マルコ​に​よる​福音​書 14:1-72

14  さて,過ぎ越し+と無酵母パンの祭り+が2日後に迫った+。祭司長と律法学者たちは,イエスをうまく*捕らえて殺す方法を探していた+  こう言っていた。「祭りの時はやめておこう。民が騒動を起こすかもしれない」。  イエスがベタニヤで,重い皮膚病だったシモンの家で食事をして*いた時に,1人の女性が,白い石のつぼに入った香油を持ってやって来た。香油は純粋のナルドで,とても高価なものだった。女性はつぼの口を割り,イエスの頭に注ぎ始めた+  すると,何人かが憤って互いに言った。「香油がもったいないではないか。  この香油なら300デナリ+以上で売れて,貧しい人たちに施しをすることができたのに!」 そして,その女性のことを非常に不快に感じていた*  しかしイエスは言った。「この女性をそのままにしておきなさい。なぜ困らせようとするのですか。私に立派なことをしてくれたのです+  貧しい人たちはずっといて+,いつでも望む時に善いことをしてあげられますが,私はずっといるわけではありません+  この女性は自分にできることをしました。私の体が葬られる時のために香油を注いだのです+  はっきり言いますが,世界中どこでも良い知らせが伝えられる所では+,この女性がしたことも語られ,思い起こされます+」。 10  12人の1人ユダ・イスカリオテは,イエスを裏切って渡そうとして,祭司長たちの所に行った+ 11  話を聞いた祭司長たちは喜び,銀を与えることを約束した+。それでユダは,裏切る機会を探るようになった。 12  無酵母パンの最初の日+,慣例として過ぎ越しの犠牲を捧げる日に+,弟子たちがイエスに言った。「過ぎ越しの食事を,どこに行って準備したらいいでしょうか+」。 13  そこでイエスはこう言って弟子の2人を遣わした。「町の中に行きなさい。そうすると,水がめを運んでいる男の人に会います。付いていって+ 14  その人がどこに入っていっても,家の主人にこう言いなさい。『先生が,「弟子たちと過ぎ越しの食事ができる客室はどこでしょうか」と言っています』。 15  そうすると,整った大きな階上の部屋を見せてくれます。そこで準備をしなさい」。 16  それで弟子たちは出ていった。町に入ると,イエスが言った通りになり,過ぎ越しの準備をした。 17  夕方になってから,イエスは12人と共に来た+ 18  食卓に着いて食べていた時,イエスは言った。「はっきり言いますが,私と一緒に食事をしているあなたたちの1人が私を裏切ります+」。 19  弟子たちは深く悲しみ,「まさか私ではありませんね」と口々に言い始めた。 20  イエスは言った。「それは12人の1人,私と一緒にパンを鉢に浸している人です+ 21  人の子は書かれている通り去っていきますが,人の子を裏切るその人には災いがあります+! 生まれてこなかった方がよかったでしょう+」。 22  食事中に,イエスはパンを取り,祈ってから,それを割って渡し,「取りなさい。これは私の体を表しています+」と言った。 23  また,杯を取り,感謝の祈りをしてから,それを渡した。皆その杯から飲んだ+ 24  イエスは言った。「これは私の『契約+の血+』を表しています。それは多くの人のために注ぎ出されることになっています+ 25  はっきり言いますが,私は神の王国で新しいものを飲むその日まで,ブドウからできたものをもう決して飲みません+」。 26  最後に,皆で賛美の歌を歌ってから,オリーブ山に出ていった+ 27  イエスは言った。「あなたたちは皆,私を見捨てます。『私は牧者を打つ+。すると,羊は散り散りになる+』と書いてあるからです。 28  しかし私は,生き返らされた後,先にガリラヤに行きます+」。 29  するとペテロは言った。「たとえほかのみんなが見捨てても,私は見捨てません+」。 30  するとイエスは言った。「はっきり言いますが,今日,そうです,今夜,おんどりが2度鳴く前に,あなたは3度,私を知らないと言います+」。 31  しかしペテロはこう言い張った。「一緒に死ぬことになるとしても,あなたを知らないとは決して言いません」。ほかの皆も同じことを言いだした+ 32  ゲッセマネという所に来ると,イエスは弟子たちに言った。「私が祈りをする間,ここに座っていなさい+」。 33  それから,ペテロとヤコブとヨハネを連れていったが+,不安に駆られ*,ひどく苦悩し始めた。 34  そして3人に言った。「私は悲しみのあまり+,死んでしまいそうです。ここにとどまって,ずっと見張っていなさい+」。 35  イエスは少し進んでいって地面に伏し,もしできることならその事態が自分から過ぎ去るように,と祈り始めた。 36  こう言った。「アバ,父よ+,あなたには全てのことが可能です。この杯を私から取り除いてください。それでも,私の望むことではなく,あなたの望まれることを+」。 37  イエスは戻り,3人が眠っているのを見て,ペテロに言った。「シモン,眠っているのですか。1時間見張っている力もなかったのですか+ 38  ずっと見張っていて絶えず祈り,誘惑に負けないようにしていなさい+。もっとも,心は強く願っていても*,肉体は弱いのです+」。 39  イエスは再び離れていき,同じことを祈った+ 40  再び戻ると,3人は眠っていた。まぶたが重くなっていたのである。3人はイエスに何と言っていいか分からなかった。 41  それから,イエスは3度目に戻ってきて,言った。「このような時に,あなたたちは眠って休んでいます! もう十分です! 時が来ました+! さあ,人の子は裏切られて罪人たちに引き渡されます。 42  立ちなさい。行きましょう。見なさい,私を裏切る人が近づいてきました+」。 43  するとすぐ,イエスがまだ話しているうちに,12人の1人であるユダが現れた。祭司長と律法学者と長老たちに遣わされた人々も,剣やこん棒を持って一緒に来た+ 44  イエスを裏切る者は前もって合図を打ち合わせ,「私が口づけするのがその人だ。捕まえて,しっかりと*引いていけ」と言っていた。 45  それで,真っすぐイエスに近づき,「ラビ!」と言って,優しく口づけした。 46  人々はイエスを捕らえて拘束した。 47  しかし,そばに立っていた1人が剣を抜き,大祭司の奴隷に襲い掛かって耳を切り落とした+ 48  そこでイエスは言った。「強盗に対するように剣やこん棒を持って私を捕らえに来たのですか+ 49  私は毎日神殿で教える時にあなた方と一緒にいたのに+,あなた方は私を捕まえませんでした。でも,これは聖書の言葉が実現するためです+」。 50  弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げていった+ 51  しかし,上等の亜麻布の服を着た若者がすぐ後を付いていった。人々がこの若者を捕まえようとしたが, 52  亜麻布の服を残して,裸のまま逃げていった。 53  イエスは大祭司の所に引いていかれ+,祭司長と長老と律法学者たち全員が集合した+ 54  ペテロは,かなり離れてイエスに付いていき,大祭司の家の中庭に入った。そして,その家の従者たちと一緒に座って,たき火で体を温めていた+ 55  一方,祭司長たちとサンヘドリン全体は,イエスを死刑にするため,イエスに不利な証言を探していたが,見つけられなかった+ 56  大勢の人がイエスに不利な偽証をしていたが+,その証言は一致していなかったのである。 57  また,ある人たちが立ち上がり,イエスに不利な偽証をしてこう言った。 58  「この者が,『人手によるこの神殿を壊し,人手によらない別のものを3日で建てる』と言うのを聞きました+」。 59  しかし,こうした点でも証言は一致していなかった。 60  そこで,大祭司が真ん中に立ち,イエスにこう質問した。「何も答えないのか。この人たちがあなたに不利な証言をしているが,どうなのか+」。 61  しかしイエスは黙ったままで,全く答えなかった+。大祭司が再び質問を始め,「あなたは褒めたたえるべき方の子キリストか」と言った。 62  するとイエスは言った。「その通りです。あなた方は,人の子+が強力な方の右に座り+,また天の雲と共に来るのを見ます+」。 63  大祭司は衣服を引き裂いて,言った。「これ以上,証人が必要でしょうか+ 64  皆さんは冒瀆の言葉を聞きました。どうしますか*」。皆,イエスを死に値する者と断罪した+ 65  ある人たちはイエスに唾を掛けたり+,イエスの顔を覆ってからこぶしで殴り,「誰が殴ったか,預言者なら言ってみろ!」と言ったりし始めた。法廷の役人たちは,顔を平手打ちしてから,連れていった+ 66  さて,ペテロが下の中庭にいると,大祭司に仕える女性の1人がやって来た+ 67  ペテロが体を温めているのを目にし,ペテロを真っすぐに見て,言った。「あなたも,あのナザレ人イエスと一緒にいました」。 68  しかしペテロはそれを否定し,「その人を知らないし,あなたが何を話しているのかも理解できない*」と言って,入り口の方に出ていった。 69  そこでも女性はペテロを目にし,そばに立っている人たちに,「この人は彼らの仲間です」と,また言い始めた+ 70  ペテロは再びそれを否定した。しばらくして,そばに立っていた人たちがまたもやペテロに言いだした。「確かにあなたは彼らの仲間だ。実際,ガリラヤ人ではないか」。 71  しかしペテロは,「あなたたちが言っている人など知らない」と言い,うそなら神罰を受けてもいいと誓い始めた。 72  すぐに,おんどりが2度目に鳴いた+。ペテロは,「おんどりが2度鳴く前に,あなたは3度,私を知らないと言います+」とイエスから言われたことを思い出し,泣き崩れた。

脚注

または,「欺きによって」,「悪巧みによって」。
または,「食卓で横になって」。
または,「に腹立たしく語った」,「をとがめた」。
または,「ぼうぜんとし」。
または,「やる気はあっても」。
または,「用心して」。
または,「どう考えますか」,「どう思いますか」。
または,「あなたが何を話しているのか分からないし,理解もできない」。

注釈

過ぎ越しの祭り: この祭り(ギリシャ語パスカ。「過ぎ越す」,「通り過ぎる」という意味のヘブライ語動詞パーサハから派生したペサハに由来)は,イスラエル人がエジプトを出る前の夕方に制定された。イスラエル人がエジプトから救出され,エホバがエジプトの初子を滅ぼした時にイスラエルの初子が「過ぎ越」されたことを記念する。(出 12:14,24-47用語集参照。

イエスがベタニヤで: マル 14:3-9の出来事はニサン9日が始まる日没の後に起きたと思われる。ヨハネにある並行記述がそれを示している。そこには,イエスが「過ぎ越しの6日前に」ベタニヤに到着した,とある。(ヨハ 12:1)ニサン8日の安息日が始まる(日没の)頃に到着したに違いない。その翌日,シモンの所で食事をした。(ヨハ 12:2-11付録A7B12参照。

祭司長たちの所に行った: 10節と11節で描かれている事が起きたのはニサン12日で,それはマル 14:1,2の出来事が起きたのと同じ日。付録A7,B12マル 14:1,3の注釈を参照。

さて: マル 14:1,2の出来事はニサン12日に起きた。この節は過ぎ越し(ニサン14日,マタ 26:2の注釈を参照)と無酵母パンの祭り(ニサン15-21日,用語集参照)が2日後と述べている。付録A7,B12,B15マル 14:3,10の注釈を参照。

重い皮膚病: 皮膚に重度の病変が生じる病気。今でいうハンセン病が含まれると思われるが,それに限定されてはいない。この病気と診断された人は治るまで社会から離れて生活した。(レビ 13:2,45,46用語集参照。

女性: ヨハ 12:3によれば,この女性はマリアで,マルタとラザロの姉妹。

私の体……に香油を注いだ: この女性(マタ 26:7の注釈を参照)の惜しみない行為はイエスへの愛と感謝の気持ちからだった。イエスによれば,この女性はそれとは知らずに,イエスが葬られる時のための準備をしていた。当時,液状やクリーム状の香油がしばしば死体に塗られた。(代二 16:14

イエスがベタニヤで: マル 14:3-9の出来事はニサン9日が始まる日没の後に起きたと思われる。ヨハネにある並行記述がそれを示している。そこには,イエスが「過ぎ越しの6日前に」ベタニヤに到着した,とある。(ヨハ 12:1)ニサン8日の安息日が始まる(日没の)頃に到着したに違いない。その翌日,シモンの所で食事をした。(ヨハ 12:2-11付録A7B12参照。

重い皮膚病だったシモン: このシモンが出てくるのは,この節と並行記述のマタ 26:6だけ。イエスが以前に癒やした人かもしれない。マタ 8:2の注釈と用語集の「重い皮膚病」を参照。

女性: マタ 26:7の注釈を参照。

白い石のつぼ: 直訳,「雪花石こうのつぼ」。用語集の「雪花石こう」参照。

香油: ヨハネはその重さが300グラムと言っている。マルコとヨハネの記述では,「300デナリ以上」の価値があったことが明示されている。この額は一般の労働者の約1年分の賃金に相当した。(マル 14:5。ヨハ 12:3-5)このような香油の原料は一般に,ヒマラヤ山脈で見られる芳香性の植物(Nardostachys jatamansi)と考えられている。ナルドは,混ぜ物が入れられることが多く,模造されることもあったが,マルコもヨハネもこの時の香油が純粋のナルドだったと述べている。用語集の「ナルド」参照。

イエスの頭に注ぎ: マタイとマルコによれば,女性はイエスの頭に油を注いだ。(マタ 26:7)数十年後に記したヨハネは,足にも注いだという点を述べている。(ヨハ 12:3)イエスによれば,この愛ある行為はイエスを葬るための準備を比喩的に表すものだった。マル 14:8の注釈を参照。

香油: ヨハネはその重さが300グラムと言っている。マルコとヨハネの記述では,「300デナリ以上」の価値があったことが明示されている。この額は一般の労働者の約1年分の賃金に相当した。(マル 14:5。ヨハ 12:3-5)このような香油の原料は一般に,ヒマラヤ山脈で見られる芳香性の植物(Nardostachys jatamansi)と考えられている。ナルドは,混ぜ物が入れられることが多く,模造されることもあったが,マルコもヨハネもこの時の香油が純粋のナルドだったと述べている。用語集の「ナルド」参照。

300デナリ: マタイは単に「高く売れて」と記しているが(マタ 26:9),マルコとヨハネはもっと具体的に述べている。マル 14:3の注釈,用語集の「デナリ」,付録B14を参照。

女性: ヨハ 12:3によれば,この女性はマリアで,マルタとラザロの姉妹。

私の体……に香油を注いだ: この女性(マタ 26:7の注釈を参照)の惜しみない行為はイエスへの愛と感謝の気持ちからだった。イエスによれば,この女性はそれとは知らずに,イエスが葬られる時のための準備をしていた。当時,液状やクリーム状の香油がしばしば死体に塗られた。(代二 16:14

はっきり言いますが: または,「真実に言いますが」。ここのギリシャ語に含まれているアメーンという語は,ヘブライ語のアーメーンを翻字したもので,「そうなりますように」もしくは「確かに」という意味。イエスは発言や約束や預言の前置きとして頻繁にこの表現を使って,絶対的な真実性と信頼性を強調した。イエスのこの語の用い方は,宗教的文書で他に例がないとされている。ヨハネの福音書全体に見られる通り,イエスはこの語を2度重ねて(アメーン,アメーン)自分の言葉の信頼性をさらに強調することもあった。ヨハ 1:51の注釈を参照。

全ての国の人々: この表現は伝道活動の規模を示し,仲間のユダヤ人以外にも広く伝えるようになることを弟子たちに教えている。「国の人々」と訳されているギリシャ語(エトノス)は一般に,多少とも血のつながりがあって共通の言語を話す人々の集団を指す。そのような国民や民族の集団は一定の地域に居住している場合が多い。

はっきり言いますが: マタ 5:18の注釈を参照。

世界中……伝えられる: イエスはここで,マル 13:10の預言と同様,良い知らせが世界中で知らされることを予告している。それにはこの女性の献身的な行為のことも含まれる。神は3人の福音書筆者を聖なる力で導き,女性の行いについて記させた。(マタ 26:12,13。ヨハ 12:7マル 13:10の注釈を参照。

さて: マル 14:1,2の出来事はニサン12日に起きた。この節は過ぎ越し(ニサン14日,マタ 26:2の注釈を参照)と無酵母パンの祭り(ニサン15-21日,用語集参照)が2日後と述べている。付録A7,B12,B15マル 14:3,10の注釈を参照。

イエスがベタニヤで: マル 14:3-9の出来事はニサン9日が始まる日没の後に起きたと思われる。ヨハネにある並行記述がそれを示している。そこには,イエスが「過ぎ越しの6日前に」ベタニヤに到着した,とある。(ヨハ 12:1)ニサン8日の安息日が始まる(日没の)頃に到着したに違いない。その翌日,シモンの所で食事をした。(ヨハ 12:2-11付録A7B12参照。

イスカリオテ: 「ケリヨト出身の人」という意味かもしれない。ユダの父シモンもイスカリオテと呼ばれている。(ヨハ 6:71)この語から,シモンとユダはユダにある町ケリヨト・ヘツロンの出身だったと一般に理解されている。(ヨシ 15:25)そうであれば,ユダは12使徒の中で唯一ユダの人である。他の使徒はガリラヤ人だった。

祭司長たちの所に行った: 10節と11節で描かれている事が起きたのはニサン12日で,それはマル 14:1,2の出来事が起きたのと同じ日。付録A7,B12マル 14:1,3の注釈を参照。

イスカリオテ: マタ 10:4の注釈を参照。

銀: お金として使われた銀。マタ 26:15によれば,金額は「銀30枚」。イエスを裏切る代価は,福音書筆者の中でマタイだけが記している。ティルスで鋳造されたシェケル銀貨30枚だったかもしれない。この額は祭司長たちがイエスを軽んじていたことを示しているようだ。律法下では奴隷1人の代価だった。(出 21:32,脚注)同様に,預言者ゼカリヤが神の民の間で預言した報酬を不忠実なイスラエル人に求めた時,民は「銀30枚」を支払い,ゼカリヤにはせいぜい奴隷の価値しかないと見なしていたことを示した。(ゼカ 11:12,13

無酵母パンの祭りの最初の日: 無酵母パンの祭りは,過ぎ越し(ニサン14日)の翌日であるニサン15日に始まり,7日間続いた。(付録B15参照。)しかし,イエスの時代,過ぎ越しとこの祭りは密接に結び付いていたため,ニサン14日を含む8日間全体を「無酵母パンの祭り」と呼ぶこともあった。(ルカ 22:1)この文脈で,「最初の日」という表現は「前の日」と訳すこともできる。(ヨハ 1:15,30と比較。そこでは,「最初の」に当たるギリシャ語[プロートス]が,同様の構文の中で「前の」という意味で使われ,「私より先に[プロートス]存在した」と訳されている。)それで,原語のギリシャ語とユダヤ人の慣習からすると,弟子たちがイエスに質問をしたのはニサン13日であると考えられる。弟子たちはニサン13日の日中に過ぎ越しの準備をし,「夕方になってから」,つまりニサン14日が始まってから過ぎ越しを祝った。(マル 14:16,17

無酵母パンの最初の日: 無酵母パンの祭りは,過ぎ越し(ニサン14日)の翌日であるニサン15日に始まり,7日間続いた。(付録B15参照。)しかし,イエスの時代,過ぎ越しとこの祭りは密接に結び付いていたため,ニサン14日を含む8日間全体を「無酵母パンの祭り」と呼ぶこともあった。(ルカ 22:1)ここで述べられている日はニサン14日。慣例として過ぎ越しの犠牲を捧げる日と言われているから。(出 12:6,15,17,18。レビ 23:5。申 16:1-812-16節で描かれている事はニサン13日の午後に起きたと思われる。それは過ぎ越しの準備で,「夕方になってから」つまりニサン14日が始まってから過ぎ越しが祝われた。(マル 14:17,18付録B12マタ 26:17の注釈を参照。

夕方になってから: ニサン14日が始まる夕方のこと。付録A7B12参照。

私と一緒にパンを……浸している: たいていの食べ物は手で食べるか,パンをスプーンのように使って食べた。ここのギリシャ語表現は「食べ物を分け合う」という意味の慣用句の可能性もある。誰かと食事をすることは親しい交友の印だった。そのような親しい仲間に敵対するのは,最もひどい裏切り行為と見なされた。(詩 41:9。ヨハ 13:18

鉢: このギリシャ語は,底が深めの食器を指す。「共同の鉢」と訳せる古代写本も幾つかあるが,現在の読みには他の写本による強力な裏付けがある。

パンを取り……それを割って: 古代近東の一般的なパンは薄くて,酵母が入っていなければ砕けやすかった。イエスがパンを割ったことに深い意味はなく,そのようなパンを分ける普通の方法だった。マタ 14:19の注釈を参照。

表しています: ここでギリシャ語エスティン(字義的には「である」)は,「意味する」,「象徴する」,「表象する」,「表す」という意味。このような意味であることは使徒たちには明らかだった。この時,イエスの完全な体が彼らの目の前にあり,食べようとしていた無酵母パンもそこにあったから。それで,そのパンがイエスの文字通りの体であったはずがない。同じギリシャ語がマタ 12:7で使われていて,多くの聖書で「意味する」と訳されていることにも注目。

パンを取り……それを割って: マタ 26:26の注釈を参照。

祈って: 神に賛美や感謝を捧げる祈りだったと思われる。

表しています: マタ 26:26の注釈を参照。

契約の血: エホバと天に行くクリスチャンとの間の新しい契約はイエスの犠牲によって発効した。(ヘブ 8:10)イエスが使ったこの表現は,モーセがシナイ山で仲介者となってイスラエルとの律法契約を開始させた時に使ったのと同じ。(出 24:8。ヘブ 9:19-21)神とイスラエル国民との律法契約が雄牛とヤギの血によって有効になったように,エホバが「神のイスラエル」(ガラ 6:16)と結ぶ新しい契約はイエスの血によって有効になった。その契約は西暦33年のペンテコステの時に発効した。(ヘブ 9:14,15

契約の血: マタ 26:28の注釈を参照。

新しいもの: 新しいぶどう酒のこと。聖書で,ぶどう酒は喜びを象徴する場合がある。(詩 104:15。伝 10:19

新しいもの: マタ 26:29の注釈を参照。

賛美の歌を歌ってから: または,「賛美の詩(詩編)を歌ってから」。ユダヤ人の伝承によれば,初めの2つのハレル詩編(113,114)を過ぎ越しの食事の間に,残りの4編(115-118)を食事の終わりに朗唱した。後者には,メシアに当てはまる預言が幾つか含まれている。詩 118は「エホバに感謝せよ。神は善い方。神の揺るぎない愛は永遠に続く」という言葉で始まり,結ばれている。(詩 118:1,29)これが,イエスが亡くなる前の晩に忠実な使徒たちと歌った最後の賛美の歌詞だっただろう。

賛美の歌: マタ 26:30の注釈を参照。

夜明け前: 直訳,「おんどりが鳴く頃」。これは,ギリシャやローマの区分法による第3夜警時を表す名称。真夜中から午前3時ごろまでを指す。(この節の他の注釈を参照。)恐らくこの時間帯に「おんどりが鳴」いた。(マル 14:72)地中海の東の地域では,おんどりの鳴き声が昔も今も時報のようなものと一般に考えられている。マタ 26:34,マル 14:30,72の注釈を参照。

おんどりが……鳴く前に: 4福音書全てがこの点を述べているが,マルコだけはおんどりが2度鳴くことまで記している。(マタ 26:34,74,75。マル 14:72。ルカ 22:34,60,61。ヨハ 13:38; 18:27)ミシュナはイエスの時代にエルサレムでおんどりが飼育されていたことを示しており,聖書の記述を支持している。ここで言うおんどりの鳴き声は,夜が明ける前の非常に早い時間のことだったと思われる。マル 13:35の注釈を参照。

ゲッセマネ: この庭園は,エルサレムから見てキデロンの谷の向こうのオリーブ山にあったと思われる。その庭園にはオリーブの搾り場があったのだろう。その名称は,「油の搾り場」を意味するヘブライ語かアラム語の表現(ガト シェマーネー)に由来する。正確な位置は特定できないが,ある伝承は,オリーブ山の麓,西斜面の道の分岐点にある庭園をゲッセマネとしている。付録B12参照。

ゲッセマネ: マタ 26:36の注釈を参照。

私: ギリシャ語プシュケーは,ここで人の存在全体を指す。それで,「私の全存在」あるいは単に「私」と訳せる。用語集の「プシュケー」参照。

ずっと見張っていなさい: ここのギリシャ語は「目を覚ましている」という基本的な意味があるが,多くの文脈では「用心している」,「見張っている」という意味。マタイはこの語をマタ 24:43; 25:13; 26:38,40,41で使っている。マタ 24:44ではその語を「用意ができている」必要性と結び付けている。マタ 26:38の注釈を参照。

ずっと見張っていなさい: 直訳,「目を覚ましていなさい」。主の来る時をいつも意識して目を覚ましているようにという勧告が10人の乙女の例え話の基本的なメッセージ。マタ 24:42; 26:38の注釈を参照。

ずっと見張っていなさい: ここのギリシャ語は「目を覚ましている」という基本的な意味があるが,多くの文脈では「用心している」,「見張っている」という意味。マルコはこの節以外に,マル 13:34,37; 14:34,37,38で同じ語を使っている。マタ 24:42; 26:38,マル 14:34の注釈を参照。

私: マタ 26:38の注釈を参照。

ずっと見張っていなさい: 直訳,「目を覚ましていなさい」。イエスは以前に,ご自分の来る日と時刻を弟子たちは知らないので,主の来る時をいつも意識して目を覚ましている必要があることを強調していた。(マタ 24:42;25:13,マル 13:35の注釈を参照。)この勧告をこことマル 14:38で繰り返している。マル 14:38では,主の来る時をいつも意識して目を覚ましていることと絶えず祈ることとが結び付けられている。同様の勧告がギリシャ語聖書を通じて見られ,真のクリスチャンは決して油断してはならないことが分かる。(コ一 16:13。コロ 4:2。テサ一 5:6。ペ一 5:8。啓 16:15

地面に伏し: または,「体を地面に倒し」。並行記述のマタ 26:39は「ひれ伏し」と述べている。聖書には,立ったりひざまずいたりなど,祈りの姿勢が幾つか出ている。しかし,最も謙遜な姿勢は,熱烈に祈り,顔を下にして体を伏せる時かもしれない。

杯から飲む: 聖書で,「杯」はしばしば比喩的に使われ,ある人に対する神の意志,つまり「与えられた分」を指す。(詩 11:6,脚注; 16:5,脚注; 23:5)ここの「杯から飲む」とは,神の意志に従うことを意味する。イエスが言っている「杯」には,冒とくという偽りの訴えを受けたイエスの苦しみと死だけでなく,天での不滅の命への復活も含まれる。

アバ: ヘブライ語もしくはアラム語(ギリシャ語に翻字されている)で,ギリシャ語聖書に3回出ている。(ロマ 8:15。ガラ 4:6)この語は字義的には「父」あるいは「父よ」という意味。「パパ」と言うような親しみと「お父さん」という語の品位を併せ持っていて,改まっていないが敬意がこもっている。子供が最初に口にするようになる言葉の1つ。とはいえ,古代のヘブライ語やアラム語の文書で,大きくなった息子が父親に呼び掛ける時にも使われている。それで,この語は称号というより愛情のこもった呼び掛け。イエスがこの表現を使ったことは,父との間の親密な信頼関係を示している。

父よ: ギリシャ語はホ パテールで,字義的には「父」あるいは「父よ」という意味。アバの3回の出例全てでその後に訳として出ている。

この杯を私から取り除いてください: 聖書で,「杯」はしばしば比喩的に使われ,ある人に対する神の意志,つまり「与えられた分」を指す。(マタ 20:22の注釈を参照。)イエスは,冒とくと扇動の訴えを受けて死ぬことが神に非難をもたらすことにならないかを非常に心配して,この「杯」を取り除いてくださるよう祈ったのだろう。

心: ギリシャ語,プネウマ。ここでは人の心から生じ,何らかの言動へと駆り立てる力を指している。用語集の「プネウマ」参照。

肉体: ギリシャ語,サルクス。聖書で,この語はしばしば,不完全で罪ある状態の人間を表すために使われている。

心: マタ 26:41の注釈を参照。

肉体: マタ 26:41の注釈を参照。

まぶたが重くなっていた: 「すごく眠い」という意味のギリシャ語の慣用表現。「目を開けていられなかった」とも訳せる。

何と: ここで「何と」と訳されているギリシャ語イドゥーは,続く記述に読者の注意を引き,物語の情景を思い描いたり細部に注目したりしやすくするためによく使われる。強調する時,あるいは新しい情報やあり得ないような出来事を伝える時にも使われる。ギリシャ語聖書でこの語がよく出てくるのはマタイとルカの福音書,「啓示」の書。ヘブライ語聖書で,対応する表現がよく使われている。

さあ: ギリシャ語,イドゥー。マタ 2:9の注釈を参照。

優しく口づけした: ここで「優しく口づけする」と訳されているギリシャ語動詞は,マル 14:44にある「口づけする」という動詞の強意形。ユダはイエスにそのようないかにも温かで友好的なあいさつをして,欺きと偽善の程を示した。

大祭司の奴隷に襲い掛かって: この出来事は4人の福音書筆者全員が記していて,それらの記述は補い合っている。(マタ 26:51。マル 14:47。ルカ 22:50)「愛されている医者」ルカ(コロ 4:14)だけが,イエスが「奴隷の耳に触れて癒やした」ことを述べている。(ルカ 22:51)剣を振るったのがシモン・ペテロで,耳を切り落とされた奴隷の名前マルコスであることを述べている福音書筆者はヨハネだけ。「大祭司」とその家の人たち「に知られていた」弟子とはヨハネのことだと思われ(ヨハ 18:15,16),けがを負った男性の名前がヨハネの福音書に出ているのは自然なこと。ヨハネが大祭司の家の人たちをよく知っていたことはヨハ 18:26からも分かる。そこでヨハネは,ペテロがイエスの弟子だと指摘した奴隷について,「ペテロに耳を切り落とされた男性の親族」だと説明している。

そばに立っていた1人: 並行記述のヨハ 18:10は,剣を抜いたのがシモン・ペテロであることと大祭司の奴隷の名前がマルコスであることを示している。ルカ(22:50)とヨハネ(18:10)の記述からは,切り落とされたのが「右耳」であることも分かる。

大祭司の奴隷に襲い掛かって: ヨハ 18:10の注釈を参照。

マルコ: ラテン語名マルクスから。マルコは使徒 12:12に出てくる「ヨハネ」のローマ名。母親はエルサレムに住んでいた初期の弟子マリア。ヨハネ・マルコは「バルナバのいとこ」(コロ 4:10)で,バルナバと旅をした。パウロや他の初期クリスチャンの宣教者たちとも旅をした。(使徒 12:25; 13:5,13。テモ二 4:11)この福音書は誰が筆者かを述べていないが,2世紀と3世紀の著述家はこの福音書をマルコによるものとしている。

若者: 51節と52節に描かれている事を記録しているのはマルコだけ。この若者は筆者自身だったのかもしれない。そうであれば,マルコはイエスと個人的な接触があったとも考えられる。マル 書名の注釈を参照。

裸でいる: または,「服が足りない」,「十分に着ていない」。ギリシャ語ギュムノスは,「半裸の」,「下着姿の」という意味もある。(ヤコ 2:15

裸のまま: マタ 25:36の注釈を参照。

大祭司: イスラエルが独立国家だった時,大祭司は生涯その職にとどまった。(民 35:25)しかし,ローマがイスラエルを占領していた間,ローマが立てた支配者たちが大祭司の任命や解任の権威を持っていた。イエスの裁判を主宰したのはカヤファだった。(マタ 26:3,57)カヤファは巧みな外交家で,その頃の前任者たちの誰よりも長く職にとどまった。西暦18年ごろに任命され,36年ごろまで職に就いていた。用語集参照。カヤファの家があったと考えられる場所について,付録B12参照。

サンヘドリン: エルサレムにあった,ユダヤ人の高等法廷のこと。「サンヘドリン」と訳されるギリシャ語(シュネドリオン)は字義的には,「共に座る」という意味。会合や集会を指す一般的な言葉だったが,イスラエルでは宗教上の司法機関つまり法廷も指した。マタ 5:22の注釈用語集を参照。サンヘドリン広間があったと考えられる場所について,付録B12も参照。

サンヘドリン: マタ 26:59の注釈を参照。

証言は一致していなかった: 偽の証人たちの証言が一致していなかったことを述べている福音書筆者はマルコだけ。

キリスト: ギリシャ語ではここで,「油を注がれた者」(「選ばれた者」とも訳される)を意味する称号「キリスト」の前に定冠詞が付いている。イエスが約束のメシア,特別な意味で選ばれた方であることを表すため。マタ 1:1; 2:4の注釈を参照。

キリスト: マタ 11:2の注釈を参照。

強力な方の右: 直訳,「力の右」。統治者の右にいるとは,統治者に次ぐ重要な地位にあることを意味した。(詩 110:1。使徒 7:55,56)この文脈で「力」に当たるギリシャ語は神自身を指すと理解でき,「力がある方」や「強力な方」と訳せる。「強力な方の右」に当たるギリシャ語表現は並行記述のルカ 22:69にも出ているが,そこでは「神」に当たる語が付いていて,「強力な神の右」と訳されている。「力の右」という語句は,イエスが強力な方である神の右にいて,力や権力を与えられることも暗示しているのかもしれない。

強力な方の右: マタ 26:64の注釈を参照。

衣服を引き裂いて: ここでは憤りを表すしぐさ。カヤファは,聖人ぶってイエスの言葉に対する激怒を大げさに表現するために,外衣の胸の部分を引き裂いたのだと思われる。

門: マルコの記述では「入り口」や「入り口の間」も意味する語が使われていて,これが単なる門でないことが分かる。(マル 14:68)何らかの構造物だと思われ,中庭から通りに面した外扉までの通路や小部屋だったかもしれない。

入り口: または,「入り口の間」。マタ 26:71の注釈を参照。

誓い: ペテロは恐れから,周りの人に自分は本当に知らないのだと信じさせようとしている。この件について誓うことによって,自分の言葉が真実であり,そうでなければ災いが降りかかってもいいと宣誓している。

誓い: マタ 26:74の注釈を参照。

夜明け前: 直訳,「おんどりが鳴く頃」。これは,ギリシャやローマの区分法による第3夜警時を表す名称。真夜中から午前3時ごろまでを指す。(この節の他の注釈を参照。)恐らくこの時間帯に「おんどりが鳴」いた。(マル 14:72)地中海の東の地域では,おんどりの鳴き声が昔も今も時報のようなものと一般に考えられている。マタ 26:34,マル 14:30,72の注釈を参照。

おんどりが……鳴いた: 4福音書全てがこのことを述べているが,マルコだけはおんどりが2度目に鳴いたことまで記している。(マタ 26:34,74,75。マル 14:30。ルカ 22:34,60,61。ヨハ 13:38; 18:27)ミシュナはイエスの時代にエルサレムでおんどりが飼育されていたことを示しており,聖書の記述を支持している。ここで言うおんどりの鳴き声は夜明け前のことだったと思われる。マル 13:35の注釈を参照。

メディア

白い石のつぼ
白い石のつぼ

小さな花瓶のような香油入れはもともと,エジプトのアラバストロン付近で見つかる石で作られた。炭酸カルシウムでできた白い石自体がアラバストロンとして知られるようになった。いわゆる雪花石こう(アラバスター)である。写真のつぼはエジプトで発見された,紀元前150年から西暦100年ごろのもの。石こうなどもっと安い材料を使って,よく似たつぼが作られた。用途が同じということで,それも雪花石こうと呼ばれた。しかし,より高価な香油には本物の雪花石こうで作られた入れ物が使われた。イエスはそのような香油を2度,1度はガリラヤのパリサイ派の人の家で,もう1度はベタニヤの重い皮膚病だったシモンの家で注がれた。

過ぎ越しの食事
過ぎ越しの食事

過ぎ越しの食事には以下のものが欠かせなかった。焼いた子羊(骨は折ってはならなかった)(1),無酵母パン(2),苦菜(3)。(出 12:5,8。民 9:11)ミシュナによると,苦菜とはレタス,チコリー,エンダイブ,タンポポ,あるいはナズナの仲間のことかもしれない。苦菜は,エジプトで奴隷としてつらい経験をしたことをイスラエル人に思い起こさせるものだったと思われる。イエスは自分の完全な人間の体の象徴として無酵母パンを用いた。(マタ 26:26)使徒パウロはイエスのことを「私たちの過ぎ越しの子羊」と呼んでいる。(コ一 5:7)1世紀には,過ぎ越しの食事にぶどう酒(4)も含まれるようになっていた。イエスは,犠牲として注ぎ出される自分の血の象徴としてぶどう酒を用いた。(マタ 26:27,28

階上の部屋
階上の部屋

イスラエルには階上の部屋がある家もあった。その部屋には,屋内のはしごや木の階段あるいは屋外の石の階段かはしごで行けた。ここに描かれているような大きな階上の部屋でイエスは最後の過ぎ越しを弟子たちと祝い,主の晩餐という記念の式典を制定した。(ルカ 22:12,19,20)西暦33年のペンテコステの日,約120人の弟子たちが恐らくエルサレム内のある階上の部屋にいた時に,神の聖なる力がその弟子たちに注がれた。(使徒 1:15; 2:1-4