ルカ​に​よる​福音​書 23:1-56

23  大勢の人が皆立ち上がり,イエスをピラトのもとに引いていった+  そしてイエスのことを訴え始め+,こう言った。「この男は私たちの民を扇動し,カエサルに税を払うことを禁じ+,自分が王キリストだと言っていました+」。  ピラトはイエスに質問した。「あなたはユダヤ人の王なのか」。イエスは,「その通りです」と答えた+  ピラトは祭司長たちと群衆に言った。「この男は犯罪など犯してはいない+」。  しかし彼らは言い張った。「彼はユダヤ全土で教えて民をあおっています。ガリラヤから始めてここまで来たのです」。  ピラトはこれを聞くと,この男がガリラヤ人かどうかを尋ねた。  そして,ヘロデの管轄下+の者であることを確かめた後,ヘロデのもとに送った。その頃ヘロデもエルサレムにいたのである。  ヘロデはイエスを見ると,大変喜んだ。イエスのことをいろいろ聞いて+,かなり前から会ってみたいと思っていたのである。イエスが行う奇跡*も見たいと思っていた。  そこで,あれこれ質問し始めたが,イエスは何も答えなかった+ 10  祭司長と律法学者たちが次々に立ち上がり,イエスのことを激しく訴えた。 11  そこでヘロデは兵士たちと一緒になってイエスを侮辱し+,きらびやかな*服を着せてあざけってから+,ピラトのもとに送り返した+ 12  その日を境に,それまで対立していたヘロデとピラトは親しい関係になった。 13  ピラトは祭司長と支配者たち,また民を呼び集めて, 14  こう言った。「あなた方は,民を駆り立て反乱を起こさせる者だと言ってこの男を連れてきた。それであなた方の前で取り調べたが,あなた方が訴えているような罪は全く見つからなかった+ 15  それはヘロデも同じだ。彼を私たちに送り返してきた。彼は死に値することは何もしていないのだ。 16  それで,彼を懲らしめてから+釈放する」。 17  ― 18  しかし群衆は皆こう叫んだ。「その男を殺せ*。バラバを釈放しろ+!」 19  (バラバは町で起きた暴動と殺人の罪で牢屋に入れられていた。) 20  ピラトはイエスを釈放したいと思って,再び群衆に呼び掛けた+ 21  群衆は,「杭に掛けろ*! 杭に掛けろ!」とわめきだした+ 22  ピラトは3度目にこう言った。「この男がどんな悪事をしたというのか。死に値することは何も見つからなかった+。それで,彼を懲らしめてから釈放する」。 23  それでも群衆は引き下がらず,イエスを処刑*するよう大声で要求した。そしてその声が上回った+ 24  それでピラトは彼らの要求通りにすることを決定した。 25  暴動と殺人の罪で牢屋に入れられていた男,彼らが要求していた者を釈放し,イエスの方は彼らの意向に沿って処刑のために引き渡したのである。 26  兵士たちはイエスを引いていく時,田舎から来ていたキレネのシモンという男性を捕まえて苦しみの杭を担がせ,イエスの後ろを行かせた+ 27  大勢の人々がその後を行き,女性たちも胸をたたいて悲しみ,泣き叫びながら付いていった。 28  イエスは女性たちの方を向いて言った。「エルサレムの女性たち,私のために泣くのをやめなさい。むしろ,自分と自分の子供たちのために泣きなさい+ 29  人々が,『子供ができない女性,また子供を産まなかった女性や乳を飲ませなかった女性は幸せだ!』と言う時が来るからです+ 30  その時人々は,山に向かって,『われわれにかぶさってくれ!』と言い,丘に向かって,『われわれを覆ってくれ!』と言いだします+ 31  木に生気がある時にこうしたことがなされるのであれば,枯れた時には何が起きるでしょうか」。 32  ほかにも2人の犯罪者が,イエスと一緒に処刑されるために引かれていった+ 33  兵士たちは,どくろと呼ばれる所に着いた時+,イエスを杭にくぎ付けにし,その左右に犯罪者たちを1人ずつくぎ付けにした+ 34  しかしイエスは言った。「父よ,彼らをお許しください。自分たちが何をしているのか知らないのです+」。さらに彼らは,くじを引いてイエスの服を分配した+ 35  民は立って見つめていた。しかし支配者たちは冷笑しながら言った。「ほかの人は救ったのだ。神のキリスト,選ばれた者であるなら,自分を救ったらいい+」。 36  兵士たちもイエスをあざけり,近づいて酸味の強いぶどう酒を差し出し+ 37  「ユダヤ人の王なら,自分を救ってみろ」と言った。 38  またイエスの上の方には,「これはユダヤ人の王」と記されていた+ 39  杭に掛けられた犯罪者の1人がイエスに暴言を吐き始め+,「キリストだろ。自分とわれわれを救ってみろ」と言った。 40  それに対してもう1人が,彼を叱った。「神を少しも畏れないのか。同じ処罰を受けているのに。 41  われわれの場合は当然だ。自分がしたことの報いを受けているのだから。しかしこの人は何も悪いことはしていない」。 42  さらに言った。「イエス,王国に入る時に+私を思い出してください」。 43  イエスは言った。「今日あなたに言います。あなたは私と共にパラダイスにいることになります+」。 44  ところで,すでに昼の12時ごろになっていたが,闇が全土*に垂れ込めて,午後3時にまで及んだ+ 45  日の光がなくなったのである。その時,聖なる所の幕+が真ん中で裂けた+ 46  イエスは大声で叫んだ。「父よ,私の命をあなたの手に託します+」。こう言ってから,息を引き取った+ 47  士官は起きた事柄を見て神をたたえるようになり,「本当に,この人は正しい人だった」と言った+ 48  処刑を見に集まっていた群衆は皆,起きた事柄を見て,悲しんで胸をたたきながら家に帰った。 49  イエスの知人たちは皆,離れた所に立っていた。ガリラヤからイエスに同行してきた女性たちもいて,これらのことを見た+ 50  さて,ヨセフという男性がいた。最高法廷の一員で,正しくて善い人だった+ 51  (この男性は法廷の他の人たちがたくらんだ行為を支持する投票をしなかった。)ユダヤ人の町アリマタヤの人で,神の王国を待っていた。 52  この男性がピラトの前に行き,イエスの体を頂きたいと願い出た。 53  そしてその体を下ろして+上等の亜麻布に包み,岩を掘った墓に葬った+。そこにはまだ誰も葬られたことがなかった。 54  それは準備の日で+,安息日+が始まろうとしていた。 55  イエスと一緒にガリラヤから来ていた女性たちは後に付いていってその墓を見,遺体が葬られる様子を見た+ 56  それから香料と香油を準備しに戻った。しかし言うまでもなく,安息日にはおきて通り休んだ+

脚注

直訳,「しるし」。
または,「鮮やかな」,「光り輝く」。
または,「この者を取り除け」。
または,「杭に掛けて処刑しろ」。
または,「杭に掛けて処刑」。
または,「地上全体」。

注釈

カエサル: または,「皇帝」。イエスの地上での宣教期間中のローマ皇帝はティベリウスだったが,この語は在位中の皇帝だけを指すのではない。「カエサル」は,ローマの政府や国家,正当に任命されたその代表者を指すこともあった。その人たちをパウロは「上位の権威」と呼び,ペテロは「王」や「総督」と呼んでいる。(ロマ 13:1-7。ペ一 2:13-17。テト 3:1用語集参照。

カエサル: マタ 22:17の注釈を参照。

その通りです: 直訳,「あなた自身が言っています」。これは,ピラトが述べる通りであると肯定する返答だと思われる。(マタ 26:25,64の注釈と比較。)イエスは自分が確かに王であることを認めたが,それはピラトが考えるのとは別の意味だった。イエスの王国は「この世界のものでは」なく,ローマを脅かすものではないから。(ヨハ 18:33-37

あなたはユダヤ人の王なのか: 4福音書全てがピラトのこの同じ質問を全く同じ言葉で記している。(マタ 27:11。マル 15:2。ルカ 23:3。ヨハ 18:33)ローマ帝国でカエサルの同意なしに統治できる王はいなかった。それでピラトは特にイエスの王権について尋問したのだと思われる。

その通りです: マタ 27:11の注釈を参照。

ヘロデ: ヘロデ大王の子ヘロデ・アンテパスのこと。アンテパスはガリラヤとペレアの地域支配者(四分領太守)だった。イエスがヘロデの前に連れてこられたことを記しているのはルカだけ。(ルカ 3:1用語集参照。

緋色の衣: 王や執政官や士官がまとうようなマントか長い衣。マル 15:17ヨハ 19:2は,紫の衣と言っているが,古代において,「紫」は赤と青が合わさったどんな色も指した。また見る角度,光の具合,背景によって,どんな色に見えるかに違いが出ただろう。色の描写に相違があることから,福音書筆者が他の筆者の記述を単に書き写したのでないことが分かる。

紫の衣をまとわせ: これは,イエスをあざけり,王としての立場を笑いものにするために行われた。マタイの記述(27:28)は,兵士たちがイエスに「緋色の衣」をまとわせたと述べている。それは王や執政官や士官が身に着けるようなものだった。マルコとヨハネ(19:2)の記述は,紫の衣と言っているが,古代において,「紫」は赤と青が合わさったどんな色も指した。また見る角度,光の具合,背景によって,どんな色に見えるかに違いが出ただろう。色の描写に相違があることから,福音書筆者が他の筆者の記述を単に書き写したのでないことが分かる。

きらびやかな服: 名目上のユダヤ人でガリラヤとペレアの地域支配者だったヘロデ・アンテパスは,イエスをピラトに送り返す前に,王としての自分のきらびやかな,恐らく白い服を着せ,あたかもユダヤ人の王であるかのように装わせたのかもしれない。ここで使われている「服」に当たるギリシャ語(エステース)は普通,装飾の施された服もしくは長い服と関連があった。天使たちはそのような装いをして現れた。(ルカ 24:4。ヤコ 2:2,3も参照。)このギリシャ語は,ヘロデ・アグリッパ1世が着ていた王の「服」を描写するためにも使われている。(使徒 12:21)ここで「きらびやかな」と訳されているギリシャ語(ラムプロス)は「輝く」という意味の言葉から来ている。それは衣服に関して使われる場合,上等の服を指し,光り輝くあるいは白い服を指すこともある。これは,ピラトの兵士たちが後に総督の官邸でイエスに着せた,紫の長い衣とも呼ばれている緋色の衣とは別の服だと思われる。(マタ 27:27,28,31。ヨハ 19:1,2,5マタ 27:28,マル 15:17の注釈を参照。)ヘロデ,またピラトとローマ兵は,2着の異なる衣服をイエスに着せたが,その意図は同じだったと思われる。いわゆるユダヤ人の王としてイエスをあざけるためだった。(ヨハ 19:3

一部の古代写本はここを,「さて,彼は祭りのたびに1人を釈放する必要があった」としている。しかし,この文は権威ある初期の幾つかの写本には出ておらず,ルカの原文の一部ではないと思われる。この文を19節の後に加えている写本もある。多少言い回しの異なる似た文がマタ 27:15マル 15:6にあり,その文面に不明な点はない。写字生がこの文をマタイとマルコの福音書の並行記述に基づく説明としてルカの書のこの部分に加えたと考えられている。

囚人1人を釈放する……習慣: このことは4人の福音書筆者全員が述べている。(マル 15:6-15。ルカ 23:16-25。ヨハ 18:39,40)ヘブライ語聖書にこの習慣の根拠や前例はない。しかし,ユダヤ人はイエスの時代までにこの慣例を作り上げていたようだ。ローマ人は群衆を喜ばせるために囚人を釈放した証拠があり,おかしな慣習とは思わなかっただろう。

囚人1人を釈放していた: このことは4人の福音書筆者全員が述べている。(マタ 27:15-23。ルカ 23:16-25。ヨハ 18:39,40)ヘブライ語聖書にこの習慣の根拠や前例はない。しかし,ユダヤ人はイエスの時代までにこの慣例を作り上げていたようだ。ローマ人は群衆を喜ばせるために囚人を釈放した証拠があり,おかしな慣習とは思わなかっただろう。

あなた方の習慣に従って……1人を釈放することになっている: 囚人1人を釈放するこの習慣はマタ 27:15マル 15:6でも述べられている。ピラトがユダヤ人に「あなた方の習慣」と言っているので,この習慣はユダヤ人が始めたのだと思われる。ヘブライ語聖書にこの習慣の根拠や前例はない。しかし,ユダヤ人はイエスの時代までにこの慣例を作り上げていたようだ。ローマ人は群衆を喜ばせるために囚人を釈放した証拠があり,おかしな慣習とは思わなかっただろう。

バラバを釈放しろ: ルカ 23:16-25の出来事は4人の福音書筆者全員が述べている。(マタ 27:15-23。マル 15:6-15。ヨハ 18:39,40)マタイ,マルコ,ヨハネは,総督が祭りの際に囚人1人を釈放するのが習慣だったことも記している。マタ 27:15,マル 15:6,ヨハ 18:39の注釈を参照。

キレネ: 北アフリカの海岸近くの町。クレタ島の南南西。(付録B13参照。)シモンはキレネで生まれ,その後イスラエルに住むようになったのかもしれない。

苦しみの杭: または,「処刑用の杭」。用語集の「」,「苦しみの杭」参照。ルカ 9:23; 14:27も参照。そこでは,この語が比喩的に使われている。

木に生気がある時……枯れた時: イエスはユダヤ国民のことを述べていると思われる。その国民は枯れていく木のようだったが,いくらか生気が残っていた。イエスがいて,イエスを信じるユダヤ人もたくさんいたから。しかし,イエスはもうすぐ処刑され,忠実なユダヤ人は聖なる力によって選ばれ,神のイスラエルの一員となる。(ロマ 2:28,29。ガラ 6:16)その時,文字通りのイスラエル国民は神から見て死に,枯れた木のようになる。(マタ 21:43

犯罪者: ここで使われているギリシャ語(カクールゴス)は字義的には,「悪事を行う人」という意味。並行記述のマタ 27:38,44マル 15:27はこの人たちを「強盗」と呼び,暴力で奪い取る人を含むギリシャ語(レーイステース)を使っている。その語は盗賊や革命家を指すこともある。また,バラバに関しても使われ(ヨハ 18:40),バラバはルカ 23:19によれば「暴動」と「殺人」の罪で牢屋に入れられていた。

ゴルゴタ: 「どくろ」を意味するヘブライ語から。(ヨハ 19:17を参照。裁 9:53と比較。そこでは,ヘブライ語グルゴーレトが「頭蓋骨」と訳されている。)イエスの時代,この場所はエルサレムの城壁の外にあった。しかし,確かな場所は分かっていない。(付録B12参照。)聖書は,ゴルゴタが丘にあったと明言していないが,離れた所から処刑を見ていた人がいたことは述べている。(マル 15:40。ルカ 23:49

どくろ: クラニオンというギリシャ語の表現は,ゴルゴタというヘブライ語名に対応する。(ヨハ 19:17を参照。マタ 27:33の注釈を参照。)この場所について「カルバリ」という語が使われることがあるが,それは「どくろ」に当たるラテン語カルウァーリアから来ている。その語はウルガタ訳で使われている。

彼らをお許しください: イエスが誰のためにこう願ったのか,文脈は述べていないが,イエスの処刑を求めた群衆を念頭に置いていたのだと思われる。群衆の一部はしばらくして悔い改めた。(使徒 2:36-38; 3:14,15)またイエスを杭にくぎ付けにしたローマの兵士たちも,自分たちがしていることの重大性に気付いておらず,イエスが実際にどんな方かを知らなかった。一方,イエスの死に責任があった祭司長たちを許すよう父にお願いしたのではないだろう。彼らはイエスを殺そうとして相談した時,何をしているのかよく分かっていた。ねたみのためにイエスを引き渡した。(マタ 27:18。マル 15:10。ヨハ 11:45-53)また,イエスはそばで処刑された犯罪者たちを許すようお願いしていたのではないと思われる。2人ともイエスの死に責任はなかった。

しかし……知らないのです: この節のこの前半部分を含まない古代写本もある。しかし,その部分は権威ある初期の他の写本にはあるので,「新世界訳」や多くの聖書翻訳に含まれている。

酸味の強いぶどう酒: または,「ぶどう酢」。ラテン語でアケートゥム(酢),また水で割ってあればポスカとして知られる,酸味のある弱いぶどう酒を指すと思われる。ローマの兵士を含め,貧しい人が喉の渇きを癒やすためによく飲んだ安い飲み物。セプトゥアギンタ訳の詩 69:21ではギリシャ語オクソスも使われていて,そこではメシアに「酢」が与えられることが預言されていた。

酸味の強いぶどう酒: マタ 27:48の注釈を参照。

記されていた: 一部の写本は,「ヘブライ語,ラテン語,ギリシャ語の文字で」と訳せる語句を加えている。しかし,これらの語句は権威ある初期の幾つかの写本には出ていない。写字生ヨハ 19:20と一致させるために加えたと考えられている。

杭に掛けられた: ここで使われているギリシャ語動詞はスタウロオー(「杭に掛けて処刑する」)ではなく,クレマンニュミ(「掛ける」)。この動詞はイエスの処刑に関連して,エピ クシュルー(「杭または木に」)という語句と一緒に使われている。(ガラ 3:13)セプトゥアギンタ訳で,この動詞は人を杭や木に掛けることを表すためにしばしば使われている。(創 40:19。申 21:22。エス 8:7

今日あなたに言います。: 入手できるギリシャ語聖書の最初期の写本のギリシャ語は大文字だけで書かれている。今日の多くの言語で使われているスペースや句読点などはなかった。写本家の中には句読点のような記号を加える人もいたが,そうした記号が使われることは少なく一貫してもいなかった。それで現代の聖書翻訳の句読点は,ギリシャ語の文法と各節の文脈に基づいている。この節の場合,ギリシャ語の文法では,カンマを打つ位置によってイエスのせりふの意味は以下の2通りの理解ができる。(1)「今日あなたに言います。あなたは私と共にパラダイスにいることになります」,(2)「あなたに言います。今日あなたは私と共にパラダイスにいることになります」。どちらになるかは,イエスが言った事の意味を翻訳者がどう理解するか,聖書が全体として何を教えているかによって決まる。ウェストコット・ホート,ネストレ・アーラント,聖書協会世界連盟などによるギリシャ語本文の学術版は,「今日」と訳されるギリシャ語の前にカンマが打ってあり,(2)の理解になる。しかし,「今日」の後にカンマを打つ方が,イエスがこれ以前に述べたことや聖書が他の箇所で教えていることと一致する。例えば,イエスは自分が死んで3日目まで「墓の中に」いると述べた。(マタ 12:40。マル 10:34)また弟子たちに,自分が殺されて3日目に生き返ると何度か述べた。(ルカ 9:22; 18:33)さらに,聖書はイエスが「死の眠りに就いた人たちの中で最初に」復活した方で,40日後に天に昇ったことを記している。(コ一 15:20。ヨハ 20:17。使徒 1:1-3,9。コロ 1:18)イエスが復活したのは,死んだ日ではなく死んでから3日目だった。それで明らかに,犯罪者はイエスが話したその日にイエスと共にパラダイスにいることはできなかった。

この論議と一致しているのは,シリア語クレトニア写本として知られる,ルカの記述の5世紀のシリア語訳で,以下のように訳している。「アーメン,われ今日なんじに言う,われと共になんじはエデンの園におらん」。(F・C・バーキット,「4福音書のクレトニア訳」,第1巻,ケンブリッジ,1904年)さらに注目すべき点として,初期と後代のギリシャ語の著述家と注釈者たちは,この部分の訳し方について意見の相違があることを示していた。例えば,4世紀から5世紀のエルサレムのヘシキウスは,ルカ 23:43についてこう書いている。「以下のように読む人たちもいる。『今日あなたに言います』。そしてカンマを入れ,こう続ける。『あなたは私と共にパラダイスにいることになります』」。(「ギリシャ教父全集」[Patrologiae Graecae],第93巻,第1432-1433欄にあるギリシャ語文。)11世紀から12世紀のテオフュラクトスは,「『今日』の後に句読点を打つ」よう主張する人たちについて書いた。「その場合,次のように言う。『今日あなたに言います』。それから,『あなたは私と共にパラダイスにいることになります』という表現を続ける」。(「ギリシャ教父全集」,第123巻,第1104欄。)G.M.ラムサは,「福音の光 イエスの教えに関するアラム語と古来の東洋的慣習に基づく解説」(英語)の303-304ページで,ルカ 23:43の「今日」の用法について述べている。「この文章では『今日』という言葉が強調されており,『今日あなたに言います。あなたは私と共にパラダイスにいることになります』と訳すべきである。イエスの約束はその日に行われ,あとで実現することになっていた。これは,特定の日になされた約束が後日必ず果たされることを示す,オリエントの特徴的な言い方である」。それで,ルカ 23:43のギリシャ語はセム語系の強調の仕方に沿ったものだろう。ヘブライ語聖書には,約束や命令などの厳粛な表現の中で「今日」を含む慣用表現が使われている例がたくさんある。(申 4:26; 6:6; 7:11; 8:1,19; 30:15。ゼカ 9:12)以上の証拠に示されているように,イエスが「今日」という語を使って注目させたかったのは,犯罪者がパラダイスにいる時ではなく,約束がなされた時だった。

ロザハムやラムサ(1933年版)による英訳,ラインハルトやW・ミヒャエーリスによるドイツ語訳など幾つもの翻訳は,約束の実現の時ではなく約束がなされた時を強調するのが正しいということを認めている。これらの翻訳は,その聖句を「新世界訳」の読み方と同様の形に訳している。

パラダイス: 「パラダイス」という語はギリシャ語パラデイソスから来ていて,よく似た語がヘブライ語(パルデース。ネヘ 2:8,伝 2:5,ソロ 4:13に出ている)にもペルシャ語(パイリダエーザ)にもある。この3つの語全ては,美しい公園もしくは公園のような庭園という基本的な考えを伝えている。セプトゥアギンタ訳の翻訳者たちは,創 2:8の「エデンに庭園」という表現に含まれる「庭園」というヘブライ語(ガン)を訳すのに,ギリシャ語パラデイソスを使った。ギリシャ語聖書のヘブライ語訳の中には,ルカ 23:43で「あなたは私と共にエデンの園にいることになります」と訳しているものもある。(付録CのJ17,18,22参照。)イエスの隣で杭に掛けられた犯罪者に対するこの約束は,啓 2:7で述べられている「神のパラダイス」にいるという約束ではなかった。啓 2:7の約束は,「征服する人」つまり天の王国におけるキリストの共同統治者に対するものだったから。(ルカ 22:28-30)この犯罪者は,イエス・キリストと共に世を征服する者ではなく,「水と聖なる力によって生まれ」てもいなかった。(ヨハ 3:5; 16:33)この人は,「正しくない人」たちの1人として復活し,キリストが楽園となった地上を1000年間治める時に王国の下で地上に住むと思われる。(使徒 24:15。啓 20:4,6

午前9時ごろ: 直訳,「第3時ごろ」。1世紀のユダヤ人は,日中を午前6時ごろの日の出から始まる12時間とする数え方をした。(ヨハ 11:9)それで,第3時は午前9時ごろ,第6時は正午ごろ,第9時は午後3時ごろになる。人々は正確な時計を持っていなかったので,たいてい出来事のおおよその時刻しか書かれていない。(ヨハ 1:39; 4:6; 19:14。使徒 10:3,9

午前9時ごろ: 直訳,「第3時ごろ」。1世紀のユダヤ人は,日中を午前6時ごろの日の出から始まる12時間とする数え方をした。(ヨハ 11:9)それで,第3時は午前9時ごろ,第6時は正午ごろ,第9時は午後3時ごろになる。人々は正確な時計を持っていなかったので,たいてい出来事のおおよその時刻しか書かれていない。(ヨハ 1:39; 4:6; 19:14。使徒 10:3,9

昼の12時ごろ: 直訳,「第6時ごろ」。マタ 20:3の注釈を参照。

闇: この闇は奇跡的なもので,神が生じさせた。日食によって生じたはずはない。日食が起きるのは新月の時だが,これは過ぎ越しの時期で満月だった。この闇は3時間続き,日食よりはるかに長い。どんなに長い皆既日食でも8分は続かない。ルカの記述は「日の光がなくなった」という点を含めている。(ルカ 23:45

午後3時: 直訳,「第9時」。マタ 20:3の注釈を参照。

聖なる所: ここでギリシャ語ナオスは,聖所と至聖所という2つの部屋がある中心的な建物を指す。

幕: 美しい装飾が施されたこの垂れ布が神殿の聖所と至聖所を隔てていた。ユダヤ人の伝承では,この重い幕は長さ18メートル,幅9メートル,厚さ7センチほどだった。エホバは幕を2つに裂くことによって,ご自分の子を殺した人々に対する憤りを表明するとともに,天そのものに入ることが今や可能になったことを示した。(ヘブ 10:19,20用語集参照。

聖なる所: マタ 27:51の注釈を参照。

幕: マタ 27:51の注釈を参照。

息を引き取った: または,「息絶えた」,「自分の生命力を委ねた」。ここでギリシャ語プネウマは「息」もしくは「生命力」を指すと理解できる。これは並行記述のマル 15:37でギリシャ語エクプネオー(直訳,「息を吐き出す」)が使われていることによって裏付けられている。(そこでは「息を引き取った」と訳され,注釈には「息絶えた」とある。)「委ねた」とも訳せるギリシャ語が使われているのは,イエスが必死で生き延びようとはしなかったということだと考える人もいる。全てのことが成し遂げられていたからである。(ヨハ 19:30)イエスは進んで「自分の命を捧げて死をも受け入れ」た。(イザ 53:12。ヨハ 10:11

私の命を……託します: イエスは詩 31:5を引用している。そこでダビデは,自分の生命力を大切に守ってくださいと神に願い求めている。これは自分の命を神の手に委ねていたということ。イエスは死に際して自分の生命力をエホバに託した。イエスの将来の命の見込みは全く神に懸かっていた。用語集の「プネウマ」参照。

息を引き取った: ギリシャ語エクプネオー(直訳,「息を吐き出す」)はここで「息絶えた」とも訳せる。(マタ 27:50の注釈を参照。)聖書は,イエスの生命力が出ていった時,イエスが天に向かったのではないことをはっきり示している。イエスは息を引き取り,死んだ。イエス自身,自分が「3日目」に復活すると予告していた。(マタ 16:21。ルカ 9:22使徒 1:3,9にあるように,イエスが実際に天に昇ったのは40日後だった。

士官: または,「百人隊長」。すなわち,ローマ軍で約100人の兵士を率いた人。並行記述のマタイとマルコによると,この士官はイエスが「神の子だった」とも言った。(マタ 27:54。マル 15:39

ヨセフ: ヨセフに関する記述の仕方に福音書筆者たちの特徴が表れている。徴税人マタイは,ヨセフが「裕福な男性」だったと言っている。おもにローマ人のために書いたマルコは,「最高法廷の評判の良い一員」で神の王国を待っていた,と述べている。同情心のある医師ルカは,「正しくて善い人」でイエスに対する法廷の行動を支持する投票をしなかった,と語っている。ヨハネだけが,「ユダヤ人たちを恐れてひそかにイエスの弟子となっていた」と伝えている。(マタ 27:57-60。マル 15:43-46。ルカ 23:50-53。ヨハ 19:38-42

サンヘドリン: エルサレムにあった,ユダヤ人の高等法廷のこと。「サンヘドリン」と訳されるギリシャ語(シュネドリオン)は字義的には,「共に座る」という意味。会合や集会を指す一般的な言葉だったが,イスラエルでは宗教上の司法機関つまり法廷も指した。マタ 5:22の注釈用語集を参照。サンヘドリン広間があったと考えられる場所について,付録B12も参照。

ヨセフ: マル 15:43の注釈を参照。

最高法廷の一員: または,「議員」。エルサレムにあったユダヤ人の高等法廷つまりサンヘドリンの一員。マタ 26:59の注釈と用語集の「サンヘドリン」を参照。

アリマタヤ: この町の名前は「高い所」という意味のヘブライ語に由来。ルカ 23:51で「ユダヤ人の町」と呼ばれている。付録B10参照。

アリマタヤ: マタ 27:57の注釈を参照。

墓: または,「記念の墓」。ここでは自然の洞窟ではなく,軟らかい石灰岩をくりぬいた穴倉や部屋。こうした墓にはたいてい,死体を横たえる棚やくぼみがあった。用語集の「記念の墓」参照。

墓: マタ 27:60の注釈を参照。

準備の日: 週ごとの安息日の前日の名称。この日にユダヤ人は,食事を余分に準備したり安息日後まで待てない仕事を終わらせたりして安息日に備えた。この場合,ニサン14日が準備の日だった。(マル 15:42用語集参照。

準備の日: マタ 27:62の注釈を参照。

墓: または,「記念の墓」。用語集の「記念の墓」参照。

メディア

かかとの骨のくぎ
かかとの骨のくぎ

この写真は,11.5センチの鉄のくぎが突き刺さった,人間のかかとの骨の複製。実物は,1968年にエルサレム北部で発掘されたローマ時代のもの。これは,処刑の際,人を木の杭に留めるために恐らくくぎが使われたことを示す考古学的証拠になっている。ローマの兵士たちはイエス・キリストを杭に掛けた時,同様のくぎを使用したかもしれない。このかかとの骨は石の納骨箱の中で発見された。納骨箱には,遺体が朽ちた後の乾いた骨が納められた。このことは,杭に掛けられて処刑された人でも葬られる場合があったことを示している。

墓室
墓室

ユダヤ人は通常,亡くなった人を洞窟か,岩をくりぬいた穴倉に葬った。そのような墓は王の墓を除けば,普通は町の外にあった。発見されているユダヤ人の墓は簡素なことでよく知られている。ユダヤ人の崇拝で死者をあがめることは行われず,死後も霊界で意識ある存在であり続けるという概念は育たなかったからだと思われる。