ウィーン​の​マイドリング​区​の​区長​ガブリエレ​・​ヴォタワ​が​除幕​式​の​話​を​し​た

【​オーストリア,ウィーン​】​2015​年​5​月​13​日,75​年​前​に​ドイツ​軍​へ​の​入隊​を​拒否​し​て​ナチス​に​処刑​さ​れ​た​エホバ​の​証人,ゲルハルト​・​シュタイナハー​を​記念​する​銘板​の​除幕​式​に,約​400​人​が​立ち会い​まし​た。銘板​は​ウィーン​の​元​シュタイナハー​宅(マイドリング​区​レンゲンフェルトガッセ​68​番地)の​外壁​に​取り付け​られ​て​おり,区長​の​ガブリエレ​・​ヴォタワ​が​歩道​上​で​の​除幕​式​に​おい​て​主要​な​話​を​し​まし​た。

その​式典​の​テーマ​は,シュタイナハー​氏​が​恩赦​を​請願​し​た​時​の​釈明​に​含ま​れ​て​い​た,「撃つ​こと​だけ​はで​き​ない」と​いう​言葉​でし​た。その​言葉​は​短い​ながら​も,シュタイナハー​氏​の​大切​に​し​て​い​た​クリスチャン​の​価値​観,つまり​マタイ 19​章​19​節​の「隣人​を​自分​自身​の​よう​に​愛さ​ね​ば​なら​ない」と​いう​イエス​の​言葉​に​代表​さ​れる​価値​観​に​つい​て​多く​を​語っ​て​い​ます。

ゲルハルト​は​若い​頃​から​聖書​を​勉強​し,17​歳​の​時,エホバ​の​証人​に​なる​こと​を​決意​し​まし​た。そして​1939​年​9​月​15​日,シュタイナハー​氏​は,良心​上​の​理由​で​兵役​を​拒否​し​た​こと,また​ヒトラー​へ​の​忠誠​の​誓い​を​拒ん​だ​こと​で​逮捕​さ​れ​まし​た。ウィーン​で​6​週​間​投獄​さ​れ​た​後,公判​を​受ける​ため​ドイツ​へ​移送​さ​れ​て​ベルリン​の​モアビット​刑務​所​に​拘置​さ​れ​まし​た。

シュタイナハー​氏​は,1​回​目​の​審問​を​受け​た​最初​の​日​で​ある​1939​年​11​月​11​日​に,戦争​遂行​を​妨げ​た​罪​で​告発​さ​れ,死刑​を​宣告​さ​れ​まし​た。宗教​上​の​信念​に​基づく​恩赦​を​請願​し​まし​た​が,1940​年​3​月​2​日,帝国​軍事​裁判​所​は​死刑​判決​を​支持​し​まし​た。4​週​間​後​の​3​月​30​日,シュタイナハー​氏​は,ベルリン​の​悪名​高い​プレツェンゼー​刑務​所​で,斬首​刑(ざ​ん​し​ゅけ​い)を​執行​さ​れ​まし​た。19​歳​でし​た。

銘板​の​除幕​式​の​あと​も,近く​の​フォルクスホッホシューレ​劇場​で​催し​が​続き​まし​た。予定​さ​れ​て​い​た​催し​に​は,シュタイナハー​家​の​歴史​の​展示​会​も​あり​まし​た。展示​品​の​1​つ​は,1976​年​に​発見​さ​れ​た​小さな​箱​です。その​箱​に​は,ゲルハルト​の​父​イグナツ​と​母​ルイーゼ​が,投獄​さ​れ​て​い​た​息子​に​宛て​た​手紙​28​通​と,ゲルハルト​が​両親​を​慰める​と​とも​に​親​と​同じ​信仰​に​対する​確信​を​言い表わす​ため​に​書い​た,はがき​や​手紙​25​通​が​入っ​て​い​まし​た。

ゲルハルト​の​母​ルイーゼ​が​1976​年​に​亡くなっ​た​時,シュタイナハー​宅​で,手紙​と​はがき​の​入っ​た​この​箱​が​見つかっ​た

ウィーン​の​週刊​新聞「ウィーナー​・​ベツィルクツァイトゥング」(ドイツ​語)の​記事​に​よれ​ば,その​催し​は​シュタイナハー​氏​の​勇敢​な​行動​を「暗がり​から​明るみ​に」出す「際立っ​た​記念​式典」でし​た。その​記事​は​さらに,「彼​は​自分​の​理念​の​ため​に​死ぬ​覚悟​で​い​た。生き​て​守り通し​た​まさに​その​理念​の​ため​に,で​ある」と​述べ​て,シュタイナハー​氏​を​称賛​し​て​い​ます。

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