほとんどは天からの神の統治を指している。マタイはこの語を頻繁に使ったので,マタイの福音書は王国福音書とも呼ばれる。用語集の「神の王国」参照。

天の王国: この言葉に対応するギリシャ語はマタイの福音書だけに30回ほど出てくる。マルコとルカの福音書では,「神の王国」という類似の語句が使われている。「神の王国」が神のいる天に据えられ,そこから治めることを示している。(マタ 21:43。マル 1:15。ルカ 4:43。ダニ 2:44。テモ二 4:18

良い知らせ: 日本語聖書で「福音」とも訳されるギリシャ語エウアンゲリオンが出てくる最初の箇所。関係するギリシャ語エウアンゲリステースは「福音伝道者」と訳され,「良い知らせを伝える人」を意味する。(使徒 21:8。エフ 4:11,脚注。テモ二 4:5,脚注)

王国: つまり,「神の王国」。ギリシャ語聖書全体で,「良い知らせ」(この節の良い知らせに関する注釈を参照)は,イエスの宣教のテーマであった神の王国と密接に結び付いている。マタ 3:2; 4:23,ルカ 4:43の注釈を参照。

神の王国: この表現はマルコの福音書に14回出てくる。マタイはこの語句を4回しか使っていないが(マタ 12:28; 19:24; 21:31,43),「天の王国」という類似の語句を30回ほど使っている。(マル 10:23マタ 19:23,24と比較。)イエスは王国を伝道のテーマにした。(ルカ 4:43)4福音書で王国は100回以上言及されていて,ほとんどはイエスの語った言葉に出てくる。マタ 3:2;4:17;25:34の注釈を参照。

メディア

荒野
荒野

聖書で「荒野」と訳される原語(ヘブライ語ミドバール,ギリシャ語エレーモス)は一般に,ほとんど人が住まず,耕作されていない土地を指す。低木や草,さらには牧草も生える原野のことが多い。これらの語は,まさに砂漠と言える水のない地域を指すこともある。福音書で,荒野といえば一般にユダヤの荒野を指す。ヨハネが暮らして伝道し,イエスが悪魔から誘惑を受けたのはその荒野。(マル 1:12

ユダヤの荒野,ヨルダン川の西
ユダヤの荒野,ヨルダン川の西

この不毛の地域で,バプテストのヨハネが宣教を開始し,イエスが悪魔から誘惑を受けた。

神殿の最も高い所
神殿の最も高い所

サタンが,イエスを文字通り「神殿の最も高い所[または,「胸壁の所」]に」立たせて飛び降りるように言った可能性はあるものの,イエスが立ったかもしれない具体的な場所は分からない。ここで使われている「神殿」という語は神殿建造物群全体を指しているかもしれず,イエスは神殿域の南東の角(1)に立っていた可能性がある。あるいは,神殿の建造物群の別の角に立ったのかもしれない。いずれの場所から飛び降りたとしても,エホバの介入がなければ死は避けられなかっただろう。

イザヤ全書
イザヤ全書

ここに示されているのは,紀元前125-100年のものと考えられているイザヤ書の死海写本(1QIsa)の一部。1947年に死海近くのクムランの洞窟で発見された。拡大されている部分はイザヤ 61章1,2節で,イエスがナザレの会堂で読んだ箇所。この巻物は17枚の羊皮紙が亜麻糸で縫い合わされていて,羊皮紙は縦が平均26.4センチほど,それぞれの横幅はおよそ25.2から62.8センチまでさまざま。巻物の全長は現在の保存状態で7.3メートル。イエスは恐らくこのような巻物を開いて,メシアに関する預言の言葉が記されている所を「見つけた」。(ルカ 4:17)その聖句でテトラグラマトンが出ている3カ所がハイライトされている。

カペルナウムの会堂
カペルナウムの会堂

この写真の白い石灰岩の壁は,2世紀末期から5世紀初期の間に建てられた会堂の一部。石灰岩の下の黒い玄武岩の部分は1世紀の会堂の遺跡だと考える人もいる。そうだとすれば,これはイエスが教えたり,邪悪な天使に取りつかれた男性を癒やしたりした場所の1つかもしれない。その癒やしのことは,マル 1:23-27ルカ 4:33-36で述べられている。