ヨハネ​に​よる​福音​書 19:1-42

19  それからピラトはイエスを連れていき,むち打った+  兵士たちはいばらで冠を編んでイエスにかぶらせ,紫の長い衣を着せた+  そして近寄っていっては,「ごあいさつ申し上げます,ユダヤ人の王よ!」と言った。また,顔を平手打ちするのだった+  ピラトはまた外へ行って,ユダヤ人たちに言った。「さあ,彼をあなた方の前に連れ出す。何の過失も見つけられないのだ+」。  イエスは,いばらの冠と紫の長い衣を身に着けて外に出てきた。ピラトはユダヤ人たちに言った。「見なさい,この人だ!」  しかし,祭司長や下役たちはイエスを見ると,「杭に掛けろ*! 杭に掛けろ+!」と叫んだ。ピラトは言った。「自分たちで連れていって杭に掛けなさい。私は彼に何の過失も見つけられない+」。  ユダヤ人たちは答えた。「私たちには律法があり,その律法によれば,彼は死に値します+。自分を神の子としたからです+」。  ピラトはそれを聞いて,ますます恐ろしくなった。  そして,また総督の邸宅に入り,イエスに言った。「あなたはどこから来たのか」。しかしイエスは何も答えなかった+ 10  それでピラトは言った。「黙っているつもりか。あなたを釈放する権限も処刑*する権限も私にあることを知らないのか」。 11  イエスは答えた。「天から与えられていなかったなら,あなたは私に対して何の権限もないでしょう+。それで,私をあなたに引き渡した人の罪はもっと重いのです」。 12  そのため,ピラトはイエスを何とか釈放しようとしたが,ユダヤ人たちはこう叫んだ。「この男を釈放するなら,あなたはカエサルの友ではありません。自分を王とする者は皆,カエサルに逆らっているのです+」。 13  ピラトはこうした言葉を聞いてから,イエスを連れ出し,石畳,ヘブライ語ではガバタと呼ばれる場所にある裁きの座に座った。 14  それは過ぎ越しの準備の日+で,昼の12時ごろだった。ピラトはユダヤ人たちに言った。「見なさい,あなた方の王だ!」 15  しかし彼らは,「殺せ! 殺せ! 杭に掛けろ!」と叫んだ。ピラトは言った。「あなた方の王を私が処刑するのか」。祭司長たちは,「私たちにはカエサルのほかに王はいません」と答えた。 16  それで,ピラトはイエスを杭に掛けて処刑するために引き渡した+ 兵士たちはイエスを連れていった。 17  イエスは自分で苦しみの杭を担いで,どくろの場所といわれる所へ出ていった+。そこはヘブライ語でゴルゴタと呼ばれている+ 18  兵士たちはそこでイエスを杭にくぎ付けにした+。ほかに2人の男をイエスの両側に1人ずつくぎ付けにした+ 19  またピラトは罪名を書いて,苦しみの杭に掲げた。それには,「ナザレ人イエス,ユダヤ人の王」と書かれていた+ 20  大勢のユダヤ人がこれを読んだ。イエスがくぎ付けにされた場所は都に近かったからである。それはヘブライ語,ラテン語,ギリシャ語で書かれていた。 21  しかし,ユダヤ人の祭司長たちはピラトに言った。「『ユダヤ人の王』とではなく,『自称ユダヤ人の王』と書いてください」。 22  ピラトは答えた。「私が書いたことだ」。 23  兵士たちはイエスを杭にくぎ付けにしてから,イエスの外衣を取って4つに分け,1人1つずつ手に入れた。内衣も取ったが,それは縫い目がなく,上から下まで織ったものだった。 24  そこで彼らは互いに言った。「これは裂かないで,誰のものにするかをくじで決めよう+」。これは次の聖句が実現するためだった。「彼らは私の服を分け合い,私の衣服のためにくじを引いた+」。兵士たちはこの通りにしたのである。 25  ところで,イエスの苦しみの杭のそばには,イエスの母親+と母親の姉妹,クロパの妻マリアとマリア・マグダレネが立っていた+ 26  イエスは,自分の母親と,愛する弟子+がそばに立っているのを見て,母親に言った。「見なさい*,あなたの子です!」 27  次に,その弟子に言った。「見なさい,あなたの母親です!」 その時から,その弟子はイエスの母親を自宅に引き取った。 28  この後,イエスは,それまでに全てのことが成し遂げられたのを知って,聖句が実現するために,「喉が渇いた+」と言った。 29  そこには,酸味の強いぶどう酒がいっぱい入ったつぼが置いてあった。それで人々は,そのぶどう酒を海綿に十分含ませてヒソプの茎に付け,イエスの口元に持っていった+ 30  イエスはそのぶどう酒を口にしてから,「成し遂げられた+!」と言い,頭を垂れて息を引き取った+ 31  それは準備の日+だったので,安息日に死体が苦しみの杭に残ったままにならないように+(その安息日は大安息日だった+),ユダヤ人たちは,脚を折って死体を下ろしてくれるようピラトに頼んだ。 32  それで兵士たちが来て,イエスの両脇で杭に掛けられた2人の男の両脚を折った。 33  しかし,イエスの所に来てみると,すでに死んでいたので,脚を折らなかった。 34  けれども,兵士の1人が脇腹をやりで突き刺した+。すると,すぐに血と水が出た。 35  目撃した人がこう証言しているのであり,その証言は真実である。その人は,自分が言うことが真実だと知っていて,あなた方も信じるために,語った+ 36  事実,これらのことは,「その骨は一つも折られない+」という聖句が実現するために起きた。 37  また別の聖句に,「彼らは自分たちが刺し通した人を見つめる+」とある。 38  こうしたことの後,アリマタヤのヨセフがピラトに,イエスの体を下ろさせてほしいと頼んだ。ユダヤ人たちを恐れてひそかにイエスの弟子となっていた男性である+。この男性はピラトの許可を得ると,行ってイエスの体を下ろした+ 39  以前,夜にイエスの所に来たニコデモ+も,没薬と沈香を混ぜ合わせたものを30キロほど持ってやって来た+ 40  こうして彼らはイエスの体を受け取り,葬る際のユダヤ人の習慣通り,香料と一緒に亜麻布に包んだ+ 41  ところで,イエスが処刑された場所には庭園があり,そこに,まだ誰も葬られたことがない新しい墓+があった。 42  ユダヤ人の準備の日+で,その墓が近かったので,そこにイエスを葬った。

脚注

または,「杭に掛けて処刑しろ」。
または,「杭に掛けて処刑」。
直訳,「女性よ,見なさい」。

注釈

むち打った: 普通,杭に掛けて処刑する前にむち打ちを行った。イエスの処刑とバラバの釈放を求めるユダヤ人の執拗な叫びに屈したピラトはイエスを連れていき,「むち打った」。(マタ 20:19; 27:26)むち打ち用の最も恐ろしい道具はフラゲッルムとして知られていた。それは柄に何本かの綱か革ひもが付いていた。ひもの部分にぎざぎざの骨片や金属片が重りとして付けられ,打たれた時の痛みが増すようにしてあったと思われる。

冠: イエスは王としての立場をあざけられ,紫の衣(この節の前半)と共に,いばらの冠,そしてマタ 27:29にあるように「アシ」の王笏を与えられた。

紫の衣をまとわせ: これは,イエスをあざけり,王としての立場を笑いものにするために行われた。マタイの記述(27:28)は,兵士たちがイエスに「緋色の衣」をまとわせたと述べている。それは王や執政官や士官が身に着けるようなものだった。マルコとヨハネ(19:2)の記述は,紫の衣と言っているが,古代において,「紫」は赤と青が合わさったどんな色も指した。また見る角度,光の具合,背景によって,どんな色に見えるかに違いが出ただろう。色の描写に相違があることから,福音書筆者が他の筆者の記述を単に書き写したのでないことが分かる。

冠: マル 15:17の注釈を参照。

紫の長い衣を着せた: マル 15:17の注釈を参照。

ごあいさつ申し上げます: または,「万歳」。直訳,「喜べ」。兵士たちは,カエサルに敬礼するかのようにイエスに敬礼した。王であるという主張を冷やかしていたのだと思われる。

ごあいさつ申し上げます: マタ 27:29の注釈を参照。

見なさい,この人だ!: イエスは痛めつけられ,傷だらけになっても,ピラトが認めるほどの静かな威厳と穏やかさを保っていた。ピラトの言葉には敬意と哀れに思う気持ちが混じり合っていたようだ。ピラトの言葉はウルガタ訳でエッケ ホモとなっていて,多くの芸術家がそれを題材としてきた。ヘブライ語聖書に通じた人はピラトの言葉を聞いて,ゼカ 6:12にあるメシアに関する預言の言葉を思い出したかもしれない。そこには,「『芽』という名の者がいる[または,「の人を見なさい」]」と記されている。

私たちには律法があり: 政治的な罪での訴えがうまくいかなかったのを見たユダヤ人は,自分たちの本当の動機をあらわにして,イエスを冒とくという宗教的な罪で訴えた。これは数時間前にサンヘドリンで持ち出したのと同じ罪状だったが,ピラトにとっては考慮すべき新たな訴えだった。

再び生まれ: イエスはニコデモに,人が神の王国を見るにはもう一度生まれなければならないことを明らかにしている。4節の反応から分かるように,ニコデモはイエスの言葉を文字通り人間としてもう一度生まれてくるという意味に理解した。それに対してイエスは,この2度目の誕生は「聖なる力によって生まれ」ることであると述べた。(ヨハ 3:5)「神の子供となる」人たちが「誕生したのは,血筋によるのでも親の意志によるのでもなく,神による」。(ヨハ 1:12,13ペ一 1:3,23で,ペテロは同様の意味の聖書的な表現を使い,天に行くよう選ばれたクリスチャンは「新たに誕生」すると言っている。ほとんどの聖書は「再び生まれる」,「新たに生まれる」という表現を使っているが,「上から生まれる」という表現を使っている聖書もある。ギリシャ語アノーテンは普通「上から」(「天から」)という意味なので,そのように訳すことも可能。(ヨハ 3:31; 19:11。ヤコ 1:17; 3:15,17)どちらの訳し方も,王国に入る人たちは「神から」つまり上からの新たな誕生を経験するという考えと合っている。(ヨ一 3:9)とはいえ,ニコデモの反応を考えて,ここの文脈でこのギリシャ語は「再び」,「改めて」という意味にも理解されてきた。

天から: または,「上から」。ギリシャ語アノーテンは,こことヤコ 1:17; 3:15,17で,「天から」と訳されている。同じ語がヨハ 3:3,7で使われていて,そこでは「再び(改めて)」とも「上から」とも訳せる。ヨハ 3:3の注釈を参照。

人: イエスは,ユダ・イスカリオテなどの特定の人ではなく,自分を殺す罪に関わった全ての人を念頭に置いていたようだ。その中には,ユダ,「祭司長たちとサンヘドリン全体」,さらには説き伏せられてバラバの釈放を求めた「群衆」が含まれていた。(マタ 26:59-65; 27:1,2,20-22。ヨハ 18:30,35

カエサル: または,「皇帝」。イエスの地上での宣教期間中のローマ皇帝はティベリウスだったが,この語は在位中の皇帝だけを指すのではない。「カエサル」は,ローマの政府や国家,正当に任命されたその代表者を指すこともあった。その人たちをパウロは「上位の権威」と呼び,ペテロは「王」や「総督」と呼んでいる。(ロマ 13:1-7。ペ一 2:13-17。テト 3:1用語集参照。

カエサルの友: これはローマ帝国の属州総督によく授けられた名誉ある称号だった。この文脈では,ユダヤ人の指導者たちはそれを一般的な意味で使っていて,ピラトは大逆罪を容赦していると訴えられる状況にいる,ということを示していたと思われる。当時のカエサルはティベリウスで,この皇帝は,忠誠を示していないと見なした者を高位の役人であっても処刑することで知られていた。例えば,ルキウス・アエリウス・セヤヌスは親衛隊の司令官で,「カエサルの友」と公式に呼ばれていた。ティベリウスに次ぐ第2の地位にあるとも見なされた。ピラトは,大きな影響力を持っていたセヤヌスにひいきにされていた。セヤヌスは権力のあるうちはピラトの後ろ盾となっていた。しかし西暦31年,ティベリウスはセヤヌスに背を向けて,扇動罪で訴え,彼とその多くの支持者たちの処刑を命じた。これが起きたのは,イエスがピラトの前に立つ少し前のことだった。それでサドカイ派が皇帝に告発したら,ピラトの命は危うかった。ピラトは「カエサルの友では」ないという訴えになったから。ピラトは既にユダヤ人たちをいら立たせていたので,これ以上摩擦を生じさせたくはなかった。忠誠を示していないと訴えられることは避けたかった。それでピラトは,嫉妬深い皇帝への恐れに負けて,イエスは無実だと分かっていながら死刑を宣告したようだ。

カエサル: マタ 22:17の注釈を参照。

ヘブライ語: ギリシャ語聖書で,聖書筆者は「ヘブライ語」という語を,ユダヤ人が話した言語(ヨハ 19:13,17,20。使徒 21:40; 22:2。啓 9:11; 16:16)や,復活して栄光を受けたイエスがタルソスのサウロに話し掛けた言語を指して使った。(使徒 26:14,15使徒 6:1では,「ヘブライ語を話すユダヤ人」と「ギリシャ語を話すユダヤ人」は区別されている。それらの箇所の「ヘブライ語」という語は「アラム語」と訳すべきだと考える学者もいるが,その語が実際にヘブライ語を指して使われていると考えるべき十分の理由がある。医者ルカが,パウロはエルサレムの人々に「ヘブライ語で」話したと述べた時,パウロは,ヘブライ語で書かれたモーセの律法を学ぶことが生活の中心になっていた人たちに話し掛けていた。死海文書を構成する大量の断片や写本のうち,聖書関係のものも聖書とは無関係のものも,ほとんどがヘブライ語で書かれていて,ヘブライ語が日常的に使われていたことを示している。アラム語の断片も数は少ないが見つかっていて,両方の言語が使われていたことも分かる。それで,聖書筆者が「ヘブライ語」という語を使っている時,実際にはアラム語やシリア語を指していたとは考えにくい。(使徒 21:40; 22:2。使徒 26:14と比較。)ヘブライ語聖書では,以前から「アラム語」と「ユダヤ人の言語」が区別されていて(王二 18:26),1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスは聖書のその記述を考慮し,「アラム語」と「ヘブライ語」を別個の言語と述べている。(「ユダヤ古代誌」,X,8 [i,2])アラム語とヘブライ語にはよく似た言葉があり,アラム語からヘブライ語に取り入れられた言葉もあっただろう。とはいえ,ギリシャ語聖書の筆者たちがアラム語のことをヘブライ語と言う理由は一つもないと思われる。

裁きの座: たいてい屋外にあった壇。役人はそこに座り,集まった人々に話をしたり判決を告げたりした。

石畳: この場所は,ヘブライ語ではガバタと呼ばれた。この語は,由来ははっきりしないが,「丘」,「高い所」,「広々とした所」という意味かもしれない。ギリシャ語名リトストロートン(石畳)は,普通の石畳か装飾のある石畳を指すのかもしれない。モザイク模様のものだったと考える学者もいる。この場所はヘロデ大王の宮殿の前の広場だったかもしれないが,ほかの場所だという見方をする学者もいる。この石畳の正確な場所は分からない。

ヘブライ語: ヨハ 5:2の注釈を参照。

裁きの座: マタ 27:19の注釈を参照。

準備の日: マルコは,おもにユダヤ人ではない読者を念頭に置いて書いていると思われ,これが安息日の前日であることを明らかにしている。他の福音書には見られない説明。(マタ 27:62。ルカ 23:54。ヨハ 19:31)この日にユダヤ人は,食事を余分に準備したり安息日後まで待てない仕事を終わらせたりして安息日に備えた。この場合,ニサン14日が準備の日だった。用語集参照。

その安息日は大安息日だった: 過ぎ越しの翌日,ニサン15日は,週のどの日でも常に安息日だった。(レビ 23:5-7)この特別な安息日は通常の安息日(ユダヤ暦の週の第7日,つまり金曜日の日没から土曜日の日没まで)と重なると「大安息日」になった。イエスが死んだ金曜日の翌日はそのような安息日だった。西暦31年から33年のうち,ニサン14日が金曜日になるのは西暦33年だけだった。それで,イエスは西暦33年のニサン14日に亡くなったと結論できる。

午前9時: この記述とヨハ 19:14-16は食い違っているのではないかと指摘する人もいる。ヨハネは,ピラトがイエスを処刑するために引き渡したのが「昼の12時ごろだった」と記している。聖書にこの相違点のはっきりした説明があるわけではないが,次のような点を考慮できる。福音書の記述で,イエスの地上における最後の日の出来事について,時間的要素はおおむね調和している。4福音書は全て,夜が明けてから祭司たちと長老たちが集まり,イエスをローマ総督ポンテオ・ピラトのもとに連れていかせたことを示している。(マタ 27:1,2。マル 15:1。ルカ 22:66-23:1。ヨハ 18:28)マタイ,マルコ,ルカはいずれも,イエスが杭に掛けられた後,闇が全土に垂れ込めて「昼の12時から……午後3時にまで及んだ」ことを伝えている。(マタ 27:45,46。マル 15:33,34。ルカ 23:44)イエスが処刑された時刻に関係すると思われる1つの要素は,むち打ちが処刑の過程の一部とも見なされたことである。ひどくむち打たれた人が死亡することもあった。イエスのむち打ちも厳しいものだった。そのため,最初は自分で苦しみの杭を運んでいたが,途中から別の男性が運ばなければならなかった。(ルカ 23:26。ヨハ 19:17)むち打ちを処刑の流れの始まりと見れば,イエスが実際に苦しみの杭にくぎ付けにされるまでに幾らかの時間が経過していたはずである。マタ 27:26マル 15:15は,むち打ちと杭での処刑をまとめて記録している。従って,処刑の時刻に関する記述に違いがあるのは,どの時点を処刑の始まりとしているかが人によって異なるからかもしれない。このように記述を照らし合わせると,イエスが杭にくぎ付けにされてそんなに早く死亡したのかとピラトが驚いたのも理解できる。(マル 15:44)加えて,聖書筆者たちはしばしば,日中と夜間をそれぞれ3時間ごとに4つに分ける習慣に沿って書いている。こうした日中の分け方があったため,午前6時ごろの日の出から数えた,午前9時,昼の12時,午後3時などの表現が多い。(マタ 20:1-5。ヨハ 4:6。使徒 2:15; 3:1; 10:3,9,30)さらに,当時の多くの人は正確な時計を持っていなかったので,ヨハ 19:14にあるように,時刻はしばしば,何時「ごろ」と言い表された。(マタ 27:46。ルカ 23:44。ヨハ 4:6。使徒 10:3,9)要約すると,ヨハネは杭にくぎ付けにされることだけに言及しているのに対し,マルコはむち打ちと杭にくぎ付けにされることの両方を含めているのかもしれない。さらに,両者とも大まかに,日中の4分割のうち一番近い時刻を選んで記述したと思われる。ヨハネの場合は何時「ごろ」という表現を使っている。こうした点は,異なる時刻が記されていることの説明となるかもしれない。数十年後に書いたヨハネが,マルコの記述にある時刻と一見異なる時刻を記したということは,ヨハネがマルコの記述をそのまま書き写したのではないことを示している。

準備の日: 週ごとの安息日の前日の名称。この日にユダヤ人は安息日の準備をした。(マル 15:42の注釈を参照。)ヨハネの福音書では,過ぎ越しのという言葉が付いている。この文脈で述べられている時間帯は,イエスが裁判にかけられて死んだ日,ニサン14日の午前。過ぎ越しは前の晩に始まり,他の福音書の記述が示しているように,イエスと使徒たちはその晩に過ぎ越しの食事を終えていた。(マタ 26:18-20。マル 14:14-17。ルカ 22:15)キリストはニサン14日に過ぎ越しを祝うようにとの要求も含め,律法の規定を完全に守った。(出 12:6。レビ 23:5)西暦33年のこの日は,その翌日に始まる7日間の無酵母パンの祭りのための準備の日という意味で,過ぎ越し準備の日と見ることができる。これらの日は日にちが近かったので,祭り全体を「過ぎ越し」と呼ぶこともあった。(ルカ 22:1)ニサン14日の翌日は週のどの日でも常に安息日だった。(レビ 23:5-7)西暦33年は,ニサン15日が通常の安息日だったので,その日は「大安息日」,2重の安息日だった。ヨハ 19:31の注釈を参照。

昼の12時ごろ: この記述とイエスが「午前9時」に杭にくぎ付けにされたと述べるマルコの記述が食い違っているように見える点については,マル 15:25の注釈を参照。

苦しみの杭: または,「処刑用の杭」。用語集の「」,「苦しみの杭」参照。マタ 10:3816:24の注釈も参照。そこでは,この語が比喩的に使われている。

ヘブライ語: ギリシャ語聖書で,聖書筆者は「ヘブライ語」という語を,ユダヤ人が話した言語(ヨハ 19:13,17,20。使徒 21:40; 22:2。啓 9:11; 16:16)や,復活して栄光を受けたイエスがタルソスのサウロに話し掛けた言語を指して使った。(使徒 26:14,15使徒 6:1では,「ヘブライ語を話すユダヤ人」と「ギリシャ語を話すユダヤ人」は区別されている。それらの箇所の「ヘブライ語」という語は「アラム語」と訳すべきだと考える学者もいるが,その語が実際にヘブライ語を指して使われていると考えるべき十分の理由がある。医者ルカが,パウロはエルサレムの人々に「ヘブライ語で」話したと述べた時,パウロは,ヘブライ語で書かれたモーセの律法を学ぶことが生活の中心になっていた人たちに話し掛けていた。死海文書を構成する大量の断片や写本のうち,聖書関係のものも聖書とは無関係のものも,ほとんどがヘブライ語で書かれていて,ヘブライ語が日常的に使われていたことを示している。アラム語の断片も数は少ないが見つかっていて,両方の言語が使われていたことも分かる。それで,聖書筆者が「ヘブライ語」という語を使っている時,実際にはアラム語やシリア語を指していたとは考えにくい。(使徒 21:40; 22:2。使徒 26:14と比較。)ヘブライ語聖書では,以前から「アラム語」と「ユダヤ人の言語」が区別されていて(王二 18:26),1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスは聖書のその記述を考慮し,「アラム語」と「ヘブライ語」を別個の言語と述べている。(「ユダヤ古代誌」,X,8 [i,2])アラム語とヘブライ語にはよく似た言葉があり,アラム語からヘブライ語に取り入れられた言葉もあっただろう。とはいえ,ギリシャ語聖書の筆者たちがアラム語のことをヘブライ語と言う理由は一つもないと思われる。

自分で苦しみの杭を担いで: ヨハネの記述には,イエスは自分で苦しみの杭を運んだとある。しかし他の福音書の記述(マタ 27:32。マル 15:21。ルカ 23:26)は,キレネのシモンに処刑の場所まで杭を強制的に運ばせたと述べている。ヨハネの記述は省略されているところがあり,他の福音書が述べていることを繰り返していないことが多い。それでヨハネは,シモンが杭を運ばせられたことについては書かなかった。

苦しみの杭: マタ 27:32の注釈を参照。

どくろの場所: クラニウー トポンというギリシャ語の表現は,ゴルゴタというヘブライ語名の訳。(この節のゴルゴタに関する注釈を参照。ギリシャ語聖書で使われているヘブライ語という語については,ヨハ 5:2の注釈を参照。)この場所について「カルバリ」という語が使われることがあるが,それは「どくろ」に当たるラテン語カルウァーリアから来ている。その語はウルガタ訳で使われている。

ゴルゴタ: 「どくろ」を意味するヘブライ語から。(裁 9:53,王二 9:35と比較。そこではヘブライ語グルゴーレトが「頭蓋骨」と訳されている。)イエスの時代,この場所はエルサレムの城壁の外にあった。確かな場所は分かっていないが,その場所と言い伝えられていて現在聖墳墓教会が建っている辺りである可能性が高いと考える人もいる。(付録B12参照。)聖書は,ゴルゴタが丘にあったと明言していないが,離れた所から処刑を見ていた人がいたことは述べている。(マル 15:40。ルカ 23:49

苦しみの杭: または,「処刑用の杭」。用語集の「」,「苦しみの杭」参照。

ヘブライ語: ギリシャ語聖書で,聖書筆者は「ヘブライ語」という語を,ユダヤ人が話した言語(ヨハ 19:13,17,20。使徒 21:40; 22:2。啓 9:11; 16:16)や,復活して栄光を受けたイエスがタルソスのサウロに話し掛けた言語を指して使った。(使徒 26:14,15使徒 6:1では,「ヘブライ語を話すユダヤ人」と「ギリシャ語を話すユダヤ人」は区別されている。それらの箇所の「ヘブライ語」という語は「アラム語」と訳すべきだと考える学者もいるが,その語が実際にヘブライ語を指して使われていると考えるべき十分の理由がある。医者ルカが,パウロはエルサレムの人々に「ヘブライ語で」話したと述べた時,パウロは,ヘブライ語で書かれたモーセの律法を学ぶことが生活の中心になっていた人たちに話し掛けていた。死海文書を構成する大量の断片や写本のうち,聖書関係のものも聖書とは無関係のものも,ほとんどがヘブライ語で書かれていて,ヘブライ語が日常的に使われていたことを示している。アラム語の断片も数は少ないが見つかっていて,両方の言語が使われていたことも分かる。それで,聖書筆者が「ヘブライ語」という語を使っている時,実際にはアラム語やシリア語を指していたとは考えにくい。(使徒 21:40; 22:2。使徒 26:14と比較。)ヘブライ語聖書では,以前から「アラム語」と「ユダヤ人の言語」が区別されていて(王二 18:26),1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスは聖書のその記述を考慮し,「アラム語」と「ヘブライ語」を別個の言語と述べている。(「ユダヤ古代誌」,X,8 [i,2])アラム語とヘブライ語にはよく似た言葉があり,アラム語からヘブライ語に取り入れられた言葉もあっただろう。とはいえ,ギリシャ語聖書の筆者たちがアラム語のことをヘブライ語と言う理由は一つもないと思われる。

ヘブライ語: ヨハ 5:2の注釈を参照。

ラテン語: 聖書本文でラテン語とはっきり述べているのはここだけ。ラテン語はイエスの時代に,イスラエルのローマ当局の言語だった。公式の銘文に使われているが,人々の日常語ではなかった。多言語の社会だったので,ピラトは,公式のラテン語,またヘブライ語とギリシャ語(コイネー)で書いた罪状を,ヨハ 19:19にあるように,処刑されるイエス・キリストの頭上に掲げたと思われる。ギリシャ語聖書にはラテン語由来の単語や表現がいくつもある。用語集の「ラテン語」,「マルコの紹介」参照。

イエスの外衣を分配し: ヨハ 19:23,24の記述はマタイ,マルコ,ルカの述べていない点を補足している。4福音書の記述を合わせると,以下のようになる。ローマの兵士は恐らく外衣と内衣の両方についてくじを引いた。外衣は「4つに分け,1人1つずつ手に入れた」が,内衣は分割したくなかったので,誰が取るかをくじで決めた。メシアの衣服のためにくじを引くことは詩 22:18の言葉通りだった。刑執行者が処刑される人の衣服を取るのは普通のことだったと思われる。犯罪者は処刑前に衣服や所持品を全て剝ぎ取られ,いっそうの屈辱を受けることになった。

イエスの外衣を取って……分け: マタ 27:35の注釈を参照。

サロメ: 恐らく,「平和」という意味のヘブライ語に由来。サロメはイエスの弟子だった。マタ 27:56マル 3:17; 15:40と比較すると,サロメは使徒のヤコブとヨハネの母親だったと思われる。マタイが「ゼベダイの子たちの母親」と述べている女性を,マルコは「サロメ」と呼んでいる。さらに,ヨハ 19:25と比較すると,サロメはイエスの母親マリアの姉妹だった可能性がある。そうだとすれば,ヤコブとヨハネはイエスのいとこ。加えて,マタ 27:55,56,マル 15:41,ルカ 8:3が示しているように,サロメはイエスに同行しながら自分の持ち物を使って仕えた女性たちの1人だった。

母親の姉妹: マル 15:40の注釈を参照。

クロパ: 聖書でこの名前が出ているのはここだけ。多くの学者は,クロパはマタ 10:3,マル 3:18,ルカ 6:15使徒 1:13に出ているアルパヨと同一人物だと考えている。聖書中の他の例にもあるように,2つの名前を持っていてどちらの名前でも呼ばれる人というのは珍しくなかった。(マタ 9:9; 10:2,3,マル 2:14と比較。)

イエスが愛する人: イエスが特に愛した人のこと。ある弟子について,「イエスの愛する」とか「イエスが愛情を持っていた」という表現が5回使われているうちの1回目。(ヨハ 19:26; 20:2; 21:7,20)この弟子は,ゼベダイの子でヤコブの兄弟である使徒ヨハネのことと一般に考えられている。(マタ 4:21。マル 1:19。ルカ 5:10)そう特定できる1つの理由は,使徒ヨハネはヨハ 21:2で「ゼベダイの子たち」と述べられている以外,この福音書に名前が出てこないこと。別の点はヨハ 21:20-24にあり,そこでは「イエスの愛する弟子」という表現がこの福音書の筆者を指して使われている。またイエスはその使徒について,「私が来る時まで彼がいることが私の願いだとしても,あなたにどんな関係があるのですか」と言った。これはその弟子がペテロや他の使徒よりずっと長生きすることを示唆しており,それは使徒ヨハネに当てはまる。ヨハ 書名ヨハ 1:6; 21:20の注釈を参照。

愛する弟子: イエスが特に愛した人のこと。ある弟子について,「イエスの愛する」とか「イエスが愛情を持っていた」という表現が5回使われているうちの2回目。(ヨハ 13:23; 20:2; 21:7,20)この弟子は使徒ヨハネのことと一般に考えられている。ヨハ 13:23の注釈を参照。

イエスが愛する人: イエスが特に愛した人のこと。ある弟子について,「イエスの愛する」とか「イエスが愛情を持っていた」という表現が5回使われているうちの1回目。(ヨハ 19:26; 20:2; 21:7,20)この弟子は,ゼベダイの子でヤコブの兄弟である使徒ヨハネのことと一般に考えられている。(マタ 4:21。マル 1:19。ルカ 5:10)そう特定できる1つの理由は,使徒ヨハネはヨハ 21:2で「ゼベダイの子たち」と述べられている以外,この福音書に名前が出てこないこと。別の点はヨハ 21:20-24にあり,そこでは「イエスの愛する弟子」という表現がこの福音書の筆者を指して使われている。またイエスはその使徒について,「私が来る時まで彼がいることが私の願いだとしても,あなたにどんな関係があるのですか」と言った。これはその弟子がペテロや他の使徒よりずっと長生きすることを示唆しており,それは使徒ヨハネに当てはまる。ヨハ 書名ヨハ 1:6; 21:20の注釈を参照。

その弟子に言った。「見なさい,あなたの母親です!」: イエスは母親のマリア(すでにやもめになっていたと思われる)への愛と気遣いから,彼女の世話を,愛する人ヨハネに託した。(ヨハ 13:23の注釈を参照。)イエスはマリアの身体的,物質的な必要だけでなく,マリアの信仰と崇拝のことも特に気遣っていた。使徒ヨハネは信仰を実証していたが,イエスの弟たちがその時信者になっていたかははっきりしない。(マタ 12:46-50。ヨハ 7:5

酸味の強いぶどう酒: または,「ぶどう酢」。ラテン語でアケートゥム(酢),また水で割ってあればポスカとして知られる,酸味のある弱いぶどう酒を指すと思われる。ローマの兵士を含め,貧しい人が喉の渇きを癒やすためによく飲んだ安い飲み物。セプトゥアギンタ訳の詩 69:21ではギリシャ語オクソスも使われていて,そこではメシアに「酢」が与えられることが預言されていた。

酸味の強いぶどう酒: マタ 27:48の注釈を参照。

ヒソプの茎: ギリシャ語聖書で「ヒソプ」と訳されてきたギリシャ語ヒュッソーポスは,こことヘブ 9:19の2回だけ出ている。ヨハ 19:29でどの植物のことを言っているのか,学者の意見は分かれている。ヘブライ語聖書で一般に「ヒソプ」と呼ばれる植物と同じだと考える人たちもいる。ヒソプはマジョラムの類い(Origanum maru,Origanum syriacum)と見られている。(レビ 14:2-7。民 19:6,18。詩 51:7)このヒソプは,イスラエル人がエジプトで過ぎ越しの犠牲の血を家の戸口の2本の柱と上部の横木にはね掛けるのに使われた。(出 12:21,22)過ぎ越しの祝いの時に使われたので,イエスが処刑される時にこの植物は手に入っただろうと言う人がいる。それに対して,マジョラムの茎はぶどう酒を含んだ海綿を付けられるほど丈夫ではないし,海綿をイエスの口元に運べるほど長くないと考える人たちがいる。別の見方として,ここで言うヒソプはアシの先に付けたマジョラムの束のことで,それをイエスの口に持っていったのかもしれない。これは並行記述のマタ 27:48マル 15:36と一致する。そこでは,酸味の強いぶどう酒を含ませた海綿を「アシ」の先に付けたことが述べられている。

息を引き取った: または,「自分の生命力を引き渡した」,「息をしなくなった」。ここでギリシャ語プネウマは「息」もしくは「生命力」を指すと理解できる。これは並行記述のマル 15:37ルカ 23:46(そこでは,「息を引き取った」と訳され,その節の注釈にあるように,「息絶えた」とも訳せる)で,ギリシャ語エクプネオー(直訳,「息を吐き出す」)が使われていることによって裏付けられている。「引き渡した」とも訳せるギリシャ語が使われているのは,イエスが必死で生き延びようとはしなかったということだと考える人もいる。全てのことが成し遂げられたからである。イエスは進んで「自分の命を捧げて死をも受け入れ」た。(イザ 53:12。ヨハ 10:11

準備の日: 週ごとの安息日の前日。この日にユダヤ人は,食事を余分に準備したり安息日後まで待てない仕事を終わらせたりして安息日に備えた。ここではニサン14日が準備の日。(マル 15:42。用語集の「準備の日」参照。)モーセの律法によれば,死体を「夜通し杭に掛けたままにすべきでは」なく,「その日のうちに」葬るべきだった。(申 21:22,23。ヨシ 8:29; 10:26,27と比較。)

その安息日は大安息日だった: 過ぎ越しの翌日,ニサン15日は,週のどの日でも常に安息日だった。(レビ 23:5-7)この特別な安息日は通常の安息日(ユダヤ暦の週の第7日,つまり金曜日の日没から土曜日の日没まで)と重なると「大安息日」になった。イエスが死んだ金曜日の翌日はそのような安息日だった。西暦31年から33年のうち,ニサン14日が金曜日になるのは西暦33年だけだった。それで,イエスは西暦33年のニサン14日に亡くなったと結論できる。

足を折って: ラテン語で,この習慣はクルーリフラギウムと呼ばれていた。残虐な処罰法で,この場合には処刑のために杭に掛けられた人の死を早めるために行われたと思われる。杭に掛けられた人は息がしにくかった。足を折られると体を持ち上げることができず,肺が苦しくなって窒息する。

神の子羊: イエスがバプテスマを受け,悪魔に誘惑された荒野から戻った後,バプテストのヨハネはイエスを「神の子羊」と紹介した。この表現は,こことヨハ 1:36にだけ出ている。(付録A7参照。)イエスを子羊に例えるのは適切なこと。聖書全体を通じて,羊は,罪を認めて神に近づくために捧げられた。これは,イエスが完全な人間の命を人類のために差し出して犠牲となることを予示していた。「神の子羊」という表現は聖書の幾つもの節と関連付けられる。バプテストのヨハネがヘブライ語聖書に通じていたことを考えると,彼の言葉は次のものに暗に言及していたのかもしれない。アブラハムが息子イサクの代わりに捧げた雄羊(創 22:13),奴隷状態にあったイスラエル人を救出するためにエジプトでほふられた過ぎ越しの羊(出 12:1-13),もしくは毎日の朝と夕方にエルサレムの神の祭壇で捧げられた雄羊(出 29:38-42)。またヨハネは,エホバが「私に仕える者」と呼ぶ人が「羊のように,殺されるために連れてこられ」る,というイザヤの預言を念頭に置いていたのかもしれない。(イザ 52:13; 53:5,7,11)使徒パウロは,コリントのクリスチャンへの最初の手紙を書いた時,イエスのことを「私たちの過ぎ越しの子羊」と述べた。(コ一 5:7)使徒ペテロは,キリストの「傷も汚点もない子羊の血のような貴重な血」について語った。(ペ一 1:19)また「啓示」の書では25回以上,栄光を受けたイエスが「子羊」として比喩的に述べられている。(例えば,啓 5:8; 6:1; 7:9; 12:11; 13:8; 14:1; 15:3; 17:14; 19:7; 21:9; 22:1。)

足を折って: ラテン語で,この習慣はクルーリフラギウムと呼ばれていた。残虐な処罰法で,この場合には処刑のために杭に掛けられた人の死を早めるために行われたと思われる。杭に掛けられた人は息がしにくかった。足を折られると体を持ち上げることができず,肺が苦しくなって窒息する。

その骨は一つも折られない: これは詩 34:20からの引用。エホバは過ぎ越しを制定した時,その晩にほふられる子羊(またはヤギ)に関して,「その骨を折ってはならない」と命じた。(出 12:46。民 9:12)パウロはイエスを「私たちの過ぎ越しの子羊」と呼んだ。詩 34:20の預言とこの型に沿って,イエスの骨は一つも折られなかった。(コ一 5:7ヨハ 1:29の注釈を参照。)処刑のために杭に掛けられた人については,死を早めるために足を折るのがローマ兵の習慣だったようだが,予告されていた通りになった。(ヨハ 19:31の注釈を参照。)兵士はイエスの横にいた2人の犯罪者の足を折ったが,イエスはすでに死んでいたので,その足は折らなかった。代わりに,兵士の1人が「脇腹をやりで突き刺した」。(ヨハ 19:33,34

アリマタヤ: この町の名前は「高い所」という意味のヘブライ語に由来。ルカ 23:51で「ユダヤ人の町」と呼ばれている。付録B10参照。

ヨセフ: ヨセフに関する記述の仕方に福音書筆者たちの特徴が表れている。徴税人マタイは,ヨセフが「裕福な男性」だったと言っている。おもにローマ人のために書いたマルコは,「最高法廷の評判の良い一員」で神の王国を待っていた,と述べている。同情心のある医師ルカは,「正しくて善い人」でイエスに対する法廷の行動を支持する投票をしなかった,と語っている。ヨハネだけが,「ユダヤ人たちを恐れてひそかにイエスの弟子となっていた」と伝えている。(マタ 27:57-60。マル 15:43-46。ルカ 23:50-53。ヨハ 19:38-42

ユダヤ人: この語はヨハネの福音書で,文脈によって異なる意味を伝えている。ユダヤ人やユダヤにいる人々全般,あるいはエルサレムやその近くに住んでいる人を指す以外に,モーセの律法に関連した人間の伝統を厳格に守るユダヤ人を指すこともある。その伝統はしばしば律法の精神に反していた。(マタ 15:3-6)そうした「ユダヤ人」の筆頭がイエスに敵意を抱くユダヤ人の権力者または宗教指導者だった。この節とヨハネ 7章の他の幾つかの箇所では,文脈からすると,ユダヤ人の権力者または宗教指導者を指している。(ヨハ 7:13,15,35前半用語集参照。

アリマタヤ: マタ 27:57の注釈を参照。

ヨセフ: マル 15:43の注釈を参照。

ユダヤ人: ユダヤ人の権力者または宗教指導者を指すと思われる。ヨハ 7:1の注釈を参照。

ニコデモ: パリサイ派の人,ユダヤ人の支配者の1人つまりサンヘドリンの一員。(用語集の「サンヘドリン」参照。)ニコデモという名前は「民の征服者」という意味で,ギリシャ人の間で一般的だったが,ユダヤ人も使っていた。ニコデモはヨハネの福音書だけに出ていて(ヨハ 3:4,9; 7:50; 19:39),イエスはヨハ 3:10で彼を「イスラエルの教師」と呼んでいる。ヨハ 19:39の注釈を参照。

ニコデモ: ヨハネだけが,イエスを葬るための準備をニコデモがアリマタヤのヨセフと一緒に行ったことを述べている。ヨハ 3:1の注釈を参照。

没薬: 用語集参照。

沈香: 聖書時代に香料として使われた芳香性の物質を含む樹木に当てはまる名称。(詩 45:8。格 7:17。ソロ 4:14)ニコデモが持ってきた沈香は,ヘブライ語聖書に出てくる沈香と同じものだと思われる。遺体を葬る準備として,恐らく腐敗臭を消すために,没薬と一緒に沈香の粉末が使われた。大抵の注釈者は,聖書中の沈香はキャラとも呼ばれる現代の沈香(Aquilaria agallocha)と同じものだと考えており,それは現在おもにインドとその周辺地域で見られる。その木は高さ30メートルになることもある。幹や枝の中心部には樹脂や芳香のある油が染み込んでいて,それから非常に貴重な香料が取れる。腐った時に最も芳香が強くなるらしく,腐食を早めるためにその木を切って地中に埋めることもある。粉末にしたものが「沈香」として売られた。ここの「沈香」という語は,アロエベラという名前を持つユリ科の植物を指すと考える学者もいる。その植物は香りのためではなく薬用に使われている。

混ぜ合わせたもの: 「巻いたもの」と訳せる写本も幾つかあるが,ここの訳の読みには権威ある初期の写本による強力な裏付けがある。

30キロ: 直訳,「100リトラ」。ギリシャ語リトラは普通,ローマ・ポンド(ラテン語リーブラ)に等しいとされている。1ローマ・ポンドは327グラムなので,ここの混ぜ合わせたものは約33キロ。付録B14参照。

墓: または,「記念の墓」。ここでは自然の洞窟ではなく,軟らかい石灰岩をくりぬいた穴倉や部屋。こうした墓にはたいてい,死体を横たえる棚やくぼみがあった。用語集の「記念の墓」参照。

墓: マタ 27:60の注釈を参照。

メディア

かかとの骨のくぎ
かかとの骨のくぎ

この写真は,11.5センチの鉄のくぎが突き刺さった,人間のかかとの骨の複製。実物は,1968年にエルサレム北部で発掘されたローマ時代のもの。これは,処刑の際,人を木の杭に留めるために恐らくくぎが使われたことを示す考古学的証拠になっている。ローマの兵士たちはイエス・キリストを杭に掛けた時,同様のくぎを使用したかもしれない。このかかとの骨は石の納骨箱の中で発見された。納骨箱には,遺体が朽ちた後の乾いた骨が納められた。このことは,杭に掛けられて処刑された人でも葬られる場合があったことを示している。

聖書に出てくるヒソプ
聖書に出てくるヒソプ

多くの聖書翻訳で「ヒソプ」と訳されているヘブライ語とギリシャ語(ヘブライ語エゾーブとギリシャ語ヒュッソーポス)には,幾つかの種類の植物が含まれるのかもしれない。この写真はマジョラム(Origanum maru,Origanum syriacum)で,多くの学者は,ヘブライ語で言っているのはこの植物だと考えている。シソ科のこの植物は中東でよく見られる。環境が良ければ,高さ50センチから90センチになる。聖書でヒソプは,多くの場合,清さと結び付けられている。(出 12:21,22。レビ 14:2-7。民 19:6,9,18。詩 51:7)ギリシャ語聖書に「ヒソプ」は2回だけ出ている。ヘブ 9:19は,古い契約が発効した時のことを述べていて,その文脈ではヘブライ語聖書に出てくる「ヒソプ」のことを言っていると思われる。ヨハ 19:29では,酸味の強いぶどう酒を海綿に十分含ませて「ヒソプの茎に」付け,イエスの口元に持っていったことが述べられている。この文脈で,ギリシャ語ヒュッソーポスがどの植物のことなのか,学者たちの意見は分かれている。マジョラムだとしたらイエスの口に届くほど茎が長くないので,もっと茎の長い別の植物,例えばモロコシ(Sorghum vulgare)の一種であるアズキモロコシだと考える人たちがいる。そうだとしてもヒソプはマジョラムのことだろうと考える人たちもいる。マタイとマルコが述べている「アシ」の先にマジョラムの束が付けられたのではないかという見方である。(マタ 27:48。マル 15:36

ローマのやり
ローマのやり

ローマ兵は普通,突いたり投げたりできる柄の長い武器を装備していた。ピルムという投げやり(1)は,標的を突き通せる作りになっていた。重かったのであまり遠くまで投げられなかったが,その分,よろいや盾を貫通する力が増した。ローマの大抵の軍団兵がピルムを装備していたという証拠がある。もっとシンプルなやり(2)は,木製の柄に鉄製の刃が付いていた。補助軍の歩兵はこの種のやりを複数本携えていた。イエスの脇腹を突き刺すのにどんなやりが使われたかは分からない。

墓室
墓室

ユダヤ人は通常,亡くなった人を洞窟か,岩をくりぬいた穴倉に葬った。そのような墓は王の墓を除けば,普通は町の外にあった。発見されているユダヤ人の墓は簡素なことでよく知られている。ユダヤ人の崇拝で死者をあがめることは行われず,死後も霊界で意識ある存在であり続けるという概念は育たなかったからだと思われる。