ルカ​に​よる​福音​書 1:1-80

1  私たちが全く信じている出来事を1つの記述にまとめることに,多くの人が取り組んできました+  最初からの目撃証人+で音信を広めた人々も,そうした出来事を私たちに伝えました+  私も,全てのことを初めから綿密に調べましたので,テオフィロ閣下,あなたに順序立てて書いてお伝えすることにしました+  聞いて学ばれた事柄の確かさを十分に知っていただくためです+  ユダヤの王ヘロデの時代に+,アビヤの組+にゼカリヤという祭司がいた。妻はアロンの家系の女性で,エリサベツという名前だった。  2人は,エホバの全てのおきてと法的な要求に全く従っており,神から見て正しい人だった。  しかし,エリサベツには子供ができず,2人には子供がいなかった。しかも,2人ともかなり年を取っていた+  さて,ゼカリヤは,自分の組が当番の時に+,神の前で祭司として奉仕していた。  祭司職のしきたりに従って,香をたく番となり+,エホバの聖なる所に入った+ 10  大勢の人々が皆,香をたく時刻に外で祈っていた。 11  エホバの天使がゼカリヤの前に現れて香の祭壇の右側に立った。 12  ゼカリヤはそれを見て動揺し,恐れの気持ちに襲われた。 13  しかし天使は言った。「ゼカリヤ,恐れることはありません。あなたの祈願は聞き入れられたからです。妻のエリサベツは男の子を産みます。その子をヨハネと名付けなさい+ 14  あなたは喜びと大きな幸せを感じ,多くの人がその誕生を喜びます+ 15  その子はエホバの前で偉大な人となるからです+。彼はぶどう酒などの酒を一切飲んではなりません+。その子は生まれる前でさえ*聖なる力に満たされます+ 16  そして,イスラエル人の多くをエホバ神のもとに帰らせます+ 17  また,エリヤが持っていた聖なる力と強さ*を持って神の前を行き+,父親の心を子供の心のようにし+,不従順な人に正しい人の役立つ知恵を得させて,準備ができた民をエホバのために整えます+」。 18  ゼカリヤは天使に言った。「そのようなことをどうして信じられるでしょうか。私は年ですし,妻もかなり年を取っています+」。 19  天使は答えた。「私はガブリエル+,神のすぐ前に立つ者です+。あなたにこの良い知らせを告げるために遣わされました。 20  ただし,これらのことが起きる日まで,あなたは口が利けなくなり,話すことができません+。私の言葉を信じなかったからです。その言葉は定められた時に実現します」。 21  一方,人々はゼカリヤをずっと待っていたが,聖なる所で手間取っていることを意外に思っていた。 22  やがてゼカリヤが出てきたが話せなかったので,人々は,聖なる所で衝撃的なもの*を見たのだと悟った。ゼカリヤは身ぶりをしていたが,口は利けなかった。 23  聖なる奉仕の期間が終わると,ゼカリヤは家に帰った。 24  しばらくして,妻のエリサベツは妊娠した。そして,5カ月間引きこもっていて,こう言った。 25  「エホバがこのようにしてくださいました。私に注意を向け,人々の間で受ける恥辱を取り去ってくださったのです+」。 26  その6カ月目に,天使ガブリエル+は,神からナザレというガリラヤの町に遣わされた。 27  ダビデの子孫のヨセフという男性と婚約していた処女+のもとにである。その名前はマリアといった+ 28  天使は来て,言った。「こんにちは,あなたは大いに恵まれた人です。エホバはあなたと共におられます」。 29  しかしマリアはこの言葉にひどく戸惑い,このあいさつはどういうことなのだろうと考えた。 30  天使は言った。「マリア,恐れることはありません。あなたは神の恵みを得ました。 31  あなたは妊娠して*男の子を産みます+。イエスと名付けなさい+ 32  その子は偉大な者となり+,至高者の子と呼ばれます+。エホバ神は父ダビデの王座を彼に与え+ 33  彼は王としてヤコブの子孫を永久に治めます。その王国に終わりはありません+」。 34  しかしマリアは天使に言った。「どうしてそのようなことがあるでしょうか。私は男の人と関係を持ったことがありません+」。 35  天使は答えた。「聖なる力があなたに働き+,至高者の力があなたを覆います。それで,生まれる子は聖なる者+,神の子と呼ばれます+ 36  親族のエリサベツもあの年で妊娠し,子供ができないといわれていたのが今では6カ月目になります。 37  神にとっては,どんな宣言も不可能ではないのです+」。 38  マリアは言った。「ご覧ください,私はエホバの奴隷でございます! あなたの宣言通りのことが私に起きますように」。すると,天使は去っていった。 39  その後,マリアは旅立ち,山地に,ユダの町に急いで行った。 40  そして,ゼカリヤの家に入って,エリサベツにあいさつした。 41  エリサベツがマリアのあいさつを聞いた時,胎児は躍り上がった。エリサベツは聖なる力に満たされ, 42  大声で叫んだ。「あなたは女性の中で祝福された人,あなたのおなかの子も祝福されています! 43  私の主の母親に来ていただけるとは何と光栄なことでしょう。 44  私があなたのあいさつを聞くと,私のおなかの子は喜んで躍り上がりました。 45  信じたあなたも幸せです。エホバから語られたことは完全に実現するからです」。 46  マリアはこう言った。「私はエホバをあがめ+ 47  私の心は救い主である神のおかげで喜びにあふれます+ 48  神は低い立場にある奴隷の私に目を留めてくださったからです+。今後,あらゆる世代の人々が私を幸せな人と言います+ 49  強力な神が素晴らしいことをしてくださったからであり,その方の名は聖なるものです+ 50  いつの時代も,神はご自分を畏れる人々に憐れみを示されます+ 51  神は力強い腕で物事を行い+,傲慢な心を持つ者たちを散らされました+ 52  権力を持つ人たちをその座から降ろし+,身分の低い人たちを高くされました+ 53  飢えた人たちを良いもので十分に満たし+,裕福な人たちを何も持たせずに去らせました。 54  神はご自分に仕えるイスラエルを助けに来られました。憐れみをお忘れになりません+ 55  父祖たちにお告げになった通り,アブラハムとその子孫に憐れみを永久に示されるのです+」。 56  マリアは3カ月ほどとどまってから,家に帰った。 57  エリサベツは,出産の時が来て,男の子を産んだ。 58  隣人や親族は,エリサベツがエホバから大きな憐れみを示されたことを聞き,彼女と共に喜んだ+ 59  8日目に,隣人や親族がその子に割礼を施そうとやって来て+,父親の名前を取ってゼカリヤと名付けようとした。 60  しかし母親は言った。「駄目です! この子はヨハネと呼ばれるのです」。 61  するとその人たちは言った。「親族の中に,そう呼ばれている人は一人もいません」。 62  そして,その子を何と呼びたいかを父親に身ぶりで尋ねた。 63  父親は書き板を求め,「名前はヨハネ+」と書いた。皆はとても驚いた。 64  たちまち父親は,口が開いて舌が動くようになり+,神を賛美し始めた。 65  近辺に住む人は皆,畏れを感じ,この一部始終がユダヤの山地一帯で話題になった。 66  皆,聞いたことを心に留めて,「この子はどんな人になるのだろうか」と言った。エホバがその子と共にいたのである。 67  父親のゼカリヤは聖なる力に満たされて,こう預言した。 68  「イスラエルの神エホバが賛美されますように+。ご自分の民に注意を向け,救出されたからです+ 69  そして,ご自分に仕えたダビデの家系+に救いの角+が現れるようにしてくださいました。 70  昔の聖なる預言者たちを通して語られた通りです+ 71  神は私たちを,敵から,また私たちを憎む全ての者から救ってくださるのです+ 72  神は父祖たちとの関係で憐れみを示し,聖なる契約を思い出されます+ 73  この契約は,父祖アブラハムに誓われた誓いのことで+ 74  神は私たちを敵から救い出した後,恐れずに神聖な奉仕を行えるようにしてくださいます。 75  私たちはいつの日も神の前で忠実で*正しくあるのです。 76  わが子よ,おまえは至高者の預言者と呼ばれる。道を整えるためにエホバの前を行くからだ+ 77  そして,罪の許しによる救いについて民に知らせる+ 78  それは神の温かい思いやりによる。この思いやりによって,神は私たちを夜明けのように照らし+ 79  闇と死の陰にいる人たちに光を与え+,私たちを平和の道に導く」。 80  その子は大きくなり,内面も*成長した。そして,イスラエルの民の前に現れる日まで荒野にいた。

脚注

または,「まさに母の胎内にいる時から」。
または,「気迫と力」。
または,「幻」。
または,「胎内に子を宿して」。
または,「揺るぎない思いを抱いて」。
または,「聖なる力によって」。

注釈

ルカ: この名前のギリシャ語形はルーカスで,ラテン語名ルーカースから来ている。この福音書と「使徒の活動」の筆者であるルカは医者で,使徒パウロの忠実な友だった。(コロ 4:14。「ルカの紹介」も参照。)ギリシャ語名と文体から,ルカはユダヤ人ではなかったと主張する人がいる。加えて,コロ 4:10-14で,パウロは「割礼を受けている人たち」について述べ,その後ルカのことを言っている。とはいえ,その主張はロマ 3:1,2で述べられていることと相いれない。そこには,ユダヤ人が「神の神聖な宣言を託された」とある。それで,ルカはギリシャ語名を持ちギリシャ語を話すユダヤ人だったのかもしれない。

ルカによる福音書: どの福音書の筆者も,自分が筆者であることをその書の中で明らかにしておらず,書名は原文にはなかったと思われる。ルカの福音書の写本の中には,書名が「エウアンゲリオン カタ ルーカン」(「ルカによる良い知らせ[または,福音書]」)というものや,その短縮形「カタ ルーカン」(「ルカによる」)というものがある。書名がいつ加えられ,使われるようになったのかは,はっきりしない。2世紀だという見方もある。2世紀の終わりか3世紀初期のものとされる福音書写本で,長い書名のものが発見されているから。ある学者たちによると,「福音書」(直訳,「良い知らせ」)という呼び名はマルコの書の始まりの言葉(「神の子イエス・キリストについての良い知らせの始まり」)から来ているのかもしれない。書名に筆者の名前を含めるのは,各書をはっきり識別する実用的な目的のためではないかと考えられる。

全く信じている: この部分は「全く信用できる」とも訳せる。それは,徹底的に調査された出来事であることを強調している。この点と私たちがという表現から分かるように,イエスに関連した事柄全てが実現して真実となったことや,確信を持って受け入れる価値のあるものであることがクリスチャンの間ではっきり信じられていた。他の文脈で,同じギリシャ語の別の語形が「確信して」と訳されている。(ロマ 4:21; 14:5。コロ 4:12

音信を広めた人々: または,「言葉を広めた奉仕者」。ギリシャ語聖書のヘブライ語訳の2つ(付録CのJ18,22)はここでテトラグラマトンを使っていて,「エホバの言葉の奉仕者」としている。

綿密に調べました: または,「たどりました」。ルカは記録した事柄を目撃していない。それで,聖なる力に導かれるとともに,以下のような情報を元に記したと思われる。(1)イエスの系譜をまとめる時に参照できた記録類。(ルカ 3:23-38)(2)マタイが聖なる力に導かれて書いた記述。(3)まだ生きていた弟子や,もしかするとイエスの母マリアなど,多くの目撃証人から個人的に聞いた話。(ルカ 1:2)ルカの福音書の内容のほぼ60%はこの書にしか記されていない。「ルカの紹介」参照。

閣下: 「閣下」に当たるギリシャ語(クラティストス)は高官に呼び掛ける際の公式の言い方として使われる。(使徒 23:26; 24:3; 26:25)それで学者の中には,この語はテオフィロがクリスチャンになる前に高い地位にあったことを示していると考える人がいる。一方,このギリシャ語は単に友好的もしくは丁寧な呼び掛けあるいは深い敬意を表すものと理解している人もいる。テオフィロは,イエス・キリストとその宣教について「聞いて学」んでいたので,クリスチャンだったと思われる。(ルカ 1:4)ルカの記述は,口頭で学んでいた事柄の確かさをテオフィロに確信させるものとなっただろう。テオフィロについては別の見方もある。テオフィロは最初は関心のある人で後に信者になったと考える人もいれば,「神に愛された」または「神の友」という意味のこの名前はクリスチャン一般を指すまたの名として使われたと言う人もいる。ルカは「使徒の活動」の冒頭でテオフィロに呼び掛ける際,「閣下」という表現を使っていない。(使徒 1:1

順序立てて: ここのギリシャ語表現カテクセースは,時間順,話題ごと,論理的な順序を指すことができるが,必ずしも厳密な時系列を意味してはいない。ルカが全てを時系列で記録したわけではないことは,ルカ 3:18-21から明らか。それで,イエスの生涯と宣教に関する出来事の順番を確定するには4福音書全ての記述を調べる必要がある。ルカはおおむね時系列で記述しているが,出来事や話題を系統立てて述べる際に他の要素も加味したと思われる。

香をたく番: 当初は大祭司アロンが金の祭壇で香をたいた。(出 30:7)しかし,香やその他の幕屋の物を監督したのは息子のエレアザルだった。(民 4:16)ここでは,下位の祭司であるゼカリヤが香をたくことが述べられているので,贖罪の日を除けばこの奉仕を行うのは大祭司に限られていなかったようだ。香をたくことは神殿での毎日の奉仕の中で最も誉れあることと見なされていたと思われる。それは犠牲を捧げた後になされ,その間,民は聖なる所の外に集まって祈っていた。ラビの伝承によれば,この奉仕のためにくじが引かれ,その場にまだその奉仕を行ったことのない祭司がいる間は,したことのある祭司が再び行うことはできなかった。そうであれば,祭司がこの栄誉を得るのは生涯で1度だけだったかもしれない。

ヘロデ: ヘロデ大王を指す。用語集参照。

アビヤ: 「私の父はエホバ」という意味のヘブライ語の名前。

アビヤの組: アビヤはアロンの子孫の祭司だった。ダビデ王の時代,アビヤはイスラエルの氏族長の1人と見なされていた。ダビデは祭司を24の組に分けた。それぞれの組は6カ月ごとに1週間エルサレムの聖なる所で奉仕した。アビヤの氏族は第8の組を率いるようくじで選ばれた。(代一 24:3-10)ゼカリヤは「アビヤの組」で奉仕するよう割り当てられていたが,これは必ずしもゼカリヤがアビヤの子孫だったということではない。ルカ 1:9の注釈を参照。

ゼカリヤ: 「エホバは覚えた」という意味のヘブライ語の名前。この名前のギリシャ語形を採用して「ザカリア」としている聖書翻訳もある。

エリサベツ: ギリシャ語名エレイサベトは,「私の神は豊か」,「豊かさの神」という意味のヘブライ語名エリーシェバ(エリシェバ)に由来。エリサベツはアロンの家系の女性だったので,ヨハネの両親は2人とも祭司の家系の出だった。

エホバ: この聖書翻訳のルカの福音書で,神の名前が出てくる最初の箇所。現存するギリシャ語写本はここでキュリオス(主)という語を使っているが,もともと神の名前が使われていて後代に主という称号に置き換えられたと考える十分の理由がある。(付録C1,C3の序文とルカ 1:6を参照。)ルカの記述の最初の2章には,ヘブライ語聖書の中で神の名前が出てくる表現や章句への直接的また間接的な言及がたくさんある。例えば,おきてと法的な要求という語句や同様の法律用語の組み合わせは,ヘブライ語聖書中で神の名前が使われていたりエホバが話していたりする文脈で見られる。(創 26:2,5。民 36:13。申 4:40; 27:10。エゼ 36:23,27

エホバ: この聖書翻訳のルカの福音書で,神の名前が出てくる最初の箇所。現存するギリシャ語写本はここでキュリオス(主)という語を使っているが,もともと神の名前が使われていて後代に主という称号に置き換えられたと考える十分の理由がある。(付録C1,C3の序文とルカ 1:6を参照。)ルカの記述の最初の2章には,ヘブライ語聖書の中で神の名前が出てくる表現や章句への直接的また間接的な言及がたくさんある。例えば,おきてと法的な要求という語句や同様の法律用語の組み合わせは,ヘブライ語聖書中で神の名前が使われていたりエホバが話していたりする文脈で見られる。(創 26:2,5。民 36:13。申 4:40; 27:10。エゼ 36:23,27

神殿: ここで使われているギリシャ語ナオスは,神殿の中心的な建物だけでなく,周囲の庭も含む建造物群全体を指す。

聖なる所: ここでギリシャ語ナオスは,聖所と至聖所という2つの部屋がある中心的な建物を指す。

香をたく番: 当初は大祭司アロンが金の祭壇で香をたいた。(出 30:7)しかし,香やその他の幕屋の物を監督したのは息子のエレアザルだった。(民 4:16)ここでは,下位の祭司であるゼカリヤが香をたくことが述べられているので,贖罪の日を除けばこの奉仕を行うのは大祭司に限られていなかったようだ。香をたくことは神殿での毎日の奉仕の中で最も誉れあることと見なされていたと思われる。それは犠牲を捧げた後になされ,その間,民は聖なる所の外に集まって祈っていた。ラビの伝承によれば,この奉仕のためにくじが引かれ,その場にまだその奉仕を行ったことのない祭司がいる間は,したことのある祭司が再び行うことはできなかった。そうであれば,祭司がこの栄誉を得るのは生涯で1度だけだったかもしれない。

エホバの聖なる所: ルカ 1:6の注釈にある通り,ルカの記述の最初の2章には,ヘブライ語聖書の中で神の名前が出てくる章句や表現への直接的また間接的な言及がたくさんある。例えば,「エホバの聖なる所[または,「神殿」]」という言い回しに対応する表現では,テトラグラマトンがしばしば使われている。(民 19:20。王二 18:16; 23:4; 24:13。代二 26:16; 27:2。エレ 24:1。エゼ 8:16。ハガ 2:15)付録C1で説明されている通り,もともと神の名前が使われていて後代に主という称号に置き換えられたと考える十分の理由がある。そのため,ここの本文でエホバという名前を使っている。付録C3の序文とルカ 1:9を参照。

聖なる所: この文脈で,ギリシャ語ナオスは神殿の中心的な建物を指す。ゼカリヤは「香をたく番」になった時,聖所に入らなければならなかった。それは聖なる所の第一の部屋で,そこに香の祭壇が置かれていた。マタ 27:5,51の注釈付録B11を参照。

エホバの天使: 創 16:7を初めとして,「天使」に当たるヘブライ語とテトラグラマトンを組み合わせたこの表現がヘブライ語聖書に何度も出てくる。セプトゥアギンタ訳の初期の写本のゼカ 3:5,6では,ギリシャ語アンゲロス(天使,使者)の後に,ヘブライ文字で書かれた神の名前が続いている。この断片は,イスラエルのユダヤ砂漠のナハル・ヘベルにある洞窟で見つかり,紀元前50年から紀元後50年の間のものとされている。ルカ 1:11の入手できるギリシャ語写本で「主の天使」となっているのに対し「新世界訳」が「エホバの天使」という表現を本文で使っている理由は,付録C1とC3で説明されている。

ヨハネ: ヘブライ語名のエホハナンあるいはヨハナンに相当する。「エホバは恵みを与えてくださった」,「エホバは慈悲深い」という意味。

ヨハネ: マタ 3:1の注釈を参照。

エホバの前で: エノーピオン キュリウーというギリシャ語の表現(直訳,「主の見ている所[前]で」)はヘブライ語の慣用句をそのまま取り入れたもので,原文でテトラグラマトンが使われているヘブライ語のフレーズの訳として,セプトゥアギンタ訳の現存する写本に100回以上出ている。(裁 11:11。サ一 10:19。サ二 5:3; 6:5)この表現に関するこうしたヘブライ語聖書の背景は,ここでキュリオスが神の名前の代わりに使われていることを示している。付録C3の序文とルカ 1:15を参照。

聖なる力: または,「神が送り出す聖なる力」。用語集の「聖なる力」,「プネウマ」参照。

エホバ神: または,「彼らの神エホバ」。ゼカリヤに対する天使の言葉(13-17節)には,ヘブライ語聖書で使われている表現が色濃く反映されている。例えば,ヘブライ語聖書からの引用に,キュリオス(主)と,人称代名詞を伴うテオス(神)がよく一緒に出てくる。(マタ 22:37,マル 12:30,ルカ 10:27にある「あなたの神エホバ」という表現と比較。)ヘブライ語聖書の原文で,「彼らの神エホバ」という組み合わせは30回以上あるが,「彼らの神である主」という組み合わせは一度も使われていない。また,イスラエル人(直訳,「イスラエルの子たち」)という言い回しも,ヘブライ語聖書で何度も使われているヘブライ語の慣用句をそのまま取り入れたもの。(創 36:31,脚注)付録C3の序文とルカ 1:16を参照。

エホバの前で: エノーピオン キュリウーというギリシャ語の表現(直訳,「主の見ている所[前]で」)はヘブライ語の慣用句をそのまま取り入れたもので,原文でテトラグラマトンが使われているヘブライ語のフレーズの訳として,セプトゥアギンタ訳の現存する写本に100回以上出ている。(裁 11:11。サ一 10:19。サ二 5:3; 6:5)この表現に関するこうしたヘブライ語聖書の背景は,ここでキュリオスが神の名前の代わりに使われていることを示している。付録C3の序文とルカ 1:15を参照。

エホバ神: または,「彼らの神エホバ」。ゼカリヤに対する天使の言葉(13-17節)には,ヘブライ語聖書で使われている表現が色濃く反映されている。例えば,ヘブライ語聖書からの引用に,キュリオス(主)と,人称代名詞を伴うテオス(神)がよく一緒に出てくる。(マタ 22:37,マル 12:30,ルカ 10:27にある「あなたの神エホバ」という表現と比較。)ヘブライ語聖書の原文で,「彼らの神エホバ」という組み合わせは30回以上あるが,「彼らの神である主」という組み合わせは一度も使われていない。また,イスラエル人(直訳,「イスラエルの子たち」)という言い回しも,ヘブライ語聖書で何度も使われているヘブライ語の慣用句をそのまま取り入れたもの。(創 36:31,脚注)付録C3の序文とルカ 1:16を参照。

エリヤ: 「私の神はエホバ」という意味のヘブライ語の名前。

父親の心を子供の心のようにし: この表現はマラ 4:6の預言の引用。ヨハネの伝える音信が父親たちに,悔い改めてかたくなな心を従順な子供の心のような謙遜で教えやすい心に変化させるよう促すということ。神の子供になる人もいる。またマラキは,子供たちの心を父たちの心のようにすると予告した。悔い改めた人が忠実な父祖アブラハム,イサク,ヤコブのようになるということ。

準備ができた民をエホバのために整えます: ゼカリヤに対する天使の言葉(13-17節)には,神の名前が使われているマラ 3:1; 4:5,6イザ 40:3などの聖句への言及と思われる箇所がある。(ルカ 1:15,16の注釈を参照。)民を……整えますに当たるギリシャ語のフレーズと似た表現がセプトゥアギンタ訳のサ二 7:24にあり,そこのヘブライ語は,「あなたはイスラエルの民が……ご自分の民となるようにしました。エホバ」となっている。付録C3の序文とルカ 1:17を参照。

良い知らせ: 日本語聖書で「福音」とも訳されるギリシャ語エウアンゲリオンが出てくる最初の箇所。関係するギリシャ語エウアンゲリステースは「福音伝道者」と訳され,「良い知らせを伝える人」を意味する。(使徒 21:8。エフ 4:11,脚注。テモ二 4:5,脚注)

良い知らせ: ギリシャ語エウアンゲリオンは,「良い」という意味のエウと「知らせを携えてくる人」,「広く知らせる(告げる)人」という意味のアンゲロスから来ている。(用語集参照。)多くの聖書では「福音」と訳されている。関連表現で「福音伝道者」(ギリシャ語エウアンゲリステース)と訳されている語は,「良い知らせを伝える人」という意味。(使徒 21:8。エフ 4:11,脚注。テモ二 4:5,脚注)

世界中……伝えられる: イエスはここで,マタ 24:14の預言と同様,良い知らせが世界中で知らされることを予告している。それにはこの女性の献身的な行為のことも含まれる。神は3人の福音書筆者を聖なる力で導き,女性の行いについて記させた。(マル 14:8,9。ヨハ 12:7マタ 24:14の注釈を参照。

ガブリエル: 「神の強い(強健な)者」という意味のヘブライ語の名前。(ダニ 8:15,16)ミカエルを別にして,ガブリエルは聖書の中で名前が挙げられている唯一の天使で,人間の姿で自分の名前を明らかにした唯一の天使。

良い知らせを告げる: ギリシャ語動詞エウアンゲリゾマイは,「良い知らせ」という意味の名詞エウアンゲリオンと関係がある。天使ガブリエルはここで,福音伝道者として行動している。マタ 4:23; 24:14; 26:13の注釈を参照。

聖なる奉仕: または,「人々のための奉仕」。ここで使われているギリシャ語レイトゥールギアはレイトゥールゲオー(人々のための奉仕を行う)とレイトゥールゴス(公僕,人々のために奉仕する人)と関係がある。古代のギリシャ人やローマ人はこれらの語を,国家や関係当局のための仕事や奉仕,または人々のためになされる仕事や奉仕に関して使った。例えば,政府当局者が人々のために有益なサービスを提供しているという意味で神の「公僕」(レイトゥールゴスの複数形)と呼ばれている。(ロマ 13:6,脚注)ルカによるこの語の使い方は,セプトゥアギンタ訳の用法に沿っている。そこではこの表現の動詞形と名詞形が祭司とレビ族の神殿での奉仕に関してしばしば使われている。(出 28:35。民 8:22)神殿での奉仕には,人々のための公的な奉仕という面があった。とはいえ,それは聖なるものでもあった。レビ族の祭司は神の律法を教え,民の罪を覆う犠牲を捧げたから。(代二 15:3。マラ 2:7

エホバがこのようにしてくださいました: または,「これはエホバがしてくださったことです」。ここでエリサベツは,創 21:1に記されているサラの経験を思い起こさせるような仕方で感謝を表していて,その聖句には神の名前が出ている。エリサベツは,子供がいないという恥辱が取り去られたことについて,創 30:23のラケルの言葉とよく似た表現を使っている。付録C1,C3の序文とルカ 1:25を参照。

その6カ月目に: 文脈の24節と25節から分かるように,エリサベツの妊娠6カ月目ということ。

婚約中: ヘブライ人の間で,婚約は拘束力のある取り決めだった。婚約した男女は結婚していると見なされた。とはいえ,結婚の手続きが完了するまで夫婦として一緒に暮らすことはなかった。

婚約していた: マタ 1:18の注釈を参照。

マリア: 「ミリアム」というヘブライ語の名前に相当する。ギリシャ語聖書にマリアという名前の女性は6人いる。(1)イエスの母親マリア,(2)マリア・マグダレネ(マタ 27:56。ルカ 8:2; 24:10),(3)ヤコブとヨセの母親マリア(マタ 27:56。ルカ 24:10),(4)マルタとラザロの姉妹マリア(ルカ 10:39。ヨハ 11:1),(5)ヨハネ・マルコの母親マリア(使徒 12:12),(6)ローマのマリア(ロマ 16:6)。イエスの時代,マリアはとてもよくある女性の名前だった。

エホバはあなたと共におられます: 神の名前を含むこれとよく似た言い回しがヘブライ語聖書に何度も出ている。(ルツ 2:4。サ二 7:3。代二 15:2。エレ 1:19)天使がマリアにしたあいさつは,裁 6:12でエホバの天使がギデオンに呼び掛ける時に使った,「勇士よ,エホバはあなたと共にいます」という言葉とよく似ている。付録C1,C3の序文とルカ 1:28を参照。

イエス: エシュアあるいはヨシュアというヘブライ語の名前に対応する。これらはエホシュアの短縮形で,「エホバは救い」という意味。

イエス: マタ 1:21の注釈を参照。

エホバ: この聖書翻訳のルカの福音書で,神の名前が出てくる最初の箇所。現存するギリシャ語写本はここでキュリオス(主)という語を使っているが,もともと神の名前が使われていて後代に主という称号に置き換えられたと考える十分の理由がある。(付録C1,C3の序文とルカ 1:6を参照。)ルカの記述の最初の2章には,ヘブライ語聖書の中で神の名前が出てくる表現や章句への直接的また間接的な言及がたくさんある。例えば,おきてと法的な要求という語句や同様の法律用語の組み合わせは,ヘブライ語聖書中で神の名前が使われていたりエホバが話していたりする文脈で見られる。(創 26:2,5。民 36:13。申 4:40; 27:10。エゼ 36:23,27

エホバ神: または,「彼らの神エホバ」。ゼカリヤに対する天使の言葉(13-17節)には,ヘブライ語聖書で使われている表現が色濃く反映されている。例えば,ヘブライ語聖書からの引用に,キュリオス(主)と,人称代名詞を伴うテオス(神)がよく一緒に出てくる。(マタ 22:37,マル 12:30,ルカ 10:27にある「あなたの神エホバ」という表現と比較。)ヘブライ語聖書の原文で,「彼らの神エホバ」という組み合わせは30回以上あるが,「彼らの神である主」という組み合わせは一度も使われていない。また,イスラエル人(直訳,「イスラエルの子たち」)という言い回しも,ヘブライ語聖書で何度も使われているヘブライ語の慣用句をそのまま取り入れたもの。(創 36:31,脚注)付録C3の序文とルカ 1:16を参照。

エホバ神: ルカ 1:6の注釈にある通り,ルカの記述の最初の2章には,ヘブライ語聖書の中で神の名前が出てくる章句や表現への直接的また間接的な言及がたくさんある。ダビデの王座に関する天使の言葉は,サ二 7:12,13,16の約束への間接的な言及で,そこではエホバが預言者ナタンを通してダビデに語っており,直前の文脈にテトラグラマトンが何度も出ている。(サ二 7:4-16)ギリシャ語聖書では,ここで「エホバ神」と訳されている表現とそれによく似た組み合わせはおもに,ヘブライ語聖書からの引用やヘブライ語の文体の影響を受けた箇所に出ている。ルカ 1:16の注釈,付録C3の序文とルカ 1:32を参照。

親族: ギリシャ語,シュンゲニス。この語形はギリシャ語聖書でここにしか出ていないが,別の語形(シュンゲネース)は他の幾つかの聖句で使われている。(ルカ 1:58; 21:16。使徒 10:24。ロマ 9:3)どちらの語も親族一般,同じ拡大家族や氏族の人を指す。マリアとエリサベツは親族関係にあったが,詳しいことは分からない。ゼカリヤとエリサベツはレビ族で,ヨセフとマリアはユダ族だったので,それほど近い関係ではなかったのかもしれない。

神にとっては,どんな宣言も不可能ではない: または,「神からのどんな言葉も果たされないことはない」。もしかすると,「神にとっては何事も不可能ではない」。「宣言」と訳されているギリシャ語レーマは,「言葉」,「言われたこと」,「宣言」を指せる。あるいは,出来事,述べられた行動,宣言されたことの結果など,「物事」,「語られたこと」も指せる。この箇所のギリシャ語は何通りにも訳せるが,全体的な意味は変わらない。つまり,神に関する限り,あるいは神のどんな約束に関しても,不可能はないということ。ここでの言葉遣いは,セプトゥアギンタ訳の創 18:14と似ていて,エホバはアブラハムに,高齢の妻サラがイサクを産むと保証した。

ご覧ください,私はエホバの奴隷でございます!: マリアはここで,ヘブライ語聖書に出てくるエホバの他の奉仕者が使ったのとよく似た表現を用いている。例えば,ハンナはサ一 1:11に記されている祈りの中で,「大軍を率いるエホバ,もしあなたが私[または,「あなたの奴隷」]の苦悩をご覧になり」と言っている。セプトゥアギンタ訳のサ一 1:11は,ルカの記述で使われているのと同じ「奴隷」に当たるギリシャ語を使っている。付録C3の序文とルカ 1:38を参照。

山地に……行った: ナザレにあるマリアの家からユダヤの丘陵地へのこの旅は,ゼカリヤとエリサベツの住む町がどこにあったかにもよるが,3,4日かかったかもしれない。距離は100キロ以上あったと思われる。

あなたのおなかの子: 直訳,「あなたの胎の実」。ここで「実」に当たるギリシャ語(カルポス)は,「胎」と訳される語と共に比喩的に使われ,胎児を指している。表現全体は,子供や子孫を人間の生殖の「実」つまりそれによって生み出されるものとして述べるヘブライ語の慣用句を取り入れたもの。(創 30:2。申 7:13,脚注; 28:4詩 127:3; 132:11。イザ 13:18。哀 2:20

エホバから: 天使がマリアに語ったことは,もともとエホバ神から来ていた。ここで「エホバから」と訳されているギリシャ語の表現パラ キュリウーは,神の名前が使われることの多いヘブライ語表現の訳として,セプトゥアギンタ訳の現存する写本に出てくる。(創 24:50。裁 14:4。サ一 1:20。イザ 21:10。エレ 11:1; 18:1; 21:1)付録C3の序文とルカ 1:45を参照。

エホバ: この聖書翻訳のルカの福音書で,神の名前が出てくる最初の箇所。現存するギリシャ語写本はここでキュリオス(主)という語を使っているが,もともと神の名前が使われていて後代に主という称号に置き換えられたと考える十分の理由がある。(付録C1,C3の序文とルカ 1:6を参照。)ルカの記述の最初の2章には,ヘブライ語聖書の中で神の名前が出てくる表現や章句への直接的また間接的な言及がたくさんある。例えば,おきてと法的な要求という語句や同様の法律用語の組み合わせは,ヘブライ語聖書中で神の名前が使われていたりエホバが話していたりする文脈で見られる。(創 26:2,5。民 36:13。申 4:40; 27:10。エゼ 36:23,27

エホバがこのようにしてくださいました: または,「これはエホバがしてくださったことです」。ここでエリサベツは,創 21:1に記されているサラの経験を思い起こさせるような仕方で感謝を表していて,その聖句には神の名前が出ている。エリサベツは,子供がいないという恥辱が取り去られたことについて,創 30:23のラケルの言葉とよく似た表現を使っている。付録C1,C3の序文とルカ 1:25を参照。

ご覧ください,私はエホバの奴隷でございます!: マリアはここで,ヘブライ語聖書に出てくるエホバの他の奉仕者が使ったのとよく似た表現を用いている。例えば,ハンナはサ一 1:11に記されている祈りの中で,「大軍を率いるエホバ,もしあなたが私[または,「あなたの奴隷」]の苦悩をご覧になり」と言っている。セプトゥアギンタ訳のサ一 1:11は,ルカの記述で使われているのと同じ「奴隷」に当たるギリシャ語を使っている。付録C3の序文とルカ 1:38を参照。

マリアはこう言った: 後に続く46-55節にあるマリアの賛美の言葉には,ヘブライ語聖書への直接的また間接的な言及が20以上も含まれている。マリアは,サムエルの母親ハンナの祈りの言葉とよく似た表現をいくつも使っている。ハンナも出産に関してエホバから祝福を受けた。(サ一 2:1-10)直接的また間接的な言及の他の例として,詩 35:9,ハバ 3:18,イザ 61:1047節),創 30:13,マラ 3:1248節),申 10:21,詩 111:949節),ヨブ 12:1952節),詩 107:953節),イザ 41:8,9,詩 98:354節),ミカ 7:20,イザ 41:8,サ二 22:5155節)がある。マリアの言葉には,神への愛と聖書の知識がよく表れている。マリアの感謝の気持ちもにじみ出ている。エホバが権力を持つ傲慢な人を卑しめ,ご自分に仕えようとする身分の低い貧しい人たちを助ける,と述べていることから,信仰の深さも分かる。

私: または,「私の全存在」。ギリシャ語プシュケーは,ここで人の存在全体を指す。この文脈では,「私」と訳せる。用語集の「プシュケー」参照。

私はエホバをあがめ: または,「エホバの偉大さを賛美し(告げ)」。マリアは,詩 34:369:30など,ヘブライ語聖書にあるのとよく似た言い回しを使っている。これらの聖句では,同じ節や文脈で神の名前が使われている。(詩 69:31)セプトゥアギンタ訳では「あがめる」に当たるギリシャ語メガリュノーが使われている。この節のマリアはこう言ったに関する注釈,ルカ 1:6,25,38の注釈,付録C3の序文とルカ 1:46を参照。

エリサベツがエホバから大きな憐れみを示されたこと: この表現は,創 19:18-20など,ヘブライ語聖書の言い回しの影響を受けている。そこでロトはエホバに呼び掛け,「エホバ,……あなたは……大きな親切を示して」と述べている。付録C3の序文とルカ 1:58を参照。

エホバ: この聖書翻訳のルカの福音書で,神の名前が出てくる最初の箇所。現存するギリシャ語写本はここでキュリオス(主)という語を使っているが,もともと神の名前が使われていて後代に主という称号に置き換えられたと考える十分の理由がある。(付録C1,C3の序文とルカ 1:6を参照。)ルカの記述の最初の2章には,ヘブライ語聖書の中で神の名前が出てくる表現や章句への直接的また間接的な言及がたくさんある。例えば,おきてと法的な要求という語句や同様の法律用語の組み合わせは,ヘブライ語聖書中で神の名前が使われていたりエホバが話していたりする文脈で見られる。(創 26:2,5。民 36:13。申 4:40; 27:10。エゼ 36:23,27

エホバの聖なる所: ルカ 1:6の注釈にある通り,ルカの記述の最初の2章には,ヘブライ語聖書の中で神の名前が出てくる章句や表現への直接的また間接的な言及がたくさんある。例えば,「エホバの聖なる所[または,「神殿」]」という言い回しに対応する表現では,テトラグラマトンがしばしば使われている。(民 19:20。王二 18:16; 23:4; 24:13。代二 26:16; 27:2。エレ 24:1。エゼ 8:16。ハガ 2:15)付録C1で説明されている通り,もともと神の名前が使われていて後代に主という称号に置き換えられたと考える十分の理由がある。そのため,ここの本文でエホバという名前を使っている。付録C3の序文とルカ 1:9を参照。

エホバ: または,「エホバの手」。「手」という語はしばしば「力」を指して比喩的に使われる。「手」に当たるヘブライ語とテトラグラマトンを組み合わせた「エホバの手」という表現がヘブライ語聖書に何度も出てくる。(出 9:3。民 11:23。裁 2:15。ルツ 1:13。サ一 5:6,9; 7:13; 12:15。王一 18:46。エズ 7:6。ヨブ 12:9。イザ 19:16; 40:2。エゼ 1:3)「エホバの手」と訳されるギリシャ語表現は使徒 11:21; 13:11に出ている。ルカ 1:6,9の注釈,付録C3の序文とルカ 1:66を参照。

エホバが賛美されますように: または,「エホバが褒めたたえられますように」。この賛美の表現はヘブライ語聖書によくあり,神の名前と一緒に使われることが多い。(サ一 25:32。王一 1:48; 8:15。詩 41:13; 72:18; 106:48)付録C3の序文とルカ 1:68を参照。

救いの角: または,「強力な救い主」。聖書で,動物の角はしばしば,力,征服,勝利を表す。(サ一 2:1。詩 75:4,5,10,脚注)また,支配者や支配王朝が,正しいものも邪悪なものも,角によって象徴される。征服を遂げることが角で押すことに例えられた。(申 33:17。ダニ 7:24; 8:2-10,20-24)この文脈で,「救いの角」という表現は,救う力を持つ者,力強い救い主としてのメシアを指す。用語集の「」参照。

神聖な奉仕を行える: または,「崇拝できる」。ギリシャ語動詞ラトレウオーは基本的に,仕えることを意味する。聖書中の用法では,神に奉仕することや神への崇拝に関して奉仕すること(マタ 4:10。ルカ 2:37; 4:8。使徒 7:7。ロマ 1:9。フィリ 3:3。テモ二 1:3。ヘブ 9:14; 12:28。啓 7:15; 22:3),あるいは聖なる所や神殿で奉仕すること(ヘブ 8:5; 9:9; 10:2; 13:10)を指す。それで,文脈によっては「崇拝する」とも訳せる。例は少ないが,偽りの崇拝,創造された物への奉仕や崇拝に関しても使われている。(使徒 7:42。ロマ 1:25

エホバ: この聖書翻訳のルカの福音書で,神の名前が出てくる最初の箇所。現存するギリシャ語写本はここでキュリオス(主)という語を使っているが,もともと神の名前が使われていて後代に主という称号に置き換えられたと考える十分の理由がある。(付録C1,C3の序文とルカ 1:6を参照。)ルカの記述の最初の2章には,ヘブライ語聖書の中で神の名前が出てくる表現や章句への直接的また間接的な言及がたくさんある。例えば,おきてと法的な要求という語句や同様の法律用語の組み合わせは,ヘブライ語聖書中で神の名前が使われていたりエホバが話していたりする文脈で見られる。(創 26:2,5。民 36:13。申 4:40; 27:10。エゼ 36:23,27

エホバ神: または,「彼らの神エホバ」。ゼカリヤに対する天使の言葉(13-17節)には,ヘブライ語聖書で使われている表現が色濃く反映されている。例えば,ヘブライ語聖書からの引用に,キュリオス(主)と,人称代名詞を伴うテオス(神)がよく一緒に出てくる。(マタ 22:37,マル 12:30,ルカ 10:27にある「あなたの神エホバ」という表現と比較。)ヘブライ語聖書の原文で,「彼らの神エホバ」という組み合わせは30回以上あるが,「彼らの神である主」という組み合わせは一度も使われていない。また,イスラエル人(直訳,「イスラエルの子たち」)という言い回しも,ヘブライ語聖書で何度も使われているヘブライ語の慣用句をそのまま取り入れたもの。(創 36:31,脚注)付録C3の序文とルカ 1:16を参照。

準備ができた民をエホバのために整えます: ゼカリヤに対する天使の言葉(13-17節)には,神の名前が使われているマラ 3:1; 4:5,6イザ 40:3などの聖句への言及と思われる箇所がある。(ルカ 1:15,16の注釈を参照。)民を……整えますに当たるギリシャ語のフレーズと似た表現がセプトゥアギンタ訳のサ二 7:24にあり,そこのヘブライ語は,「あなたはイスラエルの民が……ご自分の民となるようにしました。エホバ」となっている。付録C3の序文とルカ 1:17を参照。

エホバ: ここで引用されているイザ 40:3では,元のヘブライ語本文に,ヘブライ語の4つの子音字(YHWHと翻字される)で表される神の名前が出ている。(付録C参照。)ルカはこの預言をバプテストのヨハネに当てはめている。ヨハネは,天の父の代理として父の名によって来るイエスの前を行くという意味で,エホバの道を整えることになっていた。(ヨハ 5:43; 8:29)使徒ヨハネの福音書では,バプテストのヨハネがこの預言を自分自身に当てはめている。(ヨハ 1:23

エホバ: この節の後半にあるゼカリヤの預言の言い回しは,イザ 40:3マラ 3:1から来ている。そこでは元のヘブライ語本文に,ヘブライ語の4つの子音字(YHWHと翻字される)で表される神の名前が出ている。ルカ 1:6,16,17; 3:4の注釈,付録C3の序文とルカ 1:76を参照。

エホバの前を行く: バプテストのヨハネは,天の父の代理として父の名によって来るイエスの前を行くという意味で,「エホバの前を行く」ことになっていた。(ヨハ 5:43; 8:29)この節のエホバに関する注釈を参照。

その頃: ルカ 3:1-3によれば,バプテスマを施す人ヨハネは「ティベリウス・カエサルの治世の第15年」,西暦29年の春に宣教を開始した。(ルカ 3:1の注釈を参照。)約6か月後,西暦29年の秋にイエスはヨハネの所に来てバプテスマを受けた。付録A7参照。

ティベリウス……の治世の第15年: カエサル・アウグスツスは西暦14年8月17日(グレゴリオ暦)に死んだ。9月15日,ティベリウスはローマ元老院が自分を皇帝と宣言することを許諾した。ティベリウスの治世の第15年は,アウグスツスの死から数えるなら,西暦28年8月から29年8月までになる。正式に皇帝と宣言された時から数えるなら,西暦28年9月から29年9月までになる。ヨハネは西暦29年の春(北半球)に宣教を開始したと思われる。それはティベリウスの治世の第15年中のことである。ティベリウスの治世の第15年に,ヨハネはおよそ30歳だっただろう。それはレビ族の祭司が神殿で奉仕を開始する年齢。(民 4:2,3ルカ 3:21-23によれば,イエスも,ヨハネによってバプテスマを受けて「活動を開始した」時,「およそ30歳」だった。イエスは春のニサンの月に死んだので,3年半の宣教は,エタニムの月(9月から10月)の頃に始まったと考えられる。ヨハネは恐らくイエスより6カ月年上で,イエスより6カ月早く宣教を開始したと思われる。(ルカ 1章)それで,ヨハネは西暦29年の春に宣教を開始したと結論できる。ルカ 3:23の注釈を参照。

活動を開始した: または,「宣教を開始した」,「教え始めた」。直訳,「開始した」,「始めた」。ルカはここと同じギリシャ語の表現を使徒 1:21,2210:37,38で,イエスの地上での宣教に関して使っている。イエスの宣教には,伝道し,教え,人々を弟子とすることが含まれていた。

イスラエルの民の前に現れる日: 西暦29年の春,バプテストのヨハネが宣教を開始した時を指す。マル 1:9; ルカ 3:1,23の注釈を参照。

メディア

ルカによる福音書の紹介動画
ルカによる福音書の紹介動画
ルカの福音書 主な出来事
ルカの福音書 主な出来事

可能な範囲で出来事の起きた順に挙げている。

各福音書の地図は異なるストーリーを追っている。

1. 天使ガブリエルが神殿でゼカリヤの前に現れ,バプテストのヨハネの誕生を予告する。(ルカ 1:8,11-13

2. イエスの誕生後,天使たちがベツレヘム近くの野原で羊飼いたちの前に現れる。(ルカ 2:8-11

3. 12歳のイエスは神殿で教師たちと話す。(ルカ 2:41-43,46,47

4. 悪魔がイエスを「神殿の最も高い所に」立たせ,誘惑する。(マタ 4:5-7ルカ 4:9,12,13

5. イエスはナザレの会堂でイザヤの巻物を朗読する。(ルカ 4:16-19

6. イエスは育った町で受け入れられない。(ルカ 4:28-30

7. イエスは,恐らくカペルナウムから,ナインに移動する。(ルカ 7:1,11

8. イエスはナインでやもめの一人息子を復活させる。(ルカ 7:12-15

9. イエスは2回目のガリラヤ伝道旅行を行う。(ルカ 8:1-3

10. イエスは,恐らくカペルナウムで,ヤイロの娘を復活させる。(マタ 9:23-25。マル 5:38,41,42。ルカ 8:49,50,54,55

11. サマリアを通ってエルサレムに行く途中,イエスは「人の子には自分の家がありません」と言う。(ルカ 9:57,58

12. イエスは,恐らくユダヤで,70人を遣わす。(ルカ 10:1,2

13. エリコへの道を下る親切なサマリア人の例えの舞台。(ルカ 10:30,33,34,36,37

14. イエスはペレアの町や村で教え,エルサレムに向かう。(ルカ 13:22

15. イエスはサマリアとガリラヤの間を通る際,重い皮膚病の人10人を癒やす。(ルカ 17:11-14

16. イエスはエリコで徴税人ザアカイの家に行く。(ルカ 19:2-5

17. イエスはゲッセマネの庭園で祈る。(マタ 26:36,39。マル 14:32,35,36。ルカ 22:40-43

18. ペテロはカヤファの家の中庭でイエスとの関係を3度否定する。(マタ 26:69-75。マル 14:66-72。ルカ 22:55-62。ヨハ 18:25-27

19. イエスは,どくろと呼ばれる所(ゴルゴタ)で犯罪者に,「あなたは私と共にパラダイスにいることになります」と言う。(ルカ 23:33,42,43

20. イエスはエマオへの道で2人の弟子の前に現れる。(ルカ 24:13,15,16,30-32

21. イエスは弟子たちをベタニヤまで連れていき,近くのオリーブ山から天に昇る。(ルカ 24:50,51

ヘロデの神殿の入り口に近づく
ヘロデの神殿の入り口に近づく

この動画に描かれているような様子を,ゼカリヤは神殿の入り口に近づく時に見たかもしれない。ある資料によれば,ヘロデが建てた神殿は15階建ての高さだった。入り口のある正面の壁は金で覆われていたと思われる。入り口は東向きで,朝日が当たるとまばゆいほどに輝いただろう。

(1)女性の庭

(2)全焼の捧げ物の祭壇

(3)聖所の入り口

(4)鋳物の「海」

ヘブライ語のテトラグラマトンを含むシュンマコスのギリシャ語訳
ヘブライ語のテトラグラマトンを含むシュンマコスのギリシャ語訳

ここに示されているのは,シュンマコスのギリシャ語訳の西暦3世紀か4世紀の羊皮紙断片で,詩 69:30,31詩 68:31,32,セプトゥアギンタ訳)が出ている。シュンマコスは2世紀に翻訳を行った。この断片は,P. Vindobonensis Greek 39777として知られ,ウィーンにあるオーストリア国立図書館に所蔵されている。ここに示されている部分には,ギリシャ語本文中に古代のヘブライ文字で書かれた神の名前が2回(と)出ている。ルカ 1:46のマリアの言葉は,詩 69:30,31と同じ考えを言い表していると思われる。そこには元のヘブライ語本文でも神の名前が出ている。マリアの賛美の表現にヘブライ語聖書の背景があることと,このギリシャ語訳にテトラグラマトンが使われていることは,ルカ 1:46の本文に神の名前を使う裏付けとなっている。ルカ 1:46の注釈と付録Cを参照。

書き板
書き板

ゼカリヤがヘブライ語で「名前はヨハネ」と書いた時,ここに示されているような木製の書き板を使ったかもしれない。このような書き板は古代中東で幾世紀も使われていた。書き板のへこんだ部分にろうが薄く塗られた。その軟らかい表面に,鉄や青銅や象牙で作った筆記具で文字を書いた。典型的な筆記具は一方の端がとがっていて,もう一方はのみのように平たくなっていた。平たい方を使って,書いたものを消してろうを平らにした。複数の書き板が短い革ひもでつながれることもあった。実業家,学者,学生,徴税人などが一時的な記録を取る必要がある時に書き板を使った。ここにある写真の書き板は西暦2世紀か3世紀のもので,エジプトで発見された。